1-9
ぼんやりとした意識が段々と覚醒していく。
その最中に見慣れない土の天井に不信感を覚え、意識を失う寸前の光景に驚いて体を起こす。ツンとした不快な臭いが鼻をついた。
私とウロンは、同乗していた女冒険者――ロベリアによって眠らされたのだ。
外に居た先輩達に伝える暇がなかった手際と良い、冒険者として潜り込んでいた手口と良い、入念に準備されていたのだろう。聞いた名前も本名かどうか怪しいものだ。
今、目覚めたのは壁も天井も床も土の小部屋である。地下に作られているのだろうか。
手足は拘束されておらず、武器も手元にある。
唯一あった扉を押してみるが、鍵すらかかっていないようだった。
「どうしよう……」
明らかに罠だろう。不快な臭いもこの扉の向こうからしている。
しかしこのまま黙っていて事態が好転するとも思えない。
ウロン誘拐の目的が何にせよ、このことが知られるのには時間がかかるだろう。それは援軍が望めないことを意味している。私ですら掴まったのに先輩の力で助けてもらえるわけがない。
結局、罠だとわかっていても行くしかなかった。
レイピアを抜き、ゆっくりと扉を開ける。
「ようやく起きましたね。ニスルさん」
「すっかり騙されたわ。ロベリア……で合っているのかしら?」
「はい。名前を隠したところで意味はないですし、私はあなたに敵意は持ってないですから。だからそのレイピアを下ろしていただけます?」
「あなたになくても後ろの人はどうでしょうね?」
ロベリアの後ろには人間らしき物が幾重にも積み重なって小さな山が作られていた。そしてその上に一人の男が腰掛けていた。
キザったらしい真っ白な服には汚れ一つ付いていない。あの人の山を作ったのがこの男であれば、恐るべき実力を持っていることになる。
そちらを振り返ったロベリアは肩を竦める。
「あちらも敵意はないですよ。それより、馬車の中と話し方が変わってますね」
「あなたに媚びを売る必要はないでしょ」
「確かにそうです」
何が面白いのか、ロベリアは口を押さえて笑っている。
その姿が妙に腹立たしい。
「ロベリア」
「……わかりましたよ」
男に名前を呼ばれ、つまらなさそうに返事をしたロベリアは壁際まで下がる。
そして腰掛けていた男はジャンプして私の目の前に降り立った。
髪を払う仕草に合わせて香水の匂いが漂って来て、どこまでもキザったらしいいけ好かない男である。
その表情も自信に満ち溢れている。
「フェルドラットのニスル・オレンジ。間違いないですか?」
「……何でそのことを」
数年前に捨てた過去のことだ。
地元を出て冒険者として腰を落ち着けてからは誰にも話していないことを、なぜ目の前のナルシスト風のこの男が知っているのだろうか。
警戒心が二段階も上がる。
「名前を変えなければすぐにわかりますよ。五年前に当時の実力者のことは事細かに調べ上げましたから」
「五年前……。ハルメニア王国のクーデターはあなた方の仕業ですか……」
ご明察、とばかりに男は手を叩く。
「先輩にバレたら殺されますよ……」
「先輩?」
「何でもないです」
こいつにも先輩にもわざわざ教えてやることはない。どうせ先輩も捕まっているのだ。その気になれば知ることになるだろう。
そんなことよりも自分のことの方が大事だった。
「昔の私を知っているということは、そっちに何か用があるんですよね?」
レイピアに改めて力を込める。
当時、私が暮らしていた地方の剣術大会で優勝したことを知っているなら、その私に用があるに違いない。
ロベリアの言葉を信じるなら、その用も決して穏やかな物ではないだろう。
「手合わせを。強者との戦いに飢えているのでね……」
「手合わせだなんて……殺す気満々じゃないですか」
この話を始めた時から隠し切れていない殺気がビシビシと私を打っていた。敵意がないだなんて笑わせる。この手の輩が手合わせなんて生ぬるい物で留まるとも思えない。
そして案の定、男は殺し合いを否定しようとしなかった。
「そうですね……。私に傷一つでもつけられたらあなたの勝ちとしましょう。もちろん、死んだらあなたの負けです」
「私が勝ったら私は逃がしてもらいますよ」
この男の目的はウロンだ。私が捕まったのはついででしかない。
「どうぞどうぞ。ついでにお仲間も解放してあげますよ」
やはり予想通りか、まったく悩む素振りも見せないで男はうなずいた。
そして私以外に捕まった人が居るのも確定した。
先輩のために頑張るのは癪だが、私ともう一人居た冒険者のためだと思えば良い。オモイラル家の私兵も助けられる。
男の呼吸の隙間を狙って一瞬で突く。
開始の合図はない。こいつら相手に正々堂々と戦おうなんて思えないし、卑怯だと言われる筋合いもない。
しかし不意の一突きも軽々と躱され、おまけにその刀身を撫でられる。
本気に近い一撃であったのに躱されて心がざわめく。しかしそれを表に出すような愚行は犯さない。
「なるほど……。恐ろしいほどに魔力伝導率の高い金属ですね。これでは自分の腕とそう変わりありません」
「その通りよ!」
今度も前触れなく振るったつもりだが、男は身を翻して距離を取った。
様子見なんてぬるいことはしない。
何をさせる間も与えるつもりはなく、機先を制するように一歩踏み出したその瞬間、レイピアが私の手から抜け落ちた。
「……は?」
しっかりと握っていたはずだ。そうでなくとも戦闘中に武器を落とすようなことをするわけがない。
見ると、右手が小刻みに震えていた。まるで痺れているようで、力を込めても指先一つ動かなかった。
「雷……!」
「ご名答」
さっきレイピアに触れられた時だ。
魔力伝導率を高めに高めたあのレイピアは、私の魔力を触れた場所に伝えやすい。逆を言えば、触れた場所から私にも伝わりやすいのだ。
雷属性の魔力を流し込まれて手が痺れたのだ。
火属性だったら火傷をするだけ。氷属性だったら凍傷。土、水、風属性であれば大したことはなかったはずだ。
運が悪かったとしか言いようがない。
「おや、握れるんですか?」
男の言う通り、右手は痺れて握れない。
しかし、無理矢理持たせてレイピアと私の手とを凍らせる。こうすれば握れなくとも問題はない。
「最悪……」
運が悪いと言えば護衛の依頼を受けた時からだ。
道中までウロンと一緒で何度もお尻を触られた。果ては護衛対象が誘拐されてその犯人は圧倒的に格上。
泣きたくなってきた。
「ホント……先輩は疫病神ですよ」
あの時だって。
考えても仕方のないことだがつい、吐き出す所を探してしまう。
これが終わったら一週間くらいご飯をねだろう。それくらいは許されるべきだ。
「準備は終わりましたか?」
「待っていてくれたなんて優しいですね」
「いえ。私の準備が終わったので……」
言うが早いか、男は距離を詰めて来る。矢のような速さで、その両手に濃く魔力が渦巻いているのがわかる。
後ろに下がりながら小石をいくつかレイピアで弾く。
特注のレイピアは私の魔力を瞬時に過不足なく小石に伝え、指先ほどの小石が拳大の氷塊になって男を迎撃する。
しかしそれらも、男の進行速度を僅かに遅めただけだった。
その僅かな時間を使って魔力を練り上げる。
勝負は一瞬。
男の速力を持ってすれば、レイピア程度の距離は一瞬で詰められる。
「……お見事」
私のレイピアは男の頬をかすめ、小さな切り傷を作ってその周囲を凍らせた。
しかし同時に、男の腕が私の腹を貫いていた。
「引き分けですね」
ズルリと抜かれた腹から、私の物とは思えないほど赤黒い血がゴボリと流れ出る。
「私の、負けよ……」
武器を使っても埋められなかったのが私とこの男との実力差。
痛みを感じるのは生きているからだ。悔しさを感じるのも生きているからだ。
私はもう、何も感じなかった。
改稿前にはなかったニスルの過去が……!
ニスルはけっこう気に入っていておもしろくなりそうだったんですけどね。




