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EXAct:日常2

 お屋敷での昼食の後。

 午後の政務のために再び行政府に向かわれる主さまを、玄関で見送る。

 待ち構えていた執政官の方々と歩み去れるそのお背中が見えなくなると、私は外出の用意をするべく踵を返した。

 裏庭でおしゃべりに興じていたユナに念入りに指導していたせいで、少し時間に余裕がなかった。

 午後の予定は他にもある。

 のんびりしてはいられない。

 2階に上がると、廊下の先に大きな盆を抱えた背中が見えた。

 体に似合わないお盆を慎重な足取りで運ぶその後ろ姿は、カナデお嬢さまだ。

 シリス殿下のお部屋まで、ああしてお食事を運ばれているのだ。

 その姿は、だんだんとお屋敷の馴染みの光景になりつつあった。

 私は、お手伝いしましょうとは申し出ない。

 最初は、私を含め、使用人のみんなが手伝おうと手を差し伸べたが、カナデさまは笑顔で首を振られた。

「シリスは私が連れて来ました。だから、なるべく、みんなの手を煩わせたくないんです」

 カナデさまは、自分の責任だとか、私共を慮っての事だと仰られる。

 それは、使用人としてはとても光栄な事だ。

 しかし、その笑顔を見た私は、私を含め家中の者全員が、こう思った。

 なんて、健気で甲斐甲斐しい……。

 そのお顔は、恋心の現れなのだ、と。

 胸の中に温かいものを感じながら微笑む私たちに、カナデさまは、きょとんとしながら首を傾げられていたけれど。

 その出来事以来、シリス殿下にお食事を運ぶのは、基本的にカナデさまのお役目だった。

 我々は手出ししない。

 カタカタと食器を鳴らしながら、慎重に進まれるカナデさまをお見送りしてから、私は改めて使用人棟の自室に向かった。



 陽向を歩いていると、まだ少し暑いと感じてしまう午後の陽気の中。

 早足でインベルストの旧市街を抜ける私の額には、微かに汗が滲んでいた。

 立ち止まる。

 そっと息を吐き、ハンカチを額に当ててから、私はまた歩き出した。

 私のブーツが石畳を叩く音が、左右の石壁に反響していた。同時に、誰かの行き交う足音や、子供たちの笑い声、おしゃべりする奥さま方の声も、どこからか響いてくる。

 この辺りは、大通りから少し入った、旧市街の中でも比較的古い一角だった。

 建物と建物に囲まれた細い路地が迷路のように入り組み、複雑な街並みを作り上げている。

 路地、広場、路地、広場。影、陽向、影、陽向を繰り返しながら、やっと目的の商店が見えて来た時には、私はほっと息を吐いてしまった。

 そして、くいっと眼鏡を押し上げる。

 古い共同住宅が並ぶこんな場所に、侯爵家ご用達のお店があるとは、きっと誰も想像しないだろう。

 私は古びた鉄柵を押し開きステップを登ると、民家にしか見えないその建物に入った。

 薄暗い廊下。その左手に、小さな看板が出ている。

 クレバー食器具店。

 リムウェア侯爵家が代々お世話になっている食器関係の製造、小売店だった。

 人気もなく商売気もない店内を、無愛想なメイドが案内してくれる。

 もし侯爵家のお屋敷で、お客さま相手にこんな態度をとったなら、みっちりお説教だ。

 そして、小物で溢れた小汚い応接セットに座らされてしばらく。

 店の奥から、お腹の突き出た男がやって来た。

 この店の店主だ。

「やあ、リリアンナ。久し振りだな」

「クレバーさま。ご無沙汰しております」

 店主は丸い顔をさらに丸くして、ケタケタ笑った。

「最近侯爵家も忙しそうだな」

「はい。色々ございまして……」

 私は顔を伏せ、眼鏡を押し上げた。

「母上も心配されていたぞ」

 私は微かに頷く。

 彼は、単なる侯爵家の取引相手ではない。

 実は、私の子供の頃からの知り合いでもあった。

 私の村。

 リムウェア領の辺境にある私の田舎の村には、クレバー食器具店の小さな工房があるのだ。母や友人たちを含め、村の女たちは、みんなそこで働いているのだ。そしてこの主人は、良くその工房に顔を出していた。

「クレバーさま。早速ですが、お願いしていたお皿ですが」

「はは。リリアンナは真面目だな。うむ。青磁の良いものが入荷した」

 クレバーさまの合図で、奥から大皿が運ばれて来る。

「失礼致します」

 私はその皿を手にとり、ためつすがめつする。

 確かに良いものだ。

「リリアンナは、あの雪色の剣姫さまに仕えているのだろう?」

「はい」

 クレバーさまの問に答えながら、私は皿の検分を続ける。

 近く、大きな催しがある。

 お皿を新調するのは、その盛大になるであろう会場で使用するためだ。

 大勢の、しかも恐らくは高位の貴族の方々をお招きする場で使用するのだ。侯爵家が笑われるような品であってはならない。

「お前の母君もな、あの元気の良い妹も、みんな誇っておったぞ。リリアンナは、あのカナデさまにお仕えしてるんだってな」

「私の村まで、カナデさまのお名前が……?」

 私は皿から目を外し、クレバーさまを見た。

「もちろんよ。リムウェア領で、いや、ここいらで雪色の剣姫の話を知らぬものはいないな」

 ……そうか。私の田舎のような、辺境まで。

 主の、カナデさまのお名前が轟くことは、お嬢さまにお仕えする者として、単純に嬉しかった。

 カナデさま。

 頑張ってらっしゃる甲斐がありますね。

「……良い品ですね。数は用意できますか?」

「おう、来たな。任せろ。期日までに納品出来るぜ」

 私はにやつくクレバーさまを真っ直ぐに見据えた。

「では、追加で5皿」

「おいおい、マジかよ」

「その分勉強していただけないでしょうか?」

「……マジかよ」

 私はクレバーさまと納品の段取りを詰めていく。しかし一通り商談が済むと、話題は、自然と私の田舎の事になっていた。

 曰わく、私の妹が、カナデさまにお会いしたがっているとか。

 曰わく、お母さんが……。

「リリアンナも良い相手はいないのか、だと。騎士さまでも捕まえればって言ってたぜ」

 ニヤリと笑うクレバーさま。

 私は思わず息を吸い込み、顔を強ばらせた。

 お母さん……。

「では、クレバーさま。良い商談でした」

 私はバックを持ってすっと立ち上がった。

「おい、おい。ゆっくりして行けよ。そうだ、アンティークのティースプーンセットが入ったんだ。見ていかないか?」

 しかし私は眼鏡を押し上げ、丁寧に一礼した。

 今日の目的は達した。

 お屋敷に戻らねば。

「それではクレバーさま。失礼致します」



 やって来た時以上に、早足で路地を抜けていく。

 反響する足音が、自分でもわかるほど内心の動揺を表していた。

 ……お母さん。

 メイド長をしていると、若いメイドたちが結婚して辞めていくのを何度も経験する。

 だからと言って、自分がそうなるとは考えられなかった。

 今は仕事がある。

 メイド長としてその責務を全うしなければいけない。

 私は立ち止まり、何度か眼鏡の位置を直した。

 前から歩いて来るお婆さんが、少し不思議な顔で私を見る。

 ……帰ろう。

 路地裏を抜けて大通りに出ると、傾き始めた午後の日差しに目を細めた。

 田舎の話で盛り上がり、少し時間を潰し過ぎたかもしれない。

 商店が囲まれた人通りも馬車の往来も激しい大通りを、ロングスカートを翻してお屋敷に向かう。

 その途中。

 西大路とぶつかる辺りで、西大路の向こうに人だかりが出来ているのが見えた。

 何かあるのか。

 横目で見送り、通り過ぎようとした瞬間、その人混みの中に馬車が見えた。

 あれは、侯爵家の……。

 私は思わず、行き交う馬車や荷車をかわして大通りを横断すると、その人混みの中に分け入った。

「すげー、本物だ!」

「一目拝謁させていただきたいのう」

「見た、あの髪。お美しいわね!」

 まさか。

 みんなの視線は、西大路の改装中と思しき店舗の中に集まっていた。

「失礼致します、申し訳ありません」

 思い切って人山の中を前に進む。

 何とか最前列に出ると、やはり侯爵家専用の馬車が止まっていた。そしてその周りには、軽鎧を身に付けた騎士と兵が3人。

「カリストさま」

 私は、その若い騎士の前に出た。

 切れ長の目とシャープな顔立ちは、騎士というより執政官や文官を思わせる。まだ年若いが、白燐騎士団の副団長さまだ。

「リ、リリアンナさま?」

 常に冷静そうなその顔が、私を見て驚きに染まる。そして微かに頬を染めると、慌てて頭を下げた。

 メイド長などより遥かに上の立場の筈なのに、ご丁寧な方だ。

 私も改めて礼をする。

「カリストさま。この馬車はもしや……」

「ええ、はい。あの、カナデさまのご用でして。私以下、お供させていただいております」

 やはり。

 今日は外出されるご予定はなかった筈。

 さては、午前中に来訪されていたマレーアさま絡みの件だろうか。

「リ、リリアンナさまはお休みでらっしゃいますか?」

 メイドごときに丁寧な態度のカリストさまに、私は微かに微笑んだ。

「いいえ。所用の帰りにございます」

 眼鏡を押し上げる。

「そ、そうですか」

 カリストさまが何故か視線を泳がされ、そして意を決したように私を見据えられた。

「リ、リリアンナさま。その、私服姿もすて……」

「リリアンナさん!どうしたんですか!」

 その時。

 店舗の中から弾けるような声が響いて、カナデさまが出てこられた。

 周囲から、感嘆とも歓声ともつかない声が沸き立つ。

 カナデさまは、燕尾の騎士服に白のズボン、ブーツ姿だった。

 動きやすい格好に着替えられたのだろう。

 髪もリボンでまとめられ、見目麗しい少女騎士のお姿だった。

 さすがに剣を帯びてはいらっしゃらないようだったが。

「カナデさま」

 私は一礼してから、眼鏡を押し上げた。

「このようなところでどうされました?」

 カナデさまはふわりと微笑み、背後の建物を見上げられた。

「ここ、古いカフェだったそうなんです。それが魔獣襲来で経営者ご夫婦が怪我をされて……」

 カナデさまは、無念そうに目を伏せ、唇を引き結ばれる。

 去年の豊穣祭。

 突然現れた魔獣に、インベルストの街は蹂躙された。

 しかし、騎士団を率い、果敢にも恐ろしい魔獣に挑んだカナデさまのご活躍で、被害を最小限に食い止めることができたのだ。

 だからこそ、周囲の市民たちはカナデさまを慕い、喝采を送る。

「ずっと閉店状態だったんですけど」

 カナデさまは、顔を上げ、前を見て再び微笑まれた。

「新しくお店を作るらしいんです。マレーアさんの発案で、冒険者や旅人なんかが気軽に情報交換できるような場所を。色んな人がここを活用出来れば、王国内の人の流れが、今より活発になる」

 ふふっと笑うカナデさま。

「それって、魔獣被害からの復興に、大きな力になると思うんです!」

 目を輝かせ、頷かれるカナデさまに、私もそっと頷いた。

 同時に、カナデさまの後ろで腕組みをし、笑うマレーアさまを捉える。

 なるほど。

 新規の事業にカナデさまのお墨付きがあれば、遥かにやりやすいだろう。

 強かなマレーアさまのことだ。

 カナデさまに声を掛けられたのも、そういう目論見ありき、という事だろう。

 マレーアさまなら、カナデさまのマイナスになるような事はされないと思う。

 しかし将来、カナデさまを貶め、利用しようとする輩も、きっと現れるだろう。

 その時に、ご自分の立場の機微を察し、柔軟に対応できる力が、カナデさまには必要だと思う。

 その勉強をお助けさせていただくのも、私の指命だ。

 眼鏡を押し上げる。

 カナデさまは真剣な顔で、マレーアさまの話に頷いておられた。



「リリアンナさん。もうお屋敷に戻るんですか?」

 マレーアさまとお話を終えられたカナデさまが、私の顔を覗き込まれた。

「はい。私の用事は終わりましたので」

「じゃあ、一緒に帰りましょう」

 カナデさまが、私を馬車に促して下さる。

 本来なら使用人がカナデさまとご同席などおこがましいが、カナデさまの笑顔を見ていると、無碍にお断りする事も出来なかった。

 兵士の方が馬車の扉を開き、カナデさまが乗り込まれた。そして車内で振り向かれると、私に手を差し出される。

「リリアンナさん、気をつけて下さい、どぞ」

「は、はい……」

 私の手を取って下さるカナデさまに、思わずはっと息を呑む。

 今はきっと騎士服のせいだろうが……。

 時たまカナデさまには、少年のような凛々しさを感じてしまう事があった。

 あの変態秘書官が魅了されてしまうのも、まぁ、分からないではないのだ。

 カナデさまは、私の隣に腰かけると、馬車の車窓から集まる市民たちに手を振られていた。

 興奮の声を上げる男性。

 黄色い声を上げる女性たち。

 中には、カナデさまを拝んでいる老人もいた。

 それに気がついたカナデさまが、困ったように微笑まれる。

「カナデさまっ!王子さまとお付き合いされてるって、ホントですかっ!」

 市民たちの間から、そんな声が飛んで来た。

 途端に、カナデさまはガチッと固まられる。

「はっ、やっ!」

 静まり返ってしまった車内に、御者の声が響いた。

 馬車が、ぽっかぽっかと動き出す。

「カナデさま?」

 声をかけると、リボンでまとめた髪を揺らして、ぎこちない動作でカナデさまが振り返られた。

「リリアンナさん」

「はい?」

「シリスは王子さまじゃないです。国王陛下の弟です」

 ……あ。

 私はそっと苦笑する。

「カナデさま」

「はいっ」

 そして、わざとらしく、大きくはあっとため息を吐いて見せた。

「誰も。一言も。シリス殿下の事とは申し上げておりませんよ」

 ゆっくりと。

 くりくりした目をさらに大きくされるカナデさま。

 そのお顔が、みるみる真っ赤になって行く。

「わわわわわ」

 そして小さくなりながら頬を染め、カタカタ震え始めたお嬢さまに、私は笑いを堪えるのに必死だった。

 その羞恥に震えるお顔は間違いなく少女のそれで、あの少年のような凛とした雰囲気は、微塵も感じられなかった。

 そっと眼鏡を押し上げる。

 あまり突っ込んで差し上げるのも忍びないので、私は車窓に目を向けた。

 ゆっくりと。

 しかし着実に、日が沈む。

 夜の準備を始めたインベルストの街並みは、雑多に人が溢れ、そして活気に満ちていた。

「リリアンナさん」

 カナデさまの声に振り向くと、まだ幾分顔が赤いが、きりっとした表情を取り戻されたお嬢さまが、私を真っ直ぐに見られていた。

「あのお店、今度一緒に行きましょう」

「あの旅人のための、でございますか?」

 カナデさまはふわりと微笑み、頷かれる。

「あのお店、気の良いにゃんこがいるんです。私も前、魔獣との戦いの合間に励ましてもらったにゃんこが。リリアンナさん、にゃんこ好きですもんね」

 今度は私が少し驚いた。

 ……ふふ。

「……はい、是非お連れください」

 猫も好きだけれど。

 こんな風にメイドに優しく接して下さるお嬢さまにお仕えしている事が、なんだか無性に嬉しくて、誇らしくなった。

 私は眼鏡を押し上げ、車窓に顔を向ける。

 にやけてしまう顔を、カナデさまに見られないように。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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