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EXAct:始まり2

 インベルストの中央を走る大通り。普段から雑多な露店や市、それを目当てに集まって来た色々な奴らで賑わっているこの通りに、甲高い金槌の音と大工たちの威勢の良い掛け声が響き渡っていた。

 インベルスト豊穣祭の準備が、急速に進んでいるのだ。

 侯爵家や招待される近隣諸侯用の観覧席が、大通りの脇に作り上げられて行く。さらに、祭りの佳境、集まる群衆に向けて幸せを呼ぶ花輪を投げるための櫓も、徐々にその姿を現しつつあった。

「シュバルツ隊長。木材の搬入、来ました」

 作業現場の脇に立てられた警備用天幕に、ひょっこりと部下の兵が顔を出した。

 俺はチェックしていたリストから顔を上げる。

「ああ、今行く。午前中の搬入はこれで最後だな?」

「はっ。予定では」

 俺たちは連れ立って天幕を出ると、雑然と物資が転がる工事現場の入り口に向かった。

 俺と俺のシュバルツ隊は、他の何隊かと一緒にインベルスト豊穣祭会場設営現場の警備を任されていた。現場の外周警備はもちろん、出入り業者とその荷のチェック、現場の安全管理なんかも仕事だった。

 実質的な施工確認は文官共がやるが、事務屋では解決出来ない事態もないことはない。

 まぁ、俺もこの仕事を担当してもう5回目だ。我ながら慣れたもんだよ。

「よーし、行っていいぞ」

 荷台の品に不審なものが無いことを確認した俺は、御者台に合図を送った。

 馬蹄を響かせて走り出した馬車を見送り、俺はふうっと溜め息をついた。

 疲れている訳じゃない。ただ、こういう地味な仕事が退屈なだけだ。

 ああ、どっかで、こう激しい……。

「た、隊長!」

 部下の兵が慌てて駆け寄って来る。あれは、魔獣との大戦の後に入隊した新兵だ。

「隊長!け、喧嘩です!違う業者の作業員が、ぶつかっただなんのって、取っ組み合いに!」

 ……くくく。来やがったな。

 俺さまの出番だ。

「おう、案内しろ!」

 俺はバキバキと拳を鳴らす。たまにこういうのが無いとつまんねぇ。

 新兵に先導されて現場にたどり着くと、既に喧嘩をはやし立てる野次馬の群れが出来上がっていた。

 俺はそいつらの襟首を掴んでどかし、突き飛ばし、人山に分け入って行く。

「散れ、散れ!まだ作業時間だろうが!どいつだ、喧嘩野郎は!両方殴り倒してやるから、前に出ろ!」

 俺は騒ぎの中心で睨み合う2人の間に立つと、力を込めた拳を掲げた。

「おら、両方掛かって来い!俺を負かした方の言い分を聞いてやるよ!」

 はっ!

 もちろんどちらにも負ける気なんか、さらさらねぇけどな!

 俺はニヤリと笑いながら周囲を見回した。

 ……しかし。

 俺の期待に反して、喧嘩野郎どもはあっさりと引き下がる。

 おいおい、なんでだ!

 畜生!根性のない奴らめ!



 昼休みになると、工事現場も静かになる。皆それぞれが昼食を楽しむために弁当を広げ、あるいはインベルストの街に散って行った。

「隊長!我々も飯にしますか!」

 喧嘩仲裁の一件からいやにキラキラとした視線を向けてくるようになった新米が、俺に走り寄って来た。

「シュバルツ隊長。最近この先に上手い店が出来たんですよ。禿頭の元冒険者がやってるとかいう」

 今度は俺より年かさの古参兵が寄って来た。こいつとはもう10年の付き合いだった。

「あー、悪い。お前らだけでやってくれ」

 俺はボリボリと頭を掻く。

「何すか。先約っすか。ああ。ははーん」

 古参兵がニヤリと笑った。

「あなた!」

 そこに、明るい声が響き渡る。

 ちっ。タイミングが悪い。

 声の方を向くと、金髪を結い上げ、ひよこみたいな髪型をした少女が、元気良く手を振り走り寄って来るところだった。

「お邪魔ですな。我々はここで」

 野卑な笑みを浮かべた古参兵が、新米を引っ張って去ってしまった。

 くそ。

 あいつの事だ。この先しばらくこのネタで茶化されるに違いない。

「シュバルツ、お待たせ!」

 俺が肩を落としているのもお構いなしに、ヘルミーナが勢い良く抱きついて来た。

 ヘルミーナのブレスプレートと俺の手甲がぶつかり、ガチャリと鳴った。

 ヘルミーナは警備巡回用の軽鎧姿だった。こいつに初めて出会った時に着ていた王直騎士団の鎧じゃない。俺たちと同じ白燐騎士団の鎧だ。

「行きましょう、ランチ。今日はお弁当を沢山作ってきたから」

「おい、あんまりくっつくな」

 俺はヘルミーナに腕を取られながら歩き出す。

 ヘルミーナが剣の手ほどきをして欲しいと頼んで来たのが、俺たちの出会いの切っ掛けだった。それが、所属は違えどカナデお嬢に従って戦場を共にするうちに、まぁ、いつの間にかこうなっちまったという訳だ。

 俺としちゃ、ヘルミーナには騎士を辞めて家に入って欲しかった。妻を養うくらいの事は、俺さまには造作もない事だ。だが、騎士団の移籍や俺との縁談で色々と便宜を図ってもらったカナデお嬢に恩返ししたいと、ヘルミーナは未だに白燐騎士団に所属していた。それに、騎士になって頑張るってのが、こいつの昔からの夢だったらしいからな。

 まぁ、そういうなら、俺も応援してやろうと思うわけだ。……こいつは、笑ってるのが一番だからよ。

 しかし、お嬢の世話焼きも大したもんだと思う。

 もうずっと前から王弟殿下との関係が確実視されていたくせに、その手の話には相変わらず赤面して誤魔化そうするんだが、他人の間柄は進んで取り持とうとするんだからな。

 こちらを見上げてにこやかに話すヘルミーナに、俺は微笑を浮かべながら相づちを打つ。

 そこへ、複数の馬蹄の音が近付いて来た。その先頭には、噂をすれば影か、白馬に跨るお嬢の姿があった。

 茶のズボンにベージュのオータムコート。髪は黒いリボンでまとめている。剣帯はしていなかったが、馬の鞍には剣が吊るしてあった。

 現場視察か、抜き打ち検査か?

「シュバルツ、ヘルミーナ!」

 お嬢が手綱を引く。スピラ号がぶるんと嘶いた。

「会場設営はいかがでしょうか?事故はありませんか?」

 馬を回しながら、お嬢が尋ねて来た。

「ああ。異常なしだ」

「あなた、カナデさまにそんなぞんざいに……。失礼致しました。異常ありません、カナデさま」

 ヘルミーナが姿勢を正して敬礼する。

 お嬢はにっこりと微笑むと、頷いた。

「引き続きよろしくお願いします。それと、シュバルツ」

 カナデお嬢は、街並みの向こうに視線を向けて目を細めた。

「午後からは、複数のお店で大規模な納品があるみたいなんです。お祭りに向けてですね。商業ギルドに確認しました。荷馬車の往来が増えると思うので、よしなにお願いします」

「おう。了解だ」

 そこでお嬢は真っ直ぐに俺を見ると、しかし直ぐに視線をそらしてしまう。小さな眉がきゅっと寄り、桜色の唇が一瞬開いて、また閉じられた。

 この困り顔を見てると、ユウトやシリスティエール殿下がお嬢を苛めるのもわかるぜ……。

「それで、シュバルツ、あの、えっと……」

「何だよ?」

「……いえ。つ、次の現場に向かいます!」

 お嬢は言いかけた言葉を無理やり飲み込むと、手綱を打った。

 再び軽快に走り始めるカナデお嬢。銀の髪がふわりと揺れる。

 俺とヘルミーナは顔を見合わせる。

 俺に何かあんのか?

「カナデお嬢さま、お、お待ちを!」

 現場視察の付き添いの騎士や文官どもが、慌ててお嬢の後を追い掛けて行った。

「なぁ、ヘルミーナ」

「何?」

「お嬢だけどよ、最近変だよな」

「……うん、そうね。まぁ、色々あるのよ」

「ふーん。そんなもんか」

「それよりも、あなた」

 ヘルミーナは突然俺の前に回り込むと、上目遣いで俺を睨んで来た。

「あまりカナデさま見てニヤニヤしないの!」

「し、してねーよ」

「してたの!」

 ……こりゃやべぇな。

 俺の腹の虫がぐうと鳴る。

 俺はいつになったら昼飯にありつけるんだ?

 昼飯を食べたい一心でヘルミーナをなだめすかしながら、俺たちはゆっくりとインベルストの街中を歩いて行く。



 夜の帳が落ちると、賑やかな虫の音が住宅地を包み込む。涼やかな夜風を感じながら星が瞬き始めた空を見上げ、俺は家路を急いでいた。

 やべぇ。

 ヘルミーナに、日が落ちるまでには帰るって言っちまったんだよな……。

 ヘルミーナはもう帰宅しているだろう。

 あちらは平騎士だが、俺は隊長だ。隊長には色々と残務があるんだよな。

 ぼんやりと光る街灯。時たますれ違う馬車の音。そして俺が乗る馬の足音。

 しんと静かな夜。

 酒場の馬鹿騒ぎも聞こえない。街頭に立つ怪しげな輩も見当たらない。

 まさかこの俺が、こんな良い場所に家を持つとはなぁ……。

 一連の魔獣事件でカナデお嬢に従って転戦した報償として、俺は主殿から屋敷をいただいた。ヘルミーナとの結婚を前にして、いいタイミングだった。新居を探していた事を、お嬢がそっと主殿に伝えてくれたんだろう。

 俺の家は、リムウェア侯爵家の城塞の裏、屋敷からするとロストック大河の反対側にあった。つまり市街地の裏側。そんなに栄えた一角ではないが、これから色々と建物が建とうとしている場所だった。緑も多い。文句などあろうはずがない。

 だんだんと我が家が見えてくる。

 背後を小さな林に囲まれた三階建ての屋敷だ。ヘルミーナ曰わく、可愛いお家、らしい。

 俺とヘルミーナは、この屋敷に3人の使用人と暮らしていた。

 まずは若い執事と年配の馬丁。こいつらは、侯爵家の執事長アレクスに紹介してもらった。そこに、メイドのおばさんが1人。こっちは、ヘルミーナの実家からやって来たやつだった。

 馬丁に馬を預け、柔らかなオレンジの光が溢れる我が家に入った俺のもとに、そのメイドが慌てた様子でつんのめるように走りよって来た。

「だ、旦那さま!大変でございます!」

「なんだ、カーラ」

 俺は鎧の留め具を外しながら、居間に向う。

「と、とにかく大変なので御座います。お客さまが!お、応接室にお急ぎくださいまし!」

 あ?

 そういえば、屋敷の前の通りに馬車が一台止まっていたな。

「お急ぎくださいまし!」

 俺はそのまま、押されるように応接室に入れられた。

 こ、このメイドババア、意外に凄い力をしてやがる!

 ……ったく。帰宅早々何だってんだ。まだヘルミーナの顔も見てないのに……。

 ブレスプレートを取っただけで、手甲も足甲もつけたままの俺は、憮然としながらも応接室を見回した。

 そう広いとは言い難い応接室。普段から来客なんてないから、必要最低限の家具しか用意していない。

 その簡素なソファーの上に……。

「お邪魔してます。お帰りなさい、シュバルツ」

 カナデお嬢が、神妙な顔でちょこんと座っていた。

 ……何でだよ。

「お嬢。何だ、一体?」

 俺は眉をひそめながら、顎を撫でた。

「実は、シュバルツに相談したいことがあって……」

 お嬢は低い声で言うと、俺の反応を窺うようにこちらを見た。しかしそれ以上口を開かない。ふわっとしたセーターのタートルネックに、顎を埋めるように俯いてしまう。ロングスカートの上に置かれた小さな手は、ぎゅっと握り締められていた。

 しょうがねぇな。

 俺は手甲を外しながら、お嬢の対面席にどっかりと腰掛けた。

「何だよ。今度は素手の格闘術でも教えて欲しいのか?」

 俺は外した手甲をテーブルに置きながら、挑発するように話し掛けた。

 お嬢は俺を見て、目を逸らす。そしてまた俺を見た。

 緑の透き通った瞳が潤んでいるようだ。

 ……やめろ。そんな目で俺を見るな。

「シュバルツは」

 お嬢は囁くような声で口を開いた。

「その、け、結婚式の前、不安になる事とか、どうしても後ろ向きになってしまって、訳もなく落ち込んじゃうような事、あったですか?」

 一度口を開くと、お嬢は堰を切ったように話し始めた。

「私、変なんです。お父さまから結婚式の話をされた時から、何だか気分が優れない時があって……」

 お嬢は俺が何も言ってないのに、手をぶんぶん振る。

「違うんです!シリスとの事は、私が決めた事。後悔とか、そんなのはありません。だから、余計わからなくて……。シリスやお父さまには相談出来なくて、そうしたら、最近結婚したシュバルツなら、何か分かる事があるかなって……」

 ふうっと息を吐き、目を伏せるお嬢。

 このお嬢さまは、自身が下した重大な決断をシリスティエール殿下や主殿に疑われるのが怖くて相談出来なかったんじゃねえ。殿下や主殿に心配を掛け、気を遣われてしまうことが心苦しかったんだろう。

 俺への相談だって、するべきか悩んだ筈だ。

 こいつは、不用意に自分の弱さを晒すようなお嬢さまじゃねぇからな。

 しかし、この相談ばっかりは、俺にされても……。

「お嬢」

「……はい」

「悪いが、さっぱり分からん」

 俺はふんっと腕を組み、胸を張る。

 呆気に取られたかのように、お嬢が目を丸くした。

「俺にはさっぱり分からんが、しかしその手の相談は、男の俺じゃなく、同じ女のヘルミーナにすべきじゃねぇのか?」

 俺の答えに、お嬢はあっと小さな口を開いて、ますます目を大きくした。

 そういえば、女は結婚前に、不安定な状態になる場合があるから、優しくしろと言われた事があったな。あれはフェルドだったか。

 ヘルミーナにはそんな様子はなかったが、もしかしたら俺の知らないところで悩んでいたのかもしれねぇ。

 そうならば、やはり女は女どうしで相談した方がいいだろう。

 ……決して、繊細なオトメゴコロが煩わしいわけじゃねぇ。

「す、すみません……。その通り、ですね。その、シュバルツは話し易いから、つい……」

 そ、そうか。

 前からお嬢は何かにつけて、俺に気安くしてくれる。普通の女なら逃げて行く俺に。

 ヘルミーナと出会えたのも、まずお嬢が俺に気安くしてくれていたからだろう。

 ふわりと微笑むお嬢にこんな事言われて、嬉しくない訳がない。

 俺はニヤリと笑う。

「まあよ、元気だせ……」

「……あなた?」

 がはっ!

 魔獣に死角に潜り込まれた時よりも強力な悪寒が、背筋を駆け抜けた。

 振り返る。

 そこには、ティーセットを持ったヘルミーナが立っていた。

 こ、こいつ!いつの間に音も立てずに俺の背後に回る技を身に付けたんだ!

「帰ってたなら、声を掛けてくれればいいのに」

 手早くお茶の用意を進めるヘルミーナ。

 どうやら、ニヤニヤしてたのは見られてねぇか……。

「そ、そういやヘルミーナ。お前、結婚前に不安になるような事あったか?」

 俺は隣に腰掛けたヘルミーナに、お嬢から聞いた話を振ってみた。

「カナデさま」

 ヘルミーナが優しく微笑み、お嬢を見る。いつもより大人びた笑顔に、少しドキリとしちまった。

「今日は泊まって行って下さい。私なんかの経験が役立つかはわかりませんが、お話、しましょう」

「でも、いいんですか?突然お邪魔じゃ……」

 お嬢がちらりと俺を見た。俺はニヤリと唇を歪める。

「構わねーぜ。おう、なんなら、3人で寝るか!」

 その瞬間、衝撃が走った。

 斜め上に打ち上げられたヘルミーナの拳が、俺の頬にめり込んでいた。

 大して痛く無いがな。

 がははははっ!

 それからは役得という奴だった。

 なんせお嬢の料理、お嬢とディナーだったんだから。

 晩飯はヘルミーナとカナデお嬢が台所に立って準備した。

 ヘルミーナは王都の下級貴族の出だが、家事は自分でやる習慣があったし、お嬢は泊めてもらうのだからと手伝いを買って出たのだ。

 晩飯のクオリティがいつもより低い気がしたが、食えりゃ問題ねぇ。

 そう口にしたら、ヘルミーナに睨まれた。お嬢は小さくなって、すみませんと謝っていた。

 表の馬車には主殿への言伝を頼み、帰した。カナデお嬢が俺の家に泊まる旨を、侯爵家に伝えておくためだ。

 あの主殿の事だ。お嬢が帰らなかったら、大規模捜索隊を編成しかねない。

 女2人が風呂に入ると、俺は居間で蒸留酒を呷る。

「あなた」

 しばらくして声がする。俺が振り返ると、廊下からヘルミーナがこちらを見ていた。

 風呂上がりのヘルミーナは、無地のシャツに短パン姿だった。騎士校の運動着だったやつだ。ヘルミーナはそれを寝間着にしているのだ。色気のない事に。

「これから寝室でカナデさまとお喋りしてるから、今日は来ちゃダメよ」

 お喋りって。

 悩み相談じゃねぇのかよ。

「了解、了解」

 俺はグラスを振って見せる。

「シュバルツ。すみませんね」

 ヘルミーナの隣からお嬢が顔を出した。

 まだ濡れている銀髪が、艶やかに輝いていた。

 すこし恥ずかしそうな表情。

 お嬢は、白の薄手のワンピース姿だった。胸の下に絞りがある奴だ。ありゃヘルミーナのお気に入りだ。

「お、おう。ゆっくりしてけ」

 2人が2階に消えた後も、俺はグラスを空け続ける。

 酔わねぇ。

 酔っちまえば、2階になだれ込んで……。

 じょ、冗談だがよ。

 俺が悶々としていると、突然表から馬の嘶きが聞こえて来た。

 ちっ。

 うるせーんだよ。

 俺は八つ当たりしてやろうと、グラスを持ったままテラスに出る。

 冷たい夜気がなだれ込んで来る。

「シュバルツ。カナデが来ていないか!」

 外に出た途端に、焦ったような声が降って来た。

 俺の屋敷の小さな庭には、白馬に跨った男がいた。

 白馬はスピラ号。

 男は、王弟シリスティエール殿下か!

「カナデがまだ帰らない。何か知らないか!」

 スピラの手綱を引きながら言葉を続ける王弟殿下は、普段の飄々とした風情もどこへやら、切羽詰まった様子だった。

 なるほど、ねぇ。

 この一途さ。お嬢への好意を隠さないストレートさが、お嬢を射止めたのか。

「殿下。まぁ、中へどうぞ。お嬢はうちにいる」

 殿下が息を吐く。強張っていた肩から力が抜けていくのが分かった。

「そう、か」

 安堵した表情の殿下が、馬を下りた。



 どうやら殿下は、俺の出した使者と行き違いになってしまったようだった。俺の家に行くとだけ告げ、深夜になっても戻らないお嬢を心配し、駆けつけて来たらしい。

 お嬢が何しにうちに来たのかは、殿下には告げていない。ヘルミーナと女どうしの話をしに来たとだけ言ってある。俺だって、他人の悩みを晒すようなデリカシーのない真似はしねぇ。

 殿下は、安堵混じりに息を吐き頷いた。

 ヘルミーナとお嬢の邪魔をする訳にもいかねえから、俺たちはそのまま居間で酒を酌み交わすことになった。

「結婚を前にして、女の準備もあるだろうからよ。そう言う意味じゃ、うちのヘルミーナは先輩だからな」

 俺は殿下のグラスに酒を注いだ。

「女として、な。あいつがそういう心づもりでいてくれるなら、問題ない」

「何だ?何かあんのか?」

 殿下は一気に酒を呷る。なかなかの飲みっぷりだ。

「いや。あいつが、俺の告白を重荷に感じていないかと思ってな。あいつにも、その、複雑な事情がある。あいつの負担になるのだったら、俺は……」

 ふーん。

 偉い方々にも色々あるみたいだな。

「しかし、そんな様子じゃなかったな」

 俺はニヤリと笑う。

「むしろあんたや主殿の思いに、精一杯応えたいって感じだったな」

 殿下が俺を見る。そして一瞬の間の後、目を細め、ふっと不敵に笑った。いつもの殿下が戻って来た様だ。

「そうか」

 噛み締めるように呟いた王弟殿は、そっとカナデお嬢がいる2階を見上げた。

「ところでよ、殿下」

 俺は酒瓶を差し出す。

「あんたはカナデお嬢のどこが気に入ったんだ?」

 グラスを差し出しながらふんっと胸を張る殿下。

「決まっているだろう。気高い精神。高潔な人柄。貴族の義務を率先して示す態度。挫けない心。頑張り屋で、頭も切れる。しかしどこか抜けていて、ドジで、自分の可憐さを意に介さない無防備さがある」

「くくっ、確かにな。ありゃ、男の目が分かってねぇ。今まで男に注目された事が無いのかね」

「ああ。しかし、それだけではない。あの輝くような銀髪は、まるで銀気の光だ。密かに猫を愛でている。甘いものに目がない。小さな体で駆け回っているところなんか、ついついちょっかい掛けたくなる。恥ずかしそうに、嬉しそうに笑う顔も、ずっと見ていたい。それに……」

「……ん、ああ、わかった。悪い。俺が悪かった」 

 俺は額を抑え、溜め息を吐いた。

 俺たちは、互いの嫁について、あーでもない、こーでもないとひたすら議論を続けた。

 剣と戦いの話以外で酒を飲むのはいつ以来だろうか。

 血湧き肉踊る激戦も悪くねぇが、こういうのも悪くねぇなと思う。

 殿下も俺も惚れた弱みだ。例え退屈でも、俺たちはこの家と女どもを一生守って行かないとダメなんだ。そう、なっちまったんだ。

 でも、まぁ。

 そんな戦いでも、負ける気はしねぇよな?

 気がついたら俺たちは、無数の酒瓶に囲まれて眠りに落ちていた。



 目が覚める。

 ……くそ。頭が痛てぇ。

 がああ、飲みすぎたか!

 俺は朝日が差し込む薄暗い居間から抜け出すと、2階に向かった。

 昨日はいつの間にか居間で寝ちまったが、ヘルミーナの奴、起こしてくれてもいいのによ。

 ……ったく。

 今日も仕事だ。インベルスト豊穣祭はもう直ぐそこに迫っているんだからな。

 ……しかし、今はそれよりも取りあえずコーヒーだ。熱い、焼けるようなやつを。

「ヘルミーナぁ。起きてるかぁ」

 欠伸混じりに、俺は寝室の扉を開いた。

 ふわりと良い香りがする。

 ……あっ。

 俺は硬直してしまう。

 ベッドの上にいるのは、ヘルミーナではなかった。

 シーツから飛び出した脚は透き通るように白く、乱れた寝間着からドキリとする程あらわになっていた。枕に埋もれる顔には、驚く程長い睫に縁取られた目。閉じているが、俺には分かる。瞳は緑色だ。

 微かに開いた唇。乱れ広がる髪は銀色。

 薄布に包まれた胸の膨らみが、緩やかに上下している。静かな寝息が、微かに聞こえて来た。

 ああ……。

 ああ!

 ああ?

 頭が混乱する。

 まてまて、あれはカナデお嬢で……。

 お、おう!

 そうだ!

 急速にクールダウンした頭のお陰で、俺はやっとこさ事態を思い出した。

「あなた?」

 ぐほっ!

 寝室の隣。ドレッサールームから聞こえて来る声。俺の、妻の声だ……。

「勝手に入っちゃダメって言ったでしょ?」

「ち、違うんだ、ヘルミーナ。ち、ちが……」

 朝の時間が慌ただしく過ぎていく。

 目覚めたカナデお嬢は、王弟殿下の来訪に驚いていた。しかし同時に、少し嬉しそうに微笑んでいたのを、俺は見逃さなかった。

 朝靄の中を、殿下が手綱を取るスピラ号に乗るカナデお嬢。

 シリスティエール殿下の腰に手を回して、ゆっくりと屋敷に帰って行く2人を、俺とヘルミーナは2人で並んで見送った。

 どうやら、お嬢の悩みも大丈夫そうだな。

 2人が帰った後、俺たちも出勤の準備をする。

 しかし今朝は、何時もと違った。

 出勤前のキスがなかったのだ。

 それが、カナデお嬢のいる寝室に勝手に入った俺への罰らしい。

 ……やれやれ。

 初秋の晴れた空の下。

 俺たちは今日も並んで歩く。

「あなた。今日は早く帰れる?」

「あー、どうかな」

「早く帰るのよ?」

「ああ、わかったよ」

 長くなりましたが、読んでいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
結婚前の憂鬱?カナデって本当に可愛いですね。それに、カナデはまだ料理に慣れていないみたいで、毎回『晩飯のクオリティがいつもより低い気がしたが』みたいな描写が出てくるたびに、なんだかとても面白くて、ふふ…
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