02 ラピス・ルーベル
ラピス・ルーベルの令嬢たちは、ロードライトの計らいによって、公爵家の別荘の一つへと案内された。別荘に着いた後、アクアオーラは令嬢たちを広間へと呼んだ。
「ジェムシリカ様」
「ラーミナ、揃っています」
そう応えたのは、綺麗な緑色の髪をした柔らかめの雰囲気の令嬢。彼女はジェムシリカ・マラカイト。第一王子の家臣アゲートの婚約者だった。つい先ほど婚約破棄をされたが、全く気にしている様子がない。
「エンジェライト様」
「ストラ、揃いましたわ」
次に応えたのは、夜空のような濃い青の髪をした愛嬌のある令嬢で、エンジェライト・タンザナイトと言う。これまた、第一王子の家臣モリオンの元婚約者だ。
「チューライト様」
「コロナ、問題ありません」
最後の令嬢は、赤よりのピンクの髪をしたきつめの印象を受ける顔立ちのチューライト・ユーディアライト。彼女の元婚約者はシャーマナイトたちの一番後ろにいて、アクアオーラたちからは見えなかったが、確かに第一王子の家臣ではあるので婚約破棄は成されているのであった。
この三人は、アクアオーラを支える三柱の幹部である。
「そう。ありがとう、席についてちょうだい」
全員が揃う会合などの最初に、アクアオーラは各グループのリーダーの名前を呼ぶ。それは点呼の合図であり、ラピス・ルーベルという組織に入ることになった令嬢を心配してのことだった。ラピス・ルーベルは、婚約者に冷遇されていた令嬢たちの集まりだ。アリスが来る前から冷遇されていた者もいれば、アリスが来てから冷遇され始めた者もいる。アクアオーラは前者だったが、ラピス・ルーベルには後者の方が多かった。以前からそれらしいグループは形成されつつあったのだが、アリスが来たことがきっかけとなって『ラピス・ルーベル』という組織が明確化した。
その時に作られたグループの名前の由来は全て古代語で、ラーミナは剣、ストラはドレス、コロナは王冠という意味になる。
ラーミナの令嬢は、武術を嗜む者たちばかりだ。男性のような膂力はないがその分技を磨いていて、体力もある。一人前の騎士と一対一で対峙すると流石にキツイが、騎士見習い相手なら有利に立ち回れるくらいの実力はあった。
ストラには、商売などの交渉事が得意な令嬢たちが集まっている。女性の視点から見て欲しいと思うような商品の発案や売買などを担当していて、貴族のご婦人方に大人気である。
コロナは学者や研究者、アクアオーラの秘書を務める令嬢のグループだ。ストラの発案した商品の開発、従来の商品の改良などをしている。アクアオーラの秘書は希望者が持ち回りでしている。
「貴女たち、いつも言っているのだけれど、その大仰な名称はどうにかなりませんの?」
「なりません」
「…そう」
アクアオーラはこの点呼を取るたびにこのやり取りを繰り返している。もはや恒例行事である。
アクアオーラは、それはさておき会合を始めることにした。
「まずは皆様、よく耐えてくれましたわね。これで、わたくしたちは今まで以上に自由に動くことが出来るようになりましたわ。近いうちにラピス・ルーベルの活動の一部を公にするつもりでいますの。今まで通りのものもあるけれど、ご婦人との商売は公にするつもりですわ」
アクアオーラの言葉に、ストラの令嬢たちが頷く。公に商売ができるということは、できることが増える。いつも手紙でしていたやり取りを直接会ってすることができるし、ご婦人に新しい客を紹介してもらうこともできる。新しい商品を売り出すこともできる。そのことにやる気がみなぎって、元婚約者のことなどどうでも良さそうである。
「ラーミナの存在は今後も出来る限り隠していきますわ。けれど、さらに技術を磨いてもらうつもりですから、わたくしの母を指南役として呼びますわね」
その言葉に、ラーミナの令嬢たちは喜びを隠せない。アクアオーラの母ローズオーラはスマラグダス公爵家の出で、スマラグダス家は代々武術に精通している。ローズオーラも例外ではなく、この国の淑女の中で二番目くらいに強かった。一番はローズオーラの母であり、アクアオーラの祖母だ。アクアオーラも数回手合わせをしてもらったが、一本も取れたことがない。ローズオーラは十本に一本くらい取れるらしい。アクアオーラは、そんな母から十本に一本くらい取れる。アクアオーラも、ラーミナの令嬢よりは強かった。
「ストラは今までと然程変わらないけれど、仕事は今までと比べ物にならないくらい増えると思いますわ。覚悟はいいかしら?」
アクアオーラの問いに、望むところだとでも言うように笑って応える。今までの仕事量が少ないと感じていた彼女たちにとって、それは願ったり叶ったりだったりする。
三つのグループの反応に、アクアオーラは嬉しそうに微笑んだ。
「今すぐにでも動き出したい気持ちも分からなくはないけれど、今日は殿下の暴挙で疲れているでしょうししっかりと体と心を休めることですわ。なにか、連絡はあるかしら」
「ラーミナ、ありません」
「ストラ、ありませんわ」
「コロナ、ありません」
アクアオーラはその言葉に頷き、幹部三人以外に解散を促した。
メイドたちに部屋の案内を任せ、アクアオーラは三人を近くに呼んだ。
「何事でしょうか、アクアオーラ様」
「恐らく、あと数日もしないうちに国王から密会の打診が来るでしょう。その間、ラピス・ルーベルを頼みますわね」
「お任せください、アクアオーラ様」
三人はそう言って、つい先ほど婚約破棄されたとは思えないような自信に満ちた笑みを浮かべた。
それを見て、アクアオーラも満足気に微笑む。
「やはり、貴女たちは頼りになりますわね」
「ありがとうございます、アクアオーラ様」
アクアオーラは、彼女たちを捨てた婚約者たちよりも、彼女たちの方が高い能力を持っていると思っている。
実際彼女たちは優秀で、シャーマナイトたちの節穴のような目を欺き、王のそれなりに見えていると思われる目をかいくぐり、組織の実態を少しも悟らせることはなかった。
それに対して、シャーマナイトたちの動きはアクアオーラたちに筒抜けだった。ラーミナに隠密に特化した能力を持つ令嬢が居たというのも大きいだろうが、ストラの令嬢たちが商売ついでに情報を仕入れてきたことも大きい。コロナの令嬢たちも、シャーマナイトたちが集まるであろう場所を予測したり、シャーマナイトたちが打ちそうな手の予測と対策を講じたりとそれなりに忙しくしていた。
(本当に、勿体無いことをしますわね。こんなにも優秀で頼りになりますのに。劣等感に耐えられなかったのかしら。何だとしても、優秀な人材を切り捨てたことは変わりありませんわね。その時点で、無能と言わざるを得ませんわ)
アクアオーラは、次期王妃として帝王学を嗜んでいた。シャーマナイトの…国王の代理ができる程度にはしておかねばと思ってのことだ。
それが今は、シャーマナイトを蹴落とす為に使われている。
(まあ、それは殿下も同じですわね)
国の為という大義名分のもと、アクアオーラはシャーマナイトを王位から退けるつもりでいる。エレスチャル男爵も、貴族としてのマナーや暗黙の了解を理解してないであろうあの姿を見て、この国には不要だと判断した。
「王宮から戻り次第、殿下とその家臣への制裁を始めますわ。優秀な人材を私情で切り捨てる無能は必要ありませんもの」
「「「承知しました」」」
「以上ですわ。貴女たちも、今日くらいはしっかり休みなさい。頑張りすぎて倒れないか、わたくし心配になりますわ」
アクアオーラの言葉に、三人は嬉しそうに頷いた。
ラピス・ルーベルの令嬢にとって、アクアオーラに褒められたり労われたりすることは、何よりも嬉しい。婚約者に蔑ろにされ、蔑まれ、罵倒されてきた彼女たちにとって、アクアオーラの言葉は救いの言葉だったのだ。
アクアオーラは、とにかく彼女たちを褒めるし労う。それは彼女なりに帝王学を解釈したものが基盤にあった。
それは、部下を大切にできない王は王失格だと言う考えだ。そして、王妃になるからには、それに倣わねばと思っていた。だからこそ彼女は、身内を大切にする。ただ守るのではなく自主性を重んじ、非常時に自ら考えて動けるようにとも考慮した上で、ラピス・ルーベルという組織をまとめ上げていた。
そして、ラピス・レーベルという組織のトップである自負と責任も持っていた。
だからこそ、ラピス・ルーベルのメンバーが不自由しないよう、自分の出来る最高のサポートをする為、彼女たちが誇れるような人間になる為に自分磨きを続けている。シャーマナイトとの婚約が解消されたことで、シャーマナイトの為に使っていた時間をラピス・ルーベルの為に使うことが出来るようになったのだ。さらに、シャーマナイトはアクアオーラのフォローもなくす。シャーマナイトたちが勝てるとは思えなかった。
(シャーマナイト様、わたくしも、わたくしの隠し球も、もう容赦はいたしませんわ)