09 第一王子の頭脳
調査をした翌日、アリスから聞いたのであろうシャーマナイトがアンスラックス公爵邸を訪ねてきた。ちょうど、公爵夫妻は仕事で留守にしており邸にはアクアオーラと使用人のみの時だった。
「アクアオーラに用があってきた。通せ」
シャーマナイトが門番と押し問答しているのが窓から見えたアクアオーラは、隣にいた侍女に彼を迎えに行かせた。侍女はシャーマナイトを邸内に招くのは少々不満そうだったが、被害を受けた本人が迎えに行けと言うので、表情に出すだけにとどめて門に向かった。
「遅い!いつまで待たせるんだ!!」
淑女としてギリギリ許される速度で門までやってきて門番に事情を説明した侍女に、シャーマナイトはそう怒鳴った。シャーマナイト以外がそれに若干顔をしかめるが、当の本人はそれに気がついていない。
「申し訳ありません。しかし、事前にお伝え下さらなければ準備も何も出来ないこともご理解くださると幸いでございます。また門兵たちも、いくら王子とはいえ、招待状を持っているわけでもない相手を無断に公爵邸に入れるわけにもいかないのでございます」
「…貴様はアクアオーラ付きの侍女か?名はなんだ?」
「はい。誠に光栄なことに、お嬢様のお世話をさせていただいております、マリアライトと申します」
礼をして名乗ったマリアライトを、シャーマナイトは鼻で笑った。あんまりな態度に一瞬体が硬直するが、すぐに回復した。
「あいつに似て口うるさいな。やはり主従とは似るものらしい」
口元に嘲笑を浮かべて、おそらく貶めようと言う意図でそう言ったのだろうが、マリアライトにとってそれは褒め言葉だった。アクアオーラに仕えることが光栄なことだと直前に言っているのに、その意味を理解していないらしい。
「ありがとうございます」
聖母マリアのような微笑みを浮かべてそういったマリアライトに、シャーマナイトは面食らって嘲笑を浮かべていた口元が引きつった。
「それでは殿下、アクアオーラ様の元に案内させていただきます」
そう言ったマリアライトは、固まったままのシャーマナイトに背を向け、さっさと付いて来いとでも言わんばかりに邸へと歩き出した。それをシャーマナイトが慌てて追いかけて行く。シャーマナイトにとっては元婚約者の家なのだが、彼は婚約中に一度も尋ねなかったので公爵邸の勝手はわからない。置いていかれては困るのだ。
マリアライトは、わざと遠回りをして客室に向かう。あいにくとシャーマナイトは方向感覚などと言うものは持ち合わせていなかったので、もう案内がなければ公爵邸を出ることはできないだろう。
五分ほどかけてたどり着いた客室をノックし、アクアオーラに問う。
「お嬢様、殿下をお連れいたしました。お通ししてもよろしいでしょうか」
「ええ、大丈夫ですわ」
アクアオーラの返事を聞いて、マリアライトが扉を開く。そこでは、アクアオーラがソファに腰掛けて待っていた。そのソファの後ろには二人の侍女が立っており、おそらく急ピッチでもてなしの準備が行われたのだろうと思われる。
「ごきげんよう、殿下。建国祭以来ですわね」
「よくもぬけぬけとそんなことが言えるな、アクアオーラ!」
「殿下、親しくない異性のファーストネームを口にするのはマナー違反ですわ。まさか、王族であろうとそのマナーが変わることのないことをお忘れですの?いえ、わたくしよりも有能だと言う殿下がそんなわけありませんわよね。失礼いたしましたわ。きっとわたくしにはわからないことをお考えなのでしょうが、それでもマナー違反はマナー違反ですわ。今後はご留意下さいませ。何も知らない者たちにとってはマナーのなっていない王子だとみなされてしまいますわよ」
怒りを露わにして怒鳴ったシャーマナイトに、アクアオーラはまず呼び方の注意から入った。シャーマナイトが彼女を嫌ったのはそう言うところなのだが、婚約当時はまだ言葉の棘が少なかった。言葉選びももう少し優しかったし、心配していると言うのを前面に出して話していたのだ。それゆえに、シャーマナイトはアクアオーラに皮肉を言われ慣れていない。まあ、アクアオーラが皮肉を口にする機会もそう多くはないので、仕方のないことではあるのだが。
「なっ、王子に対してなんだその態度は!」
「あら殿下、わたくしが嫌いだからとはいえ言いがかりはいただけませんわ。わたくしはただ殿下が他の場所で恥をかくことのないように心配しているだけですのに」
頬に手を当て、心外だと言う顔をするアクアオーラを見て、シャーマナイトは内心で女狐め、と罵った。それと同時に、婚約破棄をしてよかったと心底思ったのだった。国を守るためには腹の探り合いや後ろ暗いことも必要であるのだが、シャーマナイトの頭にそのことはない。彼の教育係も、一向に理解しないシャーマナイトに匙を投げ、アクアオーラがいるのだからいいかと言う結論に至ったのが現国王夫妻である。つまり、両親の教育不足であった。アリスのような女に引っかかった一因もそれであるだろう。
「まあ殿下、殿下ともあろうお方がそのようにわかりやすい表情をしてはいけませんわ。わたくしへの嫌悪感が透けて見えてしまいますもの。殿下はポーカーが苦手なようですね」
「ポーカー?なぜそこでポーカーが出てくる」
シャーマナイトは、眉間にしわを寄せた怪訝そうな顔でアクアオーラを見る。そんなシャーマナイトに、アクアオーラは一瞬ぽかんとした表情をした後、口を開いた。
「ポーカーにおいて、相手に感情を悟らせることは負けと同じですのよ?」
ここで言葉は終わっているが、その後ろには『そんなこともご存知ありませんの?』とでも言うような言葉が聞こえるような気がした。変なところで聡いシャーマナイトは、そのことに気がついてしまった。
「嘘をつくな!俺はポーカーで負けたことなどない!」
「まさか殿下、第一王子相手に勝とうとする貴族がいると思っていらっしゃるのですか?貴方がごねれば陛下は黙っていませんもの。穏便に済ませるには適当に善戦して負けるのが一番ですわ。殿下の手札は読み易いでしょうし、そこまで難しくもないでしょう。…まあ、殿下以上にわかりやすい可能性も捨てきれませんけれど」
「なんっ、なんだと!!ふざけるな!!」
シャーマナイトは頭に血が上ったようで、拳を握りしめた。その拳がピクリと動くも、アクアオーラは少しも動揺しなかった。それどころか、笑みを浮かべているほどに余裕があった。
「そういえば殿下、トパゾス騎士団長のご子息と剣を交えた経験はおありですか?」
「…何度かあるが」
意味がわからないと言う顔をしながらもちゃんと答えるあたり、シャーマナイトは隙がありすぎるのだが、それは今は置いておく。とにかくシャーマナイトはアクアオーラの質問にそう答えた。
「勝てたことは?」
アクアオーラがそう聞いた途端、シャーマナイトの眉間にシワが寄った。歯ぎしりの音が聞こえそうな顔を押して、緩んでいた拳が再びきつく握られた。
「勝てないようですね。そのような実力であれば、わたくしにも勝てませんわよ。わたくし、彼になら勝てますもの」
「虚勢をはるのもいい加減にしておけ!」
シャーマナイトは、叫びながら右の拳を振り上げるが、アクアオーラの鋭い瞳に射抜かれて動きが止まった。
「あら、残念ですわ。そのまま殴りかかってくれれば、武勇伝が一つ増えましたのに」
そう言って、右手で口元を隠して微笑むアクアオーラだが、その瞳は鋭いままで、シャーマナイトを捉えて離さない。
「ほら、殿下。そのままその拳をわたくしに向かって振り下ろしてもよろしいのですよ?」
ゆっくりとまわる、遅効性の毒のような言葉が、シャーマナイトの耳朶を打った。アクアオーラが、誘うように首をかしげると、真っ赤な長髪がさらさらと流れる。緩く上がった口角が、やけに印象的だった。
「殿下?どうかいたしましたの?」
わざとらしいアクアオーラの問いかけに、シャーマナイトは振り上げていた腕をそっと下ろした。それをみたアクアオーラは、ふう、と一つため息をついた。
(殴ってくれていたらそれで終われたというのに…残念ですわ)
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今回は本作の名称についての話を少し。
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前に『ラピス・ルーベル』や『アクアオーラ』についてのご指摘がありましたので、もしや他にもそのような方がおられるのではと思いここで話をさせていただきました。
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