6 戦場の天使
「どういうことなの……」
起き抜けでまだ朧気な思考が急速に覚醒していくのを感じる。
寝ぼけ眼が冴え、緩慢な動きだった指先が俊敏に動く。
携帯端末を操作しているうちに、異常に膨れ上がったチャンネル登録数の原因に行き当たった。
「これ、切り抜き動画か?」
配信サイトの急上昇ランキングに花坂凜々の名前を見付けた。
動画タイトルにはこうあった。
【ダンジョン探索】舞い降りた戦場の天使に窮地を救われる花坂凜々【花坂凜々切り抜き動画】
「天使?」
大量の魔物に襲われるシーンから始まり、荒い息づかいと共に逃げる凜々が映し出され、動画の中盤になると上空から舞い降りた俺が登場する。残りはすべて戦闘シーンとなっていて、地上から見た空中戦が映されていた。
「これ凜々の配信から切り抜いたのか」
俺の配信では切り抜き動画の許可を出してない。
まぁ、出していないというか、そもそも切り抜き動画の許可を求められたことがないというか。
「えーっと」
コメント欄に目を通すと数秒前のコメントが一番上に来ている。
天使やん。
天使がいるわけないやろと思ったら天使だった。
切り抜きご苦労様です。
これが女だったら完璧だったのに。
凜々そこ代われ。
ざっと見た感じだと、どれも好意的なコメントばかりでひとまずほっとする。
炎上したわけではないらしい。
とにかく、この動画が切っ掛けで天音ハバネのチャンネル登録数が伸びたみたいだ。
「投稿から数時間でもう二十万再生……俺のチャンネルのリンクも張ってくれてるのか。というか、なんでこんなにバズってるんだ?」
チャンネル登録数二桁の俺に影響力なんてない。
なら、凜々のほうか?
指先は自然と花坂凜々のチャンネルリンクに振れていた。
「五十万!? な、なるほど、それでか」
バズったのはほぼ凜々のお陰みたいだ。
でも、そうか。こんなに多いのか。
配信は趣味でこの界隈自体には詳しくないから知らなかったけど、凄いんだな。
今一度自分のチャンネルを開くと、登録者数が更に増えて二万に迫っていた。
「でも、三ヶ月やって二桁だった登録数が一晩で二万か。百人いけたら記念になにかしようかなー………とか思ってたのにな……」
数字の増え方に感覚が追い付かなくなりそうだった。
「待てよ、じゃあSNSは……」
すぐに天音ハバネのアカウントを開くと、やはりと言うべきかこちらも大変なことになっていた。
五十未満だったフォロワー数が一万を越え、ダイレクトメールが大量に押し寄せている。
「切り抜き動画の許可をくださいってのが六割くらいだな」
凜々の視点だけの切り抜きが出回っているので、二匹目のドジョウ狙いの人たちが天音ハバネ視点の切り抜き動画を作りたがっているようだ。
ただ何でもかんでも許可を出していると悪意のある切り抜きをされると聞いたことがある。
今の俺は舞い上がって冷静さを欠いている自覚があるし、とりあえず保留ということにしておこう。
「残りは……感謝してくれてるみたいだな」
残りのダイレクトメールには感謝の言葉が綴られていた。
凜々を助けてくれてありがとう、直接お礼が言いたかったと、暖かい文面が続いている。
それに目を通してから今更ながらようやく、人一人の命を助けたのだと実感が湧く。
「いいことしたんだよな、俺」
それでも、その見返りが大きすぎるような気がしてならないけど。
「ん、メールか。うわ、どんだけ来るんだよ」
堰を切ったかのように着信音が連続で鳴る。
送り主はどれも奥空翼が天音ハバネだと知っている知人友人たちから。
内容はどれも似たようなものでお前の切り抜きがバズってるぞ、というもの。
そしてそれらの半分ほどは、その後に収益が入ったら何か奢れと続く。
「こいつら俺が頼んでもチャンネル登録すらしなかったくせに」
収益はボーナスじゃないんだぞ。
まだ収益化通ってないけど。
「あれ、凜々からも来てる」
ほかに紛れて見落とすところだった。
§
「急に呼び出してごめんね」
「いや、大丈夫。ちょうど人と話したかったから助かったよ」
落ち着いた雰囲気とコーヒーの匂いが漂う喫茶店の窓際の席につく。
向かい側には花坂凜々こと四季崎咲希がいた。
「それってやっぱり?」
「まぁ、そう。なんか大変なことになっててさ。実感は湧かないけど、とんでもないことが起こってる自覚はあるっていうか」
「現実味がないってことだよね」
「そう、それ。人と話でもしてれば湧いてくるかなって。現実味」
「私でよければ」
「ありがと。それで話って?」
アイスコーヒーの氷がからんと音を立てた。
「うん、話なんだけど。あ、その前に」
「ん?」
「私、キミのことなんて呼べばいいかな? ハバネくん? 翼くん?」
「そう言えば俺もなんて呼べばいいかわからないな。凜々なのか、咲希なのか」
あるいは苗字のほうか。それも二つあるけど。
「ほかの配信者とオフで会うときはどうしてるんだ? 俺には経験がなくてさ」
「うーん、そうだね。芸名って言うのも、ちょっと違う気がするけど。私は芸名のほうで呼ぶことが多いかな。配信中にうっかり本名を言っちゃうのを防止できるし」
「あぁ、なるほど。たしかにな」
配信に顔を晒している以上、身バレは避けられないけれど、自分や人から個人情報が漏れることはなるべく避けたいのが配信者心理というもの。
「じゃあ、ハバネのほうで。俺も凜々って呼ぶから」
「うん、わかった。じゃあ、改めまして」
こほんと咳払いをする。
「ハバネくん。この前は助けてくれてありがとう。今回はなにかお礼をと思って。色々と考えてみたんだけど、いいのが浮かばなくて。なにかして欲しいこととかないかな?」
「してほしいこと、か」
お礼という意味ではもう十分にもらっている。
チャンネル登録数が跳ね上がり、何十倍、何百倍にもなっていて、これ以上を望むなんて罰当たりだと思うくらいだ。
でも、そう言っても凜々は納得しないだろう。
双方が納得する形でないと、この命が絡んだ貸し借りはすっきりと終わらない。
ずるずると長引かせるのも気が引ける。
でも、かと言って、なにかしてほしいことなんて――
「あ、そうだ」
一つあった。
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