24 起動! BD-XM000045 Mod-az その2
「なんだなんだなんだ!」
重厚でいてスピーディーな金管楽器の激奏音が、部屋中の空気という空気の分子という分子を振動させる。
まさに天空を駆る戦女神のテーマミュージックだ。
……って、なんで俺がそんなこと知ってるかというと、元いた世界でも友達だった待雪が映画好きで、やつの家で見せてもらった映画の中に、今この部屋で鳴り響いている曲をものすごく印象的にBGMに使っていたシーンがあったからだ。
その映画を見たときに待雪からヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーなる偉大なる楽劇王(待雪談)の名前を教えてもらったのだ。
「どこからだ」
パソコンからか? いや、ちがうなパソのスピーカーは鳴ってない。
「うくッ」
軽いめまいみたいな感覚と同時に、視界が暗くなる。明るいところから暗いところに入った瞬間みたいな感じだ。
が、ある一点だけが、通常の明るさで見えている。
それはこの部屋にある扉だった。ただし、さっき鳳翔さんたちが出入りしていた扉ではない。どこに通じているのか、俺がまだ知らない扉だった。
「そこからなのか?」
その扉の存在に気が付いたとたんに、視界は急に元の明るさを取り戻す。
かといって、目が眩むことはなかった。
「なんだ、いまの……? いや、まずはワーグナーからだ」
扉に歩み寄り開け放つ。その扉の向こうにはいったい何があるというのか!
洋服だった。
(え? なに? この扉、洋服箪笥だったのか! 部屋に据付の家具なんて金持ちめ。………………ッ! あああああああああああああああああッ! そうだったのか!そうか、これが噂に轟く、うおーくいんくろーぜっとってやつかあああッ!)
な、なんて贅沢な! こんな、部屋として十分な広さの部屋(8畳くらいいるだろうか?)が洋服箪笥なんて。
そこには、俺がこれまでの生涯で着てきた洋服の十倍以上の洋服が、洋品店よろしくずらりと並んでいた。
「服屋でも開けそうだな」
売ってる商品がワンサイズしかなくて、BGMがワルキューレの騎行って服屋で商売が成り立つならな。そんな服屋じゃ、うっかり入ってしまった客が、試着とかもする雰囲気じゃなくて、慌てて買い物するに違いないから、きっとサイズ違いで返品の山だろう。
ワーグナーの楽曲が、どこから聞こえてくるのかは容易に想像できた。
それは扉からそんなに離れていないはずだ。扉から一メートル以内のはずだ。
ここが、『竜洞生徒』の服の倉庫ならば、それは、いつでも簡単に取り出せなければならないからだ。
果たしてそれはすぐ目の前にあった。『竜洞生徒』の制服だ。正確にはその内ポケットの中のスマホだ。
今朝、そこにスマホが入っていたのは確認済みだ。
……にしてもさすがは、『竜洞生徒』のメイドさんたちだ。何でもかんでもやってくれるわけではない。スマホみたいな本当にパーソナルな部分は『竜洞生徒』が頼まない限り、自主性に任せてくれてたんだな。
つまり、スマホは『竜洞生徒』が自分で充電していたんだろう。
(……にしても、着信音がワルキューレって)
内ポケットからスマホを取り出し、発信者が表示された通話スイッチをタップする。
慌てふためいた様子の聞きなれたくぐもった濁り声が、スピーカーから流れてきた。
『やあやあ、り、竜洞君。や、夜分にすまないんだな。も、もう夕食は済んだんだな? で、電話に、出るのにずいぶん時間がかかったんだな。もう切ろうと思ってたんだな』
太刀浦だ。ひょっとして心配して電話をかけてくれてのか?。
ん? 待てよ。頭の中でなにかが光った。
「すまん、太刀浦ちょっと調べものに夢中になっていた。ちなみに夕飯は済ませた」
『そ、そうなんだな。で、具合はどうなんだな? あ、明日は登校できそうなんだな?』
やっぱりか。なんていいやつなんだ。まあ、元いた世界でも太刀浦は、その外見にそぐわず思いやりのあるいいやつだった。
ん? あれ……?
頭の中の光がどんどん大きくなって、太刀浦が教壇に立って生徒の俺に教授しているイメージができあがった。
「いやぁ、明日は、念のために病院で精密検査だ。学校は欠席だ。長門先生も了解済みだ」
こいつなら、知っているかもしれない。知らなくてもヒントはくれるに違いない。
元いた世界では、俺のそっち方面の知識は七十八パーセントが太刀浦ソースだったからだ。こっちでも、きっとそうに違いない。『竜洞生徒』のあっち方面の導師に違いない。
『わ、わかったんだな。待雪たちには、そう伝えておくんだな。じゃ、じゃあ、ゆっくり休むといいんだな』
太刀浦がスマホを耳から離そうとしている。
「ちょ、ちょっと待っちぇくりぇ。たちうりゃ!」
ひっくり返って金属臭を含んだ、ヒステリックで甲高い耳障りな騒音が、『ワルキューレの騎行』に替わって、うをーくいんくろーぜっとの中に響き渡った。
「ま、待って。まだきりゃにゃいれッ!」
まだ変声期に入っていないボーイソプラノ(俺は今の声が嫌いだ。だが、まだ身長が伸び続けているから変声期が始まってない)が、ひっくり返って金属臭を含み、ヒステリックな香辛料を死ぬほどたっぷりとブッカケた甲高い騒音に変質して、太刀浦を呼び止める。
『ど、どうしたんだな。り、竜洞君、声が、う、裏返ってるんだな。大丈夫なんだな?』
「きッ、聞きたいことがあるんだ。…で、弟子として。少しいいかな」
頼むッ、どうかこっちでも俺の師匠でいてくれ太刀浦!
『ほ……ほう? ほう、ほう……。珍しいこともあるものなのだな。竜洞君が我輩に教えを請うなど……天変地異の前触れなのだろうかな? いつもならば我輩の深遠なる智慧の縁をなぞっただけで満腹といった様子なのだがなぁ』
俺は拳を作りすばやく上下に振った。ガッツポーズってやつだ。
太刀浦が俺にその手の情報を話すときには、老魔道師が立てた板に水を流すように話すのが常だった。どうやら、こちらでも太刀浦はエロの師匠だったようだ。
「我が偉大なる師よ。どうか、師の深遠なる智慧の欠片を授けられたまわんと、我、欲す。なにとぞ、なにとぞぉ」
こういうとき、あっちの太刀浦は、こんな風な芝居がかった言い回しをするとめちゃくちゃ機嫌がよくなって、“貴重な資料”を大盤振る舞いで貸し出ししてくれた。
太刀浦圭助は老魔道師の様に呵呵大笑し、快く了承してくれる。
『ほう、ほうほう、竜洞辰哉君は、どうやら階梯の陞格を成し遂げたようなのだな。ふむ、話を聞こうではないか』
俺は正直にこれまでのことを話した。ただ、拾ってきたアンドロイドが梓に生き写しであることには触れなかった。
『ほう、ほう、ほう……極東人工少女廠……とな。我輩の智慧が及ばぬメーカーが存在するとは……。げに世界は広い。きっと、まだ、製品の試作さえ発表していない新進のメーカーなのだろうな』
ぬかった。太刀浦でさえ知らないエロ知識があるとは。
「そうだったのか。何か申し訳ない」
『いや、いや、気に病むことはない。メインスイッチは耳珠にあって、起動はしたのだったな竜洞君』
「ああ、ゆうせんらんのコードを咥えてパソコンとせつぞくした状態にまで進んだんだ」
『ほう、ほう、我輩の浅学たる智慧の及ぶところでは、貴君の拾得したるアンドロイドはどうやら、現在流通しているアンドロイドと共通の設計概念で製作されているようだな。メインスイッチの位置と、ポートの位置が共通ということがその証左なのだな』
「そうなのか。じゃあ……」
『そうだな、頭頂部……、百会と呼ばれるツボの場所の辺りを探してみることだ。きっと、貴君が探している、シリアルがあるだろう』
太刀浦が言った頭頂部の髪の毛をかき分け、地肌を見る。
すると、そこに、アルファベットと数字の羅列があった。
「あ、あった。あったぞ太刀浦! 我が導師よッ!」
『うむ、重畳である。では早速入力するがいい。メモは厳禁である。止むを得ずメモを取るならば、事後、必ず焼却だ。読み上げながらの入力も却下である。黙して直に入力するのだ。正確に入力がなされれば、頭頂部のシリアルの印字が消去されるはずである』
「ほ、ホント詳しいなお前! 助かる」
『なに、他ならぬ貴君の難局に助力できたなら。それが、我輩の栄誉である』
“BD-XM000045 Mod-az”
これが「しりある」ってやつか。
机の上に、きちんと用意されていた机に据え置くタイプのメモパッド(高そうなボールペンが立ててある)に一字たりとも間違えないようにメモを取る。
スマホにメモなんて憶えてない。そもそも、機種が違う。
入力が済んだら、太刀浦の言うとおりにきっちりと焼却しよう。
「あ、ありがとう太刀浦。今度、何かお礼をさせてくれ」
『いやいや、どうということはない。そこまで到達すれば、後は再起動を含め数分で終了のはずなのである。……ああ、そうだ、此度のことに恩義を感じてくれているのなら、……今度、我輩のヨメに会って欲しい』
「え? 太刀浦、まさか結婚…したのか?」
こっちの世界の状況なら、人口を維持するために若年での結婚もありえる。
『そうではないのだ……貴君と同様なのだよ』
「……って、買ったのかアンドロイド!」
『うむ、苦節七年、こづかいやらお年玉を貯金して、ついに昨日が待望の納品日だったのである。そして、昨夜、セットアップをしたばっかりだったのだよ。貴君には、ずいぶん前に購入のために貯金を実施していること密かに教えていたはずだが……。今朝の事故のせいで、記憶がしっかりしていないようであるな。実は今朝は、その話をしたかったのであるが……初使用の詳細も含めて……』
そうだったのか。週に一度の義務の話を枕にそっちが本題だったのか。なるほど、道理で詳しく教えてくれることができたはずだ。
明後日、学校帰りに、ゴリゴリ君を奢ってやろう。こっちにも在ればだが。
……って、お前、年齢一桁のときからアダルティなアンドロイドの購入を計画していたのかよ。まだ、アレも始まってもいなかったろうに。末恐ろしい計画性だな。
まあ、それは、おいといて、今回の礼も兼ねて、今度、是非会いに行こう。
「ああ、是が非にでも会わせてくれるか? お前のヨメに」
『や、約束なんだな。また、なにかわからなくなったら電話くれるんだな。いつでも歓迎なんだな』
「本当にありがとう。セットアップが終わったら電話するよ。じゃあな」
電話を切って、パソコンに向き直る。モニターはシリアルの入力画面が出たままになっている。
後数秒ワーグナーが鳴り響くのが遅かったら、俺は、太刀浦に八つ当たりしていたかもしれない。
「じゃあ、せっとあっぷを続けようか、梓」
思わずロボ梓にそう呼びかけていた。たぶん、こういう商品は、セットアップ作業において、名前をつける画面が出てくるだろう。
いや、この子の名前なんて端から決まっている。
“梓”だ。
※※※※※
そこからは、実に速やかに登録作業が進んでいった。
画面の案内に従い、名前、住所、電話番号(スマホの電話番号の出し方は知っていたから、事なきを得た)、暗証コードの決定をこなしてゆく。
ユーザー登録に必要な全ての事項の入力を追え、決定アイコンをクリック。
ファンファーレがパソコンから鳴り響く。“BD-XM000045 Mod-az”のユーザーとして登録されたという、祝福のメッセージが表示さる。
しかし、Mod-azって、できすぎだ。
そんな思いがちらりとよぎる。しかし、すぐに俺の注意はパソコン画面に引き戻される。
『BD-XM000045 Mod-azとの接続を解除します。ランケーブルを排出いたします』
「え? え? え? え? らんけーぶる? 排出?」
慌てているうちに「かぱっ」っという音がロボ梓から聞こえる。さっきみたいに口が大きく開いていた。
ポタっとさっきロボ梓の口にいれたコードが落ちる。
「タダイマヨリ、ホンキノ、パーソナライズヲ、カイシイタシマス。オーナーサマノゴキョウリョクナクシテハ、ホンキノゴシヨウガ、フカノウニナルバアイガゴザイマス。マタパーソナライズヲ、オコナワズニ、ゴシヨウニナラレマスト、イカノジアンガ、ハッセイスルオソレガアリマス」
ロボ梓のデジタル音声が語った“以下の事案”は、ティッシュペーパーの箱が空になるのではないかと思うくらいの出血を俺に強いた。
そんな事案、太刀浦の“貴重な資料”の中でも高階梯者でなければ真に資料足り得ないといわれているものだった。
サクランボを背負った俺の階梯では到達できない位階に存在しているものだった。
「と、とんだ不意打ちをくらっちまった……」
「パーソナライズヲ、ジッシスルバアイハ、ミギテ、デ、アクシュ。シナイバアイハ、ヒダリテ、デ、アクシュヲシテクダサイ」
ロボ梓のうらめしやポーズが、小さく前ならえに変わった。
右手を差し出す。
ロボとはいえ、あんな事案が梓に起こってたまるか!
ふっくらと温かいロボ梓の右手が俺の右手に包まれる。こんな風に梓の手を取ったのは、あいつが旅立った日が最後だった。
「これでいいのか?」
ん? あれ? 離れないぞ? ……ってか、ロボ梓が俺の手をつかんで離さなくなった!
こ、これって事故? 緊急事態? とっさに鳳翔さんたちを呼ぼうと、ベルに手を伸ばすが、怪力でロボ梓の方にに引き寄せられる。
このままでは、ロボ梓に激突してしまうじゃないか!
「ま、待て、待って! あず……!」
「オーナーサマノ、イデンシジョウホウノ、シュトクヲカイシイタシマス。ゴキョウリョクヲ、オネガイイタシマス」
い、い、いでんしじょうほうううううううううッ!
お、俺、ロボでそちゅぎょうしちゃいます?
俺の背中からサクランボが降ろされちまうのか?
い、いや、でもロボとはいえ相手は妹だ。そんなこと許されるわけないじゃないか。
今日だけで、二回もそんな状況に遭遇するなんて!
俺の運勢どうなっちまった?
俺、今日死ぬのか?
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
並びにブクマご評価、感謝感激であります。




