竜の力と魔法使い
「竜の眠り歌」
歌、という言い方はしても、れっきとした魔法である。言葉の並びも歌のようであり、歌うように呪文を唱えることから、そう呼ばれるようになった。
竜に対してのみ有効の魔法で、術名の通り、竜を眠らせる。この魔法で眠った竜は千年目を覚まさないだろう、とも言われているが、本当に千年眠るのかは確認されていない。
目を覚まさないという意味、もしくは非常に長い年月という意味で千年と言われるのであろう。
太古の昔、一匹の竜が怒りに我を失い、空と大地で大暴れをしていた。その竜を静めるため、魔法使い達が編み出した魔法が「竜の眠り歌」である。
☆☆☆
闇色の長い髪をした魔法使いは、その魔法についての短い説明を読むと、口元にわずかな笑みを浮かべた。
周囲に人はいないが、彼の浮かべた表情を見れば、あまりいい気はしないだろう。
「ご大層に隠しやがって」
魔法使いジールズが手にしているのは、一冊の魔法書だ。
テムオン図書館。
その一角にある、魔法書やその関連本が並ぶエリア。そのさらに奥には扉があり、関係者以外立入禁止となっていた。
ここには「禁断の魔法」と呼ばれる魔法が記された魔法書が保管されている。魔法使いの長の許可がなければ、閲覧することはもちろん、この部屋へ入ることもできない。
ジールズがいるのはまさにその立入禁止の部屋であり、持っているのは禁断の魔法が記された魔法書だ。
「呪文さえ手に入れば、こっちのものだ」
扉には、通常の鍵の他に魔法がかけられている。さらに、魔法書が並べられた本棚にも扉があり、こちらにも鍵と封印の魔法がかけられていた。
もちろん、どちらもそう簡単に外したり解けないようにされている。たとえ火事になって図書館が全焼することがあったとしても、魔法で守られたこの部屋だけは焼け残るだろう。
ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかった。合い鍵を作るのは簡単だったが、魔法の方はそうもいかない。
長クラスの魔法使いは解呪の呪文を知っているが、腕はよくても一介の魔法使いでしかないジールズはその呪文を知る術がなかった。
どこかに書き留められていれば盗み見することもできるだろうが、呪文は長達の頭の中にしか存在しないのだ。
しかし、絶対に解けない訳ではない。一気に解く方法がわからないだけで、少しずつでも繰り返し解呪していれば、いつかは解ける。
そうやって、まずは扉の魔法が解けた。全てが解けたら、気付かれないように自分で解ける封印の魔法をかけて目くらましをしておく。
次に、魔法書が入っている本棚だ。その扉にかけられた魔法をゆっくり時間をかけ、しかし確実に解いて。
毎日のように繰り返すこと、およそ一年。
あきらめずに続けたことで、今夜ようやく目的の魔法書を手にできた。
今夜……そう、今は真夜中だ。
ジールズは毎晩図書館に忍び込んでは、ずっと解呪の呪文を繰り返し唱えてきたのである。
彼の目的は、禁断の魔法書にある「竜の眠り歌」だ。
竜に対してだけ効果がある魔法。
しかも、唱えてその効果を発揮させられるのは、人間だけ。竜や妖精、魔物が同じ呪文を唱えても、効果は望めない。
一般の人間から見れば魔法は不思議なものだが、この魔法については魔法使いから見ても不思議な術だ。誰がどうやって編み出したのか。
魔法使いなら、竜の存在を知っている。彼らがいかに強大な魔力を持っているかも。
ここテムオンの街や近隣の町に住む魔法使いなら、ラムアの山に棲む竜に会った者も多いはず。ジールズも他の魔法使いと一緒に、何度か竜と会ったことがあった。
直接会話をしたことはないが、同じ空間にいるだけでその存在感と魔力の強さに圧倒されたものだ。
思ったより薄い魔法書に書かれた「竜の眠り歌」の呪文。ジールズはそれを数回、口にする。呪文そのものは複雑さもなく、優秀な彼が覚えてしまうのはすぐだった。
呪文は眠り歌と言うより、子守歌のような言葉が並ぶ。
「もう必要ないな」
他の人間にまねされるのはごめんだ。
ジールズは「竜の眠り歌」が書かれたページを破り取り、火の魔法で燃やした。ページは黒い燃えかすになって、床へ落ちる。
本来、魔法書の紙はそう簡単に燃えるものではないが、処理するための呪文を知っていれば難しいものではない。
ジールズは取り出した魔法書を本棚へ戻したものの、もう魔法も鍵もかけない。部屋の扉だけは閉めたが、すぐに気付かれないためだ。ほんのわずかな時間稼ぎでしかない。
図書館を出ると、魔獣を召喚する。青白い光を放つ仔牛程もある大きな狼が現れ、ジールズはその背に乗った。魔獣は命令を受けずとも、行き先がわかっているかのように走り出す。
魔獣は真っ直ぐ、ラムアの山へ向かっていた。
夜の山は、昼間以上に魔物がうろついている。だが、魔獣は魔物達を蹴散らしながらそのまま突っ走った。
多少大きな魔物が現れても、魔法使いの力が行く手を阻むのを許さない。
山の中腹辺りまで来ると、洞窟が見えて来た。
月明かりでほんのわずか見える景色。その中で、真の暗闇が続くかのように洞窟の入口がそこにある。
その前まで来ると、ジールズは魔獣から降りた。
「もういいぞ」
魔法使いの言葉で、狼はその場から消えた。ジールズは一人、洞窟へと入って行く。
岩壁の通路を魔法の炎で照らしながら歩いていたが、それはほんのわずかな時間。すぐにひらけた場所へ出る。
見上げれば、満ちるまであと数日の月が木々の間から見えた。
彼が通って来たのは、洞窟ではなく岩のトンネル。その先にある場所が、竜の棲処だ。
ここへ来るには、今の通路を通るか、空から直接ここへ入るしかない。
広い空間の向こうに、わずかに緑色に光る竜の巨体があった。長い身体を折り曲げ、頭を自分の身体の一部に乗せているところを見ると、休んでいるのだろう。
竜も夜には休むのか。
心の中でそんなことをつぶやいて、ジールズは笑う。
「あなた、誰?」
突然、近くで少女の声がした。しかし、ジールズは特に驚いた様子もなく、その声の方を向いた。人形に羽が生えたような、小さな少女がこちらを見ている。
ジールズはその少女を知っていた。竜の所へ来た時、いつもそばにいた妖精だ。ここに居着いているらしい。
明るい茶色の髪は少し波打って胸元まで伸び、緑の丸い目をしている。聞いたことはないが、その容姿なら緑の妖精だろう。
「街の魔法使いね。人間がこんな時間に何の用?」
夜の山は、たとえ魔法使いでも人間にとって安全な場所とは言い難い。そこを通ってわざわざ来ているのだから、何だろうと思われるのは当然だった。
しかし、ジールズは妖精などに用はない。無視して竜の方へと歩く。
「ちょっと! あなたって、失礼な人間ね。こちらが尋ねていることに、ちゃんと答えたらどうなの」
ジールズの後を妖精が追う。
「お前などに用はない」
冷たい目で一瞥され、妖精は一瞬ひるんだ。
「やっと口を開いたと思ったら、それなの? ここへ来る他の人間は、挨拶くらいしっかりするわよ」
憤る妖精を無視してさらに歩くと、竜が頭を上げた。
「どうした?」
「この魔法使いがいきなり入って来たの」
本当に眠っていた訳ではない竜は、もちろんジールズがここへ足を踏み入れた時からわかっていた。黙って様子を見ていたが、どうも好ましくない雰囲気を感じ取る。
普段は優しい緑の瞳も、侵入者に対して警戒の色を浮かべていた。
「魔法使い、私に用か?」
「俺は力が欲しい」
竜から見下ろされても、ジールズはまるで恐れる様子がない。
「俺は竜の力が欲しい」
「……。で、どうする」
竜の問いには答えず、ジールズは呪文を唱え始めた。
安まれ 闇にその身をゆだねて
「何っ」
竜の身体が硬直する。妖精も、竜の様子がおかしいことにすぐ気付いた。
「お前……眠り歌を……」
描くは 優美な竜の夢
低く呪文を唱え続けるジールズ。図書館で盗み読みし、覚えた禁断の術だ。
竜はほんのわずか唱えられただけで、一気に脱力感を覚える。まるで抗えない。
「ここから出ろ」
竜の低い声。妖精は、自分に言われたのだとわかった。
だが、竜がまるで抵抗できないのを見ているのに、自分だけ逃げられない。
「早くっ」
「きゃあっ」
風が起きた。小さな妖精の身体は簡単に飛ばされ、木々の間から空へと放り出される。何とか体勢を立て直した妖精は、眼下にある竜の棲処に結界が張られたのを見た。
自分が近付いて中へ入れるものか弾かれるのかわからないが、入れたところであの魔法使いを止めるだけの力はない。
助けを呼ばなくては、と夜の山を飛んで行く。
一方、竜はますます力を抜かれていた。自分の身体をまともに支えることさえできなくなってくる。
「竜の力……」
奪えると思うな。
魔法使いに向けようとした言葉は、空気がもれるような音でしかなかった。
竜の手の中で、白い珠が光る。それに気付いたジールズが、呪文を唱え続けながらかすかな笑みを浮かべた。
見付けた、と言わんばかりに。
光る大地と 海と 空と
ジールズの呪文が終わり、地面に横たわる竜の目からは光が失われてゆく。
「ちっ」
だが、竜はその手を敷くようにして、地面に崩れていた。珠の上に、巨体が覆い被さったのだ。
「往生際の悪い……。どうせ眠るんだから、力なんか持っていたって使えないだろう」
ジールズの声が聞こえたのか、竜の視線がそちらに向けられた。そのまぶたが完全に閉じるまでの、残りわずかな時間。
ジールズの見間違いでなければ、竜は笑ったように見えた。
この場で竜は明らかに敗者なのに。まるで勝ち誇ったかのような笑みを口元に浮かべた……ような気がする。
しかし、それはほんの一瞬。
ジールズの唱えた呪文によって、竜は確かに眠りの淵へと落ちた。呼吸でわずかに身体が上下する以外、竜が動くことはない。
「さぁ、竜珠をもらおうか」
白い珠を持っていた竜の前脚は、巨体の下に組み敷かれている。
「その格好で眠っていたら、起きた時に腕がしびれるんじゃないか?」
ジールズは竜の身体の下で風を起こし、強い風は竜の身体をわずかに押し上げた。その隙に、隠れていた腕を引っ張り出す。
全ては魔法での作業だが、さすがに重いのでかなりの力を強いられた。
「何だとっ」
腕は確かに出て来たのに、その手の中にあの白い珠はない。
「さっきのは幻影か? ……それで俺を騙したつもりなら、あいにくだったな。お前は眠っているんだ、これからゆっくり探させてもらうさ」
その手に持っていると見せかけて、実は別の場所に隠した。
魔法が使えるのだから、瞬時にそれくらいは簡単にできるだろう。
竜の棲処が広いと言っても、限られた空間の中。まして、竜の力の源である珠のこと、その存在を隠すことは容易ではない。
そう考えたジールズはあちこち探したが、どこにも竜珠は見当たらない。
「どうしてだっ。なぜ、竜珠がどこにもないんだ。ここで隠す場所など、限られてるはずだろう」
さらに強い風を起こして竜の身体をひっくり返し、竜がいた辺りの地面を掘ってみたが何も出て来ない。
「そうだ……あの妖精」
呪文を唱え始めた時、竜は危険を察してそばにいた妖精をこの場から放り出した。もしかすれば、あの妖精に竜珠を託して逃がしたのではないか。
その考えに至ったジールズは、急いで外へ出ようと岩の通路へと走った。
だが、そこから先へ行けない。見えない壁が邪魔をして、外へ出られないのだ。
「竜の結界……これで俺を閉じ込めたつもりか。ふざけるなっ。どこまでも小賢しいことをしやがって」
横たわる竜のそばまで戻って来ると、ジールズは眠る竜を睨み付けた。
「おとなしく渡していれば、ただ眠っているだけでいつかは目覚めるものを……。竜を殺すつもりなどなかったが、そうもいかなくなった」
竜が生きてる限り、自分はこの結界から外へ出ることはできない。結界の力を消すには、結界を張った術者を……竜を殺すしかないのだ。
「命を張ってまで守るものか? だったら、なおさら欲しくなったぞ」
ジールズの手の中で、暗い炎が徐々にふくらんでいった。