EXAct:研究所1
バキバキと鳴る体を伸ばしながらブラインドを上げると、いつの間にか昇っていた太陽の光が射し込んで来る。
私はその輝きにそっと目を細め、欠伸をかみ殺した。
飛行機構の量産化検討資料に目を通しているうちに、どうやら夜が明けてしまったようだ。
経過した時間に自覚的になってしまった瞬間、凄まじい眠気が襲いかかって来る。
若い頃は、たった一度の徹夜程度では、なんともなかったのだが……。
私も年を取ったものだ。
今度は耐え切れず、盛大に欠伸をしながら、私はボリボリ頭を掻いた。
そこに、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
少し声が掠れてしまう。
「失礼しまーす。ハインド主任、お手紙が届いていますよ」
そうっと扉が開いて、部下のロレックが私の研究室に顔を見せた。
「ああ、どうぞ」
私はどかりと椅子に腰掛けた。
「うわっ、また書類とか本が増えたんじゃないですか?」
ロレックは部屋に足を踏み入れると、顔をしかめながら辺りを見回した。
「仕事をしているんだ、散らかるのは当たり前だろう」
「もっと整理整頓して下さいよ」
「私は、何がどこにあるか把握している。問題ないよ」
目頭を揉みほぐす。また欠伸が出た。
ロレックがわざとらしくため息を吐いた。
「ところで、手紙とは誰からだ?」
「ああ、はいはい。いや、あのカナデ・リムウェアさまですよっ!羨ましいなぁ、主任」
飛び跳ねるように物を避けながら近付いてきたロレックから、私は封筒を受け取った。
リムウェア家の家紋が入った上質な封筒に、カナデさまのご署名。封筒からは、微かに良い匂いがする。
「ふむ、カナデさまか」
「主任、お知り合いなんですよね。羨ましいななぁ。カナデさま、お美しいんですよね、会いたいなぁ」
ロレックは頭の後ろで手を組んで、にやにや笑った。
「確かに、麗しいお方だがね。しかし、カナデさまにはシリスティエール殿下というお相手が……」
私は話しながら、散らかった机の上からペーパーナイフを探す。確かこの辺りに……。
「あった、あった」
ペーパーナイフを引き抜く。
その上に積み上げられていた書類の山が、崩れ落ちてしまった。
ロレックが慌ててその書類を拾いに掛かるが、私は取り敢えずカナデさまの手紙に目を通した。
ふむふむ。
時候の挨拶に、内容は……。
古代遺跡の発見……!
それも手付かずの、だなんて!
「素晴らしい!」
私は勢い良く立ち上がった。
立ち上がった拍子に後ろに押された椅子が、積み上がった本にぶつかった。今度はその本のタワーが倒壊してしまう。
「あー」
ロレックが疲れたような声を上げた。
いや、しかし、これはなかなか面白い!
私は研究室の中をカツカツと歩きながら、手紙の続きを読んだ。
冒険者のユウト君たちが遺跡を見つけたこと。
どうやら盗掘などはなく、ほぼ手付かずの遺跡であるらしいこと。
「素晴らしい、素晴らしい!」
場所がリムウェア侯爵家とエバンス伯爵家の領境だった事から、エバンス伯爵との協議の結果、両者の騎士団で警備をしていること。
国王陛下にも報告するから、王統府、技術省で調査して欲しい旨が綴られていた。
「さすがはカナデさま。適切な処置だ!」
まだあのように年若く可憐なお嬢さまであるのに、相変わらずその慧眼には恐れ入る。
古代文明の遺跡、その上手付かずのものとなれば、その利権は巨大なものだ。
純粋に莫大な富をもたらすというだけではない。
ゴーレム兵器を始めとする、軍事力に転用可能な強大な力も秘めているのだ。
かつてのロクシアン商会のように、不埒者がその力を得れば、恐ろしい事になりかねない。
だからこそカナデさまは、エバンス伯爵と共同警備で相互に監視し合う状況を作り出しておられる。そして内外に向けて、遺跡の私的利用はしない旨を示しておられるのだ。
ふむ!
さすがだ!
やはりあのお嬢さまは面白い。
「ロレック、今日、所長はいらっしゃったかな?」
崩れた書類を集めていたロレックが顔を上げた。
「あっ、はい。いらっしゃると思います」
この遺跡の件、所長にも報告しておかねばならないだろう。
技術省、ナユタウ研究所からも人員を出して、大規模な発掘作業を行う必要がありそうだ。
しかし……。
どうされたのだろうか、カナデさまは?
聡明な手紙の内容とは裏腹に、カナデお嬢さまの手紙は、誤字がかなり目立った。途中、インクが滲んでいる箇所もいくつかあった。
何か、集中出来ない事でもあったのだろうか?
ペンを持ったまま、あの緑の瞳をとろんとさせて、ぼおっとされているカナデお嬢さまの姿が目に浮かぶようだ。
私は手紙を仕舞おうとして、ふと、まだ続きがあることに気がついた。
何だ、追伸?
ユウト君の犬型ゴーレム?
なんと!これは、これは……。
東の空が薄紫に輝き始めた頃。
黎明の空を見上げる私は、はぁっと白い息を吐いた。
白衣のポケットに突っ込んだ手はかじかみ、鼻の頭も耳の先も完全に冷えきってしまっていた。
もう冬だ。
季節が巡るのは、本当に早い。
特に年を重ねれば重ねるほど、だ。
「主任ー!ワイヤー連結完了っす!」
「おう!やってくれ!」
私は朝の空から目を転じ、今まさにゆっくりとエンジンを停止しようとしている巨大な船を見上げた。
夜明けの静寂を破壊していたエンジン音が治まり、静けさが戻ってくる。
現在世界で唯一の航空船、ネオリコットⅣ世号。
その見上げるような船体が、ナユタウ研究所の大格納庫から伸びたワイヤーに引かれ、徐々に動き始めていた。
私は、白い息を吐きながら、小走りにその脇をついて行く。
回転翼はまだ回っているが、エンジンは完全に停止している。
そのエンジン部にも、一見して外部からわかるほどの損傷はない。着陸状況もずっと見守っていたが、特に不具合はなさそうだ。
薄く明けてきた外界とは違い、眩い程の明かりが灯された大格納庫に巨大な航空船がゆっくりと格納庫されていく。
この夜闇を昼間に変える照明も、研究所の動力も、もともとこの地にあった遺跡を利用したものだ。
その恩恵は、ローテンボーグの街全体に及ぶ。その豊富な動力源を利用して、各種学術研究が行われているのだ。
この街が学術都市と呼ばれる所以だった。
こんな近代設備が整えられているのも、ここと王都くらいなものだろう。
しかし、我々が遺跡の技術を解明し、世界全体にエネルギーラインを整備できたなら、人の生活は各段に向上する。いや、このノエルスフィアの文明レベルが上がると言って過言ではないだろう。
それは言うまでもなく素晴らしいことだ。
「船体固定完了!」
「よし!各部チェックに入れ」
格納庫の大扉がゆっくりと閉まって行く。
同時にリコット号のタラップが開放され、中から操縦士たちが現れた。
まだ年若い少女、いや、子供と言うのが相応しいか。
とんがり帽子の女の子が、革の防寒着に手を突っ込んだまま、たんっと床に降り立った。
この航空船の操縦士、リコットだ。
その後から、お揃いの上着を着た男の子も降りて来る。
メガネをかけ、少し気が弱そうな表情なのは、魔獣研究の大家マームステン博士のお孫さん、ラウル君だった。
彼女たちには、リコット号の整備を行う傍ら、航空船量産の為の実験協力もお願いしていた。
「どうだい、リコット。船の調子は?」
リコットが勝ち気そうな吊り目で船を一瞥した。
「船体負荷のエラーが点灯するのが早いわね。これじゃ、緊急機動での選択肢が減るわ」
「リコット、それはしょうがないよ。何も君みたいにアクロバテットをしようってわけじゃないんだ。量産目的なのは、貨物船とか、旅客船とかなんだから」
リコットがむっとしたようにラウル君を睨みつけた。
「わかってるわよ!あたしはあくまでも緊急時の話してんの!」
まくし立てるリコットを、ラウル君が困ったような顔でなだめる。
なかなか良いコンビだ。
私は自然とニヤリと笑っていた。
「まあまあ、落ち着きなさい」
見ているのも楽しいが、私は2人を止めに入る。
「今回の飛行は、我々の手で試作した部材の稼働テストだ。部品精度が低いのは、まぁ、折り込み済みだよ。ラウル君、悪いが、飛行データの検討会に出てくれ。リコットはしばらく休むといい」
苦笑いのまま頷いてくれるラウル君と、ふんっと鼻を鳴らすリコット。
元気が良いのはいい事だ。若いうちは、こうでなくては。
「いーけどさ、オッサン」
「なんだね?」
「また家に帰ってないわね」
待機室に向かって歩き出しながら、鋭い顔でリコット君が私を見上げた。
「わかるのか?」
「そりゃ、そのしわくちゃの服と髭の顔みてたらね」
ははは、そりゃ面目ない。
私は苦笑しながら顎を撫でた。
「そんな事してるから、奥さんに逃げられるのよ」
「ちょっと、リコット!そんなずけずけと!ハインド主任、すみません」
何故か慌ててラウル君が頭を下げてくれる。
私は、笑いながら首を振った。
私にも子供がいれば、こんな微笑ましい気持ちになれたのだろうか。
「いいんだ、ラウル君。事実だよ。まぁ、仮にもレディの前だしね。身だしなみには気をつけよう。それに今日は来客があるんだ」
リコットは、わかればいいのよと横を向いてしまう。
ラウル君は、またすみませんと頭を下げてくれた。
「主任、お客さまというのは?」
ラウル君が気を利かせて尋ねてくれる。
「ん?ああ、ユウト君とシズナさんが今日着くみたいなんだ」
「んなっ!」
瞬間、がばっと振り返ったリコットが、驚きに目を見開いて私を見上げた。
「ユウトが来るってどういうことよ!なんでそんな突然……」
ふむ。
「伝えていなかったかな。カナデお嬢さまからいただいた手紙にそうあったんだが……」
「知らないわよ!もう、なんで研究以外はこうからっきしなのかしら、このオッサンは!」
ふーふーと猫みたいに唸るリコット。ラウル君はもう苦笑するしかない。
ユウト君が持ってくるという犬型ゴーレム。
くくくっ、なかなかに興味深い。
「リコット。ユウト君が着たら、使いを出すから。今は休んでおきなさい」
私は、2人にニヤリと笑う。
「結果と検証。ここからは、我々研究者のお楽しみの時間だよ」
リコットは、一瞬ぽかんとした後、盛大に溜め息を吐いて見せた。
私は研究室の椅子に深く腰掛け、目の前に映し出される驚愕の映像に興奮を隠しきれないでいた。
かつてわん太郎と呼ばれた犬型ゴーレムが記録した画像。
これは、我々のような科学者だけでない。民俗学者、歴史学者、その他あらゆる分野の研究者にとって、垂涎の的だろう。
「興味深い。実に興味深いね!」
映像が終わると、私は口元を手で覆い隠しながら、机の上に横たえられた件のゴーレムを凝視した。
シズナさんが研究室のブラインドを上げてくれる。
鈍い冬の午後の陽光が射し込んで来る。
「どうですか、主任。この犬ロボ、直りますか?」
私の対面席に腰掛けていたユウト君が、膝の上に肘をつきながら私を見た。
「そうだね……」
私は、無精髭が伸びた顎を撫でた。
あの禍ツ魔獣倒滅の立役者、英雄ユウト君が私のもとを訪れたのは、ちょうどお昼休みが終わった頃だった。
シズナさんだけをお供に私の研究室にやって来たユウト君は、早速犬型ゴーレム……いや、わん太郎か、それに銀気を込め、アネフェアとヴァンの記録を見せてくれたのだ。
私は立ち上がると、わん太郎の側に立ってそのボディをすっと撫でた。
一般的に発掘されるゴーレム兵器とは、デザインラインが違う。
「明らかにこれは兵器ではないね。もしかしたら、より古い時代の物かもしれない」
私は考えをまとめるために、机の周りをぐるぐる歩きはじめる。
「兵器がその時代の最先端となることは、珍しくない。兵器、武器とは即ち、その社会、生活を守るためのものだからだ。しかし、このわん太郎は違う。恐らくは愛玩用、嗜好品の類だ」
ユウト君やシズナさんが聞いているかどうかに関わらず、私は思い浮かぶ考えを口にして行く。
「嗜好品にこれだけの技術を投入できる。それは、どんなに豊かな時代なのだろう?きっと、明日を生きるのに困らない、食物にも困らない社会に違いない。魔獣にも、怯えることのなかった時代だ。そんな人々が、かつてこの世界にはいたのだ……」
私は天井を仰ぎ見た。
私の生など比べる事も出来ない遥か昔の話だ。
……いいだろう。
現在のような殺伐とした時代を生きる我々にも、人としての矜持はある。
見事このわん太郎を修理して見せれば、古代人の鼻をあかせるというものだ。
……くくく。
楽しくなって来たではないか。
くくくっ。
くくくくくくっ。
「あのー、ハインドさん?」
ユウト君が恐る恐るといった風に、私に声をかけて来た。
私は白衣の裾を翻して振り返った。
「良いだろう!この犬型ゴーレムは、私の技術の粋を……」
「ユウト!」
どがっと。
まるで爆発したかの様な音を立てて、研究室のドアが開かれた。
「ユウト!会いたかったよ!」
甲高い声が響きわたり、とんがり帽子を被った人影が部屋に飛び込んで来た。
「リコット!」
ユウトが立ち上がると、その首にぶつかるようにリコットが抱き付いた。
「久しぶりだな、リコット。少し背が伸びたんじゃないのか?」
「えへへ、そうかな」
ニコッと笑う嬉しそうなリコットの笑顔は、エンジンの回転が悪いと私に悪態をつく時とはまるで別人だ。
やれやれ……。
「ごめんね、ユウト。遅くなっちゃって。ラウルがちゃんと呼びに来ないから」
「リコットが寝てたのが悪いんだろ?」
次にラウル君が姿を現した。
走って来たのか、少し息が乱れている。
「ラウル君、久し振りね」
シズナさんが優しく微笑むと、ラウル君も丁寧に頭を下げた。
「ご無沙汰しております、シズナさん」
それぞれが再会を祝い、笑顔で近況を話し出す。
こうなってしまえば、もはや私がつまらない講義を差し込む隙はなさそうだ。
……やれやれ。
私は苦笑しながら、そっと首を振った。
「シズナさん、ユウトさん。カナデお嬢さまもお変わりありませんか?」
ラウル君が顔を輝かせ、ユウト君とシズナさんを見た。
2人が答えるより早く、リコットがぎろりとラウル君を睨んだ。
「……ちょっとラウル。なんでここで、あのお嬢サマの名前が出んのよ」
じりじりとにじり寄るリコットに、ラウル君はぶんぶん手を振って後退し始めた。
その光景にユウト君が忍び笑いを漏らし、シズナさんも笑顔を浮かべて口に手を当てた。
そうだな。
カナデさま、か。
私はシズナさんに歩み寄る。
「そう言えば、カナデお嬢さまだが……」
「はい?」
「お変わりはないかな?少し働きすぎとか、体調が良くないとか……」
私はがーがーとじゃれあっているユウト君やリコット、ラウル君たちを眺めながら、手紙の誤字の件をそっとシズナさんに伝えてみた。
「カナデさんですか。私たちがお会いした時には、特に変わったところはなかったかと……」
考え込むように押し黙ったシズナさんの目線が動く。
しばらくじっとわん太郎を見詰めた後、何か閃いたような表情をしたシズナさんが、私を見た。
少し悪戯っぽい表情で。
「あのヴァンとアネフェア姫の姿を見て、カナデさんも何か思うところがあったのかもしれませんね。少なくとも……」
シズナさんは、そっとユウト君の横顔を見た。
優しい笑みで。
「私は、大切な人の側にいられる幸せを、改めて感じさせられましたから」
私は押し黙る。
必死に頭を回転させる。
「む、そうか。それは大変だ。はははっ……」
そうか、そうか。
なるほど、なるほど。
……わからん。
……うーむ。
女性の心の機微というものは、ゴーレム兵器の駆動系より複雑怪奇である。
私もまだまだ、研究が足りないようだ。
読んでいただき、ありがとうございました!




