EXAct:弓と少女2
「無駄な力を抜け。的に集中するのだ」
背後から響いて来る低い声。
集中、集中、集中……。
聞き慣れた弦の音が弾ける。
間髪おかず、あたしの放った矢が木人形の腕に命中した。
もちろん、威力は抑えてある。手加減なしで放ったら、木人形さんが木っ端微塵だもん。
「余計な事は考えるな。矢は、研ぎ澄ました意識の先で的中するものと心得よ」
ううう……。
腕じゃダメですか。
新しい矢をつがえる。
もう何本目になるかな……?
おじいちゃん、案外スパルタだった!
……弓を教えてなんて、失敗したかも、あたし。
ううん。
確かに出会った時から厳しそうではあったけど……。
「ナツナ。集中するのだ。わしの教授を受けて上達せんなど、許さんぞ」
うごごご……。
……もう、こうなったら。
「じゃあ、これでどう!」
あたしは矢筒から素早く5本の矢を取り出すと、一気に速射した。
銀の残光を残した5条の軌跡が、木人形に殺到する。
着弾。
膨れ上がった銀光が、土くれを巻き上げる。その光の中に、吹き飛ばされた木人形が宙を舞う姿もあった。
木人形が地面に落ちる前にくるりと振り返ったあたしは、ニコッと笑いながら、おじいちゃんを見た。
「どうよ」
むんっと胸を張る。
この威力、この効果範囲なら文句ないでしょ!
赤毛のおじいちゃんは、はぁと大きく溜め息を吐くと、そのごつごつした手で顔を覆った。
「ナツナ」
「何?」
「誰が片付けをするのだ、あの有様を」
「……はっ!」
というような事があったり。
「ナツナ。お前は、弓兵にしては、胸の張りが足らぬ。さらに胸を鍛えよ。射の姿勢もだ。もっと胸を張れ」
背中から飛んで来る低音の声に、あたしは段々と恥ずかしくなってしまう。
「……おじいちゃん」
あたしは弓から矢を外して振り返ると、半眼でおじいちゃんを睨み付けた。
「何か?」
「……あのね。あたしも、その、年頃の見目麗しい娘さんなんです。その、胸、胸とか連呼しないで欲しいわけ」
……それに、ちょっと気にしてるんだから。
陸のせいで、カナデちゃんとかと比べてしまって……。
あたしの必死のお願いに、しかしおじいちゃんは眉1つ動かさなかった。
「下らぬな。さっさと再開せよ」
「くだっ!」
な、何をっ!
「お前のような子供が気にする事ではない」
あたしは刃のようなおじいちゃんの視線を、なんとか弾き返そうと試みる。
「あたしだって、レディだもん!」
「笑止」
そこで初めて、おじいちゃんは笑った。
ふんっと鼻で。
「その様な事は、相応の色香を身に付けてから言え」
んなっ!
絶句するあたしの顔を見て、今度こそおじいちゃんは声を上げて笑った。
少しだけ。
そう。
こんなこともあったり。
気が付くとあたしは、時間を見つけてはこっそりとゲストハウスを抜け出すようになっていた。
おじいちゃんの射場に出掛けるために。
そんな3日目の事だったっけ。
その日、あたしがおじいちゃんのもとに到着したのは、日も傾いた夕方になってからだった。
森の木々が闇に沈み始めている。空には気の早い星々が瞬き始めていて、しんと冷たくなり始めた空気と一緒に夜の始まりを告げていた。
篝火でもなければ、もう弓の練習なんて出来ない時間帯。
でもあたしは、胸の高鳴りが止まらなくて、誰かにこの嬉しさを話したくて、思わずおじいちゃんのもとに向かっていたのだった。
おじいちゃん、いるかな~?
いつも通り裏手から射場を覗くと、はたしてベンチに腰掛けて腕組みしているおじいちゃんがいた。
厳しい表情。
もともとだけど、なお一層だね。
お知り合いじゃなければ、きっと声をかけられないに違いない。
「おっじいちゃん!」
でもあたしはお知り合いなので、声を弾ませて話し掛けてみた。
「ナツナか」
「こんにちは。あっと、こんばんはかな」
あたしはおじいちゃんの前でニイっと笑った。
「なんだ。やけに上機嫌だな」
「えへへ、わかるかな~」
あたしは、うんっと伸びをするように、腕を伸ばす。
「実は、昨日話した弟なんだけど、今日やっと目を覚ましたんだよっ!」
「ほう」
おじいちゃんは短く答えて、顎に手をやった。
襲撃犯に毒攻撃を受けて昏倒していた陸が、今日、やっと目を覚ましたのだ。
大丈夫だとはわかっていても、嬉しい。
しばらく様子を見ていたけど、食事も出来たし、もう普通に起き上がれるみたいだった。
ホントに、ほっと胸をなで下ろしたんだから。
陸がもう大丈夫だとわかると、後は何だか良い雰囲気のレティと陸を2人きりにしてあげるために、あたしはそうっとゲストハウスを出て来たのだ。
ふふっ。
我ながら、何て出来たお姉ちゃんだろっ。
「お前はいつも楽しそうだな、ナツナ」
おじいちゃんはふうっと大きく息を吐いた。
呆れたようにあたしを見る表情は、先ほどと比べて少し柔らかくなったような気がした。
「まぁね。楽しいことがないと、毎日が面白くないでしょ?」
あたしは射場に立ちながら、弓を引くジェスチャーをする。
「……お前は、南から来たと言っていたが、様々な土地も見てきたのだろう?」
おじいちゃん、いつになく饒舌だな。
「王都とか、ローテンボーグとか、インベルストとか。えっと、あと魔獣の巣とかにも行ったよ」
思い返せば、色んな所を旅して来たなぁと思う。それに、ラブレ男爵とか黒騎士とか、女王型魔獣とか、そして禍ツ魔獣とか。我ながら、スゴいのと戦っても来たなぁ。
「インベルストか……。では、お前の目には、この北の地はどのように映ったか?」
あたしはきょとんとおじいちゃんを見返してしまう。
「例えお前であっても、お前が巡って来たそれら土地に比べれば、この北部はさぞ面白くないだろうな?」
どこか自嘲めいた笑いを浮かべるおじいちゃん。
いつもこれでもかってほど尊大な態度なのに、いやに卑屈だ。ムキムキガッチリの体が、一回り小さくなってしまったように見えちゃった。
「そうだね……」
あたしは目線を上げながら、ここ数ヶ月の旅を思い出した。
あたしと陸は、レティの要請もあって、王直騎士団と一緒に魔獣被害のあった北部の各町を回って、復興支援に協力していた。
「確かに多いよね、魔獣」
禍ツ魔獣のお膝元ということもあってか、北部地域には未だに魔獣が多かった。その魔獣討伐に追われて、騎士団もあたしたちも町や村の復興には手が回らないというのが実情だった。
おじいちゃんがふっと皮肉げに笑う。
「外敵の存在。痩せた土地。厳しい気候。ここは、他とは違う。だからこそ、その敵の力を御せるのであれば、利用してやろうと考えた輩を、わしは責められぬ」
うーん。
おじいちゃん、何だかネガティブだなぁ。
「でも、活気が凄いよね」
あたしはニカッと笑いながら、おじいちゃんを見た。
「不出来な生徒ほど可愛い理論かな?確かに、北部の町とか村は貧しいみたいだけど、それ以上にそこに住んでる人たちの地元愛が凄かったよ」
おじいちゃんがあたしをまじまじと見る。
「他の土地より、全然凄いよね」
おじいちゃんは腕組みをしながら、何か難しい事を考えてるのか、黙りこくってしまう。
あたしはそんなおじいちゃんの前に立つと、ポンポンと肩を叩いた。
「まぁ、まぁ、他と比べるとか、あんまり良くないよ」
ギョロリと鋭い視線があたしを見上げた。
「他の土地が豊かであればあるほど、我が故郷の現状が我慢出来ぬ。他より劣るのが許せぬ。そう思うてしまうことは、至極人間らしい考え方だと思うが?」
比較、か。
うーん、そうだな……。
あたしは思い浮かんだ事を、1つ1つ言葉にしてみた。
「比べる事は悪くないと思うよ。お互い競い合えば、きっとお互いにレベルアップ出来るから」
そう、今まさに弓の技術を競い合っているあたしとおじいちゃんみたいに!
実際にレベルアップしてるかは……。
……うーん。
「でも、比べてどよーんってなっちゃうなら、きっと比べる意味ないよ。どよーんとすると、マイナス思考しか出来なくなっちゃうから」
「どよーん……」
「競い合いってお互いを高めて行く。……おー、あたし良いこと言った!」
あたしはおじいちゃんにむんっと胸を張って見せた。
でも。
ちょっと待てよ……。
あたしが今言ったことって、あたし自身にも当てはまっちゃうじゃないか!
大切な人と出会うことができたカナデちゃんとか優人と自分を比較して、あたしだけ、とか、寂しいとか、勝手に落ち込んでしまってる。
落ち込んだところで、お父さんやお母さんの所に帰れる訳でもないのに……。
あたしは、あたし自身の人との絆を大切できるよう、頑張るべきだったんだと思う。新しい繋がりを作って行くべきだったんだと、思う。
嘆いてばかりじゃなくて、前に進むんだ。
だって、おじいちゃんとも仲良くなれたじゃないか。
「頑張ろう、おじいちゃん。お互い!」
あたしは腕組みしているおじいちゃんの太い腕を、ぺちぺち叩いた。
「……お互い、か」
おじいちゃんは、あたしを見て微かに笑ってくれたような気がした。
陸が目覚めてさらに3日後。あたしたちは、急遽王都に帰る事になった。
難航していたカナデちゃんと北公さまとの会談も、何故だかパタパタと合意に至ることが出来たみたいだ。
北公さまのお屋敷の前に、馬車が並ぶ。
一応きっちりと鎧を身に付けたあたしや優人たちも、その馬車の前に整列する白燐騎士さんたちに混じって立っていた。
目の前では、カナデちゃんとシリス殿下。それにレティが、居並ぶ北公さま方の人たちと挨拶を交わしていた。
難しい政治の話は良くわからないけど、お話がまとまったからと言って即仲良くなれるわけじゃないことは、あの人たちの表情を見ていると良くわかる。
あのヒョロッとした人が、現ログノリア公爵さまだろうか。
ギョロギョロとした目が忙しなく動き、不満そうに眉をひそめている。それに、豪華な衣装が、何だか壊滅的に似合ってない。
ああいうのは、おじいちゃんとか似合いそうだなぁ……。
そうだ。
あたし、おじいちゃんに別れの挨拶してこなかったなぁ……。
うん。
また来よう。
今度はうんと弓の腕を上げて。
あたしの中じゃ、おじいちゃんは弓のライバルなんですよ。
カナデちゃんたちの挨拶が終わった。
騎士さんたちに護衛されながら馬車に乗り始めるカナデちゃんたち。
あたしも騎乗した陸の後ろに乗ろうとして、ふと気が付いた。
「あっ!」
あの北公方の列の端にいるのは、おじいちゃん!
なんだ、北公さまの関係者だったのか!きっと凄腕の騎士さんとかなんだね。
「おい、夏奈。どこいくんだ?」
馬上から、陸が間抜けな声を上げる。
「うん、知り合いに挨拶して来る。ちょっと待ってて」
あたしは小走りにおじいちゃんのところに向かった。
北公方の護衛騎士がざわついた。たぶん、鎧姿に弓を持ったあたしが駆け寄って来たからだろう。
「おじいちゃん!」
おじいちゃんがあたしを見た。
いつも通り、凄い不機嫌そう。
「おじ……!ぶ、無礼な!」
北公方が、さらにざわつき始めた。殺気立った目線があたしに集まって来た。
「夏奈!」
突然背後から肩を掴まれる。
振り返ると、焦ったような顔のカナデちゃんだった。
きゅっと寄った眉が可愛らしい。
シリス殿下がカナデちゃんを困らせて喜んでいるのも、何だか良くわかるな。
「夏奈、失礼は止めなさい。こちらは、前ログノリア公爵さま、ウォラフ・ログノリアさまです」
……ウォラフ?
……前公爵?
「えっ!」
おじいちゃんを見る。
「ええっ!」
といことは、あの射場はまだ北公さまのお屋敷の中で、背後に見えていたのは、初日に通されたお屋敷……。
あれだけ森の中を走ったから、もう北公さまのお屋敷の敷地は出たと思っていたのに……!
「あ、ああ、あたし、ドウショウ……」
ギリギリとカナデちゃんを見る。
「良い、下がれ」
ここ数日で聞きなれた低い声が響いた。
おじいちゃんが堂々とした足取りで、こちらにやって来た。
カナデちゃんが頭を下げる。
あたしは呆然としているだけだった。
「ナツナ」
「は、はいっ!」
「また、あの場に寄るがよい」
「あっと……」
あの射場、か。
……でも。
ま、いいっか。
おじいちゃんはあたしの弓の先生兼お喋り仲間兼ライバルということで。
それに、楽しかったしね。
「うん、またよろしくね、おじいちゃん!」
あたしはおじいちゃんのゴツい胸板をとーんと叩いた。
周囲がざわつく。
おじいちゃんが微かに微笑んでくれた。
……多分。
そう思う事にしておこっ!
玉子焼きに焼き魚。筑前煮とかお浸しの小鉢。ゴロゴロ野菜のお味噌汁と、米粒の形が少し変わってるけどほかほかご飯。お寿司が食べたいとか、納豆とか梅干しがないって言うのは、贅沢というもんでしょう?
眼前のテーブルに並ぶ久し振りの和食にウキウキしながら、あたしは箸を伸ばした。
「おい、陸。肉ばっかり食うなよ」
「うっせー。優人が遅いんだよ」
まったく、これだから男どもは。がっつき過ぎだよ。
「ナツナ。凄い食べっぷりですね」
対面席のカナデちゃんが柔らかく微笑んでいる。
「相変わらずね、夏奈ちゃん」
「わって、おいふいんらもん!」
「夏奈ちゃん、食べながら喋らない」
笑いながら、唯姉があたしにおかわりをよそってくれる。
北公さまの都から戻って来たあたしたちは、王都で偶然、唯姉と再会する事が出来た。
カナデちゃんやレティは、王さまへの報告なんかで忙しく動き回っていたけれど、それも一段落したらその唯姉と合流して、みんなでご飯を食べる事になったんだ。
インベルストで、というわけではないけど、いつかカナデちゃんが約束してくれた通り、唯姉と、みんなと一緒のお食事会。
「おっ、野菜が繋がってるな」
「す、すみません、優人。それは私が……」
「ふふ、でもカナデちゃんも随分と料理が上手になったわよ」
「料理は、立派なつま……女性の嗜みですからね」
カナデちゃんが誤魔化すように笑ってるが、誰もあえて突っ込まない。
ただ、生暖かい視線で見守るだけだ。
一通り食事が終わると、話題は唯姉とあたしたちの近況報告になって行った。
「唯姉は何で王都にいるの?」
あたしは唯姉とカナデちゃんが煎れてくれたハーブティーに口をつける。
「うん、少し王都の図書館とか教会でお勉強」
「唯の立場だと、忙しいでしょう?」
カップを両手で持ったカナデちゃんが、唯姉を見た。
「教会のみんなから頼られてるのはわかるわ。だからこそ、正確な教義とかこの世界の歴史なんかを勉強しておく必要があると思ってね」
唯姉は微笑む。
すごいなぁ。
唯姉が教会で聖母さまとか崇められて有名になっているのは、あたしも知っていた。
今度はあたしたちのお話。
北公さまとの出来事を、カナデちゃんが説明して行く。
「なぁカナデ。質問なんだが……」
その話に、唯姉ではなく陸が質問を挟んで来た。
陸にしては、珍しいな。
「あのガルムの襲撃は、何だったんだ?」
「黒幕はわかっていませんけど、間違いなく北公さまと王統府が接近するを良しとしない勢力ですね。向こうも一枚岩ではないみたいですから」
カナデちゃんは厳しい顔で頷いた。
「陸。今後もレティシアが狙われる可能性があります。守ってあげて下さい。夏奈も」
「まかせてっ!」
あたしは大きく頷いた。
レティは大切なお友達だし、陸をあんな目にあわせた奴なんか、許してあげないんだから。
「でも、この短期間で良く対話の合意なんて取り付けられたわね」
唯姉が感心したように頷いて、カナデちゃんを見た。
「もちろん、具体的なお話はこれからです。北部と王統府の対立は、一朝一夕に解決出来るほど浅くありませんから」
あたしは唯姉が焼いてくれた星形クッキーを摘む。
因みにあっちのヒトデだかタコだかわからない形と化しているのは、カナデちゃん作ね。
「でも、話し合いの道筋を付けられたのは、良いことよね」
「そうですね。最後の局面で、前公爵のウォラフさまの口添えが効いたのだと思います。資金や物資を恵んでもらうんじゃない。比較から生まれる悲観ではなく、比較から生まれる競合が図れるように、産業を育てる支援なら望みたい、と」
「さすが、四公として長らく辣腕を振るわれた方ね」
む。
やっぱり、カナデちゃんのクッキーは、少し苦い。
「カナデ。これ旨いな」
「えっ、そうですか?」
優人の呟きに、唯姉と難しい話をしていたカナデちゃんが、はっと振り返った。
「優人。お世辞はカナデちゃんのためにならないよ」
そこに、あたしがそっと突っ込んでおく。
カナデちゃんが少し肩を落として困ったように笑い、優人が端からでもわかるほど目を泳がせて動揺していた。
堪えきれなくなったというように、陸が笑い始めた。
口元に手を当てて、唯姉も笑い始める。
あたしもニヒヒッと笑った。
あたしたちは、常に一緒にいるわけじゃない。
いつも、ほとんどバラバラに行動している。
バラバラに行動して、今ではそれぞれの生活を見つける事が出来た。
友達とか、恋人とか、家族とか。
あたしにだっておじいちゃんみたいな新しい友達も出来た。
家族の事とか、もとの世界の事とかも時々思い出すけど。
あたしたちはこうして前に進んで行くんだよね。
「カナデちゃん」
「何ですか、夏奈」
「次のお食事会、いつにする?」
読んでいただき、ありがとうございました。
次話、少し毛色を変えてみる予定です。




