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EXAct:研究所2

 終業時間ぴったりに退庁したことなど、いつ以来だろうか。

 白衣を脱ぎ、長年酷使してすっかりくたびれてしまったコートを羽織り、私は研究室を出た。

 家路を急ぐ者、1杯飲みに行く者、そしてこれから残業態勢に入る者。

 仕事中とは趣の違うざわめきの中を、私は製図室に向かった。

 ひょいと中を覗くと、何事か議論していたロレック以下数名が私を見る。

「あれ、主任。お帰り、ですか……?」

 目の前の現象を理解出来ないという風に、怪訝な表情を浮かべるロレック。

 私は、苦笑を浮かべて頷いた。

 私もまた、いまいち信じられないのだ。

 私が、私事で定時帰りだなんて。

「では、ロレック。後は頼むよ」

「あ、はい、お疲れ様でした……?」

 自嘲めいた笑みを浮かべたまま、私はロレックに手を振って製図室を後にした。

 退庁時間ちょうどとはいえ、既に日没の後だ。辺りが暗いことには違いない。しかしローテンボーグの街中には、仕事終わりの、あるいは学校終えた者たちの活気が満ち溢れていた。

 私はナユタウ研究所を出ると、そんな人々に混じって大通りに向かった。

 煌びやかな街灯の光。

 通りに並ぶバーや食堂から漏れ出す笑い声と、良い香。

 学術都市とあだ名されるローテンボーグには、こうした学生たち向けの安い店がひしめき合っている。

 私は、普段縁のないそうした光景を傍らに、大通りを進んだ。しばらく歩いて、やっと辻馬車を捕まえられた。

 御者に目的地を告げ、シートに身を預けると、私はふうっと息を吐く。

 このまま自宅へ、というわけではない。

 ……もっとも、帰宅しても誰もいない訳なのだが。

 今宵私は、マームステン博士の屋敷で催される夕食会に出席する事になっていた。ユウト君やリコットが中心になって企画した集まりだった。

「ふっ」

 辻馬車の座席と心地良い振動に身を預け、目を瞑りながら私は微笑んでいた。

 私は、彼らの事を好ましく思っている。

 冒険者の少年少女たち。

 それだけではない。

 地方貴族に王直騎士団の者たち。

 研究室に籠もりっきりでは、決して得る事が出来なかった知り合いたちだ。

 彼らとの出会いは、私に多くのものをもたらしてくれた。ユウト君やカナデさまと一緒にいると、本当に退屈することがない。

 馬車は、街灯の光を受けながら山の手へと坂を登る。ローテンボーグの港を臨む高台の住宅街。主に富裕層が住んでいる一帯を、馬車は走り抜けていく。

 やがて左手に見えてきたのは、広大な敷地に幾つもの建物が並ぶローテンボーグ大学だった。

 その構内には、未だに明かりが灯る建物も沢山見受けられた。

 学生たちが頑張っているのか、教授たちが研究に没頭しているのか。

 私もここの出身であったから、何だか懐かしくなってしまう。

 私は、馬車の連絡小窓をコツコツと叩いた。

「すまない、ここで降ろしてくれ」

「へい」

 馬車が停車する。

 私は白い息を吐きながら、大学正門前に降り立った。

 少し、歩いてみたくなったのだ。

 大丈夫、時間には間に合うだろう。

 私は、大学正門脇の通用門から構内に入った。

 マームステン博士の住まいは、今はこの大学の中にあるのだ。

 博士の屋敷は、博士がロクシアン商会の一派に拉致された際に打ち壊されてしまったそうだ。戦いが終わっても、博士とラウル君には帰る場所がなかった。

 それに同情した大学が、構内の旧学長公舎を博士たちに提供しているのだ。

 葉を落とし、枝だけになってしまった並木が、その寒々とした姿を街灯に照らし出されていた。大学の構内には、時間が早い割には、あまり人通りはない。

 しんっと静まり返った中に、カツカツと私の足音が響く。

 ここに通い詰めていた頃から、既に十数年経つのか。

 仕事に没頭した十数年だった。

 結婚して、娘も出来た。家庭を持ったが、今は独りだ。

 そう考えると、私はここに通っていた時代と何も変わっていないのかもしれない。

 ……ただ、年をとって肉体が疲弊したというだけで。

「あれ、ハインド主任ではありませんか?」

 ぼんやりと大学の奥を見つめ、詮無い事を考えていた時、不意に横から声をかけられた。

 そこには、柔らかそうなふわふわの白いコートに、赤毛をアップにまとめた女の子が立っていた。

 柔らかに微笑む彼女の背後には、こちらは落ち着いた茶色のコートの女性。黒髪をショートカットにした彼女が、私に会釈して来る。

 ……はて。ここの女学生だろうか。

「良かった。私たち、大学の中は不慣れなものですから。迷いそうになっていたんです。マームステン博士のお屋敷まで、ご一緒願えませんか?」

 博士の?

 はて……。

 私はまじまじと赤毛の彼女の顔を見てしまう。

「ふむ」

「あの……?」

「ふむ。うむ、ああ……」

 そうだ!

「ああ!あなたは、王直騎士団のレティシアさんか!」

 そうだった!

 なんと、私としたことが。

 本当に、女性は難しい。

 昨日、私の研究室に、突然の訪問者があった。

 王直騎士団の女騎士、レティシアさんだ。

 彼女とは、カナデさま繋がりで幾らかの面識があった。

 レティシアさんが私を訪ねて来たのは、あのカナデさまが報告されてきた遺跡の発掘、警備などについて、技術省と王直騎士団で事前打ち合わせするためだった。

 しかし……。

 昨日の厳めしい鎧姿の騎士と、目の前の女学生の様な女性が結び付かない。

「ああ、そちらは参謀部のアリサさんだね。久しぶりだ」

 私はレティシアさんの背後の女性に頷き掛ける。

 涼しげな表情の彼女が、すっと頭を下げた。

「ご無沙汰しております」

 彼女の事も、やっと思い出す。カナデさまと行動を共にしていた秘書官殿だ。

 遺跡発掘調査に参謀部から立会が来ると聞いていたが、彼女のことだったのか。

 お互いカナデさま経由で出会ったり、すれ違っている間柄だ。

 なんだか不思議なメンバーになってしまったが……。

 ここにカナデさまがいらっしゃれば、すっと来るのだが。

 私はふっと笑う。

「冷えるね。それでは行こうか、みなさん」

 我々は並んで歩き出した。



 旧学長公舎は、古びてはいるが、広々とした屋敷だった。その一階の食堂に、所狭しと料理が並べられていた。

 溢れる笑い声。

 夕食会は、つつがなく始まる。

 出席者は、マームステン博士、ラウル君、リコット。

 ちなみにリコットは今、この屋敷で博士やラウル君と一緒に暮らしている。

 先程までその事をユウト君やシズナさんにさんざん茶化されていたリコットは、今は食堂の隅でぶすっとジュースを飲んでいた。

 そして、そのユウト君にシズナさん、あと、名前は知らないが、彼らの仲間で禿頭の大男君だ。

 今宵の料理は、プロではなく彼が用意したというから驚きだった。

 さらに王直騎士団のレティシアさん、参謀部のアリサさん、そして私、というのが今宵のメンバーだった。

 初めこそ皆大人しく、あの魔獣との戦いの思い出話に興じていたのだが、ユウト君が「じゃあ、俺の故郷の料理を披露してやるよ」と言い出した辺りから、何だか雰囲気が怪しくなってきた。

 もっとも私も、ちびちびと飲んでいた蒸留酒の酔いが回って来たのか、その光景を楽しげに見ていただけなのだが……。

「じゃあ、土鍋を用意してくれ」

 ユウト君が張り切って声を上げるが、大男君は首を傾げる。

「まぁ、普通の鍋でいいか。じゃあ、味噌を頼むよ」

 大男君が逆に首を傾げた。

「あれ……。前に、カナデが味噌汁作ってたのにな。……まぁ、いいか。じゃあ、醤油だ」

 やはり大男君は首を捻った。

「きゃはははっ、何だ、ユウト、全然だめじゃん。あたしが手伝ってあげようか?」

 復活したリコットが、楽しそうにユウト君の腕に抱き付いた。

「わわっ、危ないよ、リコット!すみません、ユウトさん」

「っさいわね、ラウル!さっき、あたしのピンチには助けに来なかったクセにっ」

「ええっ!」

 賑やかな3人を肴に、私とマームステン博士は杯を交わした。

「ふわっはっはっはっ、若いもんは、元気が何よりだ!」

 博士も上機嫌そうだった。

 私は博士のグラスに、ワインを注ぐ。

「何だね、ハインド君。君は飲んどらんのか?」

「あ、いえ。頂いておりますよ」

 私はグラスを掲げて見せた。

「ふむ。しかし、な。未盗掘の遺跡に、ヴァンとアネフェア姫の遺産か。彼ら……」

 博士は目を細めて、ユウト君を見た。

「そして、カナデさまは、よほど運命に魅入られておるな」

「ええ。それは私も、そう思います」

 私はそっとグラスに口を付けた。

 そうだ。

 私は、ふと思い浮かんだ質問を、口にしてみる。

「博士。ユウト君たちブレイバーは、何故もとの世界に戻らなかったのでしょうか。禍ツ魔獣を倒したその時に、チャンスはあったと聞いておりますが……」

 私は博士を真っ直ぐに見つめた。

 博士は豊かな髭を撫でると、ふっと息を吐いた。赤い顔で、遠くを見つめるような目をした。

「……わしにも、わからん。しかし、な」

 博士は柔らかな笑みを浮かべた。

「少なくとも、彼らは帰還しなかった事を悲観してはおらん。自分たちの身の上を、不幸だとは思っておらんようだ。彼らは、残るべくして、この世界に残った。ならば、わしは、それで良いと思う」

「良い、のでしょうか……」

 ユウト君たちが、未だにもとの世界に帰還する方法を探していると私は知っている。

 やはり彼らは、諦めていないのではないか……。

「良いか、ハインド君。人はの、地に足を付けていなければ、生きてはいけん。どっしりと根をはって、今を生きえる。ユウト君を見るが良い。彼は、ノエルスフィアの一員として、我々と共に地に足を付け、今日を生きておる。ならば、彼の今いる場所こそ、彼の居場所じゃ。それで良いのではないかな?」

 髭を触りながら、眩しそうな表情でユウト君の方を見るマームステン博士。

 今いる場所こそ、自分の居場所。

 まずはその事を肯定しなければならない、ということか。

 私はそっとグラスに口を付けた。

 蒸留酒の辛味が、舌をピリピリさせる。

「ハインド君。君はどうかな?」

「は、は?」

 私が顔を上げると、ニヤリと笑うマームステン博士がいた。

「研究の道も同じじゃぞ?先ばかり見据えて足元を疎かにしていては、良い成果など生まれん」

「はっ……」

 やはり基礎は大事だということか。

 学会の重鎮の言葉には、やはり重みがある。

「嫁さんのことじゃ。別居しとるんじゃろ?」

「なっ……」

 絶句する。

 そうか、リコットか!

「自分の居場所、家族や家庭を守れんものに、良い仕事は出来んぞ」

 がっはははと笑う博士。

 何か言わなければと思っているうちに、ガタンと椅子がなり、少し離れて飲んでいたアリサさん、レティシアさん、シズナさんがこちらにやって来た。

 アリサさん、シズナさんは成人しているため、エールの満たされたグラスを手にしていた。レティシアさんは、少し困った顔でフルーツジュースのグラスを持っていた。

「ハインド主任。飲まれてますか?」

 にこやかにシズナさんが話し掛けて来る。

 酒のせいか、いつもより饒舌な印象だった。とろんとした笑顔が、何だか妖しい……。

「ふぉふぉふぉ、シズナ君、いつもラウルが世話になっとるの。楽しんでおるか?」

 上機嫌のマームステン博士が笑った。

 思い出話を始める2人をよそに、私はアリサさんに話を向ける。

「そういえば、アリサさん。お聞きして良いかな」

「なんでしょうか」

 アリサさんも先程からグラスが空くペースが早いようだが、冷静に返事をしてくれた。彼女のグラスに、私はエールを注ぐ。

「遺跡の発掘調査の件だが、騎士団のレティシアさんが同行するのは当然だが、参謀部のあなたは何故同道を?」

 アリサさんが黙って俯く。

 何故かその肩が小刻みに震えだした。

「あははっ、すみません、ハインド主任。実は、参謀部から発掘調査の立ち会いはあちらですると突然の横槍が入りまして……。それでアリサが……」

 代わりに答えてくれたレティシアさんが、苦笑いを浮かべる。

 参謀部、か。

 何か狙いがあるのだろうか。

 発掘調査前に現場を荒らされる事は、避けたいんだが……。

「……私がねじ込んだんです、それ」

 ぼそりとそんな台詞が聞こえた。

 私とレティシアさんは、思わずそちらを見た。

 俯いたアリサさんの方を。

「私が、うちのボンクラを使って、提案させたんです。ふふふ……」

 低い声で呟いたアリサさんが顔を上げる。

 そこには、眩しいほどの満面の笑みがあった。

「だって、遺跡はリムウェア領。リムウェア領に行けば……」

 恍惚の表情を浮かべるアリサさんに、私は思わず身を引いてしまう。自分の笑顔が、少し引きつるのがわかった。

「カナデさまにお会いできる!ああ、カナデさま!後ろから抱きつきたい!ぎゅっと、ぎゅうっと!頭を撫でて差し上げたい!机に隠していたクッキーをカリカリ食べて、盗み見ている私に気が付いて、慌ててクッキーを隠そうとしているカナデさまをぎゅっとしたい!」

 な、何なんだ……。

 私は思わずグラスを取り落としそうになる。

「アリサ、あなた、そんな事で任務を!」

 さすがにレティシアさんが顔をしかめた。

「違うんです!今の私の生活には、カナデさま成分が足りないんです!リムウェア領に旅行するにも、旅費とかお休みとか全然なくて……。うう、うう、う、うわーんっ!」

 突然机に突っ伏すアリサさんから、私は取り敢えず酒瓶や料理皿を遠ざけた。

 ……近頃の若い女の子は、みんなこうなのだろうか。

 額を抑えたレティシアさんが何か言おうとした時、今度は逆から声が上がった。

「わかりますよ、アリサさん!その、愛しくて愛しくて堪らない気持ち!」

 シズナさんがグラスを持って震えていた。

 私はビクッと肩を竦ませる。

 これは先程と同じ態勢では……。

「好きなんです!でも、あいつはいつも違う方向ばかり!そうです、色々やったんですよ!ガラガラなのに、満室だと偽って部屋を1つしか借りなかったり……。なのに、何も……。ばかぁ」

「シ、シズナさんっ」

 さすがにレティシアさんも動揺が隠せないようだ。というか、引いている……。

 マームステン博士は、ただ楽しそうに笑っているだけだ。

 私はちらりとユウト君たちの方を見る。

 あちらはあちらで楽しくやっているみたいだった。

「ユウト、蟹!」

「おう、入れろ!」

「ユウト、ジャイアントオクトパスッ!」

「よし、ガンガン入れろ!」

「ユウト、ランシェの肝!」

「ん?まぁ、どんとこい!」

「あわわわ、だ、大丈夫かな……」

 幸いかな、彼らにこちらの惨状に気が付いてはいないようだ。

 ならば、それがいいと思う。

 知の探求者である私にも、世の中知らなくて良いこともあるという真理は理解しているつもりだった。

「聞いてますか、ハインド主任!そもそもカナデさまの魅力とは……!」

「カナデさん、カナデさんばかりじゃなくてぇ……」

 私の前にグイッとグラスが2つ差し出される。

 私は半ば自動的にそこにエールを注いでいた。

 愛想笑いを浮かべながら、ちらりと時計を盗み見る。

 驚くほど、時間が過ぎていた。

 何時もは資料を片手に手早く終わらせてしまう夕食に、こんなにも時間を費やしてしまうなんて……。

 しかし、不思議と後ろめたさはなかった。

 それどころか、たまには誰かと一緒に食事をするのもいいかと思えてしまう。

 カナデさまを通じた不思議な縁が作る仲間たち。

 その中にいるという安堵感。

 繋がっているということ。

 地に足をつけているということ。

 マームステン博士を見る。

 髭の老人は、私を見て楽しそうに笑う。

 もしかして私は、目先の仕事や研究にしか目が向かっていなかったのかもしれない。

 今度、妻に連絡してみようか。

 そして食事でも一緒にするのも悪くないかもしれない……。

 夜が更ける。

 明日は、わん太郎の修理に取り掛かろう。遺跡発掘隊の編成も考えなければ。

 何故か、明日は仕事がはかどりそうな気がした。

 しがないおっさんの話、読んでいただいてありがとうございました!

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