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EXAct:お姫さま1

 夏の午後の眩い陽光がさんさんと降り注ぐ王都エクス・クレアデスの大通り。

 街路樹の眩しい緑に、行き交う人々の色とりどりの装い。

 いつものとおり活気で満ちた街路を見つめていると、王都に、私の故郷に帰ってきたんだなという実感が湧いて来ます。

 開け放たれた馬車の車窓から吹き込む暖かな風に髪を揺らしながら、私は思わずふふっと微笑んでしまいました。

 沿道を行く人たちの中には、こちらに気がつく方々もいらっしゃいます。

 騎士隊に囲まれた物々しい一行なのですから、どうしても目立ってしまいますね。

 私は、微笑みながら彼らに向かってゆっくりと手を振ります。

 私を乗せた馬車は、そんな街中を通り抜けて王都の西の一角に向かっていました。

 王都の西部は、学校や美術館、博物館などが立ち並ぶ静かな地区です。

 私が王都帰還そうそう、王城のお父さまやお母さまにご挨拶してから真っ直ぐにそちらへ向かっているのは、その地区に私のお気に入りの場所があるからなのです。

「ルナルワースさま。到着いたします」

 小窓の向こうの御者台から報告を受けたじいやが、私に恭しく頭を下げました。

「わかりました」

 私はうきうきと弾む胸の内を晒さないよう、落ち着いて答えます。

 だって、王族の、リングドワイスの女たるもの、いついかなる時もエレガントに振る舞えるように務めなければいけないのですもの。

 馬車は、ゆっくりとした速度で芝生輝く庭園の中の小径に入って行きます。その先には、落ち着いた雰囲気の大きな建物がありました。

 馬車が停車したのは、その建物の正面玄関。見事な装飾が施された大きな扉が、いつもと変わらず私を迎えてくれます。

「ルナルワース殿下。こちらに」

「ありがとう、アリアス」

 馬車の扉を開いて手を差し出してくれた女性騎士アリアスにエスコートされ、私はその施設に足を踏み入れました。

 扉を開いて建物に足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気と一緒に、年月を経た紙の独特な匂いが、ふわりと漂って来ました。

 私の大好きな匂い。

 そう、図書館の香りです。

 ここは、国内随一の蔵書を誇る王立図書館なのです。

 私はアリアスだけをお供に、萌葱色のドレスの裾をなびかせて、カツカツと図書館の奥へ奥へと進んで行きます。目的地は、リングドワイスや許可された一部の者しか入室を許されない特別書架。

「しかし、ルナルワース殿下」

 背後からアリアスが話し掛けて来ました。

「東公領の視察が終わり、やっと王都に戻られたばかり。図書館に来られるにしても、お休みになられた後でも良かったのではありませんか?」

 確かに、ね。

 私は今朝方、長い長い東方からの旅から帰ったばかりなのです。

 王族と言えども、いつもいつも遊んで暮らしている訳ではありません。

 結構多忙なのです。

 私のようなリングドワイスの末席にも、各領地の表敬訪問や会議への出席など、お仕事は目白押しです。

 私の姿を見つけ、慌てて立ち上がって頭を下げる司書の方々に微笑みかけながら、私は少しだけアリアスを振り返りました。

「だって、アリアス。旅の間に読もうと持参した物語は、とっくに全部読んでしまったでしょう?急いで今夜読むお話を探さなければ……」

 これはとても大切な事です!

 ワクワクするような冒険譚。胸がキュンとするロマンス。

 そんな物語の世界に浸ることが、私の最大の楽しみなのですから。

 アリアスが、呆れたように背後でそっと息を吐きました。

 私はふふふっと笑って、敬礼する衛兵たちの間を意気揚々と通り抜けていきます。



 もちろん、王城にも図書室はありますよ。

 でもあちらは、難しい学術書や面白くない資料ばかりなので、あまり私の役にはたちません。

 その点、ここの図書館の物語は、それこそ読み切れないくらいなんです。

 胸を踊らせながら二階奥の特別書架に入ると、私は珍しく先客があるのに気がつきました。

 書架の間からひょっこりと閲覧席をのぞき込むと、黒い僧衣の女性が分厚い本に目を落としていました。

 天窓から降り注ぐ光が、彼女の黒髪を輝かせています。僧衣姿も相まって、どこか神聖な空気が漂っているような感じがしました。

「あら、ユイさまではありませんか?」

 私はアリアスを待機させて、僧衣の彼女、ユイさまに歩み寄りました。

「ルナルワース殿下」

 ユイさまは立ち上がると、一礼されました。

 私たちは、お互い挨拶を交わします。

 ユイさまは、叔父であるシリスお兄さまの婚約者、カナデ・リムウェアさまのご友人。さらに、現在教会の中でも時の人となりつつある聖母さまなのです。

 私も、ユイさまとは教会関係の公式行事で幾度かご一緒した事がありました。

「ユイさまは何を読んでらっしゃるのですか?」

 挨拶も一通り終えた後、私はユイさまの手元の本を覗き込みました。

「こちらは、創世記ですね。片翼の女神の降臨と、天から来る禍との戦いのお話です」

 ユイさまは柔らかな笑みを浮かべられます。

「まぁ、難しいものをお読みなんですねっ。私なんて物語以外は直ぐに眠くなっちゃって」

 私は手を合わせてユイさまに尊敬の眼差しを送ります。

「ルナルワース殿下は物語が好きでらっしゃるんですか?」

 ユイさまのふわりとした物腰。

 まだお若いのに、まるで、お母さん、みたいな印象を受けてしまいます……。

「はい、そうなんです。あっ、そうだ」

 私は少し昔の事を思い出して、微笑んでしまいました。

「カナデお姉さま」

「カナデちゃん?」

 私が不意に漏らしたそのお名前に、ユイさまはきょとんとされました。

「はい。実は、私がカナデお姉さまに興味を抱いたのも、ここの本のおかげなんですよ」

 そう。

 カナデお姉さまと私の、そしてシリスお兄さまとの運命の出会い……。

「……ルナルワース殿下?」

 こちらを見詰めるユイさまに、私は微笑みます。



 あれは、ちょうどこんな暑い季節の事だったと思います。

 私に、お父さま、つまり国王陛下から下命がありました。

 南部の有力貴族、リムウェア侯爵家のお祭りに、リングドワイスとして参加しろというものです。

 別の任務を帯びられたシリスお兄さまとも同行する事になって、楽しい旅でした。

 その道中、お供として持参したのが、ここの図書室の本なのです。

「それは、小国の王女さまが、自ら剣を手に取り、自国を守るお話だったんです」

 私は手を合わせて目線を天井のステンドグラスに送りながら、その物語を思い出します。

「そこで私は、ふっと感じるものがあったんです。剣が得手だとおっしゃるお姫さま。まるで、これから伺うリムウェア家のご令嬢さまみたいではないかと」

 私の心は、それからカナデお姉さまへの期待と憧れで膨れ上がって行きました。

 剣を使う女性なら、珍しくはありません。そこに控えるアリアスだって、女性の騎士です。

 しかし、やんごとなきご身分にありながら自ら剣を手に取るというそのお姿に、私は物語の主人公を重ねるようになったのでした。

「実際お会いしてみると、カナデお姉さまは予想に違わぬ素敵なお方でした。まるで少年のように潔くて……」

「……ははは」

 何故かユイさまが、少し乾いた笑いを浮かべられます。

「あの後色々な騒ぎや、大きな戦いがあって、ますます活躍されるカナデお姉さまは、もう私の憧れのお姉さまです。ただ、お忙し過ぎてなかなかお会い出来ないのが、少し残念ではあるのですけれど……」

 カナデお姉さまが王都に滞在されている時期もありましたけれど、私の外遊なども重なって、あまりじっくりとお会い出来る機会がありませんでした。

「それなのに、シリスお兄さまばかりがどんどんと仲良くなって……、本当にずるいんですよ」

 私が唇を尖らせて不満を漏らすと、ユイさまは優しい笑みで頷かれました。

「ルナルワース殿下。カナデちゃんを慕って下さって、ありがとうございます」

 ユイさまが深々と頭を下げられます。

「ユ、ユイさま?」

「そうして色んな方に思っていただける事が、きっとカナデちゃんの支えになっているのだと思います」

 ユイさま……。

 しんみりと私は頷きます。

「でも、久しぶりにカナデお姉さまにお会いしたいですね」

 私がふうって息を吐くと、ユイさまは少し首を傾げられました。

「ルナルワース殿下。お聞きではないのですか?」

 ん?

 私はユイさまを見つめます。

「カナデちゃんとシリス殿下。北公さまの所から戻られて、今は王都に滞在していますよ?」



 もう、お父さまとお母さまったら。

 カナデお姉さまとシリスお兄さまが来てらっしゃるなら、一言教えて下されば良いのに。

 図書館から帰城した私は、直ぐにお二人を探しました。

 けれども、何か重要な会議がおありとかで、結局会えずじまいに……。北部との復興支援交渉とか、支援案の取り纏め協議が、大詰めなのだとか。

 まぁ、良いでしょう。

 私も暫くはお休みです。お会い出来るチャンスは、まだまだあるはずなのですから。

 ここは大人しく、久しぶりの我が部屋のベッドで、読書に没頭なのです。

 夕食を済ませ、お風呂を済ませて髪を乾かした私は、そのままベッドにダイブしました。

 今日、ユイさまとお会いした後に借りてきた物語。

 よしっと気合いを入れて、物語の世界に没頭します。

 そして。

「ふうっ」

 エピローグを読み終え、また一つの物語が終わってしまった切なさに息を吐いた時。

 窓の外の風景は、もう白んでいました。

「あら、もう朝……」

 欠伸をかみ殺し、気怠さに身を預けながら窓辺に近付きます。

 私の部屋の窓辺からは、王城の周りを取り囲む緑地帯が良く見えました。

 見渡す王都の屋根たちが、キラキラと輝いています。

 空はだんだんと青になり始めた薄紫。

 小鳥の囀りと微風にそよぐ木々の緑が、今日もからっと晴れ上がるでしょう1日の始まりを予感させてくれました。

 これから眠ろうかな。

 どうしましょう。

 今日は、夜の晩餐会まで予定がありません。外遊戻りの今日くらい、寝坊しても、じいやは怒らないでしょう。

 ちなみに、夜の晩餐会はカナデお姉さまやシリスお兄さまもご出席との事。

 ふふふっ。楽しみです。

 私が踵を返してベッドに戻ろうとした時、視界の隅に動く人影が見えました。

 緑地の方です。

 目を凝らすと……。

 シンプルなシャツに、太ももが露わになるほど短いパンツ。一つにまとめた銀色の髪を揺らして、規則正しいリズムで駆け抜けて行くあのお姿は……。

「カナデお姉さま?」

 朝のランニング、かしら……。 まだ騎士たちの朝訓練も始まっていない時間なのに。

 ……何だか、無性にカナデお姉さまとお話がしたくなってしまいます。

 私は寝間着の上にカーディガンを引っ掛けて、部屋を飛び出してしまいました。

 階段を駆け下り、眠そうな守衛の間を走り抜けて城の外に飛び出します。

 ひやりとした空気に、思わず胸がきゅっとなってしまいました。

 カナデお姉さまは、緑地横の芝生広場にいらっしゃいました。

 ランニングを終えられたのか、膝に手をついて、肩で息をされていました。

 シャープな顎の先から、キラリと光る汗が落ちています。

 雪のようなお肌は、微かに上気していて、ほんのりとピンク色に染まっています。汗の所為で張り付いた白いシャツが、スタイルの良い体のラインを浮かび上がらせていました。

 華やかに着飾った貴婦人の美しさではありません。

 今そこにいるカナデお姉さまという存在の美しさに、同性の私も思わず息を呑んでしまいました。

 カナデお姉さまは、タオルで汗を拭いながら、素振りでもされるのでしょうか、芝生の上に置いてあった剣を取り上げられました。

 凛とした真剣な表情です。

 私が声をかけようと進み出ようとした瞬間。

 カナデお姉さまは、ふっと何かに気がついたか、動きを止められました。

 剣を置き、近くの植え込みに向かってしゃがみ込むカナデお姉さま。ふわりと髪を揺らして、辺りを警戒されています。

 私も、思わず近くの木に身を隠してしまいました。

「こっちです。ほらほらっ」

 カナデお姉さまの声?

 すると。

 ガサガサと茂みが揺れて、白い塊が飛び出して来ました。

 あれは……リリー?

 あれは、フィオナお母さまの飼い猫のリリーです。

 真っ白ふわふわな体躯に緑の瞳。鈴の付いた真紅のリボン。

 間違いありません。

 リリーは警戒するように辺りを見回しますが、直ぐにカナデお姉さまの足に体を擦り付け始めました。

 懐いている!

 あっ。

 凜としたカナデお姉さまのお顔が、みるみる幸せそうな笑顔に……。

 いつもの真面目な表情ではなく、男勝りに勇ましい……失礼、そんな表情でもなく、それは可憐な少女の笑顔。

 私は貴重な瞬間が見られた気がして、その笑顔から目が離せませんでした。

 リリーを撫でたり、そっと膝の上に上げたりするカナデお姉さま。

「それ、猫パンチ、どーん」

 ……太ももの間でリリーを抱え、前足を手にとって猫パンチのモーションを繰り出すカナデお姉さま。

 リリーもなされるがままです。

 あのプライドの高いリリーが……。

 よっぽどカナデお姉さまを気に入っているのでしょうか。

 カナデお姉さまが、何かを取り出しました。

 リリーが尻尾をぴんっと立てて、ふるふる震えています。

「にゃんこ、ご飯ですよ」

 餌付けしている!

 ……そう言えば昨日。

 最近、リリーがあまり餌を食べないとお母さまがおっしゃっていたのは、こういう訳だったのですか。

「くくくっ」

 そこに、微かに笑い声が聞こえました。

 カナデお姉さまがはっとして、周囲を見回します。

 私が隠れている場所とは反対側の木陰から、シリスお兄さまが現れました。

「シリス!」

 カナデお姉さまは慌ててリリーを隠すように立ち上がりました。

「み、見てたんですか……」

 恥ずかしそうに、ううう、と上目遣いの視線を送るカナデお姉さま。

「ああ、まぁあな。楽しませてもらった。まったく、お前は……。愛らしいな。俺が撫でてやろう」

 シリスお兄さまの言葉に、カナデお姉さまは輝くような笑顔を向けられます。

「シリスも猫、好きなんですか!」

 シリスお兄さまは一瞬、うっと言葉を詰まらせました。

「……まぁ、猫も、な」

 ふうっと息を吐くシリスお兄さま。

「それよりも鍛錬するんだろ?」

「あ、はい。お願いします」

 リリーに手を振り、てててっとお兄さまに駆け寄るカナデお姉さま。

 食事を終えたリリーは、私の方に走り寄って来ました。

 やっぱり仲が良いお2人。

 私は、足元にやって来たリリーをひょいと抱きかかえました。

 あの日、リムウェア様のお屋敷で出会い、暫く共に過ごしたカナデお姉さまとシリスお兄さまは、仲の良いお友達という感じでした。

 でも今は、こうして木剣を打ち合わせている時であっても、余人には立ち入れない親密な空気を感じます。

 そう、まるで家族、のような……。

 私は、リリーを抱いてそっとその場を後にする事にしました。

 お話は後でも出来ます。

 今は、楽しそうなお2人の邪魔をしたくなかったですから。



 煌びやかなシャンデリアの光。着飾った紳士淑女の皆さん。緩やかに流れる弦楽の調べと、甘く漂って来るお酒の香り。

 王都郊外の離宮で催された晩餐会は、華やかな空気で満ち溢れていました。

 今宵は、カナデお姉さまとシリスお兄さまの来訪と、北部復興計画の道筋が付いた事へのお祝いの会だとか。

 北公さま始め、北部貴族の方々と王統府の間を取り持つお働きをされたのもカナデお姉さまだといいます。

 さすが、カナデお姉さまなのです。

 内輪の会と言うことで、出席者は、リングドワイスとカナデお姉さまのお仲間方。西公さまと南公さま。それに王統府の高官の方々と有力貴族の方々だけです。この離宮のダンスホールも広々と使うことができて、どこかリラックスした雰囲気が漂っていました。

 お気に入りの薄黄のドレスに身を包み、髪を結い上げた私は、皆様にご挨拶回りをします。それを一通り終えると、グラスを片手に一息吐くことが出来ました。

 私は、壁際によって会場をさっと眺めてみます。

 肩肘の張らない会なので、気軽に談笑する声が響いていました。ただその会場の隅で、雨に濡れた子猫のように所在なさげに固まっているのは、カナデお姉さまのご友人方でしょうか。

「ちょっと、ラウル。ジュース取って来てよ」

「え……。嫌だよ、リコット」

「これ、お持ち帰り出来るかな、ねぇ、優人?」

「……やめろ。夏奈」

 そう言えば、リムウェア様のところで見た顔もちらほら。

 もくもくと料理を食べてらっしゃいます。

「ご機嫌よう、ルナルワース殿下」

 彼らに声をかけようとしていた私に、不意に声が掛かりました。振り向くと、黒を基調としたシックなドレスを身にまとった女性が、微笑みかけていました。

「ジュリエットさま?ご機嫌よう」

 私は膝を折ってご挨拶します。

 シリスお兄さまの幼なじみのジュリエットさまは、私の隣に立ってお話を始めました。

 当たり障りのない世間話でしたけれど、それが本題でないことは私にもわかりました。

 暫くお話した後、ジュリエットさまはお手元のグラスに口をつけてから、会場の中心に視線を送ります。

「……まったく。胡麻すりにご執心だこと」

 忌々しげに呟くジュリエットさま。

 その視線の先には、会場で一番の人だかりが出来ていました。

 その輪の中心にいらっしゃるのは、もちろんカナデお姉さま。背の低いお姉さまは、なんだか他の方々に埋もれてしまいそうですけれど……。

 カナデお姉さまは、ララナウの湖の水面のように鮮やかなブルーのロングドレス姿でした。とてもお似合いです。青く輝く花の髪飾りが、綺麗に結われた白銀の髪をより神秘的に見せていました。

 カナデお姉さまと一緒にいる赤髪の女性は、誰でしょうか。

 あまり見ない顔です。

「ルナルワース殿下。お伺いしたいことが」

 ジュリエットさまが私を見ます。

「シリスティエール殿下は、本当にご婚約を……」

 私は困ったように微笑みます。

 ジュリエットさまがシリスお兄さまを慕っていることは承知していますから。

 私がそっと頷くと、ジュリエットさまは再びカナデお姉さまを睨み付けました。

 どうしたものかと声をかけあぐねていると、ジュリエットさまは一礼して、私のもとから歩み去られてしまいました。

 社交界では、よくある事なのです。

 私たち貴族の子女が、意中の殿方と結ばれる事など希有な事。大概は、家の為、政治の為、大きな力によって定められたお相手に嫁いで行くのですから。

 その点、己の意志を貫いたシリスお兄さまは、純粋に尊敬致します。カナデお姉さまに憧れてしまいます。

 ……あのお2人には、幸せになって頂きたいと思います。

「ルナ」

 ぼうっとしながらリンゴジュースを飲んでいると、今度はシリスお兄さまがやって来ました。

「お兄さま。ご無沙汰しております」

 本当は、今朝お会いしましたけど。

 お兄さまは、燕尾服にタイを締めた正装姿。髪を後ろに撫でつけたお姿は、キリリとしていて麗しいです。

「シリスお兄さま。カナデお姉さまはよろしいのですか?」

 私は、貴族の方々や王統府高官の方々と談笑しているカナデお姉さまを見やります。

 私の隣に立ったシリスお兄さまは、ふっと笑われました。

「カナデは今仕事中だ」

「え?」

 私はお兄さまを見上げます。

「あれは、貴族の政治を良く理解している。会議室だけでなく、こういう社交の場がこそが、明日の交渉の根回しになるとな。今もレティシアの顔を売って、対北部交渉の更なる譲歩を引き出しているところだろうな」

 ……なるほど。

 私もジュリエットさまと同じで、カナデお姉さまはただご挨拶されているだけだと思っていました。

 凄いですね。

 やっぱり、カナデお姉さまですね。

 そんなカナデお姉さまを見つめるシリスお兄さまの眼差しは優しげで、カナデお姉さまをじっと見守っていらっしゃる様でした。

 パートナー。

 理解し合えるお2人。

 そのお姿に、そんな言葉を思い浮かべてしまいます。

「ところでルナ」

 不意にお兄さまが私を見ました。

 お兄さまを見上げていた私は、目が合ってしまって、どきりとしてしまいました……。

「ルナ。明日は暇か?少し付き合ってもらいたいんだが……」

 目を輝かせて、不敵に微笑むシリスお兄さま。

 こんな表情で、私にお願いされるお姿、どこかで……。

「もちろん、構いませんよ。でも何を?」

 私の問に、シリスお兄さまはニヤリと笑われます。

 そこで私は、不意に思い出してしまいます。

 このお顔。

 あれは、身分を隠してカナデお姉さまに会おうと提案された時のお兄さまのお顔と、一緒だったのです。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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