EXAct:騎士団2
地平線まで広がる青空は、随分高くなったように思えた。
秋も随分と深まった。
草原を吹き抜ける風はひんやりと冷たくなり、大地も色鮮やかな秋色に染まっている。
そんな穏やかな日差しの下を、リムウェア侯爵家専用馬車とそれを囲む2個小隊の騎士たちが、馬を進めていた。
カナデお嬢さまの侯爵領内巡視の隊列だ。
インベルストを発し、領内の主だった町村を訪問することになっている。
私は、その馬車ではなく、前を行く白い騎馬を窺う。
しゃんと延ばされた背筋に、騎士服が良くお似合いだった。キラキラ輝くような銀髪が、リボンと一緒に揺れている。
帯剣され、馬車ではなくご自分で馬を進められるカナデさまが、そっとスピードを落とし、私に並ばれた。
「カリスト」
「なんでしょうか」
「オステラの町まで、あとどのくらいですか?」
不安そうな表情のカナデさま。
「あと半時程でしょうか」
私がそう告げると、カナデさまは、はあっと小さく溜め息を吐かれ、目を伏せられた。
「……緊張、しますね」
そして小さく呟かれる。
最初の目的地はオステラの町であり、そこでは、市民たちを前にしたご挨拶の場が用意されていた。
インベルストには遥かに及ばないとは言え、それでも数百単位の人々が集まるだろう。
手綱を握りながら、挨拶の文言をぶつぶつ呟いているカナデさまに、私は思わず微笑んでしまう。
そこに騎士が1人、足並みを揃えて来た。
「大丈夫ですよ、お嬢さま!我らがおります!」
どんと胸を叩く騎士に、カナデさまが、ありがとうと微笑まれる。
……挨拶の場に我々騎士がいても、何の助けにもなれないのだが……。
「そうそう、群集なんぞ、畑の芋ですよ、芋」
別の騎士が振り返った。
「いつも我らにされるように、自信たっぷりに堂々と話されればいいんです!」
隊列の後方からも声が上がった。
「……ありがとうございます、みんな」
カナデさまが照れたようににこっとされる。
「でも私、いつも、そんなに自信たっぷりですか?」
「ええ、そりゃもう!」
「出撃前の演説なんて、もう勇ましいったらないですからな!」
「ええっ、そ、そうですか……」
恥ずかしそうに頬を染めるカナデさまに、隊列の中に笑いが巻き起こった。
私も、少し笑う。
私も含め、白燐騎士団の騎士たちにとっては、こうしてお嬢さまと一緒になって笑える事が何よりも嬉しかったし、誇らしかった。
普通、高貴なご身分のご令嬢と言えば、屋敷の奥に籠もり、下賤の者が接する機会など、ほとんどない。ましてや武器を持ち、血なまぐさいやり取りが生業の我ら騎士になど、話し掛けてももらえないのが常だった。
身罷られたエリーセお嬢さまも、お優しく気さくな方ではあったが、我々にとっては深窓のご令嬢であった事には違いなかった。
しかし、カナデさまは違う。
ある日突然やって来られたカナデさまは、エリーセお嬢さまと同じ顔をしながらも、我らに何の含みもなく接して下さった。
それどころか剣を取り、共に戦ってくださった。
武門の私に、そんなカナデさまの行動の是非を判断することは出来ない。
しかし、騎士団の皆からカナデさまが慕われているのは、そのお立場やその可憐な容姿だけでは、決してないということだ。
にこやかに談笑する騎士とカナデさまから目を離し、ふと馬車を見た。
馬車の車窓から、穏やかな表情のリリアンナさまが、こちらを見ていた。
ドキリとする。
どぎまぎして、視線が泳いでしまう。
すると今度は、何かを憂うようなカナデさまと視線がぶつかった。
「副団長」
そこに、声をひそめた1人の騎士が馬を寄せて来た。
隊列の前方に物見に出していた騎士だ。
「何かあったのか?」
「前方に武装集団。5名です」
体を緊張が走り抜ける。
「素性は?」
「隊商の護衛任務から戻る冒険者たちだと……」
私は眉をひそめた。
街道を行き来する冒険者は珍しくはないが、今はカナデさまもいらっしゃるのだ。用心に越したことはない。
頷く。
物見の騎士が再び馬車隊を離れ、先行していく。私はハンドサインを送り、2名に続くように指示を出した。
すぐさま2騎が駆けだして行く。先行し、一応その冒険者たちの警戒に当たらせるのだ。
私は秋色の草原を駆けていく騎馬を見送り、カナデさまに状況を報告すべく馬を進めた。
オステラの町は、深い山々と濃い森に抱かれた斜面の町だった。
林業が盛んであり、製材、木工細工などが主要産業である。
赤屋根の建物の間に広大な製材所が広がり、木材を運ぶために、通りが広めに作られているのが特徴的だった。
外壁をくぐると、つんっと新しい木の匂いが漂って来る。
その目抜き通り。
町の正門から市民長の館まで続くこの通りは、集まった住民たちで埋め尽くされていた。
みんな、カナデさまを一目見ようという者たちなのだろう。
カナデさまが騎乗された白馬が通過すると、感嘆と困惑のどよめきが起きる。
感嘆は、堂々たるお嬢さまのお姿について。
背筋を伸ばし、柔らかに微笑みながら手を振られるそのお姿は、気品と威厳に満ちていた。先ほどまで、緊張しますと不安そうにそわそわされていたお姿とは、別人のようだった。
そして困惑の声は、騎乗され、帯剣されていることについてだろう。
騎士の身分ならいざ知らず、侯爵家のご令嬢が、馬車ではなく自ら馬に跨っておられるのが、人々にとっては物珍しいのだ。
通りは緩やかに蛇行しながら登って行く。
労働者の憩いの場だろうか、簡素な軒の酒場を通過し、木工細工の土産物屋が立ち並ぶ一角を通過する。そして町の一番奥、小高い丘の上に立つ館の前で、この町の市民長がカナデさまを待ち構えていた。
「カナデさま。ようこそいらっしゃいました!」
市民長夫妻が頭を下げた。
「こちらこそ。盛大な出迎え、感動しています」
カナデさまが馬上から頷かれる。
対等の相手には失礼な振る舞いだが、ここは侯爵家の人間としての立場を示す必要があった。立場ある者は、時には尊大に振る舞ってみせなければいけない時もあるのだ。
カナデさまが下馬される。
市民長や町の代表たちが、カナデさまを取り囲んでしまう。
私は、騎士3人とリリアンナさまに声をかけた。
「リリアンナさま。今宵の逗留先の確認をお願いします。カナデさまはこのまま会談に入られるでしょうから、我々はお供致します」
「承知致しました」
リリアンナさまは頷くと、さっと踵を返し、他のメイドに指示を出し始めた。
「あの、リリアンナさま……」
その後ろ姿に意味もなく声を掛けてしまい、私は思わずはっとしてしまう。
「……何でしょうか?」
リリアンナさまが振り返り、眼鏡を押し上げると、すっと目を細められた。
「い、いえ……」
リリアンナさまが眉をひそめ不審そうに顔を曇らせてから、仕事に戻られる。
私は、はあっとため息を吐いていた。
……まだ、リリアンナさまと良く話せていない。
やはり、先日の件が……。
少し肩を落としながらも、私は顔を上げた。
そこで、真剣な顔をして私を見つめられていたカナデさまと目があう。
大きな瞳をそっと瞑るカナデさま。小さくため息を吐かれる。
「カリスト、行きますよ」
「はっ……」
私はカナデさまと共に、市民長の館に向かって歩き出した。
しばらくの休憩の後、カナデさまは、早速市民長との会談に臨まれた。
この町の名産である様々な木彫が並ぶ応接室に、騎士服の凛々しいカナデさまと、にこやかな笑みを浮かべる市民長が対峙される。
私はカナデさまの後ろに立ち、会談の模様を見守っていた。
一通りの社交辞令の応酬の後、メイドがお茶とお菓子を持って来た。
カナデさまが嬉しそうに顔を輝かされる。
市民長が、ほほほっと微笑んだ。
「いや、カナデさまのご活躍、我々リムウェア領民としては鼻が高いですな」
「いいえ、ボルシュ。魔獣騒ぎにかこつけて、こうして領内を回らせていただくのが遅くなってしまって、申し訳なく思っています」
市民長が笑い、苦笑いされたカナデさまが、カップにそっと口をつけられる。
そのカップを置くと、カナデさまはずいっと前に身を乗り出された。
「ボルシュ。私、この辺りの様子を見てみたいんです」
「ええ、もちろんですとも。案内役も用意しておりますから。細工の工房や製材所など、見ていただきたい所が沢山ございます。是非、是非」
市民長が、大仰に太い腕を広げて頷いた。
「オステラの周囲の村々も見て回りたいですね」
ぽつりと呟かれたカナデさまのお言葉に、はっと市民長が固まった。
カナデさまがこくりと首を傾げられた。
「いや、しかし、そのような場所、お嬢さまには、えー、その、相応しくないと……」
「いいえ、ボルシュ。市民長がいらっしゃるこの町が良く治まっているのは、承知しています。しかし、他の小さな村の状況も知っておきたいのです。そうした村々の様子は、インベルストにいては見えてこないですから」
「は、はあ……」
「それに、先頃から配布されている魔獣対策予算の執行状況も確認したいですね」
「あ、いや、しかしそれは、もう報告書を上げておりますが……」
市民長が大きな顔の汗を拭う。
「ええ、拝見しました。でも、実際に見てみないとわからない事もある。それに、こういう機会は滅多にありませんから」
カナデさまが微笑まれる。
柔らかな微笑み。
私は、内心驚いていた。
騎士団と共に戦列に立ち、共に戦うカナデさまは、良く存じている。
しかし、こうして政に携われているお姿を近くで拝見するのは、私には初めてだった。
老練な市民長を相手に渡り合うお嬢さまを見ていると、不意にガレス団長が言っていた言葉を思い出した。
「リムウェア侯爵領は、新しく生まれ変わるんだ。これからは、俺みたいな年寄りではない。カナデさまや、カリスト。お前たちが、侯爵領を背負っていくんだぞ」
引退。
騎士団長の。
そして、主さまの……。
私には、そんな日がもうすぐ来るような予感がした。
市民長の館で迎える夜。
私は呼び出しを受け、カナデさまのお部屋に向かっていた。
こんな夜更けになんだろうか。
館の中でも特に豪華な客間が、今晩のカナデさまのお部屋だった。
入り口には警備の騎士が立っている。彼らに労いの言葉をかけ、部屋をノックするが、反応はなかった。
……いらっしゃらないのか?
「副団長。どうぞ中へ」
警備の騎士が扉を開けてくれる。
「いや、しかし、女性の部屋に勝手に入るわけには……」
「カナデさまの命令なのです。副団長を入れるように、と」
カナデさまが?
ご命令では仕方ない、か。
私は恐る恐るといった足取りで、慎重に部屋に入った。
淡いランプの光が、飴色の調度品を艶やかに照らしていた。
微かに漂う甘い香り。
あの練兵場の出来事を思い出してしまい、胸の鼓動が早まる。
「失礼致します、カナデさま。カリスト、参りました」
声を掛けるが、反応はない。
辺りを見回しながら奥に進むと、木の輪切りをそのまま利用した大きなテーブルとソファーが並んでいた。
そのソファーの上で、カナデさまが寝息をたてられていた。
白いパジャマから覗く白い足。銀糸の髪は、お風呂上がりなのか、少ししっとりとしていた。
パジャマのお腹の上に乗ったままの本。
パジャマの猫のワンポイントが、胸の膨らみの上でゆったりと上下していた。
「カナデ、さま?」
反応がない。
さて、どうしようか。
ご用事があったようだが、明日にするか……。
しかし、こうして安らかなカナデさまの寝顔を見ていると、新しい侯爵領を背負って立つお方には思えなかった。
あどけない少女の寝顔……。
「どなたですか」
びくっとする。
鋭い声が隣室の方から飛んで来た。
なんとなくカナデさまの寝顔を見ていた私がはっとそちらを向くと、毛布を手にしたリリアンナさまが立っていた。
「カリストさま?」
「リ、リリアンナさま。すみません。カナデさまに呼ばれたものですから」
私は思わず後退する。
リリアンナさまは、そうですか、と低く呟かれると、ほっと息を吐いた。そして、静かに歩み寄ると、カナデさまの上に丁寧に毛布を掛けた。
リリアンナさまは、そっとカナデさまの髪に触れ、「お休みなさいませ」と小さく呟いた。
「リリアンナさま。お優しいのですね」
その光景に。
私は、思わずそう口走ってしまっていた。
リリアンナさまが勢い良く振り向く。そして眼鏡をくいっと押し上げた。
「い、いえ。職務、ですから」
普段あまり表情の変わらないリリアンナさまの頬が、微かに赤くなっていた。
思わず。
私は、笑ってしまう。
そんなリリアンナさまを見ていたら、嫌われたんじゃないかとドキドキしていた自分が、何だがとても滑稽に思えてしまった。
「リリアンナさまは、もうお仕事は終わりですか?」
「は、はい。何かご用命でしょうか?」
「いえ、よろしかったら、少しお茶をご一緒しませんか?」
私は、自然とそう言いながら、微笑んでいた。
リリアンナさまが眼鏡に手を添えられる。
「構いませんが……」
「では、よろしくお願いします」
私は、どうしてだろうか、何の気負いもなく笑う事が出来た。
リリアンナさまが、お茶の用意をしてまいりますと頭を下げると、私の横を通り抜ける。そして静かにカナデさまの部屋を出て行かれた。
その時には、もういつものリリアンナさまの表情に戻っていた。
ははっと笑う。
話すことは山ほどあるな。
明日からのこと。
インベルストに戻ってからのこと。
そして、これからの新しい侯爵領のこと。
……きっと、リリアンナさまとは、共に協力し、カナデさまを支えて行くことになるのだろう。
いつか。
きっと。
私もカナデさまの部屋を辞そうと、踵を返した。
「カリスト。リリアンナさんと仲直り、出来そうですか?」
静かな声。
どきっとして振り返ると、鼻まで毛布に埋もれたカナデさまが、嬉しそうに目を細めてこちらを見ておられた。
ああ。
……謀られたんだ。
私は悟った。
カナデさまは私とリリアンナさまが喧嘩をしていると思われ、それを取りなす為に、私を呼びつけられたのだ。そして、リリアンナさまと話す機会を与えてくださった。
……寝たふりまでして。
「お休みなさい、カリスト」
「……ありがとうございます、カナデさま」
毛布に包まれたカナデさまが、静かに目を閉じられる。
私はもう一度頭を下げる。
お嬢さまに。
我々の主に。
そして、リリアンナさまのもとに向かった。
読んでいただき、ありがとうございました!




