第6節 ランブ族(長毛族)の人々
長毛族という人種がいる。
長い毛、その字面から、未開の人々を想像したのなら、あなたは「毛が長い=原始的」という固定概念に囚われている。
毛の長さと文化水準の間に明確な因果関係はない。一度でも彼らと接した機会があれば、それが事実と理解できるだろう。
一方、長い毛だから寒さに強いと想像したのであれば、それは正しい。彼らの長い毛と気温の間には因果関係がある。ランブ族はその名の通り、一日の平均気温が10度を下回り始めると、人間の体毛とは異なる長い毛、別名、冬毛が生えてくる。その伸びるスピードは1日5センチにも達する。一方、気温が上昇したり、ランブ族自身が暖かい地方に行ったりすれば、冬毛は全て抜け落ちてしまう。
また、毛が伸びるのは男性のみであり、女性は体毛が伸びない。その代わりに女性は全身から特別な油が分泌されることで体温を維持できる。その副次効果もあって、ランブ族の女性の肌は白く、常に潤っている。
そして、そのランブ族が人口の94パーセントを占めるのが、このトウキー市だ。
トウキー市は人口1万人ほどの北限の街である。元々、この地方には街の名の元となったトウキ麦という地方固有の麦が自生しており、それを改良、栽培することで村が発展し街を成した歴史がある。
トウキ麦には他の麦にはない独特の味や風味があり、この麦から作られるパンとウイスキーの人気は高い。
ここでパンとウイスキーと述べたが、これこそがトウキ麦の最も大きな特徴である。
普通、パンとウイスキーでは使う麦は別物である。しかし、トウキ麦は収穫時期によってグルテンをはじめとする主成分の含有量が変化する。簡単に言えば、収穫時期によって大麦になったり、小麦になったりするといえば、分かりやすいだろう。どの時期にトウキ麦を収穫するのかが、各農家の腕のみせどころだ。
トウキ麦の生育期間は約6ヶ月、トウキ麦農家は、麦の生育期間とその前後2週間の計7ヶ月を働き、残りの5ヶ月は働かずに休むという生活を送っている。
しかし、これは古くからこの地に住むトウキ麦の豪農に限られた特権であり、麦農家以外、あるいは麦農家であっても零細農家は一年通して働いているのが普通だ。
そして、トウキー市には他には見られない独特の政治制度がある。
市長が二人おり半年ずつ市制を担っているのだ。
正式な呼称ではないが、市長はそれぞれ陰市長と陽市長と呼ばれている。それぞれの市長の任期は8年と長いが、トウキ麦の耕作期間の半年は陽市長が、耕作が休みの間は陰市長が半年ずつ交代で市政を担っており、実質4年である。現在、陽市長はシターロという麦農家出身の男が、陰市長はキラムという商家出身の女が就任していた。
今は寒気の真っ只中であり、陰市長が市制を担っている。
――トウキー市市長室
キラム陰市長は、今年33歳になるランブ族の女性であり、任期は3年目を迎えていた。
彼女は蛇頭の塔の最上階にある市長室から街全体を眺めていた。天気のいい日はこの街の一番高い場所から、街全体を眺めるのが楽しみだった。自分が市長になったということを実感できる唯一の時間である。
市長といっても、トウキー市は人口1万人を前後している小さい街だ。
中央政府からは近隣の市町と合併すべきとの圧力を受け続けている。人口が少ないことから、トウキー市単独で行政運営をするだけの能力に欠けている、というのが表向きの理由だが、本音はトウキ麦による市の莫大な税収が狙いだ。だが、この財政があるが故に、市としての独立を守ってもいける。
ふと、彼女は防寒壁の外をうろつく人影に気づいた。
(誰?こんな季節に)
キラム陰市長は双眼鏡を取り出すと、双眼鏡のスイッチを入れて人影を追った。市の情報壺に照会したところ、双眼鏡内部のモニターは、市民に該当する人物はいないことを映し出した。
「並の民?」
ビアサの民とは、ランブ族が他民族を呼ぶ際の一般的な呼称である。日本人がガイジンと呼ぶ感覚に近い。
ビアサの民がこの時期にやって来るのは珍しい。
怪しんだキラム市長は市の保安部長に電話を入れた。
――トウキー市保安部
市長からの出動要請を受けたヤミキ保安部長は憮然としていた。
この季節、勤務明けに飲む一杯のウイスキーを何よりの楽しみとしているランブ族の中年独身男性が、その楽しみを奪われたのだ。
こんな時間に出て行かなくてはならないとは、ヤミキ保安部長は自分の選択が間違ったのではないかとまた憂鬱な気持ちになった。彼は元々トウキ麦の豪農の出だった。トウキ麦の豪農であれば、一年のうち忙しいのは半年であり、後は働かずにいられる生活ができることはすでに述べた。だが、それは多少なら遊んで暮らせる程度であり、彼の遊蕩ぶりはその上限を超えてしまった。
トウキーから更に600キロ南下したところに、セモトノという中規模の、この地方の中心的な都市があるが、彼はそこで散財したあげく身代を食いつぶしてしまった。当然、ヤミキは家を追い出されるはめとなった。自業自得である。
幸い、ヤミキの弟は賢明であり、兄の散財が自分の相続分に影響を及ぼさないような措置をとっていたことから、現在もトウキ麦農家を続けているが、かつての豪農の面影はなく、畑仕事の無い期間は他の農家と同じようにセモトノに出稼ぎに出ている。
一方で彼自身は、窮状をみかねた友人のつてで、市の保安部に職を得て、なんとか糊口をしのいでいる有様だった。
市の保安部の給与は薄給であり、人員も20名程度である。
保安部は名誉職であり、保安部員の多くは別に本業を持っているのが普通である。専従はヤミキただ一人であることから、彼が部長職に就いている。これが能力に基づいた役職ではないことは関係者であれば周知の事実だ。
逆の言い方をすれば、保安部で専従しているのは、他に本職を得られない「ワケあり」であることから、保安部長という肩書きはあっても、トウキー市内ではあまり尊敬される立場でもなかった。
但し、一般的に保安部とは、この街の規模でいうなら、警察と軍を兼ねている。
事情を知らない外部者からすれば、保安部の部長は、怖れられ、敬われる存在である。
そのため、賄賂とまではいかなくても、市に出入りする行商人からの付け届けが多少はあり、それを受け取るときが、唯一保安部長の自分が認められたと感じるときだった。
さて、出動要請を受けたものの、夜まで交代の部員は来ない。
このような場合は夜まで待つのが規定ではあるが、ヤミキ保安部長は日没前に終わらせて早く帰りたかったので、単身で防寒壁の外に出た。
「壁外での活動は二人以上」が保安部の規定であるため、彼は人型乗用機に乗り込んだ。人型乗用機に乗れば、単独での壁外活動も規定上可能だ。この規定はヤミキ保安部長が自身で追加したものだ。
案外、自分は有能かも知れないと思い直す。
エクゾは身長2.5メートルほどの人型をした乗り物である。SF的に言えば、パワードスーツとなるが、この世界ではエクゾと呼んでいるので、それに合わせることとする。
隠し通用口から出動したヤミキ保安部長は、1分も経たないうちに、並の民と見られる男性が壁外でビラスの毛皮のテントを設営しようとしているところを発見した。