子犬のように無邪気な料理人と迷子の青年、彼らの「初恋」の物語
診断メーカーの「依頼です、物書きさん。」を利用して、創作をさせていただいています。
ありがとうございます。
目の前の皿には綺麗なオムライスが乗っている。
オムライスに対して綺麗、というのもなんだか変な気もするが、まるでディスプレイ用のオムライスみたいな完璧な形と色合い。さらに、ふわりと立つ湯気と食欲をそそる卵の匂い。歩き疲れた上、昼食も食べ逃してしまった自分には、この世で最高に美味しい食べ物に思えた。
「遠慮しないで食べてよ」
「それじゃ、遠慮なく……」
スプーンを突き刺すとぷつっと割れる。その下からはとろりとした半熟卵が流れてきた。これは絶対美味しい。甘い、卵の匂い。ソースはドミグラスソースじゃなくて、トマトソースで間違いない。
「うまっ」
「そうかー。よかったよかった。オレ、オムライスは得意なんだよ」
グリルはやし、という全くひねりのない名前の店。きっとこの人が林さんなんだろう。
このインターネットが進んだ時代に、かれこれ1時間以上も道に迷っていた俺に声をかけてくれたのがこの人だった。目尻に皺の目立つ、白髪混じりのおっさんだ。黒い髪よりも白髪のほうが十分に多い。
このいかにも自営業風なおっさんが、近くにオレの店があるからおいでよ、と声をかけてくれたのは、道に迷ったの? の返事が腹の虫の音だったせいだろう。この辺って込み入っててわかりにくいんだよねということを、言い方を替えて何度も口にしながら、連れてきてくれた赤い屋根の店は初めて見る道に面していた。
「迷子、だったんだよね? 兄ちゃん」
「はあ……」
「どこに行く気だったの」
俺は持っていた紙を見せた。端が日焼けして変色して、ほのかに古い本の匂いがする。
「この辺って道が変わっちゃってますか?」
「うーん、オレここに住んでまだ五年くらいなもんでなぁ」
「多分数十年前のメモだと思うんです」
「常連さんが来てくれたら、誰か知ってると思うんだけどねえ。どうしたの、これ」
「俺のばあちゃんのアルバムに挟んであって」
「兄ちゃんのおばあちゃんかー」
うーん、と天井を見上げたあと、おっさんはスマホを取り出して電話をかけた。
「あ、ようちゃん? ツカモトだけど。うん、そう……え? そうなの? 行く行く! うん、いつでもいいよ、お店休んじゃうから!」
無邪気なテンションで会話を続ける。
グラスが空になったのでおかわりが欲しかったが、しばらくは頼めそうにない。
「へー、いいなぁ。え? あぁ、そう……なんだっけ?」
おっさんは俺の顔を見て、あっと小さく呟いた。
「ようちゃん、地元だよね? 手書きの地図があって……オレじゃなくて、お客さん。家を探してるらしいんだ」
またしばらく話して通話を切った。
「ようちゃんが来てくれるって。よかったね、これできっとみつかるよ」
「ありがとうございます。すみません、水のおかわり欲しいんですけど」
「ごめんごめん、気がつかなくて」
いかにも喫茶店にあるような、氷の入った半透明なプラスチックのピッチャーをカウンターから持ってきて、俺のグラスに注ぐ。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです!」
「ホント!? いや、嬉しいなぁ。コーヒー飲むかな?」
「あ、いや」
「お代はいいよ、オムライスもね。ようちゃんはコーヒー好きでね。ついでだから気にしないで」
コーヒーメイカーにドリップの用意を始めた。本格的なものではないらしい。それでもしばらくするとふわりとコーヒーのいい匂いが漂い始めた。
「ようちゃん、遅いなぁ。おばあちゃんって、ここらの人だったの?」
コーヒーがぽとりと落ち始める頃、おっさんはまた話し始めた。
「どうなんでしょう。俺もその辺はよく知らなくて。……ただ、近くではあったみたいで」
「おばあちゃんには聞けないの?」
「その地図、遺品の本の間に挟まってたんですよ。……初恋って、詩集知ってます?」
「島崎藤村かな? 初恋といえば、だよねぇ」
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
一節目をそらで諳んじる。自分は覚えていないが、このくらいの年の人には基礎教養なんだろうか。
「初恋の人がこの辺に住んでいたのかな? いやー、ロマンチックだなぁ」
ようちゃんとやらがが来ないまま、コーヒーが入った。おっさんはソーサー付きのカップを俺の前に置き、自分用らしいマグカップを持って、俺の前のテーブルの席についた。
「コーヒーを飲み終える前には来ると思うよ」
炭焼きのような味のコーヒーだった。俺はミルクを追加した。
「ハヤシさん、じゃないんですね」
「うん?」
「お店の名前と電話で名乗った名前が違ったんで」
「あー、うん……」
おっさんは何故か照れくさそうに笑った。
「実はねぇ、ハヤシさんとはオレの初恋の人なんだよ」
コーヒーをむせそうになるのを何とかこらえた。すごい話だ。
「内緒だよ。丁度初恋の話だったから、兄ちゃんには特別に話しちゃうけど」
ちらっと目を向けると、とても冗談とは思えない顔でおっさんはコーヒーを飲んでいた。