EXAct:北へ2
兄といっても、私はあの人の事を良く知らない。
フォルステル・ルード・ログノリア。
私は、周囲からの情報で、どうやらあの人と兄妹であるらしいと認識しているだけ。
かたやログノリア公爵正室の次男。
かたや妾腹の六女。
まったくもって接点が無さ過ぎた。
顔だって良く覚えていない。直接会ったのは、確か私がアントワリーゼに入学する前だったと思う。
そんな兄、フォルステルから手紙が届く。
それは、私にとって、またまた魔獣が攻めて来たのと同じくらい驚愕の出来事だった。
……母以外に、私がログノリアの一員であることを覚えていた人がいたなんて。
「……実は、公爵家から、いえ。フォルステルから手紙が来るのは、初めてのことではないんです」
私は、意を決して告白した。
私の対面に腰掛けたカナデさまが、少し驚いたように目を大きくして、シリスティエールさまと顔を見合わせた。
「レティシア。どういう事ですか?」
大きな緑の瞳を私に向けて、カナデさまは微かに首を傾げる。
「……あれは、魔獣との戦いが終わって直ぐ後のことでした。王都周辺の残存魔獣駆逐が終了すると、王直騎士団には魔獣群追撃の命が下されました」
魔獣追撃は、禍ツ魔獣の本拠地であった北の地裂峡谷に向かって行われた。
禍ツ魔獣の塔での最終決戦に参加した私たちは王都に留め置かれたけど、そこに最初の手紙が届けられたのだった。
「北公家の家督を継いだばかりの兄フォルステルは、そんな王直騎士団の動きを、北方貴族や民を抑圧する進軍と捉えたみたいなんです。それに対抗するために、王直騎士団主力が出払ってる間に、王都を襲撃すると……」
カナデさまが息を呑む。
シリスティエールさまが腕を組んで、何かを考え込むように、片足に体重を預けた。
とんでもない事を言ってしまった……。
私は今更ながら、激しく脈打ち始めた胸にそっと手を当てた。
落ち着こう。
あるがままを、カナデさまたちに打ち明けるんだ。
「も、もちろん、襲撃という直接的な表現はありませんでした。そう匂わせる記述があっただけで……」
私はぶんぶんと手を振る。
「その手紙は、何故レティシアのところに?」
カナデさまが私の目を窺う。
私は振っていた手を力無く膝の上に置いた。
そっと息を吐く。
「フォルステルは、私に王都突入の手引きをせよと……」
……なんて恐ろしいことだろう。
「レティシア」
シリスティエールさまが屈み込み、ソファーの背もたれとカナデさまの肩に手をかけられた。
「しかし、少なくとも俺は、王都でそのような襲撃があったとは聞いていない」
「シリスは昏睡してましたしね」
カナデさまがシリスティエール殿下を見上げて微笑み、また私を見た。
「でも、私もそんな話は聞いていません。あの戦いの後、しばらくは事後処理で王都にいましたけど……」
カナデさまがそっと眉をひそめられた。
「……はい。実際は、その様な事は……」
私は目を伏せる。
「……私は、私は、どうして良いのかわかりませんでした。ただ呆然としてしまって……。フォルステルを拒否する事も、陛下にご報告する事も出来なくて……」
唇を噛み締めた。
あの時もカナデさまにご相談しようかとも思った。
でも、出来なかった。
ただただ状況が飲み込めず、オロオロするばかりで……。
そうこうしているうちに、カナデさまはシリスティエールさまを連れて自領に帰られるし、手紙で指定された期日も来てしまったのだ。
「……私が動かなかったからなのか、別の理由があったからなのか、結局襲撃はありませんでした。でも、今度は遺跡の発掘現場まで!」
私はぎゅっと握った手に力を込めた。
「また何も起きないかもしれない。でも、私怖くて……。カナデさま、副隊長。私、どうしたら……」
沈黙。
その静けさが、耳に痛い。
でも、私はじっと待った。
私の尊敬する人たちの言葉を。
「王都襲撃や遺跡発掘への介入が、どの程度具体的な計画なのか、計りかねますね。疲弊しているのは王統府も北も同じですから」
カナデさまが細い顎に手をあてながら呟いた。
「北公当主フォルステルはまだ若い筈だ。奴の勇み足、という可能性もあるな」
シリスティエールさまが、カナデさまの顔を見た。
「でも、北部が王統府を良く思っていない事は確かですよね。黒騎士とロクシアンの件もありますし」
「ああ。だから、フォルステルの行動が、暗に北部の民意を示している可能性はあるだろう」
「……ただ、今が時期ではないだけだと?」
「具体的な行動を起こすには、な」
カナデさまは考え込むようにしばらく目を伏せる。そして小さく呟いた。
「だからこそ、私たちで対応するチャンスでもありますか……」
私は、ただそんなお2人のやり取りに圧倒されて、ぽかんとするしかなかった。
しかし、同時に胸の奥に、微かな安堵が湧き起こるのを感じた。
そうだ。
あの厳しくて辛い魔獣との戦いだって、このお2人が力を合わせて乗り越えて来たんじゃないか。
きっと、フォルステルの問題も、お2人が……!
「レティシア。シリス。私に考えがあります」
カナデさまが真っ直ぐに私を見つめる。
私は姿勢を正して、その次の言葉を待った。
「北公の計画がどうあれ、北部と王統府の対立は解消しなくてはなりません。再び争いが起きる前に、です。そこで私は……」
カナデさまが頷く。
私を見て。
「レティシアに一肌脱いでいただきたいと思います」
……はっ?
わ、私……?
私は大きく目を見開いた。
「ふっ。やはりな。俺もそう考えていた」
シリスティエールさまがカナデさまと頷き合っている。
な、何を……!
「ええっ?」
私は、またぽかんとカナデさまたちを見るしかない。
「ええっ!」
遺跡発掘現場には、リムウェア侯爵、エバンス伯爵双方から増援の部隊が送り込まれ、厳重な警備体制が敷かれる事になった。
万一の事態に備えての事だ。
カナデさまとシリスティエールさまは、それらの手配をあっという間に整えられてしまった。
私はというと、現場の指揮をユークリスに預け、一旦王都に戻ることになっていた。
あくまでも発掘の進捗状況を王統府に報告するという名目で。
しかし、カナデさまが真に意図するところは、北公との直接会談。
王都への帰還に合わせて、そのままログノリア公爵の領都リバーシアまで行こうというのだ。
なんて大胆な方だろう。
私が一肌脱ぐとは、どういう役回りを演じなければならないのか……?
ドキドキだ。
でも。
こうしてカナデさまや副隊長の指示で動いていると、何だか懐かしく思えてしまう。
ついこの間の事だけど、もうずっと前の事の様に思えてしまう、あの魔獣との戦いの日々を。
そして今。
私たちは、航空船の上にいた。
王都に向かうリコットさんの船だ。
カナデさまが呼び寄せてくれたのだ。リコットさんは、あたしは辻馬車じゃないんだけどっ、とプリプリしていたけど……。
この船には、私とカナデさま、シリスティエール副隊長。それに護衛役のユウトさまたちに、白燐騎士団一個小隊が乗り込んでいた。
敵地に飛び込むにはあまりにも少ない数だけど、ユウトさまたちはまさに一騎当千の戦士。
それに、念のために彼らにも合流するように伝えてあるし……。
禍ツ魔獣を倒したこのメンバーなら、きっと何も心配なんていらないだろう。
でも、やっぱり気が重かった。
私の家のせいで、皆さんに迷惑をかけることに……。
航空船のベッドに横になっていた私は、何だか寝付けなくて、体を起こした。
ハァっと溜め息を吐く。
どうしても同じような事が、頭の中でグルグルしてしまう。
私は赤毛を手早くリボンで縛って、騎士団支給の寝間着の上にカーディガンを羽織った。
……少し、星でも見ようかな。
私はそっと部屋を抜け出した。
時刻は深夜。
しんと静まり返った通路には、航空船のエンジン音が重く低く響き渡っていた。
私は溜め息を吐きながら、後部の展望室に向かった。
展望室は一部ガラス張りの部屋で、通常は後方警戒に使われている。
しかしその眺望はまさに絶景。
何回かこの航空船に乗り込んでいるうちに、私のお気に入りの場所になっていた。
その部屋に入ろうとして、私はふと足を止めた。
あれ……。
誰かいるのかな……。
星明かりが差し込む展望室から、微かに声が聞こえた。
「……信じて、もらえますか」
カナデさまの声?
私は咄嗟に身をひそめ、聞き耳を立てしまった。
「ソウシ、か。俄かには信じ難い話だな」
シリスティエールさまも……。
カナデさまと副隊長。
私ったら、またまたなんて場所に……。
「うすうすユウト少年たちと同じブレイバーではないかと思う事はあった。しかし、家柄は問題じゃない。有象無象が蠢く中央社交界で家柄の真贋など問いだしたら切が無いからな」
副隊長の声は低い。
何かを探るような声。
ブレイバー?
家柄のお話は、私の事だろうか?
「では、男というのは……」
カナデさまの声は微かに震えていた。
どうされたんだろう……。
「そうだな。そう言われてみれば、思い当たる節が無いこともないな。お嬢さまにしては、妙に鼻っ柱が強いところとか、剣に慣れてるところとか、な」
「……すみません」
消え入りそうなカナデさまは、何に誤ってらっしゃるのだろうか。
「料理は簡単なものしか出来ないし、針仕事はからっきしだ。ドレスだって着慣れていなかった」
シリスティエールさまの声には、微かに笑みが含まれていた。
「むっ、わ、私だって、一生懸命努力してるんです。わ、笑わないで下さい!」
「くくく、すまないな。いや、でも不器用だよな、カナデ」
しばらく副隊長の忍び笑いが響く。
その笑い声が治まるのを待って、カナデさまが小さく呟いた。
「……嫌、ですか? 私がこんなで」
沈黙。
あまりの静けさに、耳の奥がきんっと鳴る。
私は、身動き1つ出来なかった。
「そんなお前だからこそ、気に入った……いや。愛していると言ったはずだ」
思わず。
かあっと赤面してしまう。
私のことじゃない。
私のことじゃない。
私のことじゃない。
……でも。
胸の奥がきゅんとする。
女性として、純粋に羨ましい。
こんなにも思ってくれる人がいるカナデさまが。
「俺だって、前世は女だったかもしれない。獣だったかも。あるいは、魔獣だったかもな」
悪戯っぽく笑うシリスティエールさまの声。楽しそうな声だ。
「ちゃ、茶化さないで下さい、シリス」
声しか聞こえないけれど、カナデさまがあの白い肌を真っ赤に染めてらっしゃるのが目に浮かぶ様だった。
「茶化している訳じゃないさ。ただ、そのソウシの記憶も曖昧なんだろ?」
「……はい」
「そんな曖昧なものに、カナデが左右される必要はないと、俺は思うだけだ」
「シリス……」
お2人が何の話をされているのかはわからないけど。
でも、互いに向け合う深い愛情が、信頼が、私にもわかった。
「しかし、男、な。なら、少々荒っぽく扱っても大丈夫だな?」
「のわっ、シリス、な、何を!ぐむむ、い、痛いです……」
シリスティエールさまの笑い声が響き、続いてカナデさまの笑い声が微かに聞こえた。
……部屋に戻ろう。立ち聞きなんて、恥ずかしい真似をしてしまった。
私はお2人笑い声に足音を隠すように、そっとその場を離れる。
最後に、短いやりとりが聞こえた。
「……本当に良いのですか、私で。シリス」
「そちらこそ、良いんだな、カナデ」
その囁きの後は、もう低く唸る航空船のエンジン音しか聞こえなかった。
自室に戻った私は、ごろんとベッドに転がって天井を見つめる。
シリスティエールさまとカナデさま。
あんな風に結ばれた2人が夫婦になる。子供を授かって家庭を作る。
私の家族も、あんな風だったのかな……。
父、前ログノリア公爵ウォラフと母は愛し合っていたのだろうか。
カナデさまたちみたいに?
……わからない。
私が父に会ったのも数えるほど。
兄フォルステルと同じように、彼が父だとはとても実感出来なかった。
母は、そんな父に平伏していた。
妾として、父に嫌われないように。ログノリアの家から追い出されないように。
そんな実家に、私は向かっているのだ。
カナデさまのお考えには従うけれど。
果たして私に、何が出来るのだろうか?
私はじっと天井の片隅を見つめていた。
王都に到着した私たちは、3日間の短い滞在期間の後、再び航空船に乗り込んだ。
王都滞在期間中、私は王直騎士団上層部に報告書を提出したり、急の帰還の釈明をしたりで、息吐く暇もなく動き回るはめになってしまった。その間カナデさまたちは、何やら国王陛下と相談されているようだったけど……。
私も2日目の夜、カナデさまたちの晩餐会に招かれてしまった。
公爵家の娘と言えども騎士団以外の場所を殆ど知らない私は、もう緊張でガチガチだ。
円卓につかれる国王陛下に王妃さま。カナデさまにシリスティエールさま。
私は明らかに、場違い極まりない。
終始カナデさまとシリスティエールさまの婚儀の話題で持ち切りだったので、何とか和やかに食事を終える事が出来たけど……。
でも、その会の終わり際。
ふと視線を感じて振り返った私は、凍りついてしまった。
国王陛下がこちらを見ていらっしゃったのだ。
刺すような視線で。
私は足が竦んでしまった。
あの視線の意味は、何だったのだろう。
……もしかして、私もログノリア側の人間だと見なされてしまったのだろうか。
……陛下と、やっと平和になったこの国を脅かす存在として。
家。
血。
その忌まわしいものから、私は逃れられない。
どうしたら。
私は、どうしたら良いのだろう?
そんな私の葛藤をあざ笑うかのように、リコットさんの航空船は、いともあっさりとログノリア公爵家の領都リバーシア近郊に到着してしまった。
ゴツゴツとした岩山が重なる狭い渓谷に、大きなリコット号が身を隠す。
船外に広がるのは、まばらな緑と赤茶けた岩石砂漠。
季節はもう春なのに、新しい芽吹きや暖かな風は感じられない。
貧しく痩せた土地。
私の故郷……。
奇妙な地層が複雑な模様を剥き出しにする岩肌をじっと見つめていても、そんな感慨は浮かんで来なかった。
その寂しい岩山で半日くらい待機していただろうか。
上甲板で見張りについていた白燐騎士が、慌てて操縦室に駆け込んできた。
「カナデさま!申し上げます!」
「どうしました?」
カナデさまが頷く。
「前方より1騎接近中!2名が騎乗している様です!」
「わかりました、ありがとう」
カナデさまが微笑んだ。
「意外に早かったですね。優人、レティシア、お出迎えに行きましょう。シリス、この場をお願いします」
「わかった」
「了解です」
「おい、カナデ。誰か来るのか」
後部貨物室に向かって歩き出しながら、カナデさまはさっと振り返る。そしてすっと人差し指を立てて、ユウトさまに柔らかく微笑みかけた。
「ふふっ、直ぐにわかりますよ」
ユウトさまは少し顔を赤くしながら、眉をひそめた。隣でシズナさんが溜め息を吐いている。
私たちが後部貨物室に入ると、航空船の扉が重々しく唸りを上げて開いた。
その先に、報告の騎馬が既に待ち構えていた。
「カナデ!」
ユウトさまが声を上げてカナデさまの前に出る。
その手は、剣に掛かっていた。
カナデさまと私で手配しておいたのだから、私はその騎馬の正体を知っていた。それでも、一瞬ぎょっとしてしまった。
……なんて怪しさ。
漆黒の馬に跨ったその人物は、裾がボロボロになったマントを羽織っていた。
顔は鼻から上を覆う仮面……兜?
まるでドラゴンの頭骨みたいな意匠だった。
その背には、2振りの長剣の柄が見えた。
「ふふっ、俺の力が必要か」
低い声。
なんか、わざとらし……。
「お前、何者だ!」
ユウトさまがさらに腰を落とした。
臨戦態勢だ。
ピリッと空気が張り詰める中。
カナデさまだけが、笑顔で手を振っていた。
そこに。
カキンっと、金属音が響き渡った。
「あー、もう、良いわよねっ! メンドクサイのよ!」
仮面剣士の背後から、ひょこっと小柄な女の子が顔を出した。その手には、今しがた仮面剣士の頭を叩いた短剣の鞘が握られていた。
「おひさ、カナデちゃん、優人。あっ、レティシアもっ!」
ぶんぶんと手を振る少女。
「おっ、夏奈か?おおっ、じゃあこっちは陸か?」
ユウトさまが驚きの声を上げる。
「久しぶりですね」
カナデさまが優雅に手を振る。
「くくくっ、やっと気が付いたか、優人。俺の力を……って、痛い、痛いって夏奈!」
相変わらずの2人に、私もふふふっと笑ってしまった。
心強い援軍の到着だった。
これで人員は整った。
いよいよだ。
いよいよ私たちは、兄の、父のもとへ向かう。
読んでいただき、ありがとうございました!




