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 いったいどれだけ走っただろうか。ずっと私を抱えてくれたメアリーだが、今は下ろしてもらって一緒に走っている。

 今更、屋敷に戻るつもりはない。

 屋敷が炎上して崩れるのを見た私の中で、何かがプツンと切れてしまったのだ。

 メアリーに心配されていそうだが何も言ってこない。それが今はありがたかった。優しい言葉にせよ強い言葉にせよ、何か言葉をかけられたら一気に感情が崩壊してしまいそうだった。

 そして私達は暗い森の中をひた走る。

 昼間には何度も遊んだ森だが、時間が変わるだけでこれほどまでに印象が変わるものか。


「お嬢様……。少し、休憩しましょう……」


 足を止めて振り返ると、メアリーはもう息も絶え絶えだった。

 途中まで私を抱えて休みなしに走っていたのだから当たり前である。むしろ、今まで良く音も上げずに来たものだ。

 そう思うと、私の足にもドッと疲れが押し寄せる。夢中で気づかなかったが、メアリーですら休みが必要なのだから、運動も滅多にしない私が疲れていないはずがなかった。

 柔らかい草の上に、メアリーと身を寄せ合って座る。

 もう、立てなくなりそうだった。


「これから……どうしようか」

「そうですね。王都を目指しましょう。そのためにも隣のミロル伯の下へ行ければ良いのですが……。大丈夫です。お嬢様のことは私が守りますよ」

「うん……。ありがとう」


 返事のない私に気づいて、メアリーは優しい言葉をかけてくれる。

 メアリーだって辛いはずなのに、大人になった私がいつまでもベソを掻いているわけにはいかない。それでも、涙がにじむのは止められなかった。


「お父様とお母様、大丈夫かな……?」


 この問いに意味がないことはメアリーもわかっていただろう。それでも、


「きっと大丈夫ですよ」


 と、変わらず優しい言葉をかけてくれる。

 メアリーは本当に良くできたメイドだ。メアリーが来てからお母様の笑顔も増えたし、屋敷が明るくなった。そして今も、折れそうになっている私の心を支え続けてくれる。

 直接の雇い主ではないが、私も支えられるだけじゃなくてメアリーの手助けをできるようになりたい。

 もう、この世で唯一と言っても良い私の家族なのだから。

 抱えた膝に頭をつけると、そのまま眠ってしまいそうになる。無理矢理意識を叩き起こしていると、人の話し声のようなものが聞こえた。

 隣を見ると、メアリーにも聞こえていたようだ。

 急いで周囲を見渡す。


「――――――! ――――――。」

「――。――――――!」


 怒鳴っているような声だ。

 そして遠くの方に、いくつか灯りが見える。そしてそれらは段々とこちらに近づいて来ていた。


「……助けでしょうか?」


 屋敷の警備の者や生き残った貴族が私達のことを探しに来てくれたのかもしれない。屋敷を襲った賊はお父様とお母様によって倒され、明日からはまたみんなで暮らせる。

 そんなわけあるはずがなかった。

 少しずつ近付いて来る灯りと共に、男の声がいくつも届いて来る。

 それなのに私もメアリーも、立ち上がろうとしなかった。それほどまでに疲れていたのだ。


「絶対に逃がすなよ!」

「本当にこんな場所に居るのか?」


 声もハッキリ聞こえる。これ以上ここに留まっていれば、いつ見つかってもおかしくない。


「……逃げよう?」


 メアリーに声をかけて、何とか腰を上げる。足は震え、心臓もまだ早く鼓動を打っている。

 私が立ち上がったのを見てメアリーも立ち上がるが、灯りの方からジッと目を逸らさない。


「逃げようよメアリー。早くしないと……」


 何か思い詰めたような表情のメアリー。

 それに何か嫌な予感がして、必死に腕を引いて逃げようと呼びかける。しかし私とメアリーの力の差は歴然。メアリー自身が動いてくれなければ一緒に逃げられない。


「メアリー」

「……お嬢様」


 ようやくこちらを向いてくれた。これで一緒に逃げられる。

 ここまで必死に逃げて来てメアリーとお別れなんて耐えられるはずがなかった。これから無事に逃げ延び、メアリーに今日の恩を返さなければならない。

 だってメアリーは命の恩人なのだから――


「私があいつらを食い止めます。だからお嬢様は逃げてください」


 頭が真っ白になる。


「な、何を言ってるの?」

「必死に逃げて、それでもこうして追いつかれてしまいました。ならこのまま逃げても変わらないでしょう」

「嫌だよ……。多分、もう少し逃げたら諦めてくれるからさ。ね? 一緒に逃げよう?」


 腕を引っ張っても、やはりメアリーは動かない。

 ただただ悲しそうに、そして優しげに微笑んでいるだけだった。


「さあお嬢様。お嬢様なら一人でもきっと大丈夫ですから――」

「無理だよ! お父様もお母様もきっと死んじゃった。メアリーまで居なくなったらどうするのよ!」

「声がしたぞ!」

「こっちだ、全員集まれ!」


 私の声を聞いた賊が集まってくる。

 しかし私もメアリーもそんなことは気にせず、ただ互いに睨み合うだけだった。

 やがて近付く賊の気配にメアリーは私の手を振りほどく。そして優しく私を突き飛ばすと、賊に向かって駆け出した。


「メアリー!」


 優しく突き飛ばされたはずなのに私は何歩も蹈鞴を踏む。尻餅をついて前に顔を向けると、魔法の炎が賊に向かって襲いかかるところだった。

 あれはメアリーの魔法。


「てめっ大人しくしやがれ!」

「もう一人居たぞ! 誰か回り――ぎゃっ!」

「こいつ強いぞ!」


 賊の悲鳴が上がる。

 メアリーが雇われたのはお母様の警護のためである。そこらの賊に遅れを取るような人物ではない。

 私の心の中に希望のような物が湧いてくる。

 もしかしたら。もしかしたらメアリーが全員倒して、また一緒に逃げられるかもしれない。

 メアリーの方へ向けて一歩踏み出す。


「ひっ!」


 瞬間、その一歩の少し先にメアリーの放った炎が着弾する。そしてその炎は壁のように私とメアリーの間に立ちはだかった。


「逃げてくださいお嬢様!」

「メアリーも一緒に逃げようよ!」

「私はも――あぁっ!」


 賊の悲鳴に続いてメアリーの悲鳴が上がった。私を逃がそうとするあまり隙ができてしまったのだろうか。

 炎の壁に阻まれて中で何が起こっているかわからない。

 こんなことなら。こんなことになるくらいなら……。


「逃げてください……お嬢様……」


 聞こえてきたメアリーの声はこれまでと違って力がない。

 それがどういう理由に依るものか、わからないわけがない。


「ちっ、手こずらせやがって……」

「おい! 誰か外に回れ」


 走る。少しでも離れるために。

 少しでも長く生きることがメアリーのためになるかのように思えてくる。

 私の足は自然と、ある場所に向かっていた。




 その場所は夜でもあまり雰囲気が変わっていない。この場所に来るといつも気分が落ち着くのだ。

 木々が立ち並ぶ森の中で、そこだけはポッカリと穴が空いたように何も生えていない。

 月の光を遮る枝葉がないからだろうか。それにしても異様に明るい。それも含めてどこか神秘的な雰囲気が漂っている。

 そしてその中心。少しだけ土が盛り上がっている場所に一振りの巨大な剣が無造作に刺さっていた。

 両刃の刀身は幅広。私の腕が二本分くらいか。月明かりの中でもそれを吸収しているかのように漆黒である。そして刀身のみで私の身長ほどもあった。鍔には宝石がちりばめられ、刀身との交差点には一際大きな宝石が輝いていた。これは恐らく魔石であろう。

 剣について造詣の深くない私ですら、これが素晴らしい剣であるとわかる。

 しかし私にとってこの剣は、素晴らしい装飾の剣以上の意味を持っていた。

 剣に優しく触れて息を吐く。


「ダムネシア……ダムネシア……」

『どうしたハーニー? 今日はまたずいぶんとめかし込んで、ずいぶんと切羽詰まっている様子だな』


 他に誰の姿もないのに声が聞こえる。その声の主は目の前のこの剣。その証拠に、声が発せられる度に中心の大きな魔石が光を放つ。

 ダムネシアと名乗るこの剣は、私の数少ない友人の一人だった。

 男とも女とも、老人とも子供ともとれるような良くわからない声。しかしダムネシアの声を聞いていると、不思議とリラックスできる。


『こんな時間に来るのも初めてだな。何があったのか教えてくれ』


 私はまだ何も言っていないのにダムネシアは何事か起こったのを察する。きっと私の様子等を見ているのだろうが、目もないのにどうしているのか。それを言ってしまえば、どうやって喋っているのかも気になるが。

 ダムネシアに促され、私は今日起こったことをダムネシアに話す。

 今日が私の成人の誕生日だったということ。そこに賊が侵入して来たこと。お父様もお母様も屋敷に残り、屋敷は焼け落ちてしまったこと。メアリーが私を逃がすために犠牲になってしまったこと。


「私が……私がもっと剣術とか魔術の勉強をしてたら良かったのかな……」


 そうすればお父様方と肩を並べて戦えたかもしれない。そうすればメアリーと共に戦って二人とも生き残れたかもしれない。

 それとも最初から私が一人で逃げていれば良かったのかもしれない。

 逃げる時もメアリーに抱えてもらわず自分で走っていたら。

 私が泣いてなんていなければ。


『落ち着きなさいハーニー』


 胸の内は後悔でいっぱいだ。あの時ああしていれば。この時こうしていれば。しかしもう遅い。お父様もお母様もメアリーも、きっともうこの世には居ない。

 こんな時こそ涙を流すべきなのかもしれないが、なぜだか今に限って涙は一滴も零れなかった。


『もう一度言うよ。落ち着きなさいハーニー』


 ダムネシアの声を受けてようやく私は顔を上げた。

 ちょうど正面にある魔石が、私を落ち着かせるようにゆっくりと明滅している。


『君が剣術も魔術もちゃんと勉強しているのを私は知っている。いつも全力を尽くしていただろう。何があったのかはわかったが君は抱えすぎだ。涙も流せないほどにいっぱいいっぱいじゃないか』

「でも……私がもっと――」

『でもじゃない。まずは深呼吸をするんだ』


 言われた通りに息を吸い、吐く。それをもう一度繰り返す。


『後悔するのは後回しだ。そんなものはもっと平和な時にするべきだからな。まずはどうやって逃げるかを考えようじゃないか』

「ミロル伯の所に……あの方なら助けてくれるはずだし、今日のことも伝えないと」

『そうだな。だがそれよりも先に考えなければならないのは追っ手のことだ』


 追っ手、と言ってもそれはメアリーが足止めしてくれている。逃げるくらいの時間は――


『もう望みはほとんどないとわかっているはずだ。何もしなければ直に追いつかれる』


 私の思考を読んだのか、ダムネシアが釘を刺す。

 最後に聞いたメアリーの声からは覇気が感じられなかった。いくらメアリーが強いといっても、相手は何人も居た。余程のことがない限りメアリーが無事にいられる道理はないだろう。

 気持ちではメアリーの無事を祈っている私だが、それと同時にもう助からない、と諦めている私も居た。そんな自分が嫌になる。


『……ハーニー、まだ走れるか?』

「嫌だ。もう走りたくない」


 全身に倦怠感が満ちている。腕の一本、指の一本を動かすことすら億劫だ。しかし走れないほどではない。逃げるためにこの森を抜けるくらいの力はまだ残っている。

 しかし心が折れてしまったのだ。

 お父様とお母様は私を逃がすために恐らく死んでしまった。メアリーもそうだ。

 もう、何もかもがどうでも良く思えてきた。


『まぁ、余程のことがない限りここに人は来ないだろうが……』

「それってどういうこと?」


 尋ねた私の声を、


「こんな所に居たか。手間取らせやがって……」


 下卑た声が遮った。

 振り返ると、たいまつを掲げた賊が何人も私を取り囲んでいた。私を逃がさないためにか、等間隔に間を空けて円状にだ。

 もう逃げられない。

 しかしこいつらがここに居るということは、


「……メアリーはどうしたの?」

『ハーニー』


 咎めるようなダムネシアの声は耳を素通りする。

 それよりもメアリーがどうなったのか。お願いだから死なないでいて欲しい。隙を見て逃げ出した。そんな可能性もまだ残っている。


「メアリーって誰だ?」

「さっきのメイドのことじゃないですかね」

「ああ、ありゃあ良い女だったな」


 同意するような声と笑い声が重なる。


「……下衆め」


 こういった人を襲って生計を立てるような犯罪者集団がどんな品性をしているのかは想像に難くない。それらが集団で寄って集ってメアリーに襲いかかり、動けなくなったメアリーに何をしたのかも嫌なことだが想像ができてしまう。

 しかし命が残っていれば。生きてさえいれば私がメアリーのことを支えてあげられる。死んでしまえばそれすらもできなくなってしまう。

 そんな私の儚い希望は、


「殺したよ」


 何気ない男の一言で打ち壊された。

 視界が真っ赤に染まる。


「惜しいことをしたよな」

「大人しくしてりゃ俺が雇ってやったのにな」

「万年貧乏野郎が何言ってやがるんだ」

「金がないなら体で払うだけだよ。女なんてその方が良いだろ」

「きもちわる! こいつ気持ち悪いぜオイ!」


 男達は楽しそうに笑っている。その一言々々がどれだけメアリーのことを踏みにじっているか。

 命をかかけて私を逃がしてくれたメアリーのことを、軽々と語るあの口が憎らしい。


『落ち着け』

「ダムネシアは黙ってて」


 今すぐにでもこの場の全員をメタメタにしてやりたい。

 しかし逸る気持ちとは裏腹に、私の体はダムネシアに背を預けたまま動こうとしなかった。もう少しでも体力が回復すれば。


「そういや屋敷に居た貴族連中も上玉ばかりだったよな」

「ああ。なぜだか知らんが貴族は美人が多いからな」

「一人くらいは生きて捕まえたら良かったのにな」


 その一言を耳にした途端、今まで激情が渦巻いていた私の心が急に何も感じなくなった。男達の下品な会話も、私を心配してくれているダムネシアの声も聞こえない。

 一人くらいは生きて捕まえたら良かったのにな?

 それはどういう意味だろうか。一人も生きていないのか? お父様は? お母様は? 誰一人として残さず殺してしまったのか? マレーナだってあの場所に居たのに。

 もう誰も残っていない。私は一人。

 ちゃんとオチをつけようかとも思いましたが想像にお任せするのも乙なものかと。

 とりあえず長い長いプロローグもこれで終わりです。

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