EXAct:騎士団1
白燐騎士団副団長執務室で、私は1人、溜め息を吐いた。
目の前に並ぶ書類を順に処理しながら、領内の巡回警備のローテーションに頭を悩ませる。
手元にある、各部隊の先月の月報を見てもわかる通り、魔獣との遭遇戦は激減の傾向にあった。
特にグロウラー型やスクリーマー型といった大型魔獣は、ほぼ姿を見かけなくなったと言って良いだろう。
さらに、領民からの魔獣被害の訴え出も、今月は27件。
これは、インベルスト魔獣襲来以来激増していた被害件数が、それ以前の水準に戻った事を意味していた。
となれば、騎士や兵たちに休暇を与えてやりたい。
しかし、油断は大敵である。
どうしようか……。
ベリル戦役以来の兵力不足は、リムウェア侯爵領の治安を預かる白燐騎士団にとって、頭痛の種だった。
眉間にシワを寄せ、書類を睨んでいると、控え目なノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼します、カリストさま」
おずおずと、まだ若い事務官が執務室に入って来た。
「お忙しいところ恐縮です。実は、今月の騎士団編成表がまだ提出されていないと、主席執政官さまが……」
申し訳なさそうに頭を下げる事務官。
私はずきりと頭痛がした気がして、思わず目頭をぎゅっと押さえた。
編成表は、もうとっくの昔に提出してある。
ガレス団長に。
ああ……。
まったく、あのお方は……。
私はそっと溜め息を吐いた。
「わかった。私の方で確認しておく」
「はっ、はい、あの、それで……」
「……主席には、私からご報告しておく」
「はい!よろしくお願い致します!」
勢い良く頭を下げ、退室して行く事務官を見送り、私は手元の書類を集めた。
とんとんと書類をまとめ、そして、私も席を立つ。
団長室に、行かなくては……。
白燐騎士団本部の最奥部、団長室には誰もいなかった。
様々な武具が乱雑に散らばった部屋は、もぬけの空だ。
ガレス団長は自他共に認める武闘派で、団長自ら兵を率いて出陣される事が多い。しかしここ暫くは遠征任務もなかった筈だから、インベルストにいらっしゃるのだ。
どこに行かれたのか……。
私の父が団長だった頃は、幼心に、騎士団長とは、騎士とは名ばかりの事務官みたいな仕事だなと思ったものだ。
父は、それくらい執務室にこもりっきりだったのだが……。
私はこめかみを押さえながらしばし思案した後、無人の執務室を出た。
団長の事だ。
練兵場か。
あるいは馬場か。
はたまた主さまのところか。
もしかしたら、カナデお嬢さまのところかもしれない。
侯爵さまのご令嬢というご身分ながら、カナデさまの剣腕は相当でいらっしゃる。
普段、可憐に微笑んでらっしゃる姿からは想像もつかないが、剣を携え、魔獣どもに挑まれるそのお姿は、1人の騎士として尊敬に値すると思っていた。
そのカナデさまは、ガレス団長からも剣を習われている。
ちなみに、私も剣の師は団長だった。
早逝した父の代わりに、幼少の頃から教え込まれたのだ。
そういう意味では、ガレス団長は第2の父上と言っても差支えないかもしれない。厳格さという意味では、実父と雲泥の差ではあるが……。
「お疲れ様です、副団長」
「ああ。すまないが、団長をみなかったか?」
私はすれ違った若い騎士に尋ねる。
たしかトビアといったかな。
「団長でしたら、練兵場でお見かけいたしましたよ」
「そうか。ありがとう」
やはり。
私は足早に階段を下ると、2階下の練兵場に向かった。
その屋内練兵場には、何故か人だかりが出来ていた。
鎧姿の正規勤務中の騎士から、運動着姿の鍛錬中の者まで、身を乗り出すように場内を覗き込んでいた。
「これは何事だ」
私が声をかけると、近くの騎士たちが慌てて頭を下げた。
「副団長さま」
「リューク。これは何事ですか」
こちらに気がつき、軽く頭を下げるベテラン騎士が、深く皺が刻まれた顔を綻ばせる。
「今、カナデお嬢さまが鍛錬中でらっしゃる。騎士たちとの一本勝負。カナデさまが、3連勝中ですぞ」
「カナデさま?」
私は、騎士たちをかき分けて前に出た。
確かに、広い練兵場の真ん中で、激しい立ち会いを演じている2人がいた。
2人とも簡素な訓練着姿。
しかし片方が筋骨隆々の屈強な騎士に対して、片方はその半分くらいしか身長のない華奢な少女だった。
銀髪のポニーテールがふわりと揺れる。
間合いを取った騎士ウォラスが肩を揺らし、乱れた息を必死に落ち着かせようとしていた。
「ウォラス、負けちまうぞ!」
「カナデさま!4勝目を!」
野次馬たちが好き勝手に叫ぶ。
その声を合図にしたかのように、カナデさまが飛びだした。低い位置から、一足のもとに間合いに飛び込んだ。
まるで木剣を鞘に納めたままであるかの様な独特の構えだ。
騎士ウォラスは、カナデさまを迎え撃つべく、上段から木剣を振り下ろす。
……くっ、やりすぎだ。お嬢さまにもし、直撃したら……!
私は眉をひそめ、思わず一歩前に出た。
勢い良く駆け込むお嬢さまに、急な回避は不可能のように思えた。
しかし。
弧を描いて、お嬢さまの木剣が翻る。
その狙いはウォラスの木剣。
木と木がぶつかる乾いた音が、激しく響き渡った。
ウォラスの剣の軌道が逸らされる。その開いたスペースに、カナデさまがさらに踏み込んだ。
身を離そうとするウォラス。
しかしその首筋に、ぴたりとカナデさまの木剣が当てられた。
静寂。
カナデさまが、ふっと息を吐かれるのが聞こえた。
「そこまで!カナデさまお見事ですな。ウォラスは、素振りからやり直せ」
ガレス団長の判定に、周囲から一斉に歓声が上がった。
どかっと座り込むウォラス。
カナデさまは、木剣を提げたままにこりと眩しい笑顔で微笑まれると、さっと髪を掻き上げられた。
周囲から溜め息が漏れる。
憧れや賞賛だけならいいのだが。
胸がどうとか、スタイルがどうとか。
騎士にあるまじき破廉恥さ。
後で、特別訓練でも組むか。
そっとため息を吐く。
今は、それよりガレス団長だ。
私はバカ騒ぎし始めている騎士や兵たちの間をぬって、ガレス団長に駆け寄った。
団長は、無精ひげの顎をさすりながら、先程の立ち会いについて、カナデさまにアドバイスしていた。
端から見ているとカナデさまの圧勝だったが、それでもこのお嬢さまは、ガレス団長の指摘に1つ1つ頷き、時には質問までされていた。
さすが、カナデさまでいらっしゃる。
「わかりました、ガレス。次から気をつけます」
「精進されよ。がはははっ」
話が一段落するのを見計らい、私はずいっと前に進み出た。
「がははは、ではありません、ガレス団長」
「おう、どうしたよ、カリスト」
この人は……。
相変わらず、武道以外の事には、全く頓着されていないのだから……。
「団長。以前決裁をお願いした今月の配置表、どうされましたか?」
ガレス団長は腕を組むと、眉をひそめる。
沈黙。
「わふっ」
カナデさまが顔をごしごし、汗を拭われていた。
「ああ、そういえば見たな。どうしたかな……」
私は、がくりと肩を落とした。
「執政官さまから、催促が来ています。直ぐに探して下さい」
「ああ、探す、探す。それよりもカリスト」
ガレス団長が、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。
「白い顔しやがって。きちんと剣の鍛錬はしているんだろうな?」
「……団長が事務仕事をきちんとこなしていただければ、私も……」
確かに、ここ暫くは、剣を握っていない。
魔獣討伐任務で幾度か戦場には立ったが、最近はデスクワークが主だった。
部隊を円滑に運用するには、膨大な事務仕事が必要不可欠なのだから、しょうがない。しかし、剣を取る事が騎士の本分であれば、少し後ろめたいところも確かにあった。
「ほれ」
ガレス団長が木剣を私に押し付けた。
「カナデさまと手合わせして来い。鈍ったお前の剣に、良い刺激になるだろう。お嬢、もう一戦如何ですかな?」
ガレス団長が振り向くと、美味しそうにコップの水を飲み、ぷいっと息を吐いておられたカナデさまが、ニコッと微笑まれた。
「おおっ、次は副団長さまか!」
「副団長って強いのか?」
「ああ、凄い……らしいぞ」
「でもカナデさまにはなぁ〜」
既にギャラリーが騒ぎ始めた。
……こうなれば、引くに引けない、か。
立場上、あまり周囲に侮られるのも問題だ。
私は大きく溜め息を吐いた。
そして、シャツの袖を捲り上げると、練兵場の真ん中に進み出た。
「カリストとは初めてですね」
お互い礼をし、木剣を向け合うと、カナデさまが明るい声で話し掛けて来られた。
それだけで、強い、と思う。
木とは言え、剣を向けられてあの落ち着かれ様。
少しも気負いが感じられない。
相当の場数を踏まなければ、なかなかこうはいかないだろう。
どう攻めるか……。
ふと、木剣を握るカナデさまの細い指が視界に入った。
絆創膏が幾つも貼られ、包帯まで……。
指を切られたのだろうか?
あんなに沢山……。
「カリスト!集中しろ!」
ガレス団長の激。
はっとする。
タンっと床が鳴った。
瞬間、私よりも低い位置にあるカナデさまの頭が、一瞬消えたような錯覚と共にこちらに踏み込んで来た。
くっ……!
は、速い!
巧妙なフェイントを織り交ぜながら、縦横無尽に襲いかかって来る斬撃。
私は、辛うじてそれらを弾き返す。
後退する。
銀色の髪が、まるで生き物のように広がり、カナデさまの後を追う。
迫る緑の瞳。
先程まで、ほわっと微笑んでらっしゃった柔らかな光は既になく、真剣のような鋭い煌めきが右に左に複雑な軌道を描き、迫ってくる。
そのお姿が、眼前でさっと消える。
死角に入り込まれた……?
私はとっさに前に回転し、ごろごろと床を転がると、間合いを取った。
「副団長もなかなかやるな!」
「いや、カナデさまだろ。連戦されてる動きじゃないぜ、あれ」
周囲の声。
いや……。
きりっとこちらを睨まれるカナデさまは、確かに速い。
しかし、その額には玉の汗が浮かんでいるし、胸の上下も激しい。
疲れておられる。
しかし、それでも、スピードではかなわない。
ならば……。
カナデさまが間合いを詰める。
今度はこちらも向かっていく。
幾合かの後。
待ち構えていた軌道で、カナデさまの木剣が振り上がって来た。
よしっ、ここだ!
スピードでダメなら、力勝負だ。
私は、カナデさまの剣を受け止めると鍔を合わせた。
そして、そのまま上からぐいっと押し込んだ。
力は男である私が上。
さらに身長もこちらが上。
このまま押し込めば……!
カナデさまが必死に押し返そうとされる。
不用意に離れれば、その時こそ私の剣が迫る事を承知されているのだ。
ならば、あと一歩……。
私は、必死に耐えられるカナデさまの足の間に、自分の足を差し込んだ。
「あわっ!」
不意を突かれ、カナデさまが体勢を崩される。
しかし。
「おおっ!」
カナデさまが転倒される瞬間、木剣を離し、私の手を引かれた。
私もぐらりとバランスが崩れる。
そしてそのまま、どてんっと冷たい床の上に倒れ込んだ。
……痛っ。
私が放り投げてしまった木剣が、カランと床の上に落ちる音が聞こえた。
……不覚。
騎士たちの前で、こんな無様な姿を晒すなんて、副団長失格だ。
くっ。
しかし。
膝と肘の鈍い痛みの中で、胸の中に柔らかな感触を感じる。
温かくて柔らかくて小さいものが、私の体の下でもぞもぞ動いていた。
鼻につく甘い香。
「…むい、でふ。かりふと」
もぞもぞ。
首筋にふっと息がかかる。
「かりふと、おむい」
……カナデさま。
頭が真っ白になる。
わ、わ、わ、わ、私は、なんて事を!
主の、ご、ご、ご令嬢を押し倒すなんて!
慌ててどこうとして。
「ああ、シリスティエール殿下」
ぼそりと呟くガレス団長の声。
背筋に冷たいものが駆け抜けていく。
シリスティエール殿下とカナデさまの仲は、もはや公然の秘密。このような場を見られたら、王統府との関係に亀裂が……。
外交問題……。侯爵家お取り潰し……!
私はバネ仕掛けの人形のように跳ね置きると、辺りを見回した。
ニヤニヤする騎士たち。
感嘆。羨望。妬み。どす黒い嫉妬。
様々な目が、無言の圧力となり私を射抜く。
冷汗が流れ落ちる。
しかし、その中にシリスティエール殿下の姿は無く……。
「冗談だ」
……。
ガレス団長……。
「あ、殿下じゃなくて、リリアンナが来ておりますぞ、お嬢」
リいっ!
再び見回す。
騎士たちの囲みの間に、スラリとしたメイド長が立っていた。
いつもの様に背筋を延ばした美しい立ち姿に、凛とした佇まい。眼鏡の奥の理知的で静かな瞳。その美しい目が、すっと細まり私を見据えた。
「ち、違うんです、リリアンナさま……」
絶望感が心を支配する。
リリアンナさまに、き、嫌われた……。
「カナデさま。参りますよ」
「はい、リリアンナさん」
たたたっと駆けてくるカナデさま。
「カリスト、ありがとうございました」
カナデさまは、どこまでも礼儀正しく私に礼をされると、リリアンナさまと連れ立って練兵場を後にされる。
「カナデさま。お客さまの前にシャワーですね」
「そうなんです、もう汗でベトベトで……」
「あまり無理はされませんように」
「はいっ。あ、お客さんって……」
「ユイさまです」
私は、呆然と歩み去られるお二人の背中を見送る。
その私の肩に置かれる大きな手。
ガレス団長が、少し同情するように微笑んでいた。
なんたる不覚。
騎士たちの前で。あまつさえリリアンナさまの前で、あのような醜態を晒してしまうとは……。
私は、やっと発見した書類に今更ながら署名しているガレス団長の執務机の前で、はぁっと溜め息を吐いた。
カリカリとペンを走らせる音の後、ガレス団長が、んっと書類を差し出して来る。私はそれを受け取り、内容を確認した。
後は、これを主席執政官の元に提出するだけだ……。
「カリスト。無様だな」
ガレス団長がガリガリと後頭部を掻くと、ドカッと椅子にもたれ掛かった。
「面目次第もありません……」
元はといえば、私が剣の鍛錬を怠っていたからだ。急な事態にもきちんと対応出来ていれば、カナデさまの上に倒れることもなかった。
「……剣もだが」
ガレス団長がニヤリと笑った。
「リリアンナか?あれは、良い女だが、恐いぞ?」
ドキっとしてしまう。何故団長に感づかれた?
私が何も言えずに目を泳がせていると、ガレス団長はくくくっと笑った。そして、急に真面目な顔をする。
「カリスト。任務を命じる」
「はっ!」
低いガレス団長の声に、条件反射的に私は姿勢を正した。
「3日後。カナデさまは、侯爵領内の各街を表敬訪問される。お前は隊を率い、お嬢を護衛して差し上げろ」
「はっ!」
そうだ。
今は失敗ばかりを悔いていてもしょうがない。体を動かしていれば、余計なことを考えずに済むだろう。
「ちなみに。カナデさまにはリリアンナも同行する。名誉挽回してこい」
ニヤリと笑い顎を撫でるガレス団長。
一瞬私は鼻白む。
少し、頭痛がした。
読んでいただき、ありがとうございました!