第5節 トウキーの壁
テントのわずかな隙間から太陽の光が差し込んでいる。朝になったようだ。
十真はテントから這い出ると、今日の食事を取る。
メニューは決まっている。
まず、テントの端に溜まった氷の粒をかき集め両手いっぱいになったところで金属製の椀に入れ、なるべく陽のあたる場所に置き、温めてから火に掛ける。次に荷物の中から干し肉を出した、特殊な技術で100分の1まで圧縮されたビラスの干し肉だ。
十真は一口分を十分に良く噛んで飲み込んだ後、温まった椀に一粒のスープの素を入れて、軽くかき混ぜてから飲んだ。
これで丸一日活動するのに十分な食料を摂取したことになる。
食料保存技術は、こちらの世界の方が進んでいると十真は思った。
昨日の繰り返しになるだろうな、と思いながら、十真は少し重くなった腰を上げた。転生したのに、毎日決まった時間に家を出るという生活はサラリーマンと同じである。これは人間である以上変えられないのかも知れないと、彼は少し達観しつつあった。
ただ、エダルドの話から、十真は自分が今「へベルの凍土」と呼ばれる場所を抜けて、背中の荷物の中にあるスマルの宝石を、トウキーの町に届ける役目があるのだと分かっている。
ならば、それをするだけだと決めていた。
後はなるようになるだけである。この世界において自分は人類最強であり、財力も十分にある(はずだ)。怖いものはない。
ただ、十真は魔法の使い方がわからなかった。魔法も100と設定したのだからつかえるはずだが、火をつけようと念じても何も出てこなかった。多分、呪文を知らないとか、違っているとかいう技術的な問題だと考えた。
そして、彼は更に7日歩いた。
普通の人間であれば気が遠くなる時間だったに違いない。
とにかく、十真は空を飛ぶ鳥も、地を這う動物も、山も川も目にしなかった。昼はただ低い太陽と流れる雲、夜に吹く冷たい風の繰り返しだった。
しかし、十真はこの生活にある種の安らぎを感じていた。
日本にいたとき、十真は人間関係に疲れていた。彼はエダルドと短い話をしてから後、人に会わず、電話で誰かと話をすることもなく、ネットも見ず、本も読まず、ただ、「へベルの凍土」を歩いた。
朝は日の出に合わせて起き、昼はひたすら歩き続け、日没と共にテントを建てて寝るという、ある意味、日本の現代人では考えられない生活をしていた。
これは十真にとって、彼のこれまでの人生をリセットする貴重な時間となった。現代の日本において、丸一日歩いて、誰にも会わず、電話もネットもしない、という生活を七日間にわたって送ることは不可能だ。
そして8日目、十真は遠くに人口の建造物、城壁のようなものが目に入った。
キタ━━━(゜∀゜)━━━!!
十真は思わずステップを踏んでいた。
しかし、彼の肉体は町までの距離はまだまだ遠いと感じ、十真はすぐにも着くと思った。ここに肉体と心の少し乖離が生まれた。町に着くまでにさらに6時間かかったが、肉体はこんなものだと感じ、心はこんなにかかったと疲れていた。心と身体のバランスが少し崩れていた。
そんなことに気づかない十真は、町の様子を近づきながら観察した。
町の周囲の囲む壁はおそらく長方形であり、高さは10メートルほどあるようだ。空を飛ぶか、ドローンでもなければ、町の中の様子を伺うのは困難だ。
わかっているのは、この町が高い壁で守られていること、そして、町の名前がおそらくトウキーであることだ。
十真は入り口を探すことにした。そこで反時計回りに壁の周りを歩いた。壁に近すぎて見えなくなるときがあったが、時折、高い塔が見えた。遠目では目立たなかったが、近づいてみると塔はかなり高いようだ。
どうやら、この身体も来た事がない場所なのだろう。自然にまかせても身体が門を見つけることはなかった、そうなれば、十真自身の知識や能力の出番だ。とはいってもRPGの知識に過ぎない。
「とはいっても、ここの様子がわからなければどうしようもないか…」
ふと、彼はつぶやいたが、それは3日ぶりに十真が発声した言葉だった。
幸いなことに、この身体には体力があり、俺の頭には現代日本の基礎知識がある(たぶん)。十真はそう思いなおすと、反時計回りをこのまま続けて、入り口を探した。
ここが城下町のような場所であれば、正門と通用口がどこかにあるはずだ。
正門と思しき場所をようやく見つけるまでに更に2時間かかったが、見つけたとき十真は喜ぶよりも少し落胆した。
時計でいえば、正門があったのは6時の場所で、十真は3時の場所から反時計回りで歩いて来たのだ。ただ、無駄足にはなったが、この町は門をひとつに絞っていることはわかった。多分、自分が見落としただけで、隠された出入り口があるはずだが、それは町の人々が知るような一般的な門でないのだろう。
それと壁に触れてみたが、石とも金属ともいえそうな素材だった。
そして肝心の正門は閉ざされている。「頼もう」と呼んでも誰かが出てくる気配は無い。
既に陽は落ちていた。