EXAct:片翼の女神の御前にて2
だんだんと明るくなる空。
朝焼けに照らされるインベルストの街並みは、快晴に包まれていた。
普段ならしんと冷えた空気に満たされる静かな早朝の街並みは、しかし今日に限っては、隠しきれない興奮の熱気がどこかで身を潜めているかのようだった。
教会の朝は早い。
日が登る前から全員で掃除を始めて、朝の祈りを行う。1日の最初の鐘を鳴らす頃には一般市民の方々もやって来るので、それまでに朝食も済ましておかなければならなかった。
今朝もそんな風に始まったのだけれど、やはりみんな、どこか浮ついた雰囲気でバタバタと走り回っていた。
それは、私だってそうだ。
起きて顔を洗う瞬間から、指先がじんっと痺れるような緊張感がずっと続いている。
だって今日は、晴れの日。
カナデちゃんの婚姻の儀が執り行われる当日なんだから。
「ユイさま。よろしゅうございますか?」
私の髪を整えてくれた若い尼僧さんが、鏡越しに問い掛けて来る。
「ありがとうございます。十分です」
私は彼女に微笑み返した。
婚姻の儀を執り行う事になる私も、今日は特別な衣装を身に着けなければならない。
いつもの僧衣の上に、祝福を表す純白の貫頭衣をまとい、規則に定められた様々な装飾品を身に付ける。祭礼式典用の正装。聖衣と呼ばれる衣装だった。
尼僧さんたちに全て任せながらも、寄ってたかって身なりを整えられていると、なんだか自分が今日の主役なのではと思えてしまう。
私は、ふふっと笑ってしまった。
「ユイさま?」
「すみません、大丈夫です」
私がこんな状態なら、カナデちゃんはきった大変だろう。
どれほど緊張しているのかしら。
カチコチになっているあの子の姿が、目に浮かぶみたいだった。
身支度を整えた私は、そのまま大聖堂に向かった。
やはり正装した大司教さまや、他の司祭さま方と一緒に、念入りに式の最終打ち合わせを行う。教会としても、リングドワイス王家が絡む式典で失敗する訳にはいかないから。
時間が経つにつれて、大聖堂も段々と賑やかになり始めた。
街の少年少女達で構成された合唱団がやって来て、式で披露する歌の練習を始める。祭典用の装飾が施された鎧を身に付けた騎士さん達が、各々の立ち位置をチェックし始める。
一般人の結婚式と違って、カナデちゃんもシリス殿下も公の立場がある人だ。参列者にも高貴な方が多く、警備体制も厳重だった。
式の後には、馬車で街中をパレードする予定もある。騎士さんたちは、そのパレードに参加することにもなっていた。
バタバタと落ち着かない時間は、何もしていなくてもあっという間に過ぎていく。
式の打ち合わせを終えた私は、最後にこっそりと大司教さまとお話する。ここからは、私の秘密の計画の打ち合わせだった。
実は、カナデちゃんの式に際して、私なりに考えている計画があった。
事前に根回ししておいたおかげもあって、大司教さまにも快く承諾をいただいた。
よし……。
私は祭壇の上の片翼の女神さまを仰ぎ見た。
どうか、カナデちゃんの思い出に残る式になりますように。
ライハイトさまと他数名の教会騎士の方々に付き添われ、私は大聖堂からリムウェアのお屋敷に向かった。
花嫁を生家から教会までエスコートするのも、担当祭司の役割だった。
一般的には教会の入り口でお出迎えするものだそうだが、古式作法に乗っ取り、私がカナデちゃんを迎えに行く。
新郎さんの方は、自らの家族と独自に教会へ向かうのだけれど、シリス殿下はカナデちゃんと同じお屋敷にいらっしゃるから、時間差で先にシリスさまが出発する事になっていた。
大聖堂とお屋敷を結ぶ通りは、既に沢山の人たちで溢れていた。
カナデちゃん配下の騎士さんたちと、私たちと一緒にシロクマ号でやって来た王直騎士団の騎士さんたちが、それぞれ警備に当たっていた。規則正しい隊列で、街路に溢れ返る群集を押し止めている。
まるで、インベルストだけじゃなくて、近隣の人々全てが集まって来ているような賑わいだった。
凄い熱気。
歓喜と祝福の興奮が、私にまで押し寄せて来る。
私が聖衣姿で前を通過するだけで、気の早い人たちから歓声が上がったりもした。
輝く鎧を身にまとい整然と並ぶ騎士さんたちの間を歩きながら歓声を浴びていると、少し落ち着いたかしらと思っていた興奮が、再び盛り返して来るみたいだった。
ふうっ……。
おかげで、リムウェアのお屋敷にたどり着いた時には、もう疲れてしまった私……。
いけない、いけない。
笑顔でカナデちゃんをお祝いしてあげなくちゃ。
私は、しかしカナデちゃんの部屋ではなく、まずはシリス殿下のもとに向かった。
ノックしてから殿下のお部屋の扉を開く。
「ああ、ユイか。今日はよろしく頼む」
良く通る声と共に、椅子に腰掛けていた白い人影が立ち上がった。
私は思わず息を呑んだ。
純白のタキシードにきゅっとタイを締め、黒髪を綺麗に撫でつけたシリス殿下。
そのお姿を形容するぴったりの言葉は、迷う余地もなく、まさに王子さま。
涼やかな目元ときっと引き結ばれた口元。その引き締まった表情は、シリス殿下の男性としての凛々しさを強調しているかのようだった。
今の殿下に目を奪われない女の子は、きっといないと思う。
「ユイ。聖衣がよく似合っているな」
「は、はい!あ、ありがとうございます……」
私としたことが、思わずドキリとしてしまう。
私は、自分を落ち着かせる様にゆっくりと返事をした。
少し取り乱してしまったみたいだ。
気を取り直して……。
「殿下。ご相談があります。婚姻の儀の事で」
私は秘密の計画の事を、シリス殿下に打ち明けた。
最初は面食らったように目を丸くしていた殿下だけれど、次第にその顔がニヤリと笑みを形作る。
「それは、ユイやカナデたちの世界の婚姻の儀では、当たり前の行為なのだな?」
「はい」
どうやらシリス殿下も、私の意を察してくれたみたいだ。
地球出身のカナデちゃんの式に、あちらの世界の風習を折り込みたいという思い。
私の提案は、私たち地球人には当たり前でも、ノエルスフィアの式では特異なことらしい。それに気が付いた時には、私もびっくりしちゃったのだ。
「ユイもなかなか過激なのだな」
共犯者めいた笑みを浮かべるシリス殿下の顔は、いつもカナデちゃんにちょっかいを出している時のような悪戯っ子のそれだった。私に向かって笑いかけているようで、その実はカナデちゃんを思っている顔だ。
……もう、私なんて眼中には無さそう。
私は肩を竦めて息を吐くと、今度こそカナデちゃんのもとへ向かうことにした。
躓かないように聖衣の裾を持ち上げて階段を下る。しかし足元に注意を払っていたおかげで、廊下の角を曲がったところで危うく人にぶつかりそうになってしまった。
「すまぬ」
低音の声がぼそりと響く。
廊下を所在なさげにうろうろしていたのは、リムウェア侯爵さまだった。
侯爵さまも既に礼装姿だった。細く引き締まったお体にパリッとした礼服は良くお似合いだったけど、眉間に深くシワを刻んだ、浮かないお顔だった。
侯爵さまはカナデちゃんの部屋の前まで行くとじっと扉を見つめ、またこちらへ歩いて来られる。
「う、すまぬ」
立ち止まっている私に再びぶつかりそうになって、また謝罪される。
……大丈夫かしら。
声も掛けづらかったので、私はそのままカナデちゃんの部屋に入ろうとした。
「……ユイ殿」
その私を、不意に侯爵さまが呼び止めた。
振り返る。やはり難しい顔をされている侯爵さまの鋭い視線が、私に突き刺さった。
「ユイ殿。我が娘をよろしく頼む」
低い声が轟く。
でも、優しい声。
カナデちゃんのお父さま。
やっぱりカナデちゃんは愛されているんだなぁと思ってしまった。
私は、にこりと微笑んで頷いた。
ノックしてからカナデちゃんの部屋の扉を開く。
もう幾度か訪れたことのあるお部屋に足を踏み入れて、そしてまた私は、言葉を失ってしまった。
部屋の真ん中に、お姫さまがいた。
ふわりと大きく広がった純白のドレス。幾枚もの薄布が複雑に重なりあったスカート。大きな花の意匠が印象的だ。肩と鎖骨のラインが露わな胸元は、健康的な美しさと優美なラインを描き出している。透き通るような銀色の髪はふわりと丁寧に結い上げられていて、その上には煌びやかなティアラがちょこんと乗せられていた。
可憐で、優雅で、華やかで。
カナデちゃんのウェディングドレス……。
その存在感は、立派に整えられたカナデちゃんのお部屋ですらふさわしくない。
でも……。
私はむむっと眉を寄せた。
なんでカナデちゃんは剣を構えているのかしら?
「ユイさま。本日はよろしくお願い致します」
唖然としたままカナデちゃんに見とれていた私に、部屋の隅に控えていた眼鏡のメイドさんが頭を下げた。リリアンナさんというお名前のメイドさんだ。
「あ、はい。こちらこそ」
私も頭を下げる。
その声でやっと私に気が付いたのか、構えた剣を下ろしたカナデちゃんが、はっと私を見た。
潤んだ緑の瞳が、私を捉える。
普段はほぼノーメイクのカナデちゃんだったけれど、今日はきちんとお化粧をしていた。それだけで普段の可愛らしさと同時に、エレガントな大人の女性の美しさも醸し出していた。
薄くルージュが引かれた形の良い唇が、何か言葉を紡ごうとして、しかし恥ずかしそうにキュッと引き結ばれてしまう。
「カナデちゃん」
私はカナデちゃんに歩み寄ると、その華奢な背にそっと手を回して、軽く抱き締めてしまう。
「とっても綺麗ね。お姉ちゃん、びっくりしちゃった」
カナデちゃんが恥ずかしそうに私を見上げて、少しだけ微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
カナデちゃんの甘い香りが鼻孔をくすぐる。
ああ……。
このまま持って帰って、お部屋に飾っておきたいな。
「ゆ、唯姉?」
名残は尽きなかったけど、私はそっとカナデちゃんを解放した。
「カナデちゃん。でも、どうして剣なんか持ってるの?」
私はカナデちゃんの手に握られた剣に視線を落とした。
「えっと、しゅ、集中してたんでふっ!」
あ、噛んだ……。
気まずそうに視線を漂わせたカナデちゃんが、改めて私を見る。
「出陣前に意識を集中して、戦場の分析と傾向、対策を練っていたんです。ははっ、何ででしょう。剣の柄を握ると、意識が研ぎ澄まされて、大丈夫、勝てるって気持ちになれるんです。今までやって来た鍛錬は無駄じゃなかったって……」
早口で言葉を並べるカナデちゃん。
勝つって、何にかしら?
良くわからないけれど、やっぱり緊張しているのには違いない。
剣を握って集中するなんてカナデちゃんらしいけど、でも式場に剣を持って行く訳には行かないよね?
「大丈夫」
私は純白の長手袋に包まれたカナデちゃんの手を、ゆっくりと包み込む。そして、ぎゅっと力の込められた指を開いて、剣を奪った。
思ってたよりもずっしりと重い剣を、そっとリリアンナさんに手渡す。
「大丈夫よ、カナデちゃん。私がついてるから」
「唯、姉……」
大きな瞳が気恥ずかしさと緊張で揺れている。でもそこに、迷いや後悔の色は感じられない。
真っ直ぐに私を見つめて来る瞳。
何事にも真摯に、真正面から取り組もうとするのが、昔から変わらないカナデちゃん。私の良く知っているカナデちゃんなんだ。
ふふっと、私は笑みを浮かべる。
私も、いつまでもこんなカナデちゃんに頼りにされるお姉ちゃんでいたい。ここは、お姉ちゃんがしっかりしなくちゃ。
「まだ時間はあるわ。式の手順を、もう1度私と確認しましょう」
「は、はいっ」
コクコクと頷くカナデちゃん。
式の流れはこうだ。
まず、先行したシリス殿下が、大聖堂前で王直騎士団と王妃さまから祝福を受ける。その終了に合わせて、私がエスコートするカナデちゃんが大聖堂に到着。待ちかまえていたシリス殿下とカナデちゃんを引き連れて祭壇まで進む。
みんな一緒に聖歌を歌い、次は私の有り難い説法。説法と言っても、特定の教典を読み上げるだけだけれども。
それに続いて、新郎新婦の後見人たちからお祝いの言葉が送られる。今回は、まずシリス殿下のお父さま。つまり前国王陛下。その次にカナデちゃんのお父さん。リムウェア侯爵さまの番になっていた。
祝辞が終わると、私の質問と新郎新婦の誓いの答礼。
最後に女神さまへの宣誓書にサインして、指輪の交換行って終わり。
「ほら。何も難しい事は無いでしょう?」
銀糸の髪にそっと触れて、私は頷きかけた。
カナデちゃんが少しだけ目を瞑り、そして、頷き返してくれる。
「カナデさま。ユイさま。そろそろお支度を」
そこへ、リリアンナさんが静かに時を告げた。
「さぁ、カナデちゃん」
私は手を差し出した。
そこに、ちょこんと自分の手を乗せたカナデちゃんがしっかりと頷いた。
「……行きます!」
リリアンナさんと私に先導されたカナデちゃんが歩みを進める。
ふわふわと揺れるドレス。
それはまるで、動くお人形さんみたいだ。物語の一幕の様に、お姫さまが行進するファンタジックな光景だった。
その行進の途中。色黒の男性が、ニカッと白い歯を見せて私たちを待ち構えていた。
「ハインド主任」
カナデちゃんが声を上げる。
「やあ、カナデお嬢さま。今日は私が撮影手を務めさせてもらうよ」
ハインドさんは小脇に抱えた犬型ロボ、えっと、わん太郎をこちらに向けた。
「残念ながら僕の修復では、自律追尾までは厳しいからね」
「記録なんてしなくても……」
カナデちゃんの抗議は、軽く受け流されてしまった。
私たちは、時間をかけてお屋敷のエントランスに到着する。
その瞬間、エントランスホールにずらりと整列した使用人の方々から、万雷の拍手が巻き起こった。
柔らかな笑みを浮かべて頷く執事のお爺さん。カナデちゃんを指差しながらぴょんぴょん飛び跳ねているメイドの女の子。コック服のおじさんは太い腕で目元を拭っていたし、庭師と馬丁のお兄さんたちは、肩を組んで何度も拳を突き上げていた。
カナデちゃんを祝福する無数の声。
「エリーセさまぁ、見てらっしゃいますかぁぁ!」
祝福に混じって、ショートヘアのメイドの女の子が、そんな声を漏らすのが聞こえた。
カナデちゃんに聞いた事がある。
リムウェア侯爵家は、エリーセさんを失って一度お家断絶の危機に直面したと。
だからこそみんな、リムウェア侯爵家ご令嬢が晴れの日を迎えられた事が、一際感慨深いのだと思う。
使用人の方々に包まれながらエントランスをゆっくりと進むカナデちゃん。はにかんだ笑顔で手を振って、感謝の言葉を返している。
そして、正面扉の前。
カナデちゃんは、歩みを止めた。
そこには、鋭い眼光のレグルス・リムウェア侯爵さまが待ち構えていらっしゃった。
「お父さま……」
父娘の視線が交錯する。
「我が娘のこのような姿を見れようとはな……」
掠れた声の侯爵さま。
「お父さま、今まで色々とお世話に……」
「世迷い言は許さぬ」
カナデちゃんの言葉を遮るように、突然侯爵さまは、くるりと踵を返してしまった。そして、すっと腕を差し出しされる。
「今までも今日も明日からも、カナデはリムウェアの娘だ。それは変わらぬ」
「お父さま……」
2人のやりとりを見ていると、私も、家族っていいなと思ってしまう。私も、お父さんやお母さんに会いたくなっちゃう……。
感謝と尊敬の眼差しで、そっと父君の腕を取るカナデちゃん。
侯爵さまはカナデちゃんの方を見ずに斜め上を向いていたけれど、私からはばっちり見えてしまった。
厳めしい侯爵さまのお顔が、必死に涙を堪えている様子に。
思わず私は、家族に会えない寂しさも忘れて、ふふっと笑ってしまった。
侯爵さまとカナデちゃん、それに私は、お屋敷の前に止められたオープンカー仕様の馬車に乗り込んだ。礼服を着込んだ御者さんがカナデちゃんの手を取りながら、優雅に一礼した。
「参ります」
「お願いします、フェルド」
カナデちゃんの声で、四頭立ての白馬に手綱が打たれる。
ゆっくりと動きだす馬車。
執事のおじいちゃんとリリアンナさん以下使用人の方々の歓声に見送られて、私たちはお屋敷を後にする。私たちの後からは、わん太郎を持ったハインドさんが付いて来る。
「私がカナデさまをこのお屋敷にお連れした時の事、覚えてらっしゃいますか?」
御者台のフェルドさんが顔だけ振り返った。
「はい。もちろんです」
カナデちゃんが少し遠い目をして頷いた。
「まさかあの時は、こんな日を迎える事が出来ようとは思ってもおりませんでした」
そっと微笑むフェルドさんに、カナデちゃんは柔らかな笑顔を返した。
馬車は庭園から行政府へ。
道の両脇には、儀礼用の煌びやかな鎧に身を包んだ騎士や兵士の皆さんが等間隔で並んでいる。彫像のように不動の姿勢を保つ騎士たちがずらりと並ぶ光景は、まるで荘厳な神殿の中を進んでいるかのようだった。
行政府の周りには、また人だかりが出来ていた。
フォーマルな衣装の方々が多いのは、お役所で勤めている人たちが集まっているからかな。
私たちの馬車は、再び大きな拍手に包まれる。
湧き上がる歓声に応えるように、カナデちゃんが手を振った。その所作がとても優雅で、本物のお姫さまなんだなぁと改めて思ってしまう。
カナデちゃんから集まった人たちに視線を移して、ふと違和感を覚える。
列の一番前に立ったひょろりとしたおじさんだけが、拍手もせずじっとこちらを見つめていた。
「主席執政官……」
カナデちゃんも気が付いたみたいだ。
2人の視線が交わった瞬間、無表情だったおじさんが一瞬だけ微笑んだような気がした。
「カナデ。城門を出るぞ」
驚いたような表情を浮かべていたカナデちゃんに、侯爵さまが声をかけた。
「この先には民が待ち構えている。リムウェアの花嫁に恥じぬ威厳を示せ」
「はいっ」
カナデちゃんが真面目な表情で居住まいを正した。
可愛いらしいお姫さまスタイルにその厳しい顔が面白くて、私はそっと微笑んでしまう。
馬車が城門を通りぬける。
眩い陽光に輝く街並み。
輝く鎧の騎士たちが並び、その騎士たちに押し止められた黒山の人だかり。
瞬間。
声が爆発した。
祝福と歓喜と羨望と。
そのあまたの声が、カナデちゃんを包み込む。
静かに透き通る歌声が、神聖な大聖堂の中から響いて来る。七色に輝くステンドグラスが光を落とす中、それぞれの礼装に身を包んだ参列者たちが、新たな門出を迎える青年と少女の来場を待ちわびている。
大聖堂の前で花嫁を待ち構えていたシリス殿下が、馬車から降りるカナデちゃんの手を取った。
エスコートの役目を終えた侯爵さまが、一瞬だけシリス殿下と視線を交わす。
微かに頷き合った2人の間には、どんな思いが行き交ったのだろう。
「綺麗だ、カナデ」
「礼服似合ってますね、シリス」
囁き合う2人。
その笑顔は何よりも眩しく思えてしまう。
2人の前に、私が立つ。
「では、参りましょう」
新郎新婦を引き連れた私は、神聖な空気に包まれた大聖堂に足を踏み入れた。
柔らかなオルガンの音色。高まるソプラノの歌声。
古い彫刻と整然とした装飾が施された大聖堂。その中央に敷かれた赤い絨毯の上を、起立した参列者に見守られながら、私たちはゆったりとした歩みで進んで行く。
近隣諸侯の方々。侯爵領の市民長さんたち。ギルドの幹部さんや上級騎士さん。王都や遠方からやって来た貴族もいれば、王統府の重鎮たちもいらっしゃる。
どの方がどの方なのか私にはわからないけれど、事前に確認した出席者リストには、名だたる方々が名を連ねていた。
祭壇に到達する。
私が一段上の壇上に上がると、カナデちゃんとシリス殿下が私の前に並んだ。
しっかりと手を握りあう2人。
緊張した面持ちのカナデちゃんは私の事を見つめていたけれど、シリス殿下は優しい眼差しで隣のカナデちゃんを見つめていた。
殿下は、もう愛しくて愛しくて堪らないといった感じだった。
ふうっ。
呆れ気味に、私はそっと溜め息を吐いた。
参列者の方に目を移す。
新郎新婦のすぐ後ろ。参列者最前列に並ぶのは、カナデちゃんとシリス殿下の家族や親族たち。
左手には、前国王陛下と前王妃さま。そして王妃フィオナさまとルナルワース殿下。他にもリングドワイスの親族の方々が参列されていた。
右手には、自席についたリムウェア侯爵さま。リムウェア侯爵家は既に侯爵さまとカナデちゃんしかいないそうだけれど、その隣に並ぶ者はいた。
優人ちゃんと夏奈。陸だ。
みんな、着慣れない感が滲み出ている礼服姿だった。
みんなは、侯爵さまのご配慮で、親族席で参列する事を許されていた。
陸はこういう場所が気恥ずかしいのか、照れ隠しのようにしきりに夏奈に話しかけている。
夏奈はうっとりした顔で、キラキラした目をカナデちゃんに向けている。
優人ちゃんは無表情だ。ただじっと、カナデちゃんの背を見つめていた。
私はみんなにそっと頷きかけてから、すうっと息を吸った。
「それでは、これよりシリスティエール・レナス・リングドワイスと、カナデ・リムウェアの婚姻の儀を執り行います!今日この日。この場に集って下さった方全てが、この新しく生まれるご夫婦の誓いの立会人となられます!これより共に歩む2人に、祝福を!」
オルガンの曲調が変わる。
カナデちゃんもシリス殿下も私も、式場のみんなが声を合わせて聖歌を歌う。
堅苦しい曲じゃない。
昔自らの身を投げ打って世界を守った女神さまに感謝の念を抱いて、女神さまの尊い行いに恥じぬよう、精一杯生きていこうという歌だった。私が司祭さまと回っていた小さな村の教会でも歌われていた歌だ。
歌が終わると、私は定められた説法を始める。
内容を正しく伝えるのももちろんの事だけど、お腹に力を込めて、式場全体に話が行き渡るように声を張り上げた。力を込めているせいか、すぐに額にじわりと汗が滲み始めた。
カナデちゃんは真っ直ぐに私を見て話を聞いてくれていた。時々、うんうんと肯いたりしもしていた。
ホントに真面目な子……。
シリス殿下なんて、相変わらずカナデちゃんを見つめたまま、繋いだ手をにぎにぎしたりしているのに。
「女神さまは倒れ、大地と1つになられました。しかしそれは、女神さまの死を意味しているのではありません。女神さまは大地と共に、常に私たちと共にあるのです。女神さまが見ていらっしゃるこの世界で、私たちは生きて行くのです。神の御使いと呼ばれた女性が、自らの足でしっかりと立ち、自らの足で人生を歩んだように、私たちも明日へと進んでまいりましょう」
話を締めくくる。
……はぁ。ちゃんと話せた。
私にとっては、この長い長いお話が一番の懸念事項だった。それが終わった今、胸を締め付けていた緊張感が、心地よい疲労感に変わって行くのが分かった。
続いては各後見人さんからの祝辞だ。
おもむろに、前王陛下が大きな体でむくりと立ち上がった。
「シリス。カナデ。おめでとう」
低音の声が式場に響き渡る。
沈黙。
誰もが次の言葉を待つが、前王陛下はそのまま座ってしまった。
……あれ、それだけですか?
「あなた……。ごめんなさいね、カナデちゃん。シリス」
困り顔で前王妃様が立ち上がった。
「この人はいつもこうなの。シリス。妻にこの様に気を揉ませる夫になってはいけませんよ」
式場に小波のような笑いが広がった。
シリス殿下はため息を吐いて額を抑えている。カナデちゃんは口元に手を当ててふふふっと笑っていた。
でも、前王夫妻のやり取りで式場の空気が変わった。
神聖で厳かなのはそのままに、どこか柔らかで和やかな雰囲気が漂い始める。緊張しっぱなしといったカナデちゃんも、笑顔を浮かべるようになっていた。
続いてのリムウェア侯爵さまの挨拶では、またじんっと涙を滲ませるカナデちゃん。
その涙を、そっとシリス殿下が拭う。
その動きはあまりにも自然で、違和感もぎこちなさも微塵も感じられなかった。
……もう。うらやましい限り、ね。
「では、新郎新婦の方々。改めて問います」
私は2人に向かって問い掛ける。
「新郎シリスティエール・レナス・リングドワイス。あなたは、カナデ・リムウェアを愛していますか?」
「もちろんだ」
即答するシリス殿下。
「カナデ・リムウェア。あなたはその愛を受け入れる覚悟はありますか?」
カナデちゃんが私を見る。
私は目を細め、カナデちゃんの言葉を待った。
「はい」
鈴の音のように高く透き通った声が、力強く大聖堂に響き渡った。
視界の隅で、リムウェア侯爵さまと優人がくしゃくしゃにした顔を並べているのが見えた。
「ならば誓いなさい。今日この場で。片翼の女神の御前にて!」
この場の誰もが、2人が紡ぎ出す次の言葉を待っているのがわかった。
「俺、シリスティエール・リングドワイスは」
「私、カナデ・リムウェアは」
2人の言葉が重なる。
「カナデを生涯の伴侶とし」
「シリスを生涯のパートナーとして」
肯く前王夫妻に、微笑む王妃さま。
「最期を迎えるその時まで」
「何事があったとしても」
夏奈が泣いていた。
陸が、恥ずかしそうに顔を背けている。
「妻を守り」
「剣を並べて」
私も息を呑む。
手を繋いだカナデちゃんとシリス殿下。
2人の目に宿る力。
未来に繋がる光。
「一緒に歩んで行くことを」
「一緒に歩んで行くことを」
ここに、運命の糸が結ばれる。
「「誓います!」」
歓声。
拍手。
祝福の言葉。
大聖堂が震え、インベルストが震えている。
今、確かに変わった。
小さな事かもしれないけれど、私たちの世界は、この瞬間から変わった。
「確かに、聞き、届けました」
震えてしまった私の声は、容易く歓喜の嵐の中に飲み込まれてしまった。
司祭さまたちが持ってきてくれた宣誓書にサインする2人。続いて、シリス殿下が事前に準備していた指輪を互いの指にはめる。
カナデちゃんは目を大きくして、自分の指に輝く銀色の指輪をじっと見つめる。それからシリス殿下の顔を見上げた。
シリス殿下がニヤリと笑みを浮かべて頷いた。
カナデちゃんの顔が、内側から浮かび上がって来るように、みるみる笑顔に変わって行く。
踵を返して参列者に向き直ると、かばっと頭を下げたカナデちゃん。シリス殿下もそれに習う。
再び盛大な拍手が巻き起こった。
「唯姉、ありがとう」
カナデちゃんが私を見た。
私は、そっと首を振る。
カナデちゃんはこれで式が終わりだと思っているだろうけど……。
ここからが私からの贈り物。
秘密の計画を実行に移す時だ。
「最後に!」
私は声を張り上げた。
歓声と拍手が轟く式場に、まだ何かあるのかと怪訝な空気が漂う。
それもその筈。
一般的な式ならば、ここで終わりなのだから。
「最後に!新郎新婦は……」
私は言葉を切る。
そして。
「誓いのキスを!」
式場がどよめいた。
こちらの世界では、結婚式でキスを交わす習慣はないらしい。
だったらここからは、地球式ということで。
なんたってカナデちゃんは、私たちと同じ地球からやって来たブレイバーなのだから。
シリス殿下が、カナデちゃんの肩を掴んで引き寄せる。華奢なカナデちゃんは、あっという間にシリス殿下の腕の中へ。
カダンと音を立てて、優人と侯爵さまが立ち上がった。2人は何故か肩を組み、揃って泣きそうな顔をしていた。
しかし一番狼狽えているのは、もちろん、カナデちゃんだ。
「ゆ、唯姉ぇっ!そんなの聞いてないですっ!」
殿下に肩を掴まれたままのカナデちゃんが、真っ赤になった顔をぶんぶんと振った。
「あら、結婚式なんだから、誓いのキスは当たり前でしょ?」
私は笑顔で抵抗の無意味さを伝える。
「だ、だって、こんな人前で!」
「もう夫婦だもん。恥ずかしくなんか無いわ」
ふふふっ。
狼狽するカナデちゃん、可愛らしい。
「シ、シリスも、こんなところじゃ嫌……」
同意を求めるようにカナデちゃんがシリス殿下を見上げた瞬間。
ふわりと。
2人の顔が重なった。
鐘楼の鐘が鳴る。
祝福の声が響き渡る。
互いに抱き締めあう2人。
季節は移ろい時間は流れても、私は今日の事を絶対わすれないだろう。
おめでとう、カナデちゃん。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました!




