表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
慚愧の怪  作者: Masa plus
1/66

(第一話)小さな里の惨劇

 いつとも知れぬ世。とある山奥の、人口が三十人にも満たない極めて小さな集落に、掬緒きおは暮らしていた。秋めいた涼しい某日の昼過ぎに、彼は両親と共に粽を作っていた。それも、一家だけでなく住民全員分である。粽は掬緒の幼少の頃からの好物だった。仕込みを終え、朝食を済ませた掬緒はすぐに家を出た。

「おはようございます!」掬緒が挨拶をする。

「おはよう、今日も元気だねぇ」おばさんは微笑んで返す。

「若えのが頑張ってんだからなあ、俺も頑張らにゃあ」おじさんは重い体を元気そうに持ち上げる。

「おーい掬緒、ちょっと手伝ってくれ」兄さんが呼びかけると、その直後に

「きい兄、遊んで!」子どもたちが明るい笑顔で駆け寄り、

「こらこら」と、その親たちが宥める。


 このようなやりとりはいつものことだった。だが今日は特別な日だった。掬緒の十六歳の誕生日だったのである。両親は勿論、住民たちも掬緒の明るく優しい人柄に惹かれ、皆祝いとして何を贈るか考えていた。

「去年、このくらいの時間に村を歩いてたら、皆が何を贈るか聞こえちゃって残念に思ったんだよな」

歩いているうちに家に戻ってきた掬緒。彼はあることを思いついた。

「よし、今日は日が暮れるまで裏山にいよう」

両親にその旨を告げ、掬緒は笑顔で裏山に向かう。

「ああ、楽しみだなあ……」


 掬緒は裏山を歩き回った。誕生日に心を弾ませる彼の目には、行き慣れた裏山の風景もだいぶ違って見える。紅葉の木々に分け入り、せせらぎの音に導かれて掬緒がやってきたのは小川だった。鏡面に映る自分の顔を見て、喜びを再確認する掬緒。

「……ふふふ」

さらに進む掬緒。道沿いにはたわわに実った林檎や蜜柑が映え、彼の鼻を擽る。食欲に駆られる掬緒。だが誕生日の食事をお腹いっぱい食べる為、ぐっと堪えてその場を去った。

 

 夕方。やがて掬緒は裏山を降り、開けた地に足を踏み入れる。そこは村で最も大きな水田が広がる場所だった。まだ稲の刈り取りはされておらず、一面に広がる黄金色の穂が、夕日に照らされ風に靡いている。この風景も掬緒にとっては見慣れたものだが、誕生日という特別な日への喜びを通して見ると、一種の神々しさを帯びていた。時が経つのを忘れ、掬緒は風景に見惚れていた。


 やがて日が暮れた。掬緒は焦り、祝いに間に合うよう足を急がせる。黄金色の稲穂に背を向け、赤や黄色の葉の間を縫うように走る掬緒。木々の、果実の、そして川の匂いが家路を案内するように通り過ぎていく。そよ風は掬緒の心の中まで心地よく抜けていった。一歩一歩、落ち葉を踏む音が響く。やがて里が見えた、その時だった。

「何だ?この匂い……」

今まで嗅いだことのない匂いではない。だがそれは、先ほどまで掬緒の心に吹いていたそよ風を一瞬にして凍り付かせるものだった。

「……血?」

否、血そのものではない。血の他に、腐った肉が混ざったような、例えようのない酷さの匂いだった。誰かが誕生日を祝うために、家畜の屠殺をしたのか?否、祝いの日にそのような血生臭いことをする者は、断じて里にはいない。

「……??」

里に近づくほど、匂いは強くなった。それに加えて、掬緒がこれまでに聞いたことのないような奇声が響いた。足を進める掬緒の顔は青褪めた。


 周囲が開け、掬緒は里に足を踏み入れる。そこに広がっていたのは誠に信じ難き凄惨な光景だった。

「……!!」

 見たことのない化け物が里を襲っている。家は全て破壊され、住民の体は無残に引き裂かれ、肉が見える亡骸は彼方此方に乱暴に捨てられていた。掬緒は目の前の光景が信じられず、呆然としようとするのを恐怖が押し潰すような感覚に襲われた。掬緒の目はその感覚により異様に冴えてしまい、薄暮に紛れんとする光景を目ざとく捉えてしまう。掬緒は膝を落とし、金縛りにあったかの如く佇んでいた。


 ―ぽちゃん。


 体が動かなかった掬緒の心に、何かが一滴落ちた。水にしては音が鈍い。透明で冷たく、それでいて熱さがじわじわと全身を伝う。手へ、足へ、そして顔へ。掬緒の目に映ったのは魑魅魍魎の群れ。一瞬のうちに憎悪が滾り、金色の鉤爪が閃光の如く空を薙いだ。

 

 「はっ!」

掬緒の里から遠く離れた何処かの地で、僧侶のような出で立ちの男が何かの気配を感じ取った。正座する彼が目を落とした先には、羅針盤のようなものがぼんやりと光っている。そこに浮かび上がっているのは地図を彷彿とさせる模様で、そのうちの一か所が青い光を強く放ったかと思いきや、すぐに弱くなった。やがて光は点滅し、不安定なものと化した。

「こ、これは……」

男の名は坐胆ざたん。周囲を結界に囲まれた国・櫻蓮郷おうれんきょうの長にして、その中に唯一存在する寺・養浄寺ようじょうじの僧侶である。彼が見ていたのは、『殀鬼』という怪異の出現を知らせる「縮地盤」だった。坐胆は懐から法螺貝を出し、身舎を出て吹く。すると程なくして、四人の若者が翼廊を走って来た。彼らの顔は、只ならぬ事態が起きたとばかりに張り詰めている。


 身舎へ来た若者たちが、坐胆の前に座っている。

「殀鬼が現れたのですね?」四人の中で最年長の青年、䯊斬丸かざんまるが神妙な面持ちで尋ねた。

「いや。おそらく、お前たちと同じ”慚愧の怪”(ざんきのかい)だ。これを見ろ」

坐胆が光る縮地盤を見せる。不安定な光を見た䯊斬丸の表情が、何処か心配そうなものに変わった。

「じゅ……」そう言いかけたのは、十代前半くらいの年頃の少女、綺清那きさな

「仲間、かぁ……」綺清那の隣に座っている最年少の童子、べるめろがのっぺりした口調で言う。その横では、䯊斬丸と年が近そうな女性、彩蓮さいれんがまじまじと光を見つめている。そのうちに、その光とは別の地点で黄色い光が現れた。

「まさか、こんな時に殀鬼が現れるとは……」坐胆は頭を抱える。

「私が行きますわ」彩蓮が手を挙げた。

「この光は、”慚愧の怪”となる男の子のものですわ・・・是非とも私に行かせてくださいまし」

坐胆はその表情を見て確信した。彩蓮こそが、この光の下にいる者を迎えに行くのに最も相応しいことを。一方で、殀鬼を一刻も早く倒さなければならない。

「いいだろう。彩蓮、お前が迎えに行きなさい。䯊斬丸たちは殀鬼の討伐に向かうこと。双方、何かあれば速やかに連絡しなさい」

「はい」

彩蓮の体を青い光が、他三人の体を黄色い光が包む。四人の姿が消え、残された坐胆は心配そうな面持ちで佇んでいた。


 掬緒の里では空から月と星が消えた。薄曇りの夜に広がるのは、里の者と化け物の死体。その中央には呆然と立つ掬緒、もとい掬緒らしき異形の存在だった。顔と体の左半分は掬緒のものだが、右半分は獣の骸のようで、右手は小柄な体躯に不釣り合いな程巨大化している。異形はその右手を見た。そこには血肉がこびり付いた化け物の、半分に割れた顔がある。異形は目をかっ開いた。この時沸いた感情は恐怖だったのか、はたまた憎悪だったのかわからない。確かなことは、異形が化け物の顔を引き裂き、続いて他の化け物の死体にも同様の行為をした、ということのみである。


 異形が化け物の死体を引き裂き終えた後、周囲を見渡して目に留まったのは住民の亡骸だった。いずれも損傷が激しく、暗がりでよく目を凝らさないと、誰だか判別できない。

「……父さん、母さん……」

首と、食い尽くされて僅かに残った胴体だけの姿となった両親を見て、異形は手が震えた。その姿は、闇の中で静かに掬緒のものへと戻っていく。

「みんな……」

掬緒は住民の亡骸を探そうと立ち上がった。彼にとって、里の住民は皆が家族というべき大切な存在だった。両親だけでなく、住民全員の亡骸を回収して弔うこと。全てを失った掬緒には、それしか術がない。呆然としながらも薄々そう思っていた掬緒は、両親の亡骸を里の中央の空き地に運ぶ。続いて里中を回り、見つけた亡骸を次々に安置した。家族や親しい者同士は、隣に横たえる。

「これで皆……揃った」

本来なら今頃、里には明かりが灯って祭りにも似た賑わいの中、自分の誕生日を祝われていただろう。今年もそうやって皆がこの空き地に集まる筈だった。だが現実は違う。それとは全くもって正反対のものだった。掬緒にとって、今まで生きた中で一番悲しい形で、皆が自分を囲っている。

掬緒は周囲を警戒した。まだ化け物が残っているかもしれない。だが何処にもその気配はなかった。掬緒はまだ巨大化したままの右手で、黙々と土を掘る。


 彩蓮が里へ来た。着いて早々鼻を突く血生臭さに、彼女は溜息をついた。

「こういうのに慣れてしまった自分が、恐ろしいですわ」

彩蓮が進んだ先に、開けた場所があった。きっとあそこに”慚愧の怪”がいる。彩蓮は足を速めた。足音が夜の静寂に大きく響く。

「……?」

彩蓮の足音に気づいて、異形の者が振り向く。その姿を見て、彩蓮は絶句した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
里の日常描写から始まり、誕生日という幸福な空気をしっかり積み上げたうえで、一気に惨劇に突き落とす構成が強烈でした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ