B面 前編
間近で見るとまた大迫力の大槌だ。遠くで見るのとでは全然違う。そしてもっと驚くべきは少女が身体ほどあるハンマーを軽々と片手で持ち上げていることだ。
「カッコいいハンマーだな……」
一言そう呟くと気に障ったようで少女が違うと指を振る。
「これはハンマーではなくマレットです。どちらも槌であることには違いありませんが」
指摘された直後も何が違うのか分からない。そんな俺の心情を置いて少女は話を進めた。
「今回の魔導体は耐久性が高いタイプですが、この武器を頭に振り落とすことができれば一撃で倒せます。しかし敵は6m級の大きさであり、今の私の足では頭を狙うことはできません」
「なら俺が代わりにやるよ」
俺は彼女からマレットを受け取りながらそう言った。そして受け取った直後に勢いよく地面に叩きつけられた。マレットの重量にやられたのだ。
まるで石像のような重さだ。少女はおろか大男であっても持ち上げるのは一苦労だろう。必死に持ち上げようとしているがうんともすんともならない。
「この武器は魔力をコントロールして扱うんです。魔力のコントロールは一朝一夕で出来るものではなく、今魔力について知ったばかりのあなたでは使えませんよ」
「だったらどうするんだ。君はケガしてるし俺が使えないなら打つ手なしか」
「いえ、一つだけ手があります――」
「おい明智、研究所の娘から鞍替えしておらんだろうな」
少女の声を遮って遠くから人聞きの悪い言葉を叫ぶ声がした。振り返るとそこには案の定こちらに駆け寄る信長の姿があった。しかし無事そうな信長を見て安堵するのも束の間、その後ろからは件のクモが信長の後を追うようにこちらに迫ってきていた。
「織田信長、ただいま戻ったぞ」
「いっそクモと共倒れしてればよかったのに」
「照れるな明智。それよりあいつを倒す算段はついたのか」
「それはなんかこの子に策があるって……」
俺が信長に紹介しようとすると彼女はそれよりも先に信長の前へと立った。そして訝し気な表情を浮かべながら信長に問いかける。
「人の言葉を話す魔導体はお初にお目にかかります。明智さんから多少の話は伺っていますが、本当に信用してもいいんですか」
「……面白いことを訊く女子だな。信用に足りるかどうかは好きに決めればいい。だがこれだけは言っておくぞ」
そのとき、のらりくらりと不敵な笑みを浮かべていた信長が一瞬だけ刺すような凄みを見せた。
「儂は信用を裏切るような安い人間ではない」
俺からすればもっと穏便に返せばいいのにとも思うのだが、信長は昔から自分のプライドに関わることはムキになる。それは信長にとって生前から変わらない大切な信念だからだろう。その信念は少女の心にもしっかり届いたようだ。
「……分かりました。ではあなた方を信用して作戦を伝えます」
少女の作戦はこうだ。まず上から信長がクモに攻撃をしかけ気を引く。その隙に下から少女がクモの脚を立てなくなるまで叩く。俺は負傷している彼女の足代わりだ。そしてクモが耐性を崩して倒れ込んできたら頭に一撃入れて討伐。
即席にしては分かりやすくて効率もいい。まだ俺より何歳も若いというのに俺よりも何倍も賢くて感心させられる。そう思っていたら、ようやく敵が目の前までやってきた。
「騎馬戦では馬が肝心だ。しっかりと走り回れよ明智」
「一々うるせぇな。お前だってちゃんと気を逸らせよ」
「お二人とも準備はいいですか。それでは行きますよ」
少女の合図で俺たちは一斉に走りだした。信長は上に、俺と少女は前方へ。クモの視線を伺えば狙い通り信長の方へ向かっている。作戦はひとまず順調だ。
「いいですか、敵は動きこそ鈍いですが油断は禁物です。気に引き締めてください」
彼女の指示に従って敵の足場に着くと、彼女はクモの脚をマレットで殴り続ける。さすがに6mの体を支える脚なだけあって一撃や二撃ではびくともしない。しかしそれでも殴り続けていると段々クモの脚を覆う体毛や表皮が削れていき、やがて叩く度にクモは脚を震わせた。
「そろそろいけそうだな」
「ですが気は緩めないでください」
クモの抵抗を潜り抜けて更に連撃を当て続ける。すると遂に脚が崩れ、クモの胴体が地へ落ちてきた。
「よし、後は胴体を登って頭を叩くだけだな」
いよいよ終わりが見えてきた。これで最後、最後なのだが肝心なクモの体をよじ登っていくというのがちょっと気持ち悪くて気乗りがしない。正直自分よりも大きな虫に近づくというのも嫌な気分だったのに、これから体を寄せて這い上がっていくのかと考えるだけで背中がぞわぞわしてくる。そう考えていると彼女がクモの体に手をかけた。
「ここから先は私一人でも大丈夫です。あなたは安全な場所まで離れていてください」
そう言うと彼女はマレットを元のキューブに戻し、腕の力でクモの体毛を引っ張りながらよじ登っていった。彼女が離れたことで足代わりとしての役目を失ってしまった俺は、彼女の言う通りクモに少し距離を置いて後の成り行きを見守ることにした。
彼女は臆面もなくクモの体を登っていく。そんな姿にまた一つ感心させられる。
信長は作戦通りクモの注意を引いている。目の中でうろうろしたり、喚き散らしたり、あいつなりにあの手この手でやっているようだ。
俺は誰かの指示を聞いてばかりだったように感じる。そして最後は安全地帯で傍観。二人と比べてロクに戦っていなかった気がして、少し寂しさのようなものを覚える。
でも何かやって邪魔してしまっても悪いしこれでいいと考えながら最後にクモの動きを眺めていると、クモは妙な動きを始めていた。潰されたはずの脚を起こして立ち上がろうとしていたのだ。
少しずつクモの胴体が浮いていく。やがてそれは胴体から振り落とされたら不味い高さまで到達した。腕の力だけで彼女はどこまでしがみついていられるのだろうか、不安が募る。ふるふると震えながらクモの脚はとうとう真っ直ぐ立ち上がった。高さ約5m、落ちれば死なないにしてももう戦えない。落ちないように、下からそう祈りながら見守っていると突然クモの脚が弾けて崩れた。その勢いでクモの胴体は再び地面へ叩きつけられる。しがみつく彼女の体と一緒に。