6 そういえば、妹の梓はこの世界ではどんなふうになっているんだろう?
教室正面のスピーカーから『ウェストミンスターの鐘』が流れる。本鈴だ。
学校のチャイムに曲名があるなんて、最近知ってびっくりしていたのが懐かしく感じる。
この一時間足らずで、何年もたったような気分だ。
チャイムが鳴り終わるのをドアの脇で、待ち構えていたように教師が入って来た。
起立に敬礼は、さっきよりも上手くできた気がする。早くこれに慣れないとな。
(こっちの世界の敬礼は会釈くらいのお辞儀……っと)
一限目の教師は、カーディガンに突っ掛け姿の、俺がもといた世界でも国語を教えていた女性教師だった。
名前も姿も、何もかもがすっかりおんなじだ。
(ふむ、教師が全部アレってわけじゃないのか)
アレとは、すなわち、男という種が飛びつくプロポーションをサド眼力と華美な軍服で鎧った我がクラスの担任長門延教官殿のことだ。俺に軽い? 体罰をくらわせやがった、な。
(ってことは、やっぱり俺が知っている女性の名前の人間は、女性のままかいなくなってしまっているいると、いうこと……か)
当番が着席を号令し、出席番号を叫んで着席するアレを省略して、出欠を教師に報告する。
ふむ、どうやら、あの儀式は朝のホームルームのときだけらしいな。
まあ、授業の度にアレをやってたんじゃ、時間を取られすぎるもんな。本末転倒だ。
ともあれ、教科書とノートを広げ、板書を書き写すフリをしながら、あの全身を襲った激しい痛みからこっち、俺が放り込まれたこの状況についての整理を再開する。
第一にどうやら、俺は、パラレルワールドに転移して来てしまったらしい。これは、今現在において、この状況が夢というには世界観やエピソードに矛盾した出来事がおきていない事、環境にまで色が着いている総天然色仕様であることが理由だ。
しかも、転移は肉体を伴わず、魂だけのものだった。
第二に、学校。制服が全部軍服っぽくなっている。そもそも、学校自体がまったく別物だ。県立防衛幼年学校って物騒な名称だけでだいたい予想はつくが(元の世界の待雪に借りた銀○伝って小説でその言葉の存在を知ったからな)……。
最も本家幼年学校は全寮制だがこちらの県立幼年学校は通学制のようだ。
第三に、クラスメイトの数がずいぶんと減っている。そして、いじめっ子美洲丸勇を始め、ほとんどの男子が少女歌劇の男装の美少女と化しているか、いなくなっている。男性教師だったはずの担任教師もやたらとゴージャスなボディのオ○カル化していた。だが、例外的にほんの僅かが男子のまま存在している。
女性は、性別での変化はないが、性格や容姿が変わっている場合がある。俺の幼なじみ信濃小桃がその代表だ。そして、男性同様その数が大体半分くらいになっている。
いなくなった女子はいったいどこへ行ったんだ?
「(……ッあぁッ!)」
思わず大声を出しそうになって俺は自分で自分の口を手で塞いだ。
何を置いても思い出すべきだったことを今更ながらに思い出したのだった。
異世界転移したとはいえ、絶対忘れてはいけないことをすっかりと意識の埒外においていたことを激しく後悔する。
「あ、……て、ことは…あ…梓? 梓は?」
思わず声になる。
小桃が振り返り、眉根をかすかに寄せて、表情を曇らせた。
梓! 梓! 梓! 梓! 梓! 梓! 梓! 妹の梓は?
梓はどんな風にメタモルフォーゼした?
こちらの世界で梓はどう変わっている?
あの引っ込み思案で、人見知りだった梓はどんな変化を遂げているんだろう?
元の世界の梓は痩せっぽちでチビだったけどこっちの梓はデブで俺よりでかく育ってるんだろうか。
俺はこっちの世界の妹と会うのが俄然楽しみになってしまった。
「そ、そうだ」
内ポケットを探る。こっちの『俺』のスマホも制服の内ポケットに入っていた。
つるりとした合成樹脂の感触。
今の時間が終わったら、こっちの妹に連絡を取ってみよう。期待に震える指でスマホを撫でる。
そのとき、何かの映像が頭の中に閃いた。あの全身の痛みが甦る。
黒板の上にある時計の秒針が、嫌にスローモーで動いている。
「あ、れ?」
クラリと眩暈がしたかと思ったら、耐え難い眠気が俺を襲ってきた。
なんだ? 妹の梓の名前を思い出したとたんに……どういうことだこれ……は……。
意識が指の間からスルスルと逃げてゆく。
「あ、梓……」
最愛の妹の名を呟きながら、俺は睡魔に奈落へと引きずり込まれていったのだった。
※※※※※
俺は、あたり一面真っ白で、前後左右上下すらわからない空間にいた。
そして、これが授業中に居眠りしている自分が見ている夢であることを自覚できていた。
「やあ、やあ、少ぉしは、こぉっちぃに、なぁじんだかなぁ~?」
馬鹿に軽いノリ(こういう芸風のおっさん芸人がいたよな)の、男の子とも女の子ともつかないカン高い声が後ろから聞こえてきたので、振り返る。
そこには、性別の判断をつけづらい、日本人の小学四年生くらいに見える子供がいた。
「だれ? オマエ、俺に話しかけてるんだよな。ずいぶんと馴れ馴れしいガキだな」
俺には、こんな風に馴れ馴れしくかつ生意気に声をかけてくる親戚のガキも知り合いのガキもいない。
俺に話しかけてくる知り合いのガキどもは、基本的に敬語だ。
まあ、これは夢の中だ。夢の中の設定で昔からの友達と夢を見てる間中行動を共にして、目が覚めたらあれ誰だったんだってのは、よくあることだ。
俺は、それを『夢を見ている間だけ異世界転生』と呼称していた。
それがまさか『リアル世界でパラレルワールド転移』なんてことになろうとは、それこそ夢にも思わなかった。
夢は夢だ。いくら楽しくたって目が覚めたらがっかりするもんだ。
「あっちゃー、記憶やらなにやら、いろいろすっ飛んじゃってるかぁ」
「な、なんだよ、オマエ、俺のこと知ってるのか?」
「まだ体上手く動かせないでしょ」
「え? あ、うん……いや、ええ、たしかにそんな感じがしますけど……」
さっき通学路で意識を取り戻してから感じていた、体と脳がつながっていないようなもどかしい感覚を言い当てられ、俺はこの眼の前の子供のようなナリをした人物が夢の中の登場人物ではないことを直感した。
「まだちょっと、夢の中で体動かすようなもどかしい感じがすると思うけど、今日中には馴染むと思うから少し辛抱してね。何せいろいろな手順をすっ飛ばして、いきなりこっちに引っ張ってきちゃったからね」
その人物? は、頬に指を当てため息をつく。
「いきなり? 引っ張ってきちゃった? ……え? おま…、いや、あん…いや、あなたは……」
俺は、この状況で最も考えられる、この人物……、じゃなくて、存在の、ある可能性を口にしようとした。
「何せ無理くりに引っ張ってきて、無理やり突っ込んだだけだからなぁ」
「あ、あの、あなたは、ひょっとして……」
辺りに、一時間目の終了を告げるチャイムの音が鳴り響く。
「おっとぉ、時間切れだ。今は、ちょっと様子見に来ただけなんだ。僕もだいぶ忙しくてさぁ。じきに思い出すと思うけど、キミは、その『キミ』に突っ込まれる直前に、吾と一度会っているんだ。その時にさぁこっちに来るための条件とか、いろいろな契約事項を決められなかったんで、それは、また後で話そう。今は取りあえず、その目、耳でこっちのキミを感じて、早くその体に慣れてくれたまえ」
近づくように遠ざかるその存在に、俺は妹の梓のことを尋ねようと、口を開く。
ついこの間、子供がいない金持ちの老夫婦のところへ養女に迎えられ、隣県へと旅立っていった最愛の妹。
「あの、妹の梓は……」
※※※※※
気がつくと俺は、起立していた。
どうやら俺が居眠りをしているうちに一時間目が終了していたらしい。
号令に体が勝手に反応して、起立と礼をしてたのか? なんて便利なんだ『竜洞生徒』の体は。
「……あれ? 今すごく大事なことを、夢の中で話しかけてた気がする」
夢の中のことを即座に思い出せず、俺は首を捻る。
ああそうだった、梓のことだった。
「なあ小桃……」
俺は前の席で次の授業の準備をしている小桃をシャーペンのケツでつついた。
「なぁにぃ? たっちゃん」
「梓のことなんだが………。元気……だよなぁ」
振り返った小桃の顔が音を立てて青ざめていく。
「あ…ずさちゃん? たっちゃん何いってるの」
「何って、俺の妹の梓のことなんだが? 知ってるだろ梓だよ。ガキのころ、お前と梓って結構仲良かったじゃないか?」
「う、うんたしかに梓ちゃんとわたしはよく遊んでたけど……」
小桃はなぜだか悲しげに柳眉を顰め、俺から視線を逸したのだった。
読んでいただきまして誠にありがとうございます。
次話は明日の昼くらいにはと思っています。




