凪沢隼人という人間。1
携帯のアラームが鳴った。
アラーム音はちょっと前に流行っていたアーティストの音楽だ。曲が好きでアラームにセットしたのに、最近はこの音楽を聴くとまるで死刑宣告を受けたかのような気分になる。
のそのそと重い体を動かして布団から這い出ると、部屋の空気はひんやりと肌を刺す。
窓から外に視線をやると、うっすらと雪が降っていたようだった。ここはあまり降雪する地域ではない。どうりで寒いわけだと思った。今は1月後半。そろそろ年始の挨拶も世間から消え、また何でもない日常が迫ってくる。この世に生を受けてから25年。これだけ生きてくると年末年始やその他の年間行事に一喜一憂したりはしない(元よりそんな性格でもない)が、やはり世間の落ち着きと共に心なしか自分の気持ちも落ちて行く気がする。なんだか憂鬱だなぁと凪沢隼人は思っていた。
凪沢の仕事はプロの写真家だ。元々は父親が趣味で自然の写真を撮っており、小さい頃から父親について回っては、見よう見まねで写真を撮っていた。中学生になった時、学校の規則として必ず部活に入らなければならなかった凪沢は、悩んだ末に担任教師に「帰宅部を作りたい」とそれは真面目に言ったのだ。運動は好きではないし、皆で楽器を吹いたり歌ったり、ましてや小説や漫画を描くなんていうひたすら机に向かう様なのは真っ平ごめんだった。唯一魅かれたのは天文学部だったが、夜の学校に泊まり込む事があると知った時には気分は急降下した。
「そんなの面倒くさいよ。」
それが凪沢の口癖なのだ。とにかく授業が終わったらさっさと家に帰ってのんびりと過ごしたかった。友達がいないわけではなかったが、とにかく一人でいる事がなんの苦でもなかった。しかし、担任教師がそれを許すはずもなく言った。
「お前、趣味とかないのか?」
それは呆れた物言いだった。それもそうだろうと思えるだけ、自分がおかしな事を言っている自覚はあったので、それを特に気にすることなく凪沢は答えた。
「趣味と言えるほど熱中してるわけじゃないですけど…写真は撮ります。」
その言葉に活路を見出した担任教師は一際明るい顔になって「じゃあ写真部に入れ。」と言った。しかし、凪沢にとって写真を撮るという事はあくまで父親の趣味に付き合っている程度の認識であり、自発的にどうこうしようというものでは無い。それに、部活動として取り組むということはどこか義務的な要素を含む気がして嫌だったのだ。あくまで「好きな時に好きなものを撮る」という感覚でいたかった。なので「それはちょっと…」と渋っては見たのだが、「だったら陸上部に入れるぞ。」と言われ、それは心底嫌だったので泣く泣く写真部に入部した。以降日々の部活動に参加する事はほとんどなく、完全なる幽霊部員となった中学3年生の夏に、父親が事故で亡くなった。写真を撮りに行った山で、誤って転落してしまったと同行していた父の友人から聞いた。棺に入れられた父の姿は、転落したというわりに綺麗な姿で眠っていた。共に落ちたはずのカメラには傷一つなかった。遺品となったカメラを受け取った凪沢は、そのカメラで初めて父の姿を撮った。父の姿は煙突から煙となって空に上がり、快晴の空に一筋の雲を作っている。太陽に向かって伸びる白い線は意志を持って高く登ろうとしていた。凪沢はその写真を初めて、写真部が参加するコンクールに提出した。そしてその写真が最優秀賞を取ったのだ。その時審査員に言われた言葉が、凪沢の未来を決めた。
「君はあまり感情を表に出すタイプではないだろう。だけど、そういう人に限ってその人が作る作品には人一倍の意志と感情が込められている。それを見た人にもはっきりと分かる位にね。この写真で君は、決別と悲哀の中で決意を見出した。僕にははっきりとそう見える。だからタイトルをこれにしたんだろ?普通はね、写真の意味をタイトルから読み解くもんだけど、君の場合は逆だね。タイトルの意味をこの写真を見て理解できるんだ。これって凄いことなんだよ。だから君はずっと撮り続けるべきだと思うんだ。僕は君の決意を尊重したい。」
以来、凪沢は毎日の様に写真を撮り続けた。但しそれは義務でも何でもなく、撮りたいと思う意志の下でだ。そして月日は流れ、25歳になった今、プロとして写真を撮り続けている。
古い木造の一軒家。そこに一人で住む凪沢には、もう肉親はいない。