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EXAct:北へ1

 日が沈む。

 茜に染まる山の端を見つめて、私はほっと息を吐いた。

 深い森の中。木々が倒され、そこだけぽっかりと切り開かれた広場に、続々と人々が戻って来る。前方にそびえる岩山で、遺跡発掘に携わっている労働者の方々だ。彼らは、現地徴用した地元の方々だった。

 これより夜の時間帯は、遺跡の周囲は全方位封鎖され、立ち入り禁止になる。

 夜勤の王直騎士、リムウェア侯爵家白燐騎士団、そしてエバンス伯爵家聖印騎士団がその警備にあたるのだ。

 あの英雄ユウトさまが発見した遺跡がある山中に籠もって、早一週間。

 夜の準備を進めるみなさんも慣れてきた感があった。

「レティシアさん。本日の発掘調査の日報だよ」

「ええ、ありがとうございます、ハインド主任」

 ハインド主任からファイルを受け取る。

 私は今、遺跡発掘現場に派遣された王直騎士団の指揮を任されている。

 外の人から見れば、私みたいな若輩がなんでって思われるかも知れないけど……。

「レティシア殿。では、夜間警備に就きます」

「ええ、よろしくお願いします、ユークリス」

 私は、年齢の割に軍務歴が長い。

 兵を引き連れ遺跡に向かうユークリスは、私よりも9つ年上だけど、軍務歴は私の方が5年は長かった。今の部隊で私よりもベテランなのは、お父さんみたいな歳の古参騎士や兵たちだけ。でも彼らは、指揮官には身分が低すぎるのだ。

 私が幼い頃から騎士養成校アントワリーゼに入れられ、正騎士任官も飛び抜けて早かった事がこんな状況の原因。

 それに、私の家格が1部隊の指揮官に相応しいと判断されたんだと思う。

 弱体化したとは言え、4公家北の公爵。ログノリア公爵家出身の私が……。

「進捗はいかがですか、ハインド主任」

「そうだね。山が深くて、難儀しているよ。この辺りの地質が岩質なのも厄介だ」

 私はハインド主任と並んで歩き出した。ベースキャンプとして使わせてもらっている麓の村に向かって。

「レティシアさんは、確か明日はお休みだったね」

「あ、はい。申し訳ありません……」

 お休み、もらってもいいのかな……。

 私は小さな声で答える。

 はははっとハインド主任は笑った。

「みんな順番に取っている休暇だ。休息は必要だよ。リムウェア侯爵領に来てから、ずっと働きづめだったからね。カナデお嬢さまのお屋敷にだって、一晩いただけで直ぐにこの現場に来てしまったんだから」

 そうですね……。

「……ははっ、すみません」

 ハインド主任のおっしゃる事も、もっとも。

 ここは、大人しく休養しますか。

 もっとも、こんな山間の田舎では、何も出来ることないよね……。

「ところでレティシアさん」

「はい?」

 ハインド主任が困惑しているのか苦笑しているのか、奇妙な表情で前方を見た。

「あの、アリサさんは、何をしているのだろう」

 麓の村へ向かう山道。その脇に転がった巨大な岩の上に、人影があった。

 すらりとした黒髪短髪の女性。

 その姿が夕日に染まっていた。

 帰路を急ぐ作業員や騎士たちが、直視してはいけないもののように彼女から目を逸らして脇を通過して行く。

 参謀部から派遣された遺跡発掘の立会人、アリサ。

 ……どうやってあんな場所に登ったんだろう。

「彼女の事は、気にしないであげて下さい」

 私は苦笑いを浮かべた。

「多分あの先にインベルストがあるんだと思うんです。ああして、カナデさまを感じるんだって言ってましたから……」



 山間にある小さな村は、突然村人の3倍の人数を迎え入れ、慌ただしくも俄かに活気づいていた。

 宿屋を兼ねた狭い酒場は、遺跡発掘の労働者や兵たちで溢れ返っている。多分、この店が出来て以来の盛況ぶりに違いない。

 さらに、店の外にもテーブルが出され、1日の疲れを癒やす酒盛りが行われていた。

 もちろん酒場を経営する老夫婦だけでは手が足りず、部隊の炊事担当や村娘たち全てを動員しているような有り様だった。

 王統府や各領主から対価は払われているものの、何か問題は起きないかと私はハラハラしっぱなしだった。

 そんな酒場の片隅。

 私は、アリサ、シズナさんと同じテーブルに付いて、夕食を取っていた。

「シズナさん。ユウトさまのお加減はいかがですか?」

「ごめんね、レティシア。もう随分持ち直して来たわ。やっぱりウジウジ悩むより、体を動かしている方が良いみたいね」

 川魚のムニエルを切り分けていたシズナさんが微笑む。

「傷心の今こそ、押し倒しちゃえば良いじゃない? 年下の彼だってあんまり遠慮してると、若い子に取られちゃうわよ」

 エールのジョッキ片手に山菜の佃煮を摘んでいたアリサが、シズナさんを見た。

「まぁ、なかなか、ね。ユウトの気持ちもあるから……」

 大人の女性2人の会話に耳を傾けながら、私は新鮮な野菜サラダをむしゃむしゃ頬張る。

「そう言うアリサはどうなの?」

「私にはカナデさまがいるもの。またまたちょっとだけ離れ離れだけど、毎日思ってるから大丈夫」

「……あなた、もうカナデさんの部屋に忍び込むような事はしないでよ。捕まったんでしょ?」

 シズナさんが大きくため息を吐いた。

 反対に、アリサは胸を張る。

「大丈夫。寛大でお優しいカナデさまは、私に温かい言葉を掛けてくださったから。アリサですもん、しょうがないですよねって」

 得意げなアリサに、シズナさんは生温かい笑顔だけ向ける。そしてそっと溜め息を吐いた。

 私は思わずははっと笑ってしまう。

 それがいけなかった……。

 アリサが私を見た。

「レティシアはどうなの?」

 こっち来た……!

「何がですか?」

「良い人はいないのかって事よ」

 シズナさんまで……。

 私は取り敢えず苦笑いで誤魔化して、白桃ジュースに口を付ける。

「ダメね」

 シズナさんがふふっと笑った。

「レティシア、明日休みなんでしょ?インベルストまで行って来ればいいじゃない?カナデさまに、レディの何たるかを教えていただくといいわ。ついでに、アリサがお会いしたがっていたって伝えてくれれば……」

「インベルストは少し遠いわね」

 アリサの台詞の最後を打ち消すように、シズナさんが私を見た。

 シズナさん、アリサへの対処が上手になって来ている……。

「でもアリサ。カナデさまには、シリス殿下がいるじゃない? それは良いの?」

 シズナさんが悪戯っぽく笑う。

「何を言ってるの、シズナ。お姫さまと王子さま。この組み合わせだから良いんじゃない。一介の冒険者なんかより、断然お似合いよ」

 ふふんっと鼻を鳴らしたアリサに、私は思わず焼き魚に突き刺したフォークを止めた。

 何だか、ピシッと空気が凍り付いた気がしたから……。

「……何。私のユウトがカナデさんに釣り合わないって?」

 シズナさんが静かな声でそう言うと、コトンっとエールのジョッキを置いた。

 切れ長の目がすうっと細まる。

 これはマズいのでは……。

 少し前。

 ローテンボーグのマームステン博士のお屋敷での夜を思い出す。

 ……あの惨劇を繰り返してはイケナイ。

「いい? カナデさまはギャップ萌なの。気高いお嬢さまと、脇の甘い女の子。そして勇猛な少女騎士。わかる?」

「ユウトは優しく言ってくれたわ。ありがとう、シズナって!」

 あわわわわ。

 私はこっそり辺りを見回した。

 誰か、助けを……。

 しかし、先ほどまで周囲で騒いでいた騎士や労働者たちは、いつの間にか遠くに……。

「アリサ。明日も仕事でしょ。これくらいで……」

「マスター、エールをもう一杯!」

 何とか絞り出した私の忠告は、見事にハモったアリサとシズナさんの声にかき消されてしまった。



 酒飲みたちの呪縛から脱出出来ないまま結局深夜までつき合わされてしまった私は、酒場の上階の居室に向かっていた。

 アルコールを摂取していないにも関わらず頭がズキズキする……。

 他の騎士や兵、労働者の方々は、村の納屋を徴発したり周囲に天幕を立てて寝泊まりしていた。しかし、私やアリサ、ユウトさま、それに各領の騎士団幹部の方々は、村で唯一の宿屋である酒場の上に部屋を借りていた。

 他の皆さんは、もう寝てしまったのだろう。

 しんと静まり返った廊下を、私はこつこつ歩く。

(ちなみに、アリサとシズナさんはまだ酒場にいる。私の代わりに、たまたま通りかかったハインド主任が捕まってしまった……)

 薄暗い廊下。

 ランプの明かりは仄暗い。

 獣脂の燃える不快な匂いが、余計に私の頭をガンガンさせる。

 まあ、でも明日はお休み。

 ぐっすり眠らせていただこ。

 小隊クラスの指揮を任せられることは今までもあったけど、今回みたいな長期任務の指揮官は私にとって初めての体験だった。

 ローテンボーグを発ってこの方、ずっと緊張している自分がいることは承知している。

 ……はぁ。

 ダメだなぁ、私。

 疲れているなぁという実感があった。

 魔獣との戦いで実戦経験は積む事は出来たけど、こういう胆力とか度胸とか、やっぱりカナデさまには遠く及ばないな。

 私はあてがわれた部屋の前に立つと、溜め息を吐きながらドアノブに手を掛けた。

 ドアを押し開く。

 その瞬間、ぱさりと一通の封筒が床に舞い落ちた。

 ……なんだろう。

 私はその封筒を取り上げると、しげしげと観察してみた。

 差し出し人の名前はない。

 宛名もない。

 ドキリとする。

 不意に、嫌な予感が脳裏を過る。

 足元が崩れ落ちて、深い谷底に落ちていくような感覚。

 ……まさか。

 私は素早く辺りを見回して、誰もいないことを確認すると、逃げるように部屋の中に飛び込んだ。

 カチリと鍵を掛ける。

 じんわりと額に汗が滲む。

 封筒を見つめる。

 もしかして、また……。

 ……ううん。

 まだそうだと決まった訳じゃない。

 ここは、王都じゃないんだ。

 ……でも。

 まさか、まさか、こんなところまで……。

 私は、震えてしまう手で封を開いた。

 中には何の飾り気もない便せんが一枚。

 目を通す。

 最後まで読まなくても、分かってしまった。

 私の嫌な予感は、当たってしまっていた事に。

 ……ああ、どうして。

 私は崩れ落ちるように座り込む。

 私は、どうしたら…。

 しばらく何も考えられず。

 私は、ただぼうっと握り締めたその手紙を見つめる事しか出来なかった。



 翌朝。

 お休みの朝にもかかわらず、私は普段と変わらず身支度を整え、部屋を出た。

 昨夜は、ほとんど眠る事が出来なかった……。

 今日も発掘作業に向かうべく集まりだした人々を掻き分け、私はユークリスを探す。

 彼とアリサ、ハインド主任。そしてシズナさんには、行き先を告げておく。

「すみません。今日はインベルストまで行って来ます」

 二日酔いで辛そうなシズナさんは頷くだけ。対照的に、こちらはけろっとしたアリサは、やはりというように頷いてくれた。

 一晩悩み、考え抜いた結果。

 私は、あの手紙の件を相談してみることにした。

 カナデさまとシリスティエール副隊長に。

 もしかしたら、お二人の平穏を壊してしまうことになるかもしれないけど……。

 でも、このまま1人で抱え込む事は出来なかった。

 私には、もうどうしたらいいのか分からないから……。

 ブレスプレートに剣を帯びただけの軽装姿で、私は馬を飛ばした。

 インベルストへ。

 カナデさまのもとへ。

 春先の気持ちの良い陽気も、牧歌的な風景も、あっという間に後方に流れ去る。

 最低限の休憩だけを取り、リムウェア侯爵領を駆け抜ける。

 土地勘の無い私には、遠い道のりだった。

 やっとインベルストに入った頃には、もう日も傾く時間帯になってしまっていた。

 カナデさまに取り次いで貰えるようにお願いした私を迎えにやって来たのは、メガネのメイドさんだった。

 顔を知っている。

 確かカナデさまのお付きの……。

 向こうも私を知っていたようで、私はすんなりと屋敷の方に案内された。

 夕方の穏やかな空気が支配するお屋敷の中。

 私は2階の部屋に通される。

 微かに夕げの良い香りがした。

 カナデさまを待つ間。ふかふかソファーに腰掛けるのも気が引けたので、私はそっと窓際に立った。

 濃紺がさらに深くなり始めた空の下、庭師や下男が仕事の片付けを初めている。

 笑い声が聞こえる。

 ……何故か怒声も。

「こらっ、ユナ!どこ行った!」

 私は、窓に手をついて微笑んでしまう。

 いいお屋敷。

 ここがカナデさまとシリスティエールさまのお家……。

 少し、羨ましかった。

 おぼろに記憶に残る実家とは大違いだ。

 実家、ログノリアにいい思い出はない。と言うか、あまり覚えていることはない。

 私の記憶は、もっぱら騎士養成校アントワリーゼの頃からが主だった。

 父と呼ぶには程遠い存在。

 そんな父にすがる母……。

 私は、ログノリアが好きではない……。

 知らず知らずのうちに、剣の柄をぎゅっと握り締める。

 そこに、唐突に扉が開く音が聞こえた。

「レティシアか。どうしたんだ、突然」

 副隊長の声!

「すみません、急……!」

 えっ。

 振り返った私は、そこで凍り付いてしまった。

 隣室からひょいっと顔を出したシリスティエールさまは、上半身裸だった。

 んなっ!

 顔がかっとなってしまう。

 引き締まった筋肉。真新しい傷跡が痛々しい。

「シ、シ、シリスティエールさま、そのおしゅがた……」

 わへっ。

 か、噛んでしまった……。

「ん、ああ。すまないな」

 シリスティエールさまがニヤリと笑う。

 長年この人に仕えて来たからわかる。これは、楽しくて楽しくてたまらない時の笑顔だ。

「いや、なに。カナデがなかなか着させてくれなくてな」

「カ、カナデさまっ!」

 な、な、なんていうことでしゅか!

 私はなんて間が悪い時に来てしまったんだろう!

 あの手紙の件について相談することばかり考えて、周りが見えていなかった!

 シリスティエールさまとカナデさまはご新婚さまなのだから、その、ラブラブであっても全然おかしくないわけで……。

「わっ!シリス、なんて格好で!レティシアに失礼でしょう!」

 今度は、カナデさまの声が近付いて来る。

「お前がいつまでものんびりしているからだろう?」

 シリスティエールさまが振り返ると、その隣からひょっこりとカナデさまが顔を出された。

「すみませんね、レティシア」

 カナデさまは困り顔で微笑まれる。そしてむっとシリスティエールさまを睨み上げられた。

「出来ましたから、これ。さっさと着て下さい」

 カナデさまが、白いシャツをドンッとシリスティエールさまに押し付けた。

「ああ、ありがとう。しかし、取れかかったボタンを直すくらい、リリアンナにでも頼めばいいだろう?」

 ……ボタン?

 ああ、そうか……。

 カナデさまは胸の下で腕を組むと、横目でシリスティエールさまを睨み付けた。しかし、直ぐに恥ずかしそうに顔を背けられる。

「シリスのを直すのは、私の役目ですから……」

 目を逸らしたまま、ぼそっと呟くカナデさま。

 しかしその言葉は、シャツに袖を通していたシリスティエールさまには聞こえていなかったみたいだった。

「カナデ」

「な、なんですか」

「ボタン、ぶらーんとなってるが……」

 今度は、端から見ていてもわかるほどカナデさまの顔が赤くなった。

「し、しばらく我慢してて下さい。後でやり直しますから!」

「やっぱりリリアンナに……」

「私がやりますから!」

 そうきっぱりと言い放ったカナデさまは、第2ボタンがぶらーんとしたままのシリスティエールさまに背を向けて、私の方に歩み寄って来られた。

「すみません、レティシア。うるさくて……。どうしたんですか、今日は」

 穏やかな笑みを浮かべて私にソファーを勧めるカナデさまは、私の知っているいつものカナデさまだった。

 やっぱりシリスティエールさまといらっしゃる時は、印象が違うんだ……。

 女の子、というか。

 こんなにも幸せそうなカナデさまに、私は、嫌な話をしなければいけない……。

 でも、私だけではどうしたらいいのかわからない。

 カナデさまなら。

 シリスティエールさまなら。

 きっと、きっと何とかして下さるに違いない。

 私は意を決して、懐からくしゃっとなってしまった封筒を取り出した。

 昨夜、私の部屋に届けられた封筒を。

「……カナデさま。突然に申し訳ありません。実は、ウェラシア貴族連盟から接触がありました」

 途端にカナデさまの目つきが鋭くなる。

「ユウトさまが発見した遺跡の発掘調査に介入したいと。ついては、私にその手引きをせよと」

 シリスティエールさまが、カナデさまの後ろに立たれる。

 そちらを一瞥したカナデさまが、改めて射抜くような視線で私を見られる。

「……でも、何故レティシアに?」

 私は膝の上に置いた拳にぎゅっと力を込める。

 呪縛……。

 血の。

 ……家の。

「差出人の筆頭フォルステル・ログノリアは、北公家の家督を継いだログノリア公爵家の現当主。……私の兄なんです」

 読んでいただき、ありがとうございました!

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