EXAct:冒険者1
薄暗い洞窟の中に、私たちの足音が反響する。
水気を多分に含んだ冷たい空気が、辺りを満たしている。
私が掲げたランタンの光だけが、唯一の光源だった。その淡い光が、私たちの影を、地下水に滑った壁面に投影していた。
「なぁ、シズナ。そのテミスの花っていうのは、こんな地下にあるのか?」
ランタンの光の中、隣を歩くユウトが私を見る。
今回の依頼は、熱冷ましの効能があるテミスの花の納品だった。急ぎで、しかもまとまった量の発注だ。報酬もそこそこ。
「ユウト。足元に注意して。天然の洞窟は滑りやすいわ。それに、地盤が緩いところもあるみたいだから」
「ああ、わかってるよ」
ユウトの声は、どこか楽しげだ。
魔獣との激しい戦いを経て、世界に安寧をもたらした立役者とも言えるユウトだったが、やっぱり男の子なんだなと思ってしまう。
冒険者の仕事として、こうして遺跡や洞窟に潜ると、急に元気になるんだから。
年上として、私がしっかりしなくては。
その時、ランタンの光の中、ユウトが急に立ち止まった。
厳しい顔だ。
「ユウ……」
そして急に私の方を向くと、ずいっと近寄って来た。
えっ……?
ドキっと胸が高鳴る。
ユウトが私の肩に手をかけて、ぐいっと引き寄せて来る。
私は思わず、ユウトの広い胸に飛び込んでしまった。
胸の奥がきゅっとなる。
顔が熱くなり、心臓が破裂しそうなほど激しく鼓動する。
「ユ、ユウト……」
ユウトは胸に私を抱えたまま、黒の大剣を振るった。
リムウェア侯爵さまからいただいたブレイブギアだ。ユウトは、あの禍ツ魔獣との戦いで、エシュリンの楔を喪失していた。
ぴぎゃっと不気味な声がする。
振り返ると、子供程もある巨大な鼠が打ち倒され、ぴくぴくと痙攣していた。
この辺りでは良く見かけるヘビィラットだ。
「大丈夫か、シズナ」
ユウトが私を離してくれた。
私はそっと目線を逸らす。
「ごめん、助かったわ」
「考え事か?らしくないぞ」
ユウトがふっと笑った。そして剣をしまいながら、また歩き出した。
私もその大きな背中を追う。
まだ、胸のドキドキが治まらなかった。
もちろんそれは、ヘビィラットのせいではない。
そう。
私は、ユウトが好きだ。
このブレイバーの少年のことが。
魔獣との戦いで一緒に世界を巡るうちに、だんだん彼に惹かれている自分がいることは承知していた。
その思いが溢れてしまったのが、あの最後の戦いの時。
魔獣の塔の上で、魔獣共の親玉である禍ツ魔獣をユウトが仕留めた時の事だった。
あの場所で、不覚にも私は、禍ツ魔獣の一撃を防ぎ損ねた。そして、大きく弾き飛ばされてしまった。
落下の衝撃で咳き込みながら何とか起き上がった時、ちょうどユウトたちが戦っている方向に光が膨れ上がった。
それは、禍ツ魔獣の放つ攻撃の光ではないと思った。
全てを包み込むような、柔らかな光芒だったから。
ユウトが禍ツ魔獣を倒したんだ……。
そう分かった。
しかし同時に、驚くほど大きな不安が、ぎゅっと胸を締め付ける。
ユウトは無事だろうか。
そして。
ユウトは、戻って来てくれるだろうか。
ユウトはブレイバーだ。
元の世界に帰れるなら、それが彼の幸せだと思う。そして、禍ツ魔獣を倒した時、そのチャンスがあるかもしれない事を、私はナツから聞いていた。
ユウトにもう会えないかもしれない。
このままお別れかもしれない。
そう実感した時、涙が一筋、頬を伝った。
そして、その時、私はようやく確信した。
私はユウトが好き。
その事に。
その事を自覚出来たことが、堪らなく嬉しかった。
だから。
崩壊していく塔で、再びユウトの顔を見た瞬間。
私は、そっと手を伸ばして彼の頬に触れていた。
泣いてしまった。
あの銀色のお嬢さまが見ている前で。
私は小さく溜め息を吐く。
ランタンの灯りが揺れる。
今はユウトと2人きり。
否が応でも意識してしまうのは、もう止められなかった。
足音が響く。ランタンが微かに軋む。
地下水が滴る音が、微かに聞こえた。どこかでヘビィラットが動いている音も。
しかし、それ以外は静寂だ。本当に、痛いほどの……。
「やっぱり夏奈たちがいないと静かだな」
ユウトがぼそりと呟いた。
「……そうね」
私も頷く。
「ユウト。その左の穴に入るわ」
「うお、こんなに狭いところにか?」
ユウトが体を横にして、狭い岩の間に体を滑り込ませて行く。私もその後に続いた。
「テミスの花はこの向こうか」
「そうよ」
「シズナはよく知ってるよな、こんな場所」
「まぁね。ずっと冒険者してるから」
気安いやり取りが心地良かった。
ナツナとリクはいない。
王直騎士団の騎士レティシアから声がかかり、今は王都にいるはずだ。
リコットとラウルは、航空船の整備に行っている。
モリソンは、インベルスト冒険者ギルドのマレーアさんのところにいる。なんでも、新しく始めるお店の事で、相談があるとか。
一緒に冒険した仲間たちは、今は、散り散りだ。
でもユウトは、ここに居てくれる。
ユウトとまたこうして旅が出来る事が、私は堪らなく嬉しかった。
ぽたりと水滴が頬に落ちる。
洞窟はますます狭くなり、私たちは一列になって横歩きしなければならなかった。
「そういえば、さ」
「ん?」
前を向いたままユウトが口を開いた。
「ポールトの街の冒険者ギルドで、他の冒険者に聞いたんだけどさ」
ポールトは、リムウェア侯爵家の隣、エバンス伯爵領の領都だった。2人になった私たちパーティーのここ最近の拠点だ。
「リムウェア領内で、銀髪のお嬢さまが馬に乗ってるのにすれ違ったらしいぞ。半端なく警戒されたって、笑ってた」
銀色……。
胸がズキリとする。
楽しそうに笑うユウト。
「……カナデさん、ね」
「多分な。この依頼が終わったら、久しぶりに顔を見に行こうか」
「そうね」
……少し妬けてしまう。
ユウトは、きっとあのお嬢さまが好きなんだ。
カナデさんは綺麗だし、凛々しくかっこいい。それなのに、妙に脇が甘いところがあって、ユウトにしたら守ってあげたいと思うのも納得できる。ましてや彼女は、ユウトと同郷のブレイバーだ。
ユウトが大切に思うのも無理はないと思う。
それに、出会った最初こそは男のような喋り方で驚いたが、もうカナデさんも立派なレディだ。
まるで男友達と話すように接していたユウトも、すっかり彼女を女性として意識している様だった。
……ああ。
やっぱり少し、妬けてしまうな……。
「おっ、光だ」
狭い洞窟の前方、岩の切れ目から眩い光が漏れていた。
鎧に岩を擦りながらも、私たちはやっと目的の場所に辿り着いた。
開けた広間。その遥か上方。天井の高いところから、光が降り注いでいた。
大地の切れ間から、陽光が射し込んでいるのだ。
その光が落ちる箇所にだけ密生する白い花。
洞窟内の湿気で濡れた葉と純白の花弁が、キラキラと輝いていた。
ほうっと息を吐いてしまう。
何度来ても、綺麗な場所だった。
「凄いな……」
ユウトもそう呟きながらしゃがみ込むと、そっとテミスの花に手を伸ばす。
「さあ、採取するわ。ユウト、袋を出して」
「ああ」
私たち並んでしゃがみ込むと、テミスの花を手折った。
この美しい光景を壊す事に少し後ろめたさも覚えるが、受けた仕事はきっちりこなさなくてはいけない。それにここは、私たち2人が採取したところで取り尽くせない程の花が群生している。
「でも、こんな花に、凄い報酬額だよな」
ユウトは手折った花を目の前でくるくる回した。
「どこかの街で、伝染病でも出たのかしらね。テミスの花は、煎じれば良い解熱剤になるから」
私はせっせと花を袋に詰めていく。
「ふーん。病院とか薬局とか無いから、不便だよな」
そう言うと、ユウトは私を見てにっと笑った。
「でも、シズナはさすがだな。こんな場所も知ってるし、花の事も詳しいし。頼りになるな、はははっ」
「はあっ……。のん気な事言ってないで、手を動かしなさい。まったく……」
「了解、了解」
花を摘みながら、私はユウトに背を向ける。
誉められちゃった……。
ふふっ、ユウトに、誉められたっ。
自然と笑顔になってしまう顔は、恥ずかしくてユウトには見せられない。
ふふっ。
この依頼の報酬が入ったら、ユウトと美味しいものでも食べに行こうかな。
その時。
ざっとユウトが立ち上がった。
険しい顔をして、黒の大剣を抜き放つ。
がさっと音がした。
私も花の入った袋を腰に縛り付けると、愛用の長剣を抜いた。
「シズナ」
耳を澄ませる。
「……ええ。何か来るわね。……複数。早いわ」
近付いて来る足音。
私達は武器を構える。
そして、暗闇の中からヘビィラットが姿を現した。
「ちっ。またネズミか……!」
ユウトがうんざりしたように吐き捨てる。
しかし……。
「まだまだ来るわ!」
私は鋭く警告を発した。
闇の中から、次々にヘビィラットが現れる。そして一心不乱に私たち目掛けて突撃して来た。
個々は取るに足らない相手だけれど、閉所であしらうには厄介な数だ。
私はユウトと並んで、ヘビィラットを待ち構える。
体当たりする勢いの巨大ネズミは、しかし私たちの直前で進路を変えた。
「お、なんだ?」
ヘビィラットたちが、私たちを避けるようにして走り抜けていく。
これは……。
「追われているの?」
私は、改めてネズミたちの来た方向に目を凝らした。
漆黒の闇。
光が届かない地の底。
その黒が、ぞわりと蠢いた。
そして、唐突に灯る赤い輝き。
濃い血のようにどす黒い赤が、幾つも現れる。
「……魔獣」
私は低く呟いていた。
あの塔での戦いで、禍ツ魔獣を滅ぼしてもなお、魔獣は世界に存在している。
遭遇率は低くなったとは言え、奴らは生ある者の敵として、確かにこの世界に存在していた。
カナデさんやマームステン博士が言うには、奴らは既にこの星の生態系に適合した種だとか……。
「魔獣か」
ユウトが、私でもぞっとするような声で吐き捨てた。
普段の優しいユウトの声ではない。
闇の中から魔獣が姿を現した。
トカゲ型が3……4体。
突然、私の髪が微風に揺れた。
えっ。
気がつくと、トカゲ型の隣にユウトが立っていた。
……見えなかった。ユウトの動きが。
ユウトの剣から、銀の光がほとばしる。その光が、黒の刃の上に一回り大きな剣を作り出した。
「ふっ……」
短く息を吐き、ユウトが剣を振り下ろした。
弾け飛ぶトカゲ型の首。
勢い余ったユウトの剣が激しく地面を削り、砕けた岩が飛び散った。
「……いけない」
私は辺りを見回した。洞窟全体が揺れた気がした。
ユウトの力が、強すぎる。
「ユウト!」
私が叫んだ瞬間。
もう一体ごと床面をえぐったユウトが、素手でさらにもう一体を掴み上げていた。そしてそのまま地面に叩きつける。地響きを上げて、トカゲ型が粉砕される。
最後の一体は、足に銀気を漂わせたユウトが、そのまま踏み潰してしまった。
圧倒的だった。
小型魔獣など、ユウトの相手にならない。
しかし。
ユウトが最後の一体を踏み抜いた瞬間。
ギジッと地面が悲鳴を上げた。
そして。
呆気なくユウトの足元が、どがっと崩れた。
ぽかんとした顔のユウトと、一瞬目があう。
「あれ?」
その呟きを残して、ユウトが陥没した地面の中に消えた。
「はあっ」
私は肩を落として、大きく溜め息を吐く。
もう、ユウトったら……。
調子に乗りすぎだ。
まだまだ私が側にいなくちゃ、ダメだ。
私は荷物の中からロープを引っ張り出した。
地面の下から聞こえて来るユウトの声に誘われて、私はするするとロープを降りていく。
陥没で出来た穴は、結構な高さだった。
たんっと穴の底に降り立つ。
私の腰に結びつけたランタンの光が、周囲を照らしだした。
そこは、なかなか広い空間だった。
それに、空間が澱んでいない。どこかに通じているのかもしれない。
「悪い、シズナ。油断した」
ユウトはさすが、全くの無傷だった。
照れ笑いしながら、頭を掻いている。
私は流し目でユウトを睨み、腕を組んだ。
「……まあ、無事だったから、いいわ」
もしかして怪我したんじゃないかとはらはらしていたのは、秘密だ。
「それよりシズナ。ここ、洞窟じゃないな」
ユウトが周囲を見回した。
私もランタンを掲げて見る。
つるりとした金属光沢の壁、そして床。
ところどころ崩れてはいるが、どう見ても人工物だった。
それも、この様子は……。
「遺跡ね。オルヴァロン遺跡と雰囲気が似ているわ」
「ああ。マームステン博士から、エバンス伯爵の領地辺りに古代の遺跡があるかもって話、聞いたよな」
「ええ。ここが当たりみたいね」
私たちの声が反響する。
未発掘の古代遺跡ともなると、その価値は計り知れない。
手付かずの古代の品が溢れているかもしれない。それこそ一財産築けるほどの……。
私も冒険者の端くれ。
心が疼かないと言えば嘘になる。
お金があれば、どこかに家を買って、その、ユウトと……。
「シズナ」
ドキっと身を震わせた。
「何?」
冷静に、冷静に……。
「遺跡を調べてみよう。もしかしたら、俺たちが元の世界に戻る手がかりがあるかもしれない」
……はぁ。
私は……。
「……慎重に行きましょう。何か仕掛けがあるかもしれないし、崩落の危険も忘れないで」
ユウトが神妙な顔で頷いた。
「ありがとう、シズナ」
「……いくわよ」
私は踵を鳴らすと、ユウトに先んじて歩き始めた。
もやもやとする胸の中を振り払うように。
ユウトの力にはなりたい。
でも、ユウトとは離れたくない。
どうすればいいんだろう……。
そっと胸に手を当てる。
私たちは、目に留まった部屋を片っ端から調べて行った。
直立したまま並ぶゴーレム兵器。
鏡のような、窓のようなガラス面が沢山並ぶ部屋。
二段ベッドが並ぶ部屋なんかは、船室を思い描いてしまう。
机のようなものはどれものっぺりしていて、その上には細かいスイッチが大量に並んでいた。
ハインドさんあたりに連絡すれば、大喜びしそうだ。
しかし、どの部屋も損傷している……。
「戦闘があったみたいね」
「……ああ」
一部は酷く壊れていた。刀傷ではない。何だろう、高熱を受けたような……。それに、瓦礫で埋まっている部屋もあった。
私たちは、遺跡の最奥部と思われる広い部屋に辿り着いた。
その部屋には、朽ちてはいたが、木の扉が残っていた。他の部屋よりも、まだ最近のもののような印象を受ける。
室内には、朽ちた天蓋のベッドや、装飾された木の机が配置されていた。
この部屋の用途は、私にもわかる。
貴族などの地位が高い者の私室のようだ。
「シズナ、これ」
室内を見回していると、部屋の隅でしゃがみ込んでいたユウトが声を上げた。
私はユウトに駆け寄ると、その手元を覗き込む。
「小型のゴーレム兵器、かな」
そこには、あまり見たことない機械が横たわっていた。
犬、いや、狼か。
四足歩行の動物の形をしている。
形は動物だが、金属的な光沢は他のゴーレム兵器と同じだった。
「まだ動きそうだな、これ」
ユウトがそのゴーレムにそっと触れる。
その瞬間。
ユウトの手を伝い、銀の光がゴーレム兵器を包み込んだ。
「ユウト?」
「い、いや、勝手に!」
ランタンの光を凌駕する目映さに、私たちは目を覆った。
「ガ、カガ……ガ、ピ、ガガ」
そして驚いたことに、目の前の朽ちた遺跡の一部が、ゴーレム兵器が、唸りを上げた。
ご一読いただき、ありがとうございました!