表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/35

EXAct:片翼の女神の御前にて1

 流れ行く初秋の爽やかな風がふわりと髪を揺らす。もうすっかり着馴れてしまった黒い僧衣の裾が、大きくはためいていた。

 私は、上甲板の手すりを握り締めながら、流れていく世界を見つめる。

 残念な事に空は薄雲に覆われていたけれど、そこから差し込む光の柱が幾柱も大地に降り注いでいた。

 なだらかな起伏を描きながらどこまでも続く草原。そこに点在する森。細く煙の筋が立ち登っているのは、村があるからかしら。

 遠くシルエットとなって連なる山々。

 目的地であるインベルストは、あの山の向こう。

「ユイさま。何を見てらっしゃるのですか?」

 私の隣に駆け寄って来たのは、オレンジのドレスをはためかせたルナルワース殿下だった。

「殿下。スピードが出ていますので、危ないですよ」

 私は頭を下げてから、そっとご注意して差し上げる。

「私、陸上船の旅って初めてなんです!凄いです!」

 殿下は顔を輝かせながら、手すりの間から下方を覗き見た。

 私はヒヤヒヤしながら、その背を支えて差し上げる。

「うわ。速いんですね!」

 遠方の風景はゆっくりと流れていても、私たちを乗せた陸上船が踏みつける大地は目が回る程のスピードで後方に飛んでいってしまう。

 私とルナルワース殿下は、この陸上船シロクマ号に乗り込んで、リムウェア侯爵領の都インベルストを目指していた。

 乗員は、私たちの他にもいる。

 王妃のフィオナさま。

 ルナルワース殿下のお母上。

 どちらかというと、そちらがメインなのでしょうけど……。

 この船には、この国で最大級の要人が乗り込んでいるんだ。

 王妃さまもルナルワース殿下も目的は同じ。そして少し異なるけれど、私の目的もだいたい同じだった。

 王妃さまとルナルワース殿下を護衛する王直騎士団近衛隊。それに、大袈裟にも私を護衛するためだと王都の教会が派遣した教会騎士団。

 シロクマ号は今、なかなかの大所帯だった。

「ユイさまはインベルストのお祭りをご覧になったこと、おありですか?」

 ニコッと楽しそうな笑顔を浮かべたルナルワース殿下が、私を見上げた。

「いいえ。きちんと見たことはないんですよ」

 私は微笑みながら、風で乱れた殿下の髪を直して差し上げる。

「だったら、きっとびっくりすると思います!色んな飾りの車が出て来て、凄いんですよ!」

 目を輝かせて力説するルナルワース殿下に、私はそっと相槌を打った。

「でも、今年はお祭りが目的じゃありませんよね。ふふふ。カナデお姉さまのウェディングドレス、凄く楽しみなのです」

 ふんふんっと楽しげに首を振る殿下。

 そう。

 私と王妃さま。それにルナルワース殿下がインベルストを訪れる理由。

 それは、カナデちゃんの結婚式。

 王妃さまと殿下は結婚式に出席するために。私は、カナデちゃんとシリスさま、双方から婚姻の儀の立ち会いをお願いされ、インベルストを目指しているのだった。

「ルナルワースさま。フィオナさまがお呼びです」

 背後から声が掛かる。ルナルワース殿下お付きの女性騎士だ。

「わかりました、アリアス。ユイさま。失礼致しますね」

 可愛らしく膝を折って挨拶したルナルワース殿下は、てててっと騎士と一緒に船内へと駆けて行った。

 私は甲板の手すりを握り締めながら、再び眼前の風景に目を向ける。

 はあっと、溜め息を1つ。

 カナデちゃんの結婚式のお話。

 正直、複雑な心境だった。

 別に、何か不満があるわけじゃない。

 シリスさまは、少し強引で気取ったところもあるけれど、良い方だ。女の子になってしまったカナデちゃんが、女の子としてシリスさまを受け入れるのなら、私はもちろん応援してあげる。カナデちゃんの思うままにと背中を押してあげたのも私だし。

 弟、……いいえ。

 妹みたいに思って来たカナデちゃんの幸せは、私の心からの願いでもあるのだから。

 ……でも。

 何年経っても、私の中ではカナデちゃんは奏士で、その奏士が結婚してしまうということが……。

 えっと、ううん。

 違うわね。

 それは、重要な事じゃない。

 カナデちゃんはカナデちゃん。

 私が感じているのは、カナデちゃんが遠くに行ってしまうような喪失感。

 結婚は、ただ愛する人と結ばれるだけじゃない。これまで所属していた場所から出て、新たなパートナーと新しい自分の場所を作るという事だと思う。

 カナデちゃんが結婚して、シリスさまと家庭を築くという事は、このノエルスフィアという世界に確固として根を張るという事。つまり、異世界人である私たちとは袂を分かち、完全にこの世界の人間になってしまうということ……。

 結婚してもカナデちゃんがどこへ行くわけでもない。きっとインベルストのあのお屋敷にいてくれるだろう。私や優人ちゃんたちへの態度が変わる事も、きっとない筈。

 でも、形容し難い喪失への予感が、私の胸をざわつかせる。

 ……駄目。

 私はまた溜息を吐いた。

 祝福、してあげなくちゃ。

 これは、誰に強いられた訳でない。カナデちゃんが自分で決めた事なのだから。

 私は目を瞑り、胸に吊らした教会のシンボル、片翼のペンダントをギュッと握り締めた。

 ああ……。

 娘を送り出す母親の気持ちというのは、こういうものなのかしら?



 王妃さまと私たちを乗せたシロクマ号は、お祭の前日にインベルストに到着した。

 もちろん大きなシロクマ号で街中に入る事は出来ないので、ロストック大河に浮かぶ桟橋に船を付け、そちらからインベルストへ上陸する事になった。

 カナデちゃんたちが初めて王都へと旅立つ時、私はこの桟橋からカナデちゃんや優人ちゃんやみんなを見送ったっけ。

 あの時の事は良く覚えている。

 私には私のすべき事がある、なんて格好付けちゃったけど、本当は寂しくてたまらなかったのだ。

 せっかく再会出来たカナデちゃん、優人ちゃんに夏奈。

 またみんなと別れるのが、本当に心細かった。

 ……でも、私はみんなの中で一番お姉ちゃんだもん。くよくよしているところなんて見せられなかった。

 それに、カナデちゃんがリムウェア侯爵さまに義理を尽くそうとしたみたいに、私にも側にいて役に立ちたいと思える大切な人がいた。

 この世界に放り出された私を救ってくれた人。

 ルファウス司祭さま。

 司祭さまは、私に沢山の事を教えてくれた。

 この世界のこと。教会のこと。銀気の力の扱い方、癒しの術。

 カナデちゃんたちが見つかったからといって、司祭さまに背を向けるなんてことは、私には出来なかった。

 白くなり始めた金髪を後ろに撫でつけて、眼鏡の向こうで微笑む司祭さま。もうかなりのお年なのに、きっと今も小さな村々を回って、人々を助けていらっしゃる筈。

 司祭さま。

 変わらずお元気でしょうか?

 インベルストに到着した私たち、そのまま迎えの馬車に乗り換えて街中に向かった。お出迎えはカナデちゃんのお父さま、リムウェア侯爵さまだった。

 王妃さまの様なVIPのお出迎えなら、ご当主さまが出て来るのは当然。でも、どうやらカナデちゃんは、ご当主さま不在の間の仕事をしているらしくて、この場では会うことが出来なかった。

 少し残念。

 でも、インベルストの街中の様子を見てしまえば、カナデちゃんたちが多忙なのも納得してしまった。

 祭りの見物客や商機を逃すまいとする商人たちで、大通りはごった返していた。

 凄い熱気だった。

 騎士さんたちの先導がなければ、私たちの馬車も前に進めなくなるほどだ。

 きっとこれだけの人が集まると、色んな問題や仕事が生じて来るんだろうなと思う。

 直ぐ近くを大勢の人たちが歩いて行く車窓に視線を送りながら、カナデちゃんが式の前に倒れてしまわないかしらと考えてしまった。

 活気ある市街地をなんとか通り抜け、坂を登って大聖堂に到着すると、王妃さまやルナルワース殿下とは一旦お別れになった。

 王妃さまたちはそのままリムウェア侯爵さまのお城へ。私は、インベルスト教区の本部である大聖堂に入った。

 インベルストの大聖堂は、この街で1、2を争う古い建物らしい。昔のリムウェア侯爵さまがこの街に引っ越してお屋敷を構えるまでは、この辺りで一番大きな建物だったということだ。古い石造りに、精緻に刻まれた彫刻。快晴の青空を突く鐘楼からは、時刻を告げる鐘の音が、あまねくインベルストの街に響き渡っていた。

 私は、大聖堂に隣接するインベルスト教区の建物で部屋を借りる事になっていた。教会の施設なので、必要最低限の家具だけがある簡素な部屋だ。

 さて。

 その部屋で旅装を解いて息を吐きながら、私はこの後の予定について考える。

 明日はインベルスト豊穣祭の本番。夜には侯爵家でダンスパーティーがあり、私も招待されていた。そしてお祭りのメインイベント、山車のパレードと花輪投げ。その後、お祭りに引き続いて、カナデちゃんの結婚式が執り行われる予定だった。

 まだ時間はあるように思えて、きっと式まではあっと言う間。

 今の内に、インベルスト教区の方々や侯爵家側と打ち合わせをしておかなくちゃ。私も侯爵家の結婚式なんて大きなイベントに出るのは、初めてだから。

 はぁ……。

 私は頬に手をあてて溜め息をついた。

 なんだか、カナデちゃんじゃなくて私の方が緊張して来ちゃうな……。

 その時、控え目なノックの音が響いた。

「どうぞ」

 返事をすると、金髪を短く刈り込んだ騎士が顔を見せた。涼やかな碧眼が私を捉え、恥ずかしそうに直ぐに逸らされる。

 あらあら。

「ユ、ユイ殿。お疲れのところ申し訳ありません!」

 見たところ同年代に見えるこの騎士さまは、王都から私を護衛して下さった教会騎士の1人だった。

「何のご用でしょうか、ライハイトさま」

 私は笑顔で小首を傾げた。

「は、はっ。只今インベルスト教区の司祭から依頼がありまして。ユイ殿の来訪を聞きつけた市民が、家族の治癒の請願に参っていると……」

 あら。

 私はつかつかと扉に歩み寄りながら、腕まくりをした。

「わかりました。参ります」

 ライハイトさまが慌て道を空けてくれる。

「し、しかし、長旅のところお疲れでしょう。今日の所は自分がお断りしても……」

 廊下を進む私の後ろから付いて来る騎士ライハイト。私は立ち止まると、騎士さまを見上げた。

「苦しんでいる方を放置して休養など取れません。人の為に成せ、は、私たちの基本でしょう?」

 助けを求められ、助けられる力があるのなら、全力で助ける。

 それが、敬愛するルファウスさまのモットーだった。

 私もカナデちゃんや優人ちゃんの姉として、司祭さまみたいな立派な人になりたい。

「ユイ殿……。いえ。ユイさま」

 騎士ライハイトは息を呑み、そして姿勢を正した。

「自分がご案内いたします!こちらへ!」



 時刻はもうすっかり真夜中。街中はまだ祭りの熱気覚めやらぬといった感じで煌々と明かりが灯っていたけれど、大聖堂の中はしんと静まり返っていた。

 リングドワイス王家とリムウェア侯爵家の紋章があしらわれた幕が下ろされ、祭礼用の燭台や祭壇が設えられた大聖堂内は、もうすっかりと式の準備が整えられている様子だった。

 弱いオレンジの灯りに淡く照らし出されたそんな夜の大聖堂に、私のたどたどしい言葉が反響する。

「星の海から舞い降りし女神の挺身。その尊い行いが世界を救ったように、汝等この世界の子に連なる者、母なる女神のうで……」

「かいな、でございます、ユイさま」

「あ、すみません、大司教さま……」

 溜め息を吐く私に、インベルスト教区の大司教さまが柔らかな笑みを向けて下さった。

「なに。もう殆ど覚えてらっしゃる。大丈夫だ。この聖句の後の流れはおわかりか?」

「はい。この後は殿下とカナデちゃんの答礼と誓いの言葉、指輪の交換ですね」

「結構です」

 上位職者の豪華な法衣を纏い、丸い顔を綻ばせた大司教さまが頷いた。

「では、今宵はこのあたりに致しますか」

「あ、はい。ありがとうございました」

 私は頭を下げる。

 本来インベルストでの結婚の儀を執り行うのは、あの大司教さまのお役目だ。カナデちゃんと殿下の頼みで私なんかが代行する事になっているのだけれど、インベルスト教区や機嫌よく式進行の手ほどきをしてくださる大司教さまの為にも、私は失敗できなかった。もちろん、カナデちゃんのためにも。

 大司教さまが下がられると、私はゆっくり息を吐いて首を回した。

 インベルストに到着してから数日。沢山の患者さんを診て来たせいで、少し疲れているのかもしれない。そのおかげで、カナデちゃんともまだちゃんと話せていないし……。

 結婚、かぁ。

 夏奈じゃなくて、カナデちゃんに先を越されるとはなぁ……。

 1人になった大聖堂で物思いに耽っていると、正面の大扉から微かに鋭い声が聞こえて来た。

 私はビクッと肩を震わせてそちらを見る。

 大扉脇の通用口から、背の高い騎士が入って来た。教会騎士のライハイトさまだ。

「何事でしょうか、ライハイトさま」

「はっ」

 金髪の騎士は顔を曇らせながら私に一礼した。

「実は今、大聖堂の前に不審な男が。厚かましくもユイさまに会わせろ、と騒いでおりまして」

「また患者さんですか?」

 私は袖を捲ろうとするが、ライハイトさまがそれを止めた。

「いえ。どうやら冒険者の様でして……」

 冒険者……。

 もしかして。

 私は大聖堂に足音を響かせて、通用口に向かった。

「き、危険です、ユイさま!」

 ライハイトさまが慌ててついて来た。

 外に出る。

 冷え冷えとした夜の匂いが漂って来た。息が白くなる訳じゃないけれど、もう随分寒くなったなと思う。

 私は辺りを見回した。

 静かな筈の夜の大聖堂前広場に、教会騎士たちが集まっていた。

 思わず、息を呑む。

 騎士たちが取り囲む向こうから、にょきっと木が生えていたから。

 その木が左右にふらふらと揺れていた。

 深い森の奥には、動く木の形をした怪物がいるって夏奈に聞いた事があるけど……。

「だから、俺は唯の友達だ。取り次いでくれれば分かるって」

 木のお化けから憮然とした声が響いて来た。

 この声は……。

「優人ちゃん?」

 私は駆け寄る。僅かに道を空けてくれた騎士の向こうから、優人ちゃんの顔が見えた。

「唯!」

 騎士たちに取り囲まれていたのは、鎧を身に付け、黒い大剣を背負った優人ちゃんに間違いなかった。

 ただ、その背中には何故か木が……。

 高さは優人ちゃんの倍くらいあるだろうか。根っこにはぐるぐると布が巻かれていた。葉はまばらで、まだ小木のようだった。

「みなさん、大丈夫です。彼は私の弟みたいなものですから」

 私は騎士たちを説き伏せて、何とか解散してもらう。ライハイトさまだけが私の身を案じてなかなか離れようとしてくれなかったけれど。

「あいつ、唯姉に気があるんじゃないのか?」

 優人が木を揺すり、立ち去るライハイトさまを見遣った。

「馬鹿言わないの。それより優人ちゃん。その木、何?」

 私は頬に手を当てて木を見上げた。

「唯姉。悪いけど、カナデのところ行くんだ。その、ついて来てくれないか?」

 優人ちゃんは私の質問には答えずに、じっと真っ直ぐな視線を向けて来る。

「えっと、別に構わないけど……。今から?」

 こくりと頷いた優人ちゃんが坂を登り始める。私も慌ててその後に続いた。

 夜も遅いせいか、貴族やお役人のお屋敷が立ち並ぶこの辺りは、しんと静まり返っていた。私たちの足音だけが、響いていた。

「この木な」

 突然、優人ちゃんが口を開いた。

「ギルドの依頼で山奥に出没する魔獣退治に行った時に見つけたんだ。シズナ曰わく、春先に白い花を一斉に咲かせるらしい」

「えーと、それって、桜?」

「ああ。そうだと思う。シズナは別の名前で呼んでたけどな」

 私たちは城塞の前の広場に辿り着いた。

 ずっと前、黒騎士と戦った場所だ。

 今はもう綺麗に修繕されていて、戦いの痕跡は全く残っていなかったけれど。

 城門の守衛が、私たちを見てぎょっとしている。特に優人を見て。

「カナデに会いに来たんだ」

「おう、ユウトじゃねぇか。なんだ、それ?」

 警備隊長らしき巨漢の騎士が出て来て、優人と挨拶を交わした。さすがにカナデちゃんの配下の騎士さんたちは、優人ちゃんとも顔馴染みらしい。教会騎士みたいに不審者扱いされる事もなく、私たちは城門を通過する事が出来た。

 やはり人気の無い行政府を通り抜ける。

「……やっぱり、式、やるんだよな」

 再び、優人ちゃんが呟く。

「優人ちゃんは、反対?」

 私は静かに聞き返した。

 式とは当然、カナデちゃんの結婚式の事……。

「……わからない」

 しばらく間を置いて、優人ちゃんは口を開いた。

「不思議な感じではあるな。あいつが結婚だなんて。カナデ……」

「優人。カナデちゃんが自分で決めた事だから……」

「わかってる。でも、何だかその、置いて行かれる様な感じか?そんなもやもやが、ずっと胸から消えないんだ。あいつが、遠くに行ってしまうような……」

 ああ、そうか。

 優人ちゃんも私と同じなんだ。

 カナデちゃんが大切だから。

 祝福してあげなくちゃって気持ちと、漠然とした喪失感のせめぎ合いに混乱しているんだと思う。

「……だから、この桜もどきの木を結婚祝いに送ろうと思うんだ。この木を見て、日本の事、俺たちの事を覚えていて欲しいかなって」

 優人ちゃんは少し恥ずかしそうに顔を背けた。

 思わず優人ちゃんを抱き締めたくなる。

 カナデちゃんといつも一緒にいて、唯姉、唯姉と私の後をついて来ていた優人ちゃんが、こんなに優しくて素敵な男の子になるなんて。

 じんっとしてしまった胸中を隠すように、私は悪戯っぽく優人ちゃんを見上げた。

「ふふっ。そんなにカナデちゃんが大事なら、もう優人ちゃんがさらっちゃえば?結婚前に2人で逃げちゃえば?」

 優人ががくりとうなだれた。そして半眼で私を睨む。

「唯姉。夏奈みたいな事言わないでくれ」

「ふふふっ、ごめんなさい」

 でも、男性からの好意に鈍いカナデちゃんを振り向かせるには、そのぐらいしなくちゃ。特に優人なんかは……。

 目の前に、明かりが灯るお屋敷が見えて来た。カナデちゃんのお家だ。

「……しかし、さらうってのは、ありだな」

 そこで、優人ちゃんがぼそりと呟く。

 えっ?

 優人ちゃんは突然道から外れると、庭園の中へずんずんと入って行ってしまう。

「優人ちゃん!」

 私もその後を追った。

 ついこの前、ガーデンパーティーが開かれていた庭園。私も参加したけれど、カナデちゃんはシリス殿下と一緒に忙しそうに挨拶まわりしてたっけ。今はもう綺麗に片付けられて、芝生の西洋庭園が広がっているだけだった。

 優人は芝生の上にドシンと木を下ろした。

「あそこ、カナデの部屋なんだ」

 優人はお屋敷の方を振り向くと、まだ明かりの灯る2階の部屋を指差した。ここは、ちょうどそのカナデちゃんの部屋の真正面だった。

 おもむろに腰を落とす優人ちゃん。その体が銀色に輝いた瞬間、爆ぜるように跳躍する。

 えっと、あらら……。

 放物線を描き、カナデちゃんの部屋のベランダに降り立った優人ちゃん。私のところからは見えないけれど、何やらガラス戸を開く音がする。

 そして短く響くか細い悲鳴。

 ……あらら。

 女の子の部屋に飛び込むなんて、優人ちゃん……。



 真っ白のネグリジェに薄いピンクのカーディガンを背負ったカナデちゃんを背負い、優人ちゃんが戻って来た。不機嫌そうに頬を膨らませたカナデちゃんが、どすどすと優人ちゃんの頭を叩いていた。

「カナデちゃん、こんばんわ。ごめんね」

 私は髪を掻き上げながら苦笑を浮かべた。

「唯姉!酷いんですよ、優人!勝手に部屋に入って来て!私……」

 カナデちゃんがとこっと芝生の上に降り立った。

「まだ仕事中だったのに!」

 あらら。シリス殿下と一緒だったらどうしようと思ったけれど、仕事中とはカナデちゃんらしい……。

 腰に手を当てて優人を睨み上げるカナデちゃんに、優人は真面目な顔のままだった。

「カナデ。これ、お祝いだ」

 優人ちゃんは、夜風に揺れる小木に手を触れた。

「優人?」

 目を丸め、きょとんとするカナデちゃん。

「桜の木だ。春には花で満開になる。きっと綺麗だと思う。その、け、結婚のお祝いにって思って」

 恥ずかしそうに頬を掻く優人ちゃんに、先程までの怒気も忘れたのか、カナデちゃんが目を大きくして驚いていた。

「優人……」

 そして、ふわりと、輝くような微笑みを浮かべた。

「その、ありがとう」

 嬉しそうで、そして少し恥ずかしそうなその笑顔に、私はドキリとしてしまう。

 照れ笑いを浮かべた奏士ちゃんの笑顔に、重なって見えたから。

 優人ちゃんにもそう見えたのか、呆然とカナデちゃんを見つめていた。

 2人してじっと自分を見つめる私たちに、カナデちゃんが不思議そうな顔をする。

「優人、唯姉?」

「あはは、カナデちゃん。春になったらみんなでお花見しましょう」

 私は動揺を誤魔化すようにぱっと手を合わせた。

「ええ!いいですね、お花見」

「そういえば、思い出すよな」

 優人ちゃんもニカっと笑った。

「この3人と桜って言えば、高校の入学式を思い出すよな。新しい制服で緊張してる俺たちを、唯姉が迎えてくれて。校門から少し入ったとこの桜の下で、3人で写真撮ったよな?」

「そういえば、そんな事あったわね。カナデちゃんの制服がブカブカで、可愛かったわ」

 笑い合う私と優人ちゃん。

 しかし、カナデちゃんだけは、困ったように眉を潜めていた。

 あっと気が付く。

 そうか……。

 以前優人ちゃんに、聞いたのだ。

 カナデちゃんは、女の子になる前、つまり奏士だった頃の記憶を失いつつあるんだって……。

 カナデちゃん……。

「……悪い」

 優人は肩を落として謝った。

 しんっと、少し居心地の悪い空気が漂ってしまう。

 私がなんとか取り繕くろうと口を開こうとした瞬間。

「じゃあ、今記念撮影しましょう」

 カナデちゃんがそっと呟いた。

 そして優人ちゃんの背中に回ると、ちょこんと手を掛けた。

「優人、おんぶ。部屋に連れて行って下さい」

「う、あ、ああ」

 さっきは無理やり連れて来たくせに、今度は壊れものにでも触れるようにそっとカナデちゃんを背負った優人が、お屋敷に向かって飛んで行った。

 そして、直ぐに戻って来る。

 そのカナデちゃんの腕に抱きかかえられていたのは、機械で出来た犬みたいだった。

「これ、わん太郎っていいます。優人から預かった発掘品を、直してもらったんです」

 カナデちゃんは私にわん太郎を掲げて見せると、そのまま地面に置いた。

 わん太郎の四肢は本体に比べて妙にゴツゴツしていて、妙に後付感があった。これが修理したということなんだろうか。

「優人、銀気をわん太郎に」

「おう」

 優人がしゃがみ込み、犬型機械に銀気を流し込む。

「さぁ、並んで。ワン太郎は、動画を記録することが出来るんです」

 カナデちゃんに押されて、私たちは桜の木の前に並んだ。

 私と優人の間に、カナデちゃんが入る。

「この撮影の事なら、私、忘れませんから」

 前を向いたまま、ぽつりとカナデちゃんが呟いた。

「……ありがとうございます。優人、唯姉」

 そして、上目遣いで私たちを窺うカナデちゃん。

 私はたまらず、優人ちゃんとカナデちゃんをぎゅっと抱き寄せていた。

「おい、唯姉っ」

「な、何でふか、うい姉」

 私は2人をぎゅっと抱き締める。

 例え、何が起ころうとも。何が変わってしまっても。

 この先、私たちは、ずっとずっと一緒。

 一緒、なんだからっ。

 そんな私たち3人を、わん太郎が静かに見つめていた。

 読んでいただき、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
私は唯の結婚に関する心の声がすごく好きです。特にこの部分です。 「私が感じているのは、カナデちゃんが遠くに行ってしまうような喪失感。 結婚は、ただ愛する人と結ばれるだけじゃない。これまで所属していた場…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ