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EXAct:始まり1

「はぁ〜、眠みぃ」

 白燐騎士団練兵場の隅に陣取った俺は、欠伸をかみ殺しながら大きく伸びをした。

 短髪の頭を掻きむしり、随分と雲が高くなった空を見上げる。

 日向ぼっこが気持ち良い季節になった。心なしか風が冷たい気がするが、このまま横になったら、速攻寝ちまえる自信がある。

「おい、シュバルツ」

「ああ?」

 俺は隣に並んだ優男を見遣る。

 同期入団の同僚騎士フェルドが、半眼で俺を睨み付けていた。

「姿勢を正せ。間もなくお付きだぞ」

 リムウェア侯爵家の城塞から、鐘の音が響いていた。尖塔の物見が、航空船の接近を告げているのだ。

 カナデお嬢を乗せた船が、やっとこさインベルストに帰還する。

 俺たち騎士団はもちろんの事、文官連中や屋敷の使用人共までが総出でこの練兵場に集まっているのは、もちろん我らがカナデお嬢をお迎えするためだった。

「侯爵さま並びに、前王陛下ご夫妻のご到着である。総員、姿勢を正せ!剣を捧げよ!」

 騎士団長であるガレスのおっさんが声を張り上げた。

 しょうがねぇ。

 俺もフェルドと同じように背筋を伸ばした。

 居並ぶ騎士たち、つまり俺らは、一斉に抜剣すると剣を掲げる。儀礼用の白刃が、陽光を受けてきらりと輝いた。

 練兵場に到着した3台の馬車から、ぞろぞろと人が降りて来た。我らが主、レグルス候と、どういう訳かリムウェア侯爵領に長期逗留中のリングドワイスたちだ。

 奴らのお陰で、退屈な警備任務が増加中だ。屋敷や城塞の警備だけでなく、川向うの離宮の警備もある。俺たちは迷惑しているんだ、実際のところ。

 剣を掲げたまま、俺は、はあっと大袈裟に溜め息を吐いた。

 またフェルドの野郎が睨んで来やがる。

 けっ。

 ああ、戦いてぇ!魔獣をぶち殺してぇなぁ!

 俺がささやかな願いを胸の内で反芻していると、遠く雷のような音が聞こえて来た。

 誰かが北の空を指差す。

 蒼穹にポツリと黒い点が見えた。

 その影は、急速に大きくなり始めると、あっという間に俺たちの頭上に飛来した。

 あの小生意気なガキが操縦するリコット号だ。

 こんな機械仕掛けの船が空を飛ぶんだから、大した時代になったもんだよな。

 航空船の回転翼が巻き起こす風に、女どもが悲鳴を上げやがる。

 主殿と前王陛下は、平然とした様子でゆっくりと降りてくる航空船を見上げていた。

 さすがだぜ。

 主殿もだが、前王陛下も音に聞く武闘派。若い頃は自ら戦場を駆けた剣士と聞くし、一度でいいから手合わせしてみたいもんだ。

 ずしんと、航空船が着陸した。土埃が舞い上がる。

「お願いします!」

「よし、引け!」

 航空船の甲板から、冒険者ユウトやその仲間達が、係留索を投げて来た。それを騎士や兵どもが固定にかかり始める。

 リコット号の後部扉が開く。

 銀髪が風に舞う。騎士服の燕尾がはためいていた。

 カナデお嬢が、ゆっくりと現れた。

「皆さま、お出迎えありがとうございます!」

 お嬢の涼やかな声が響き渡った。

 なんかこの声を聞くと、やる気が出て来るから不思議だよなっ!

 皆揃って頭を下げた後は、一斉に歓声が沸き起こった。

「お帰りなさい!」

「お疲れ様でした!」

「カナデさま、お待ちしておりました!」

「カナデさま、お土産!」

 皆に手を振って応えるお嬢。白く細い指が優雅に揺れる。身に着けているのは、俺たちだって着る騎士服なのに、何であんなに優雅に見えるんだろうな。

 口々に声を上げる取り巻きの間を抜けて、お嬢は主殿と前王夫妻のもとに駆け寄った。

 俺たちの待機してるところからは遠かったから、何の話をしているかまでは聞こえなかったが……。

 まぁ、あの輝くようなあの表情を見てたら、だいたいは想像出来るわな。

「お元気そうだな」

「ああ。今からでも剣の手合わせができそうだぜ」

「……お前は」

 呆れるフェルドに、俺はニヤリと笑う。

 お嬢には、今まで散々稽古つけてやったんだ。最近は、あんまり頼んで来なくなったがな。

 ……別に、寂しいとかそう言うんじゃねえけど。

 おっ、主殿がお嬢を抱き締めている。

 ギュッと拘束されたカナデお嬢が、だんだんとバタバタもがき始めた。すると今度は、前王妃がお嬢を奪い取った。また抱き締められて、苦しそうに動くお嬢。

 航空船から降り立ったシリスティエール殿下が、微笑ましそうにその光景を見つめていた。殿下、助けてやらんのか。

 ……しかしまあ、親としちゃ心配だわな。

 今回の旅にしたって、王弟殿下との婚前旅行とは表向きの話だ。実際は、王陛下に請われて北部不穏分子との調停に駆り出されたとか何とか。

 なんでうちのお嬢がと思わんでもないが、頑張りすぎて周囲の期待に応えちまうのがあのお嬢だ。その分余計に周りも頼っちまうってのが、本音だと思う。

 主殿と前王妃殿の間でもみくちゃにされているお嬢のもとに、メイドが走り寄った。

 あの空気の読めなさは、ユナだな。

 しかし、ユナの特攻を機に、周りの者もカナデお嬢のもとに集まりだした。

「しかしよ。そんなにもお嬢がいいのか?」

 俺はその光景を遠巻きにしながら、ふんっと鼻を鳴らした。

「カナデさま、カナデさまって、ありゃ主じゃなくて、人気の役者とか歌手とかに対する態度だぜ」

 ったく、軟弱極まりない。

「シュバルツは、カナデさまが嫌いか?」

 フェルドは眉を釣り上げ俺を見た。

「……嫌いじゃねーよ。あれは、女にしとくには得難い剣士だし、指揮官だ。だから、俺たちはそれに相応しい態度でだな……」

「要するに、カナデさまと同年代の若い嫁をもらって、余裕ぶってるわけだ、お前は」

 なっ!

 なんて事を言いやがる!

「ヘ、ヘルミーナは関係ねぇだろっ!」

 俺はフェルドの野郎をきっと睨み付けてやった。

 ヘルミーナは、王直騎士団の騎士養成学校上がりの新米だ。そして、どういう訳か今は俺の嫁。ついこの前結婚したばかりの……。

 俺は、ふんっと再びお嬢の方に目を向けた。

 人混みの中に、銀髪の頭がひょこひょこ揺れていた。背の低いお嬢が人に埋もれている。

 不意にその人の壁が裂けて、お嬢の顔が見えた。そのタイミングで、お嬢は偶然俺の方を見る。

 人いきれで上気したピンクの頬。はらりと垂れて来た銀の髪の房。それを掻き上げて、カナデさまはにっこり微笑んだ。

 俺に向かって。

 うおっ……。

 お、おおお……。

 俺は軽く手を上げて見せる。

 お嬢は軽く頷く。

 その途端、再び取り巻きの所為で見えなくなってしまった。

「……何だ、浮気か?」

 人の悪そうな笑みを浮かべたフェルドが、横目で俺を見ていた。

「う、うるせーよ……」

 俺はぎろりとフェルドの野郎を睨み付けると、ふんっと明後日の方向に視線を送った。



 お嬢が帰還してしばらく経つと、リムウェア侯爵家家中もあっという間に通常態勢に落ち着いちまった。

 昼寝の時間みたいな弛緩した空気が、屋敷を満たしている。

 それは、まあ大多数の人間にとっては良いことだろうが、なんにせよ、暇だ。

 今のうちに、来たるべきインベルスト豊穣祭の警備計画でもカリスト副団長と話しておくかな。しかし、早く帰らんとヘルミーナがへそ曲げるしなぁ。

 俺はぼんやりとそんな事を考えながら、屋敷の門灯を眺めていた。

 時刻は夕暮れ。たった今執事長のアレクスが、門灯を灯していったばかりだった。

 夕焼けの茜色は、群青の夜色に塗りかえられて行く。自然と欠伸が出てくる。

 今晩は夜勤だった。

 俺が隊長となって、俺以下1個小隊が一晩中屋敷の警備に就くのだ。俺は今、屋敷の正面玄関で警戒中だ。他の部下たちも、それぞれの場所で警備に就いている。

 もっとも、何が起こるわけでもない。暇な任務だ。

 インベルストにも悪党はいるが、好き好んで侯爵家に乗り込んで来る阿呆はいない。まぁ、侯爵領がそんだけ平和だという事だな。主殿の後をカナデお嬢が継げば、インベルストはこのまま安泰だろうなぁと思う。

 おっ、噂をすればお嬢だ。

 街灯に照らされた庭園の中を、背の高い王弟殿下と背の低いお嬢のでこぼこコンビが、ゆっくりとした足取りで屋敷に向かって歩いて来る。後ろに手を組んで、にこやかな表情で王弟殿下を見上げるカナデさま。その話に耳を傾け、なにやら相槌を打っているシリスティエール殿下。

 仲睦まじいっつーか、何つーか……。

「あ。シュバルツ、お疲れ様です」

 警備が俺だとわかると、カナデお嬢はニコッと笑って駆け寄ってくる。王弟殿下に向けるはにかんだ笑顔ではない。まるで悪友を見つけたガキみたい笑顔だった。

「今日は早いお帰りだな。そういえば、主殿ももうお帰りだぜ」

「そうなんです。そのお父さまに来るように言われてて」

 純白のブラウスにピンクのリボンタイを締め、スカート姿を揺らすお嬢は、胸の下で腕を組む。形の良い胸が強調される。

 見ちまうぜ、全く……。

「そうだ、シュバルツ。お祭りの警備の件ですけど……」

「ああ、副団長と詰めるかと思ってたところだ」

 俺は視線を上げて、真面目なことに、仕事の話をする。他にも、騎士団の編成の話に、武術の稽古の話。お嬢は、人懐っこく色んな話をして来る。

 どうも俺はこの面の所為か、女どもには嫌厭されがちだ。しかし、お嬢は気軽に俺に接して来る。あの祭りの会場で共闘してからずっとだ。他に気軽に話しかけて来た女は、嫁ぐらいなもんだ。

 そう言えば、ヘルミーナはお嬢とも仲が良かったな。

 一通り話し終えると、お嬢は「では」と頷き、屋敷の扉に手をかけた。

 去り際、突然何かを思い付いたかのようにくるりと振り返るお嬢。門灯が照らすオレンジの光の中で、銀糸の髪がふわりと舞う。

「そうだ、シュバルツ。後で差し入れ持って来ます。今日の晩ご飯はお肉だって、料理長が言ってたから」

「うお、マジかっ」

 俺がオーバーアクションで喜んでやると、お嬢はニコリと柔らかく微笑んだ。  

 ……まったく、剣姫やってる時とは全く違う表情なんだから、ずりーよな。

「それとも、ヘルミーナの愛妻弁当があれば、不要ですか、お肉?」

「ふんっ、肉は別腹だ」

 俺はどんっと胸を張った。

 健康の為だとか何とかで、ヘルミーナの弁当は野菜が多い。今日の弁当も、多分そうだろう。

 やっぱり食いてぇ、肉。

「カナデ」

「あっ、今行きます、シリス」

 王弟殿下に呼ばれて、お嬢が屋敷の中に消えて行く。お嬢がいなくなると、周囲は一気に静まり返ってしまった。

 夜は、そのまま静かに更けていく。

 交代時間がやって来て部下と歩哨を代わった俺は、屋敷のエントランス脇に設置された警備詰め所に入った。

 警備日誌の作成や報告書の取り纏めなど、あれこれと雑務は多い。騎士というのは、剣腕だけではやっていけないんだ。

 今夜も異常なし。まったく、静かなもんだ。

 俺は書類を机の隅に追いやると、大きく伸びをした。

 ヘルミーナの奴は、もう寝たかな?あいつ、戸締まりはちゃんとやったか?

 天井を見ながらぼんやり考える。

 そこに、不意にノックの音が響いた。

「何だ?」

 扉を開き、そっと入って来たのはカナデお嬢だった。

 お嬢は、堅苦しい仕事着からゆったりとした私服に着替え、緑の髪留めでふわりとまとめた髪を肩口に垂らしていた。

 服装はリラックスしたものだったが、どうも様子がおかしい。

 目に光がないっつーか、いつもの覇気がないっつーか……。少なくとも、さっき話した時とは別人のような雰囲気だった。

 お嬢は手に皿を持っていた。その上には、ゴロッとしたローストビーフの塊が鎮座していた。

「本当に持って来てくれたのか。悪いな、お嬢」

 取りあえず、そう話し掛けてみる。

「……どぞ」

「ああ。しかし、塊だな。ナイフはないのか?」

 俺は受け取った皿に肉の塊しか乗っていないのを確認して、皮肉っぽく口を歪め、お嬢を見た。

 しかし、お嬢の反応はない。やって来た時と同じ様に、ぼおっとしたままだ。

 何だ?

「おい、お嬢。大丈夫か?」

 そのままゴーレム兵器みたいな動きで詰所から出て行こうとするお嬢に、俺は言葉を掛けた。

 俺の言葉に、お嬢はビクッと肩を震わせる。

「カナデさまよ、何かあったのか?」

 お嬢がギリギリと振り返る。

 その顔を見て、俺はギクリとしてしまった。

 ……まさか、この俺さまが気圧されてしまうとは。

 きゅっと桜色の唇を引き結んだお嬢の顔。まるで、魔獣との戦いに赴く時に見せた顔と同じだった。

 ……戦いか?

 俺は全身を緊張させて、お嬢の言葉を待った。

 しかしカナデお嬢は、一瞬目を瞑ると、はぁと深く息を吐いた。

「……大丈夫、です。問題ありません」

 そして小さく俺に頭を下げると、ふわりとスカートを翻して警備詰め所から立ち去ってしまった。

 な、何なんだ?

 俺は眉をひそめながら手の中の皿を見る。

 お嬢の悲壮感すら漂わせた覚悟の表情。

 一体何が起ころとしているんだ?



 俺がその答えを知ることになったのは、それから一週間後の事だった。

 それは朝から雨が降っていた日。リムウェア侯爵家家中の主だった面々が集まる定例幹部級会議での事だった。

 行政府4階の大会議室には、騎士団からは隊長クラスまでの面子が揃っていた。事務方は執政官だけでなく、主だった文官までいやがる。それに執事長のアレクスやメイド長のリリアンナ。本来なら侯爵領の運営には無関係な筈の前国王夫妻の顔まであった。

 上席にはもちろん、カナデお嬢と王弟殿下の姿もある。

 ぴしっとしたブレザーとスカートに、髪をお団子にまとめた仕事スタイルのカナデお嬢は、厳しい表情をしていた。腕をぴんと伸ばし、スカートの膝の上で握り拳を作っている姿は、まるで何かに耐えているかのようだった。

 心なしか、顔が赤い気がする。

 ……ったく、大丈夫かよ。

 会議は、いつもより大規模だったが、特段変わったことはなかった。議題は、もちろんインベルスト豊穣祭に関してだ。

 そのもろもろの話が一段落したところで、主殿がおもむろに皆の前に立った。

 演壇に立ち、皆を睥睨する鋭い視線。

「皆。本日は重大な知らせがある」

 良く通る低い声が響き渡った。

 その声音に只ならぬものを感じたのか、出席者が一様に姿勢を正した。

「わし、レグルス・リムウェアは、リムウェア侯爵家の家督を、我が娘カナデに譲る決断を下した。今回の豊穣祭では、その事を正式に内外に示そうと思う」

 ……来たか。

 俺は睨みつけるように、壇上の主殿を見た。

 会場がどよめいていた。

 主殿がお嬢に家督を譲るという話は、あの魔獣との戦いが終わってから常に囁かれていたものだ。しかし、実際に宣言されると、皆驚きを隠せないのだろう。

「正式な譲位はまだ先になろうが、わしの意は示したいと思う。皆には、これからもカナデを支え、リムウェア領の為に注力して欲しい」

「「はっ!」」

 すぐさまガレス団長以下騎士団が力強い応答の声を上げた。俺も声を張る。事務方も、声を合わせて主殿に応えているのがわかった。

 反対するものなど、侯爵家にいようか。

 興奮と期待、そして僅かばかりの変化への不安で、激しくざわめく会場。しかし、主殿が一向に下がらないのに気が付くと、その喧騒はすっと静まって行った。

 皆が静まるのを待って、主殿はさらに言葉を続ける。

「あわせて、豊穣祭の後、カナデとシリスティエール殿下の婚儀を執り行うものとする」

 婚儀……結婚式!

 会場の空気が瞬間的に固まった。

 皆の視線が、一斉にカナデお嬢に注がれる。

 お嬢は、毅然と顔を上げて俺たちを見返していた。凛とした表情には、あの強い決意が滲み出ていた。

 ……ただし、顔は真っ赤だったが。

 この前からお嬢の様子がおかしかったのは、これか!

「皆。これからのリムウェア領を担う2人を、我らの未来を担う2人を、どうか祝福してやって欲しい。これが、リムウェア侯爵としてのわしの最後の望みだ」

 静かに厳かな主殿の言葉に、会場が静まり返った。

 しかしそれも一瞬のこと。

「カナデさま、おめでとうございます!」

「おめでとうございます!」

「心より祝福申し上げます、カナデさま!」

「殿下、カナデさまをお頼み致します!」

「お、俺のカナデさまがぁ〜」

 爆発するように、歓声が溢れ返った。

 皆の声は、先ほどの家督の話の時よりもさらに大きく膨れ上がる。

 くくくっ。そうか。お嬢は、この話に緊張して固まっていたのか!

 当のカナデさまは、まだガチガチのまま、ぴくりとも動かねぇけどな。

 くく、本当に、大丈夫かよ?

 シリスティエール殿下がお嬢の肩をそっと叩く。ぎこちなく王弟殿下を振り返ったお嬢は、カクカクと頷くと、立ち上がった。

 前に進み出るお嬢。

 あっ、何もない所で躓いた……。

 足元を警戒してか、床をじっと見詰めるように皆の前に立つお嬢に、主殿は場所を譲るとそっと退いた。

 カナデさまが顔を上げる。

 皆を見詰める。

 その顔はまだ恥ずかしそうだったが、緑の大きな瞳は、強い光を放っていた。

 ああ。

 俺は知っている。

 この顔は、お嬢が剣を握った時の顔だ。

 会場はすうっと静まり返って行った。

「みんな」

 凛とした声が響き渡る。

 沈黙。

 しかしお嬢は、直ぐに再び口を開いた。

「リムウェア侯爵位を継ぐと言うこと。それがどれだけ重大であるのか、私は理解しているつもりです。いえ。みんなのおかげで、理解する事ができました」

 お嬢は少しだけ目をつむり、また前を見た。

「リムウェア領に暮らす沢山の人々の暮らし。それは、太陽が昇ってまた沈むみたいに、当たり前に明日に続いて行くものです。でも、その当たり前が決して永遠でない。絶対でないことは、先の魔獣との戦いを見ても明らかなのです」

 戦いを思い出したのか、誰かが深く息を吐くのが聞こえた。

「私は、お父さまのもとにやって来てから今までのほんの短い間に、平和の、そんな当たり前の生活の大切さを思い知りました。しかし同時に、それを守る術も学ぶ事が出来たと思いっています。

 騎士団のみんな。

 行政府のみんな。

 お屋敷のみんな。

 私たちみんなは、領民たちのこの当たり前の生活を支える仕事をしているんです」

 お嬢は、一言一言確かめるように言葉を紡ぐ。

「私にそんなみんなの先頭に立つ事が、出来るのでしょうか?お父さまから爵位の譲るお話をいただいてからは、ずっとその疑問が胸の中に渦巻いていました」

 お嬢はそっと胸に手を当てた。

「でも、こう思う事にしたんです!出きるか、ではなく、やって見せるって!私に暖かく声を掛けてくれるみんなと、一緒に歩んで行ってくれるパートナーがいれば、きっと大丈夫だと思えるんです!」

 カナデさまの隣にそっと歩み寄ったシリスティエール殿下が、お嬢の細い肩に手を置いた。

 一瞬交錯する2人の視線。

「どうか。みんな、共に。これからも、よろしくお願いします!」

 ふんっ。

 俺は、壇上の2人から目を背けた。

 何を今更言ってんだっつーの。

 お嬢の他に、誰が俺たちの上に立つって?

 そんな奴いるわけねーよな。

 当たり前だ。

 俺たちは。リムウェア侯爵家は、もうカナデさまなくては成り立たないんだぜ?

 拍手が起こる。

 それは一瞬にして、行政府の建物を揺らしているんじゃないかと思える程の大きさで轟いた。

 万雷の拍手。

 ほっと柔らかな笑みを浮かべるお嬢。

 ありがとう。

 小さな唇が、そっとそう動いた気がした。

 俺は机に肘をつきながら、壇上を見詰める。何故かニヤついちまうのは、場の空気に流されているからだろう。

 まぁ、俺さまを討伐任務専従にしてくれるなら、領主として100点満点をくれてやってもいいがな。

 しかしまぁ何にせよ。これからは、忙しくなるって訳だ。

 豊穣祭の準備に、お嬢の結婚式。それに侯爵位の交代。

 やるべき事は、文字通り山積みだ。

 血湧き肉踊るような戦闘は、当分おあずけか。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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