33 神様ありがとう、梓を幸せにしてくれて
だからもう一度、俺は同じことを宣言する。
「これで、確定で! 梓を幸せにしてください!」
こんな素晴らしい人生を梓が送れるなら、俺にチートなんかなくたっていい。
「オッケー、オッケー、じゃあ、交渉終了だ。契約に移るとしよう。……っと、その前に……だ、ひとつ付帯条項があるんだが……」
神様が口ごもる。ここまできて、梓が不幸になるような可能性があるのか?
「うーん、ある意味では、不幸になることかもしれない」
そ、そんな、今の動画じゃずいぶん幸せそうな人生だったじゃないか。その通りの人生にしてくれるんじゃないのか?
「確かに、君の妹君を幸せにして不幸を寄せ付けないことにはできる。けどね……」
神様は俺を哀れむように見つめ言葉を紡ぐ。
「君がこっちの君の人生を引き継いでコンティニューするって事は、元いた世界の君……つまり、今、ぐちゃで心臓だけが動いてる状態の君が死ぬってことなんだ」
そ、そうだった。それは、すっかり抜け落ちていた。
今鼻歌歌いながら黄泉路をスキップしている『竜洞生徒』の代わりに俺がここに来るってことは、元いた俺がいなくなるってことだった。
「そう、君の妹君は、これから、君の死を突きつけられる。血を分けた兄が事故で死んでしまうということを体験することになるんだ。とてもとても深い悲しみが妹君を襲うことになる。君がこっちに来る以上、それは避けられない。だけど、その後はさっき見せたシミュレーションの通りだ」
なんとかならないのか?
「梓は傷つきますか?」
「あたりまえだろう! あのロクでもない環境で支えあって生きてきた兄が、事故でぐちゃぐちゃになって死ぬんだ。ロクでもない人生に耐えてきた挙句にだ! 深い深い傷を負ってしまうだろうね。自分の幸せを呪うくらいには」
そ、そんなのは拒否だ。断固拒否だ。そんなんじゃ幸せって言わない。あいつには一点の曇りもなく幸せになって欲しい。
俺が死んだことなんか、とっとと忘れて幸せになればいい。
俺のことなんか忘れればいい。
俺のことなんか忘れればいい?
「は、ははは……。俺を忘れればいい! そうだ、忘れればいいんじゃないか! ねえ、神様、梓から俺の記憶を消せませんか?」
「で、できるけど……」
神様がうろたえる。
「何か問題が?」
「いや、さあ、いいのかい? わかっているのかい? 妹君から君の記憶を消すって事はぁ……」
わかっている。梓から俺の記憶を消すってことは、つまりこういうことだ。
“俺が元いた世界にいなかったことにする”
梓から俺の記憶を消すだけでは、不完全だからな。誰か一人でも俺のことを知っていたらそこに矛盾が生まれる。
だから、梓だけではなく小桃からも楓からも施設のみんなからも、太刀浦からも待雪からも俺を知る全てから俺の存在を消去する。
「ええ、いっそのこと、俺が生まれなかったことにしてもらった方がいいかもしれないですね。そうすれば、あの事故も起きなかったことになって、元いた世界の香取さんだって負い目を感じないで済むかもしれない」
あのアップルパイをお見舞いに持ってきた香取さんと同じ性格の人だったら、今頃自分を責め苛んでいるかもしれない。
神様はこめかみに親指を当て唸っている。
「いやあ、流石に生まれなかったことにはできないけど、君が元いた世界で君が生きていた痕跡を消すことは極力なんとかしよう。生まれてすぐに死んだことにでもしておこうか。あの事故もあったけどなかったことにする。君の抜け殻も何とかこちらで処置しよう……。でも、本当にそれでいいのかい?」
そんなの即答に決まってる。
「お願いします!」
神様は呆れたように手を振った。
「オッケー、オッケー。君って本当にブレないねえ。自分をさて置き過ぎるなあ。まあ、いいだろう。誓って約束をしよう。君の妹君はその人生を全うするまで…、予定では百十三歳だね。それまで、一切の不幸や災厄をから守り、疫病神や貧乏神をその半径半里以内には絶対に寄り付かせもしない。まあ、養い親や、友人知人との自然死による別離は勘弁してもらうとしてね。そして、契約が発効したその瞬間に、君が元いた世界での君の痕跡は跡形もなく消滅させる。本当にいいんだね」
神様は悪戯っぽくウィンクした。
「もちろん!」
俺は腹から声を出し答えた。
「しかし、こっちでの優遇措置は本当にいらないのかい?」
「でしたら、その分も梓の幸せに回してください。俺にとっては、『竜洞生徒』の人生を引き継ぐってだけで物凄いチートですから」
これ以上を望んだらそれこそバチが当たるってもんだ。
……神様が、目を潤ませている。
ええッ? こんなことで?
「吾は今、モーレツに感動しているッ! ってことで、ちょっとだけプレゼントさせて欲しいんだ。ってか、もうしちゃってるんだ。君と初めて会ったときに。もう気がついちゃってるかな?」
神様はにんまりと笑った。
もう、すでに貰ってしまっているものなら、しかたがない……か。いったいどんなチートをくれていたのだろう。
「じゃあ、これで、本当に交渉は終了。契約の締結でいいかな?」
否はない。もう十分にありがたいものをいただいた。
神様がパチンと指をはじく。
机の上に分厚い書類が現れた。
「ああ、別に読まなくても大丈夫だよ。さっきと同じだ」
俺の頭の中に契約書の条文が流れ込んでくる。何も俺や梓に不利益なことは書いてない。
「大丈夫です。これで契約します」
俺は宣言した。
「じゃあ、ちょっと人差し指の先っぽごめんね」
ひとりでに右手が神様を指差す。うわ、これ神様に向かって失礼だろ。
「汝の血をもって、この約定に真名をしたためよ」
指先が数ミリ刎ね飛んで、血が噴出す。
「いってぇ!」
手が勝手に契約書に俺が知らない文字を俺の血で記している。だが、それが俺の名前だということはなんとなくわかった。
「全ては成った!」
ぱあんッ! 世界が破裂したかと思うような音が鳴り響いた。
それは、神様が両手を顔の前で打ち鳴らした音だった。
「あ、ええ? ええええッ!?」
俺と神様を中心に、真っ白だった世界が極彩色の花々が咲き乱れる花畑に塗り変わっていった。
「ありがとう。心から礼を言うよ」
「いいえ、こちらこそ……」
お礼を言いたいのはむしろ俺の方だ。
神様が微笑んで俺の頭を撫でる。
小学生のような背丈で俺の頭を撫でるのは不可能……じゃなかった。浮いていた。
「ああそうだ、君の記憶が顕在しているとはいえ、その体は、元々が君が言う『竜洞生徒』のものだ。つまり、その体、脳には『竜洞生徒』としての人生も詰まっているんだ。君さえよかったら、それを生かしてやってないだろうか。『竜洞生徒』も喜ぶだろう」
そう言われてもなあ……。まあそのうち脳が『竜洞生徒』の何かを思い出すか。
「って、え? え? え? え?」
突然真っ暗になった。
前後左右上下さえも分からない全くのカットアウトだ。
そちらの用事が済んだらこれかよ。
まあ、いいか。俺も心配事がずいぶん減った。
最大の心配事、向こうにおいてきた梓のこと。
そして次点の心配事、『竜洞生徒』の安否。
神様と会っていたことを俺はすっかり忘れてしまっていたから、『竜洞生徒』と入れ替わってしまってたんじゃないかと思っていたんだ。
そのせいであの、ロクでもない人生を俺に代わってコンティニューしてるんじゃないかと思ってた。
本人はルンルンであの世に旅立って行ったらしい。本人が喜んで逝ったのならそれでいいか。
物凄く気が楽になった。重たい荷物を降ろしたような気分だ。
「ふう……」
溜息をついた俺は、見慣れない場所に立っていた。
見回すと、高級住宅が建ち並んでいた。
ああ、これは夢だ、本当の夢だ。さっきまでの神様との話し合いが終わって、体が覚醒するまでの間に見ている夢だ。
西日が辺りをオレンジ色に染め上げている。
時間経過がおかしいから、本当の夢だ。俺が風呂で寝こけたのは、もう、日が暮れた後だったからな。
ふと、誰かが歩いてくる気配に振り向く。
そこには見慣れない制服を着た……梓がいた。
「あ、あず……」
俺は口を塞ぐ。
「どちら様ですか? 家に御用でしょうか?」
俺はかぶりを振った。ここは、梓の養女先の家だったのか。
「い、いえ、すみません。道に迷って……」
そこまで言うのがやっとだった。
「ああ、ここいらは少し入り組んでますからね……」
近くの県営バスの停留所を教えてもらい、踵を返す。
もう三十メートル以上は離れたろうか。普通ならつぶやき声なんかは聞こえなくなっているはずだが、俺の頭の中に梓の声が鮮明に流れ込んできた。
『お兄ちゃん? ………お兄ちゃんが生きてたら、あんな感じになってたのかな……』
梓が生まれたときには、兄である俺はすでに死んでいることにすると、さっき神様が言ってたっけ。
そうか、この夢は神様が契約の履行を証明してくれているのか。
『あれ、なん……で? わたし、お兄ちゃんなんて……知らないのに……。あれ? 涙? なんで? なんでわたし泣いてるの?……』
「梓ッ!」
俺は振り向いた。が、梓の姿はどんどんぼやけて透き通っていく。
梓! 梓! 梓! 梓!
ビクリと体が戦慄き、目が開いた。
まだ慣れない天井が俺を見下ろしていた。今度こそ、目が覚めたみたいだ。
うう、目が醒めたのはいいが、なんか、違和感がある。下半身に何かが乗っているような、感覚。
そして、体が拘束されているみたいに、自由に動かない。
「兄様、おはようございます」
声がする方に顔を向ける。
「ああ、……、梓。おはよう」
って、梓の顔がどーんと眼の前にあった。
「え、え? え? え? え?」
きょろきょろと見回す。ここは、『竜洞生徒』の部屋だ。
いつまでも風呂から上がってこない俺を心配して、印南さんたちが浴室に入って浴槽で寝こけている俺を発見、ベッドに運んでくれた……。ってとこだよな。
窓を見る。カーテンは閉まっているが光が透けていないことから、まだ夜が明けていない時間だとアタリがついた。
ちゃんとパジャマを着ている。
メイドさんたちが着せてくれたのか。
……もはや恥ずかしすぎて死にそう……。
「おはようございます、兄様」
「ああ、おはよう。うわあッ!」
って、ロボ梓が腰の上に乗ってたよ。
しかも、起き抜けで一番力がこもってる所に乗っかってるよ。
オマケに、太刀浦文庫の特別資料でしか見たこともないものを着用してるし。
着用している服は、た、たしか、ネグリジェっていったっけ?
梓には熊のアップリケのパジャマが基本だろ!
さらに、だ! ネグリジェは、ロボ梓のスレンダーなボディラインを余すことなく見せてくれている。すなわち、スッケスケだ!
お、おま、それは、おまえの本来の製造目的を達成するために俺に乗ってるのか?
「うふふ、兄様とっても元気」
い、いや、それは……たしかに元気だ! ガッチガチだ! 起きたばっかりだからな!
「あ、梓?」
ロボとは思えない柔らかな圧迫が俺に覆いかぶさってくる。
「兄様」
桜色の唇が微笑みながら俺に迫ってくる。
落ち着け俺、治まれ俺!
俺の股間に乗っかって微妙に腰を動かしているのは、ロボとはいえ妹なんだぞ!
毎度ご愛読誠にありがとうございます。




