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街に帰る頃には日もすっかり沈み、夜の闇に包まれていた。
私は引っ越したばかりの自分の家でなく、実家――記憶を取り戻した今となってはこの言い方が正しいのかもわからないが――に来ていた。
窓から漏れている灯り。お父さんはまだ起きているらしい。
「……こんな夜更けにどなたかな?」
扉はゆっくり開けて音も出ていないはずだが、お父さんはすぐに気づいた。
元冒険者は伊達じゃないということか。この前もそうだが、現役に復帰しても問題なさそうである。
「……お父さん、ただいま」
「ハーニー……どうした、っと。先に風呂に入りなさい」
こちらの気持ちを汲み取ることもせず、顔をしかめてぶっきらぼうに言い放つ。
ただ、そんないつもと変わらないお父さんの様子に救われるような気がした。
言われた通りに風呂に入ろう。
気にはしないが、体中が汗とグリズリーの血に塗れている。街の住人も馴れたもので、私を見ても何も言うことはないが、家の中に上げるとなると話は別だろう。
そして湯船に浸かっている間に気持ちも落ち着けることができた。
「出たか……。泣きながら実家に帰って来たことは誰にも言わないでおくよ」
「お父さん……!」
涙なんて流してない、とは言い切れないのが辛いところ。
しかしそんな意地悪なことを言いながらも、温めたミルクを淹れてくれる。蜂蜜の入った甘いミルクで、体の隅々まで染み渡っていくようだった。
「で、ホームシックってわけでもあるまい」
何口かミルクを口に含み、私の気持ちが落ち着いた頃を見計らってお父さんは声をかけてくれた。
「グリズリー二体の討伐の依頼だった。ギリギリだったけど何とか終わったよ」
「一人でか? グリズリーをしかも二体か……。やはりハーニーのことを見くびっていたのかもしれないな」
笑いながら言う。
その言い方がどこか他人行儀に思えてしまうのは、私の中の変化のせいだろうか。
一頻り笑い終え、話の続きを喋ろうとしない私のことをいぶかしみながらも、お父さんは先を促すことをしなかった。
「私、記憶が戻ったの……」
「……本当か?」
一瞬、大きく目を見開いてそれから絞り出すようにお父さんは言った。
私はうなずく。
「思い出したの。私に何が起こったのか。どうして記憶が失くなっていたのか……。聞きたい?」
「ハーニーが話して楽になるのならな」
はい、とも、いいえ、とも言わない。
そんなぶっきらぼうな態度にやはり救われる思いだ。この五年間、私を育ててくれたお父さんの仕草そのものだ。
覚悟を決めないといけない。
そして私は話した。
私がどんな生まれで、本当のお父さんとお母さんがどうなったのか。
話し終える頃には明け方になっており、窓から少しずつ光が差し込んで来ていた。そんな時間になってもお父さんは黙って私の話を聞いてくれた。
話し終えた私はそのまま眠ってしまい、聞き慣れた音を耳にして目を覚ました。
ゆったりと動き回るお父さんの重厚な足音。そして調理の音とかぐわしい香り。見ると、キッチンにお父さんが居た。
少し前までは毎日見ていた朝の光景である。
「起きたか。まだ寝てても良いんだぞ?」
「ごめん。遅くまで付き合わせちゃって」
「ハーニーにとっては大事件……俺にとってもか。気にすることはない」
少し待つと出来上がったスープとパンが出された。
ほんの数日家から離れていただけなのに、妙に懐かしく感じる。
「ねぇ、お父さん」
「記憶が戻ってもお父さんと呼んでくれるんだな」
「……当たり前でしょ」
本当の両親のことを思い出したのだから、とお父さんは言いたいのだろう。しかしわたしにとって、この目の前のお父さんが父親であることにも違いはない。
産みの親と育ての親に何の違いがあるというのか。
「それは良いとして……。五年間、育ててくれてありがとう。これからも迷惑かけると思うけどよろしくね」
出来る限りの明るい表情を作る。
「ああ。こちらこそよろしくな」
お父さんとこうして握手を交わすというのも不思議な感覚だった。
それはお父さんも同じようで、表情に窮して頬を掻いていた。
朝ご飯の最中もそのぎこちない妙な雰囲気は続いていた。お陰でご飯の味も良くわからなかった。
「それで、お前はこれからどうするんだ?」
「どうするって何が?」
ご飯を食べ終わった後、いつもと変わらないちょっと不遜な態度でお父さんは言う。私は少しだけ緊張しているというのに、お父さんにはそんな様子が微塵もない。
今までと何ら変わらない態度だ。
記憶が戻ったらお父さんはどう思うだろうか。私とお父さんとで今までの親子としての関係が変わっていますのだろうか。
そんな風に悩んでいた自分が馬鹿らしくなる。お父さんについてはそんな心配必要なかった。
「アレだよ、自分の生まれた街に戻るとか、そういうのは考えてないのか?」
「……だって、昨日話した通りだよ? お父、様とお母様のことも気になるし幼馴染みのマレーナだってどうなったか知りたい。でももう子供じゃないから想像はつくよ。改めて知りたいとは思わないかな」
私の誕生日パーティに来てくれた人達がどうなったか、なんてことは少し考えればわかる。
冒険者として盗賊団を壊滅させる手伝いもしたことがあり、そう言ったならず者がどういう人間性なのかは知っている。
「そうか……。まぁ俺としては、お前が豪華なドレスを着て倒れていたことや、あのデカい剣のことがわかって少し安心したよ」
ちなみにお父さんにダムネシアのことは話していない。私の家に伝わる家宝の剣だと伝えていた。
ダムネシアから話さないでくれ、と頼まれたからであるが、話したとして信じてもらえはしないだろう。喋る剣なんて聞いたこともない。全然怪しまずに仲良くしていた当時の自分に驚いてしまう。
「記憶を失う前の方が長いけど、もう私はお父さんの娘のつもりだからね。ハーニー・フィプルースじゃなくてハーニー・ルースフィア。過去のことは気にしないように決めたの」
忘れるわけではない。正直、忘れたままでいた方が幸せだったんじゃないか、と思えるほど記憶を失う直前の光景は凄惨だった。
それでも私が生まれてからの十五年の記憶は大切にしたい。しかし受け止めるには衝撃が強すぎた。せめて思い出として取っておいて、気にしないことに決めたのだ。
そしてそれと同じくらい、記憶を失ってからの五年も大切なのだ。
「だからお父さんもいつも通りでお願いね。って言わなくても大丈夫だろうけど」
「お前がそう言うんならこっちもあまり蒸し返さないようにするよ」
やっぱりお父さんはお父さんである。この人に拾われたのが幸運だった。
とは言え、大人になった私がいつまでも甘えているわけにはいかない。このまま実家に居座ると、心地良くてまた戻って来てしまいそうである。
話に区切りもついたことだし、早く私の家に帰ろう。
そう話した時、どことなくお父さんの表情が寂しげだった。案外、一人で寂しかったのはお父さんの方かもしれない。
「じゃあまた時間があったら帰るからね」
「あまり無理をするようだったらまたここで暮らせば良い。怪我にだけは気をつけろよ」
グリズリー相手にボロボロになって、そのことは本当に身に染みた。
最後にもう一度だけお礼を言って、今度こそ家を出た。
我が家に帰る前にギルドに寄ろう。依頼達成の報告をして、それから良い感じの依頼が出ていたら受けよう。
今度は簡単な奴が良い。