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EXAct:戦姫2

 薄暗い部屋の中。

 犬型ゴーレムわん太郎が映し出したのは、扉の映像だった。

 展開される立体映像は、つまりはわん太郎が過去に見たものの記録。

 今は、どこかの扉だけを再生していた。

 何の動きもない。ジジジと何かのノイズが聞こえる。

 しばらくすると、カツカツと廊下を歩く足音が近付いて来た。そして、バタンと勢い良く扉が開く。

 思わず飛び退るわん太郎。

 現れたのは、肩を怒らせたアネフェア姫だった。 

 その表情は険しい。

 眉はつり上がり、口は一文字に引き結ばれている。

 アネフェアは、やはり乱暴に扉を閉めた。

「……はあっ」

 扉が閉まった途端、アネフェアは肩を落とし、大きく溜め息を吐いた。スルスルとリボンタイを取るとその場に放り投げ、とぼとぼとベッドに歩み寄る。そしてそのままベッドの上に、ぼふっと倒れ込んだ。

 わん太郎が駆け寄る。ひょいとジャンプしてベッドに飛び乗り、アネフェアの顔の横に。

 アネフェアは、虚ろな目で、ぼんやりとわん太郎を見た。

「私は……王女なんだがな」

 小さな声でそっと呟く。

「誰も私の言葉など聞いてくれない。大陸からの避難民が殺到している今、この島の許容範囲など、直ぐに超えてしまう。私たちは、今、打って出るしかないんだ」

 そう言うと、アネフェアは完全にうつ伏せになって、シーツに顔を埋めた。

 ううっという唸り声が響く。

 泣いている、という風ではなかった。

 だんだんと高まる唸り声。

 そして突然がばっと起き上がったアネフェアは座り込むと、手近なクッションを引き寄せた。

「何が開墾政策だっ!居住地の拡大だ!そんな悠長なことを言っている段階か!」

 ぼすぼすとクッションを叩き出すアネフェア。

「戦わなければ、私たちは滅ぶ!戦うしかないんだぞ!ううっ!」

 しばらく喚いていたアネフェアだったが、やがて力なくベッドに倒れ込んだ。

 柔らかいベッドに足を取られながらも、わん太郎が再びアネフェアの顔の方に回り込んだ。

「……わん太郎」

 アネフェアが呟き、目を瞑る。

「ヴァン……」

 消えてしまいそうな小さな声。

 しかし、その名を噛み締めるように、アネフェアは目を開いた。

 鋭い目の光。

 それは、年相応の少女のものではなかった。

 引き込まれそうな瞳。

 どこか遠くを見つめる目。

 何かしらの強い決意を抱いた者の瞳だった。

 わん太郎を見つめたまま、何事かを考え込む様子のアネフェア。一瞬毎に逡巡や焦燥が入り混じった複雑な表情が浮かんでは消えていく。

 そしてアネフェアは、意を決したように小さく呟いた。

「そうだな」

 自分の考えを確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いで行く。

「不満を口にするなら、誰にでも、どこででも出来る。要は、やってみることだ。やってみて、皆に見せれば良いのだ。私たちだって……」

 そこで彼女は笑った。

 不敵に。

「勝てるんだって事を」



 扉が開いた。

 眩い光が差し込んでくる。

 立体映像なのに、本物の光のようだった。

 木造の床板をコツコツと踏み鳴らし、わん太郎は外に飛び出した。

「のわっ、何だ、何だ?」

 扉を開いた人物、白に金の装飾が目立つ鎧をまとった若い騎士が、足元を駆け抜けるわん太郎に驚いて足を上げた。

 蒼穹に風を受けて広がる白い帆が、わん太郎の頭上に翻る。

 遥か天を突くようなメインマストの周りを、ゆったりと白い鳥が飛んでいる。

 そこは、大きな帆船の甲板だった。

 柱のように立ち並ぶマストと、張り巡らされた索。その間を器用に動き回る水夫の姿が映し出される。

 しかし一番目を引いたのは、甲板一杯に溢れる鎧姿の騎士たちだった。

 先ほどわん太郎が出会ったのと同じ豪華な装飾が施された鎧の騎士たちが、じっと黙して座り込んでいる。

 わん太郎は、その間を縫うように駆け抜けた。

 わん太郎の視界に映る騎士の顔は、どれも緊張に強張っていた。

 まるで、これから大きな戦でも始まるかのように。

 船を縦断したわん太郎は、とうとう船首までやって来る。器用に階段を登り船首楼に上がると、そこには2人の人影があった。

「危ないよ、アネフェア」

 呆れたようなヴァンの声。

「問題ない」

 少しだけ振り返ったアネフェアが、笑顔で応えた。

 緊張した騎士たちの面持ちとは対照的に、まるで船旅を楽しんでいるような笑みだった。

「しかし、アネフェア」

 ヴァンが一歩アネフェアに歩み寄る。

「今回動員出来たのは、君の近衛騎士と僕だけだ。果たして、勝てるのかな、際限なく押し寄せて来る魔獣に……」

「勝てるさ」

 完全に振り返り、笑うアネフェア。

 ヴァンは鎧を身に着けた完全武装。彼女も、スカート姿の上に鎧を纏った戦装束だった。

 潮風を受けて、ロングスカートが大きくはためいた。煌びやかな装飾が施された彼女の鎧が、海面と同様にきらきらと輝いていた。

「しかし、こんな局地戦に意味はないだろう。一時的に魔獣を駆逐しても、この人数では広い範囲を守ることは出来ない」

 なおも訝しむヴァンを、アネフェアは腰に手を当て微笑みと共に見つめた。

「ヴァン。今回の私の目的は、勝って見せるということなんだ。失地の奪還とか、魔獣の駆逐とか、多くは望んでいない。とにかく、私たちにも勝てるんだと言う事を示す」

 アネフェアがヴァンに歩み寄ると、ずいっと顔を近付けた。

「私と君。2人で。一時でもいい、大勝してみせる。そうすれば、必ず私たちの後に続くものは現れるんだ」

 挑発的とも取れるアネフェアの口振りだったが、2人を見上げるわん太郎は捉えていた。

 背中に隠されたアネフェアの手が、微かに震えているのを。

「ヴァン。力を貸してくれ。力を……。私たちの行く末は、君にかかっているんだ」

 ヴァンは息を吸い込み、少しだけ目を瞑る。そして改めてアネフェアを見つめ返すと、そっと頷いた。

 アネフェアがにこっと微笑んだ。

 今度は、先ほどのように力強い不敵な笑みではない。

 ふわりと安堵にほころぶ少女の微笑みだった。

 そして彼女は、はっと気がつく。

 ヴァンとの距離があまりに近くなってしまっていた事に。

 アネフェアは瞬間的に顔を赤くすると、さっと踵を返した。

「そ、そう言えば、ヴァンと初めて話したのも、船の上だったな」

 アネフェアの声は、少し上擦っていた。

「ああ、そうだったね。あれは、大陸から逃げ延びる避難民を満載した船だった」

 ヴァンは、眩しそうに空を見上げた。

「君は、お供の制止も聞かず、避難民でごった返す船倉に降りて来たんだ」

 半身だけ振り返り、悪戯っぽい笑顔でアネフェアはヴァンを見る。

「見てみたかったんだ。あの悲惨な撤退戦で、押し寄せる魔獣どもに挑み、民を守ったという勇者をな。本来は、騎士団が果たすべき役割なんだ……」

 アネフェアはむうっと唇を尖らせた。

「私が一言礼を述べたいというのは、おかしな事ではないだろう?」

 ヴァンが、はははっと笑った。少年のように屈託のない笑顔だった。

「いや、そうだけど。お姫さまというのは、もっとこう、雲の上の人というイメージがあったから。少なくとも、僕が前にいた世界では、そうだった」

 ニヤリとするアネフェア。

「ならば、もっと私の事を敬っても良いぞ?」

 そう言うと、アネフェアはたんたんっと船の舳先に歩み出た。

 ヴァンもその後に続く。

 わん太郎が、並んで船の行く先を見つめる2人の背中を見つめた。

「あれは……」

「ああ。大陸が見えたな」

 アネフェアがきつく拳を握り締めた。

 ヴァンが、そっとその手に触れる。



 映像が切り替わる。

 淡いランプの明かりがぼうっと照らし出したのは、布張りの空間だった。

 簡易ベッドやテーブルセットも設えられ、まるで普通の部屋のように整えられた貴人用の広い天幕。

 荷物の上にいるのだろう、やや高い視点のわん太郎が、辺りを見回した。

 木箱や行李が乱雑に置かれたその中は、しかし決してくつろげるような雰囲気ではなかった。

 その入り口が、さっと開かれる。

「がははっ、快勝ですな!我ら騎士団のお力、ご覧いただけたでしょう、姫さま!」

「……ああ、良く戦った」

「姫さまが近衛だけで大陸に攻め込まれた時には、われ等皆肝を冷やしましたが」

「……それは、散々謝っただろう」

「いやいや、あれから数か月。早くも、こんな大陸深部まで奪還できるとは!まさに、姫さまの御威光!それと、我ら騎士団の力、ですかな。がははははっ!」

 アネフェアの隣の巨漢の男が、地響きのような笑い声を上げた。

「姫さま。旧ランゴベルト領で立てこもっていた者共が、我らに加勢したいと。その他、各地に残っていた民からも、続々と義勇兵が集まって来ております」

 今度は逆隣りの神経質そうな優男が、書類を読み上げる。

「ははっ!それは豪気な!明日、明後日には、我が軍は倍に膨れ上がっておりますぞ!魔獣など、一ひねりですな!」

 天幕に響く男たちの大きな声。

 鎧姿の男たちに囲まれたアネフェアは、しかし戦勝に湧く周囲とは対照的に、沈んだ表情だった。

 顔は青ざめ、白い肌は蝋のように艶を失っている。

「姫さま?」

 巨漢の騎士が不思議そうな顔をして、アネフェアを見た。

「問題ない」

 アネフェアは口だけを歪めて、笑みを形作る。

 騎士たちが勝利の喜びとアネフェアへの忠誠の言葉を長々と述べ、天幕を去って行く。

 その瞬間。

 アネフェアは、崩れ落ちるように床にうずくまってしまった。

 まるで、糸が切れた人形の様に。

 スカートが丸く広がる。その自身のスカートに埋もれるように、アネフェアが倒れた。

 わん太郎には、アネフェアの苦しそうな荒い息遣いが聞こえていた。

 荷物の上から飛び降りたわん太郎が、アネフェアに近付く。

 眉をひそめ、苦しそうに喘ぐアネフェアの蒼白な顔が映し出された。

 しばらくアネフェアを見つめていたわん太郎だったが、何かを感じたように、ぴくっと天幕の入り口を見た。

「アネフェア、いるかい?」

 声が響く。

 わん太郎が入り口に駆け寄る。

 ヴァンがひょっこりと顔を覗かせた。

 その瞬間、わん太郎が高速で回転し始めた。

 目まぐるしく映像が移り変わり、突然ぴたっとヴァンの顔を捉えて停止する。そして再び高速で周り始めた。

「ん?どうしたんだ、わん太郎。と言うか、アネフェアは戦場にまでお前を連れて来たのか」

 ヴァンが呆れたように呟き、天幕に足を踏み入れた。

 その瞬間、ヴァンの表情が固まった。

 そこで初めて、ヴァンは奥で倒れたアネフェアに気がついた様だった。

「アネフェア!」

 ヴァンがアネフェアに駆け寄る。わん太郎もその背中に続いた。

「アネフェア!どうしたんだ!」

 ヴァンが跪き、アネフェアの体を抱き起こした。

「くっ、今医者を……」

 ヴァンが立ち上がろうとした瞬間、その袖をアネフェアがぎゅっと掴んだ。

「……だ、大丈夫だ、ヴァン」

 ヴァンの腕の中から、アネフェアの消え入りそうな弱々しい声が響いた。

「少し、魔獣の障気を吸い込み過ぎたみたいだ……。大丈夫……、少し休めば……」

「大丈夫なものか!君は、まったく!銀気も持たないというのに、魔獣と戦うからこうなるんだよ!今医者を呼ぶから」

 立ち上がろうとするヴァンを、やはりアネフェアの弱々しい手が引き止める。

「ダメだ、ヴァン。今高まった士気を下げるような事はできない、私が……。明日も作戦があるだ……」

「馬鹿なことを!今は自分のことだけを……」

 自身の腕の中で弱々しく笑うアネフェアを見て、ヴァンは尻すぼみに言葉を失った。

 そして。

「どうして君は、こんなになってまで、戦うんだ」

 小さく呟いた。

 アネフェアが手を伸ばす。悲しそうに顔を歪めるヴァンの頬に。

「……私が、君をす……」

 赤くなるアネフェア。

「き、気に入っている理由を知っているか?」

「何だよ、こんな時に」

 ヴァンは渋面を作りながらも、アネフェアを優しく抱き上げるとベッドに運んだ。

 力なくベッドの上に横たわるアネフェアは、ありがとうと囁き、目を瞑った。

「初めて出会った時だ。君は、我が民、同朋たちを救ってくれた。異世界から来た君にとっては、何の関係もないこの世界の住人を、体を張って……」

 ヴァンは丸椅子を引き寄せると、ベッドの脇に腰掛けた。

「確かに僕は異世界人だ。でも、世界なんて関係ない。目の前で襲われている人がいたら、助けるのが当然だろう?」

 ふふっとアネフェアが笑った。嬉しそうに。

 しかし目は閉じたままで、お腹の上で組んだ手は少しも動かない。

「あの時も、そう、君はそう言ったんだ。ふふっ……。私には、それがひどく眩しくて、羨ましくて……」

 アネフェアがゆっくりと胸の内を吐露していく。

 魔獣に襲われ蹂躙され、生まれ育った王都から落ち延びなければならなかったこと。

 町が魔獣に呑まれ、人々が悲鳴を上げても、何もすることが出来なかった悔しさ。

 父王が倒れた。

 多くの騎士たちが、自分を守って散った。

 しかしアネフェアには、何も出来なかった。

 何をしたらいいのかは分かっても、それを実行する術が分からなかった。

 そんな時、ヴァンに出会ったのだ。

 オルヴァロン島へ逃げようとする人々の列を守り、戦うヴァンと。

「君の言葉は、当たり前の事かも知れない。しかし、色々なものに縛られ、身動き出来なかった私にとっては、それはあまりにも衝撃だったんだ」

 アネフェアはうっすら目を開と、ヴァンを見上げる。

「君の真っ直ぐな思いと、それを隠さない素直さと剛胆さ。君の、好きな所だ。私も見習う。見習って、私がなすべき事をなさなければいけない。私自身が、示すんだ。魔獣を駆逐して、皆に安寧を……」

 アネフェアの声が、だんだんと力を失い、消え入るように小さくなる。

「ヴァンや騎士たちだけを戦わせない。私が戦ってこそ、人々の……」

 アネフェアが眠りに落ちていく。

 ヴァンは、そっとそのアネフェアの頭を撫でた。

 苦しそうなアネフェアの息が、安らかな寝息へと変わって行く。

「アネフェア、今はゆっくり休んで」

 ヴァンが、アネフェアの顔を覗き込みながら囁いた。

「僕の方こそ、君には感謝しきれないんだ。こんな未知の土地に放り出された僕に、居場所を与えてくれたのは、君なんだから」

 優しげな眼差しでそのままアネフェアを見守るヴァンを、少し離れた場所からわん太郎が見つめる。



 映像が途切れた。

 どうやら、銀気が切れた様だった。

「アネフェアって人、なんかカナデに似てるよな」

 犬型ゴーレム、わん太郎の側にしゃがみこみ、銀気を補給し始めたユウトが呟いた。

 自分を抱き締めるように胸の下で腕を組んでいたカナデさんは、すっと目を細めた。

「……前に、同じことを言われたことがあります」

 その声は、どこか悲しげだった。

 マームステン博士の話や古い歴史書では、アネフェア姫は魔獣の大規模侵攻を退けた英雄とある。

 しかし、わん太郎が映し出した彼女は、喜び、うろたえ、悲しみ、恋するただの少女。

 そして、黒騎士となり、私たちの前に立ちはだかったヴァン・ブレイブも、ユウトと同じブレイバーの青年。彼女が想う優しい青年だった。

 彼らの事を思うと、胸が痛む。

 何故、ああなってしまったのだろう。

 何故、黒騎士なんかに……。

 詮無い事とはいえ、そう思わずにはいられなかった。

「まだ先はあるし、少し休憩しましょう、カナデさん」

「シズナさん……。わかりました……」

 私を見たカナデさんの目は、微かに潤んでいるようだった。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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