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「流石はハーニーさんですね。ちょっと心配してたんですよ?」
キリカの表情はそれが本心からの言葉であるとわかる。
グリズリー二体の討伐なんて普通はパーティを組んでやるような依頼だ。達成はしたものの、我ながら無茶をしたものだと今更ながらに思う。
「ギリギリだったけど何とかね……」
ギルドに来る前に病院に寄ってちゃんとした治癒魔法をかけてもらった。ダムネシアの力を借りてある程度は治っていたようだが、やはりプロの力でちゃんと治してもらわなければならない。
お陰で動き回るのに支障はない。
とは言え病院でも完治とまではいかずに今もまだ痛みは残っている。その痛みが走る度に、グリズリーの形相を思い出す。
一度は本当に死を覚悟したくらいだ。あそこでダムネシアが力を貸してくれなければどうなっていたかわからない。
これまでも何度か危ない目には合っていたがその時も助けてもらいたかった。
『ハーニーが本当に死にそうな時にならないと解けない封印だったからな』
頭の中に響く声。
ビクッと肩が跳ねる。
「……人前で話しかけないでよ」
『私の声は君にしか聞こえないよ』
「どうかしましたか?」
ダムネシアの言葉が正しいと証明するように、キリカは小首を傾げている。半信半疑であったがどうやらダムネシアの声は本当に私にしか聞こえていないらしい。だからと言って気持ちの良い物ではないが。
「何でもないの」
「そうですか? では今回の報酬をお渡しします。いつも通り手渡しで良いんですよね?」
私がうなずくと、カウンターの上に小袋が置かれる。口を開くと、いくつかの金貨と多くの銀貨が入っていた。危険な依頼だっただけあり、報酬もそれなりだ。
ギルドの報酬が金銭の場合、直接受け取るか銀行に振り込むかは選べる。しかし私はいつも直接受け取っていた。
失って居た記憶を元に考えると、貴族として現金に触れる機会が少なかったから物珍しいのではないだろうか。金額を確認したらすぐに銀行にあずけるし、決して私がお金にがめついとかそういうわけじゃない。
冒険者たるものお金のトラブルには気をつけろ。お父さんに口を酸っぱくして言われている。
「おーいハーニー! こっち来なよ!」
背中にぶつかったのはジリの大声。離れていても傷に響きそうだ。
私が顔をしかめたのに合わせてキリカが苦笑いを浮かべた。
振り返ると、少し離れたテーブルにジリの姿があった。満面の笑みでこちら手を振っている。それともう二人。片方はあまり会いたくない奴だ。
「羽振りが良さそうだねハーニー」
ニコニコと愛想の良い笑み。ジリの目的はわかっている。
「今日は気分じゃないから奢らないよ」
大きな依頼を終えた者にたかる。たかるなんて言うと聞こえは悪いが奢ったり奢られたり、持ちつ持たれつだったりする。
何人かでパーティを組んで依頼をこなしたりもする冒険者達が、同じ卓でご飯を食べる。そうして親交を深める文化がいつの間にか奢る奢られるの文化に変化していったのだ。私もジリに何度か奢られている。
良く狙われるタイミングは報酬を受け取った直後。
人によっては振り込みにしたから、と躱せるが、私がその場で報酬を受け取ることはそれなりに知られているので、特にジリなんかは狙い澄ましたかのように声をかけてくる。
「えぇー、奢ってくれないの!?」
ジリの隣で素っ頓狂な声を上げたのはこの国の誰もが名前を知っているライラ・トルストイ。
彼女の前にはいくつもの皿が並んでおり、そこに盛り付けられていたであろう料理は残らず平らげられていた。もちろん、ライラの手――口に因って。
これだけ食べておいてまだ私からたかろうと言うのか。
もちろん、ライラが有名なのは大食いだからではない。腰に差してある剣がその理由だ。
魔剣アルソン。この世界に数本しかないと言われている特別な力を持った剣である。
深い蒼の刀身に星が散りばめられたような白い模様。芸術品のような剣であるが、その能力は一切が謎に包まれている。
一度だけライラと一緒に依頼を受けたことがあるが、その時も気づいたら魔物が倒れていて、何が起きたのかわからなかったのだ。
「あんましケチケチしたこと言いっこナシだぜ?」
「あなたにご馳走しようとしたら財布がいくつあっても足りませんから」
「でもでも、アタシなら奢ってくれますよねぇ、先輩?」
ライラとジリに挟まれてこちらに笑いかけているのが。猫の獣人――キャラサ種のニスル・オレンジである。
正直に言って、あまり会いたくない人物だ。
顔に笑みを浮かべながら目はまったく笑っていない。そしてこちらをおちょくるように長い尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「……何で私があんたにご馳走しなきゃいけないのよ」
「えぇ! 酷いですよ先輩。アタシと先輩の仲じゃないですかぁ」
ニスルは私のことを先輩と呼んでいるが、冒険者になったのはニスルの方が僅かに早い。それでも「実力は先輩の方が上ですから」なんて言って先輩と呼び続けて来る。その実力だって同じくらいなのに。
風に聞いた噂だと、冒険者としてお父さんに憧れていてその指導を直接受けている私のことを妬んでるとか何とか。
事情がどうであれ妬まれて良い気分はしない。向こうがそんな態度で来るのなら私も相応の態度で接するだけだ。そんなわけで私とニスルは犬猿の仲だったりする。
そこでニヤニヤしているジリみたいに、無理矢理引き合わせなければ目も合わさない。
この女は確実に私とニスルのやり取りを面白がっている。とりあえず足を踏んづけておこう。
「とにかく、私は帰って休むから。他の人の財布を当てにして」
ニスルと私が一緒に居るとどうしても喧嘩みたいになる。わざわざそんなテーブルで食事をすることもないだろう。
そう思って立ち去ろうとした私を、
「聞いておいた方が良い情報があるんだけどなー」
「……え?」
わざとらしいジリの言葉が引き留めた。
満面の笑みを浮かべながらこっちを見ている。あの顔は奢らないと話さない顔だ。
「喉が渇いててさ。これ以上なんにも話せないと思うんだ」
「わかったよ……。一杯だけならね」
「とりあえず足は退けて?」
上手く踊らされた気もするが、情報の対価だと思えば良いだろう。
こちらから何も差し出さずにその良い情報とやらを聞くのも忍びない。それがドリンク一杯分に相当するかは置いておいて。
「やった! 何にしようかな……」
「せっかくなんでアタシはこの一番高いやつを……」
「ひゃぁぁぁ、ニスルったら遠慮がないな!」
一緒に騒いでいるこの二人の分くらいはオマケである。
通りがかったウェイターを呼び止め、ついでに私も軽い食事を頼む。
「ハーニー……そんなに食べたら太っちゃうぜ?」
「あんたには言われたくないんですけど……」
ライラの表情は心底、心配しているようだった。しかしどれだけ食べても太らない人に注意されても釈然としないのはなぜだろうか。
しかし今回に限っては多少の間食は許される。
治癒魔法とは傷を元通りにするのではなく、自己治癒力を極限にまで高める魔法である。なので傷を治療する時にはカロリーも消費される。なので多少食べ過ぎても問題はなく、むしろエネルギーを補給しないと倒れかねない。
「先輩はダイエットしなくても充分かわいいですよ」
「はいはいありがとね」
ニスルは本当にギルドで一番高いドリンクを頼んだ。
私達三人の持つジョッキに比べたら半分もいかない量なのに値段は三倍である。
「で、ジリの持ってる情報って何なの?」
これで大したことない代物だったら一発ぶん殴らないと割りに合わない。
私のそんな気持ちも知らずに、ジリはアルコールで顔を赤らめていた。
「近い内にあいつが来るってさ」
「あいつ、って……まさか」
「そのまさか。ウロン・オモイラルさんだよ」