EXAct:お屋敷1
今日ものんびりまったりと、正面玄関の掃除に勤しむあたし。
「はぁ……」
溜め息1つ。
平和って良いですね。
そんなあたしの平和も、明後日までなんですけど……。
「ユナー!裏のテラスに回るわよ!」
「あ、今行きまぁす、先輩!」
あたしは手早く落ち葉をかき集めると、ゴミ袋に放り込んだ。
その袋と箒を持って、パタパタと先輩の後を追い掛ける。
季節はすっかり冬、その一歩手前。
空気はもう冷え冷えで、外の掃除がだんだんと嫌になっちゃう季節だ。
あと、落ち葉が嫌い。
掃いても掃いても、終わりが見えないから。
せっかく掃除が終わっても、またリリアンナさまに怒られてしまうから……。
「はぁ……」
季節柄でしょうか。
あたしは、すっかりセンチメンタルな状態なんですよ。
「ユナ、何してんの!」
……怖いのは、リリアンナさまだけじゃなかった。
「はいっ、ただ今!」
そのままお屋敷に駆け込もうとした瞬間、あたしはタイミング悪く誰かの胸にドンっとぶつかってしまった。
「きゃわ!」
取り落としてしまった箒がカランと転がり、ゴミ袋から集めた落ち葉がこぼれてしまった。
なんでっ!
「あわわ、すみません」
あたしはぺこぺこ頭を下げた。
「ユナ。走っては危ないですぞ。さぁ、落ち葉を集めて下さい」
頭上から降って来たのは、低音の渋い穏やかな声だった。
顔を上げると、筆頭執事のアレクスさまが、皺々の顔に柔らかな笑みを浮かべていた。
ああ、やっぱりアレクスさまはお優しいですよ〜。
……リリアンナさまとは大違いですよ。
「ああ、もう!何やってんのよ、ユナ!」
先輩が、肩を怒らせながら戻って来た。
あたしは、すみません、すみませんと頭を下げながら、広がった落ち葉を必死にかき集める。
「申し訳ありませんが、私は行かなくては。後は頼みますね、ユナ」
悪いのは走っていたあたしなのに、アレクスさまは申し訳なさそうに言って下さる。
「お急ぎのご用ですか?」
あたしはアレクスさまを見上げた。
「ええ。カナデお嬢さまが、1日早くお戻りになられるそうです。それを主さまにお伝えに。ああ、そうだ、ユナ。レイラたちにも伝えておいて下さい。明日の午前中にはお着きだと」
「あ、はい、わかりましたぁ!カナデさま、帰って来られるんですね!」
あたしは笑って頷いた。
カナデさまは今、リムウェア侯爵領内の町や村を回られている。
カナデさまが帰って来ると、お屋敷の中がまた明るくなるんだ。
エリーセさまがお亡くなりになってから、リムウェア侯爵家のお屋敷は、まるでホラーハウスみたいだった。
しんと静まり返っちゃって、毎日がお通夜の続きみたいで、あたしはホントに嫌だったなぁ。
カナデさまが突然やって来られたのは、そんな時だった。
最初は、エリーセさまが戻って来られたのかと思っちゃったっけ。
……髪の色、少し派手になってたけど。
それが、実は大昔に養子に出されていたエリーセさまの姉妹だなんて、ホントにびっくり。
でも、顔はそっくりだけど、カナデさまとエリーセさまは全然違ったんだ。
エリーセさまは、優しくて穏やかで、まさにお嬢さまって感じ。
あたしたちとご一緒に刺繍したり、お茶しながらガールズトークで盛り上がったり……。
でも、カナデさまは真反対。
馬乗るし、剣振り回すし、わたしたちよりもごつい騎士さんたちと仲良くなるし。それに、行政府の役人の方々に混じって、バリバリ仕事してるし……。
なんか、女の子と言うより男の子みたいに活発で、もしエリーセさまが男子だったら、こんな感じだったのかなぁなんて、ぼんやり思っていたものでしたよ。
でも、女の子なのにそうやって戦ってたからこそ、あのシリス殿下をトリコにしちゃったんですよね〜。
シリス殿下、男前だし、強いし、それになんたって王子さま!
現役の王子さまとのロマンスなんて、世界中の女の子が一度は憧れる状況ですよね。
「ユナ、あんまりぼうっとしないよ」
「……はぁい」
あたしの前を歩く先輩が、ちらりとあたしを睨んで目を細める。
あたしは、慌ててそのスラリとした背中を追っかけた。
そうだ。
あとで、あのシリス王子さまに教えてあげますか。
王子さまも、カナデさまが帰って来ると知れば、大喜びするには違いないからねっ!
「ユナ、気合い入れて掃除するよ」
鋭い先輩の声に、あたしのニヤニヤ笑いは吹き飛ばされてしまった。
「やる気ですねぇ、先輩」
あたしが感心感心という風に返事を返すと、先輩はカツンとパンプスの踵を鳴らして立ち止まった。そしてエプロンドレスのスカートを翻してくるりと振り返ると、あたしを睨む。
おう?
「バカなの、ユナ?カナデさまが早く帰って来られると言うことは、リリアンナさまもご一緒に、なのよ。リリアンナさまのチェックが入る前に、徹底的に清掃するの!」
「……そ、そうでした」
わたしははぁっと溜め息1つ。
俯いた。
そうだ、そうだ。
あたしの平和が終わるんでした。
明後日じゃなく明日に!
「……先輩、実はあたし、重大な任務が」
ピクリと先輩の眉が上がった。
「……何よ」
「実は、あたし、王子さまの所に行かなくてはいけないんです」
ふんっと鼻息荒く、決意も固く、あたしは先輩を見つめる。真正面から。
「あなたが、何でシリスティエール殿下に……」
そうですよ、あたしには、恋する2人の間を取り持つ重大な使命が……!
先輩は何かごにょごにょと言った後に、ため息をついて頷いた。
「……さっさとしなさいよね。後、他の子たちを見かけたら、カナデさまのご帰還、知らせてあげてね」
「はいっ!」
あたしは元気良く返事をして、ガバッと頭を下げた。
そして階段に向かって走り出した。
「こら、ユナ!箒は置いて行きなさい!」
スカートを摘まんで、たたたっと階段を駆け上がる。そのまま廊下を走って、シリスさまのお部屋にたどり着いた。
ノックをして、扉を開く。
「失礼しまーす」
広い客間に入ると、ベッドの上で起き上がっているシリスさまと目があった。
挨拶しようとして、殿下のベッドの側に誰かがいるのにはっと気がつく。
しまった、来客中……!
あたしはそのまま退室しようと、後退りし始めた。
リリアンナさまがいたら、間違いなく怒られるパターンだ。
状況を良く確認して下さい!眼鏡キリッ、みたいな……。
「何だ、ユナ?」
そろそろ動いていると、シリスさまから声をかけてくれた。
いいのかなぁ……。
「あのう……」
あたしが恐る恐るベッドに歩み寄ると、ベッド脇に腰掛けていた女性が、シリスさまの方に差し出していた手を引っ込めた。
綺麗な女性だった。
しっとりとした黒髪と落ち着いた雰囲気。ワンポイントに、目じりの黒子。その顔に浮かぶ柔らかな笑みは、なんだかお母さん、という言葉を想像させる。
あたし、この人知ってる。
確か、カナデさまのお友達の、ユイ、さまだったですか……。
親しみを覚えるお名前です。
はっ。
もしかして私は、とんでもない場所に居合わせてしまったのですか……!
シリスさまを巡って、カナデさまとユイさま、お友達通しが合い争う泥沼の状況……。
「ありがとう、ユイ。随分良くなった」
「いえ、殿下。まだ完治はしていないので、無理はされませんように」
微笑むユイさま。
教会の僧衣も相俟って、まるで物語の聖女さまみたいだった。
うわぁ……。
「すまないな。教会の方も忙しいだろうに、定期的に看てもらって」
ユイさまは、シリスさまにそっと首を振った。
「いえ。殿下が快癒されないと、カナデちゃんがいつまでも暗い顔のままでしょう?私としても、それは悲しいですからね」
少し苦笑するシリスさま。
うーむ。
ユイさまのこの余裕は、敵に塩を送る、的なものですかね。
リムウェア侯爵家の一員たるあたしとしては、シリスさまにはカナデさまとくっ付いていただきたいんですけど……。
「まぁな。カナデは困り顔より、笑って……いや、ぷりぷりしてる顔の方がしっくりくるな」
シリスさまが台詞の途中でニヤリとされた。
「あの戦いから、カナデが妙に優しいんだ。……何だかしっくりこなくてな」
「あらあら、素直なカナデちゃんはお気に召しませんか?」
一瞬の間。
「いや……。悪くないな」
シリスさまとユイさまは、互いに笑みを交わした。どこか共犯者めいた、同じ事を思い浮かべているような笑みだった。
それにしても、シリスさまも随分元気になられたなぁ。
お屋敷に運び込まれたばかりの時は、顔色も土みたいで、ホントにもうダメなのかなと思ってしまったんだけれど……。
カナデさまの今にも泣きそうなお顔を見ていると、エリーセさまがお亡くなりになったあの時のことを思い出してしまった。
それで、あたしたちも悲しくなってしまって……。
でも、カナデさまの看病の甲斐あってか、最近はこんなに元気よく過ごされるようになったんだ。
うん、良かった、良かった。
……愛の力ですかね?
あ〜あ、いいなぁあ〜。
あたしも、いつかは……。
「ユナ、何か用事だったか?」
「は、はいっ!」
突然シリスさまの声に現実に引きもどされて、あたしはドキっとしてしまう。
「あのう、えーと……」
あたしはそっとユイさまを窺った。
「あの、実はお知らせがありまして。カナデさまが明日、お帰りになるそうです」
あたしの言葉を聞いて、ユイさまはぱあっと顔を輝かせた。
「そうなの?ああ、じゃあ、インベルスト滞在を少し伸ばそうかしら。ふふ、久しぶりにカナデちゃんに会いたいしね」
手を合わせて微笑むユイさまには、後ろめたそうな雰囲気はない。
……えっと、三角形じゃないのかな?
今度はそっとシリスさまを盗み見た。
思わずドキリとしてしまう。
シリスさまは、穏やかに微笑んでいらっしゃった。
幸せそうな笑み。
見ているこちらの胸が、ほっこりしてしまいそうな笑みだった。
あたしは何だかその顔に見とれてしまって……。
人って、こんな表情ができるんだなぁ……。
あっ。
不意に、こちらを見たシリスさまと目があっちゃった。
シリスさまは少し驚いた表情を浮かべた後、今度は苦笑いを浮かべられる。
恋、かぁ。
これは、ユイさまにも立ち入る隙は、なかなかなさそうですな。
ふふっ。
他人事なのに、ちょっと嬉しいですね。
「……ユナ、悪いが、ユイの宿泊の手配を頼む」
シリスさまは、わざとらしく咳払いした後、そう命令された。
あたしは、「かしこまりました」と頭を下げる。
しかし、いつも落ち着いて大人な雰囲気のシリスさまが、あんな少年のように笑われるなんて……。
そんな顔を見られただけで、ふふ、ちょっと得した気分かなっ。
翌朝。
玄関ホールに、あたしたちメイド、そしてリムウェア侯爵家の使用人たちがずらりと整列していた。
カナデさまご一行は既に行政府にお着きになっていて、出仕されている主さまにご挨拶されている、との知らせが、さっき来た。
お屋敷にはもう直ぐ到着されるはず。
まだかなー。
まだですかねー。
あたしは先輩たちと並びながら、ヒョコヒョコと玄関の車寄せの方を窺っていた。
実は、カナデさまのご帰還に際し、密かに楽しみにしている事があるんですよ。
それは……。
お土産!
カナデさまは、どこかにお出かけの際には、律儀にお土産を下さるんです!
侯爵さまだけじゃなくて、あたしたち使用人にまで!
「……ユナ」
初めて王都に行かれた時には、王都の有名大商廊で話題になっている香水瓶を、あたしたち女性陣みんなにプレゼントして下さったのだ!
インベルストしか知らないあたしたちには、もう大好評ですよ。
……一部の噂では、そういう女の子な小物に疎いカナデさまを、同行した先輩メイドコンビが上手く丸め込んだ、というお話もあったりするんですけど……。
「ユナ」
次は、王統府に出仕されたカナデさまが、里帰りされた時だったかな。
使用人みんなに、王都銘菓国王陛下サブレを買ってきて下さったんです。
お茶会の席で、「これ、美味しいでふよっ」とお菓子を頬張るカナデさまは幸せそうで、いただいたあたしたちも美味しくいただいたんですけど……。
形がダメだったなー、あれ。
だって、知らないおっさんの顔の形してるんですもん……。
……髭の。
では、今度はどんなお土産が……。
「ユナ!」
ぐわしっ。
私は突然後頭部を掴まれてしまった。
振り返ると、隣の先輩がふんっと鼻息荒くあたしを睨んでいる。
「ユナ!あんまりキョロキョロしない!それに、ヘッドドレスがずれてる!」
おっとっとっ。
ガサゴソとあたしは頭の上を正した。
そうこうしているうちに。
カッポカッポと蹄の音が近づいて来ましたよ。
「カナデお嬢さまのお付きです。皆、姿勢を正しなさい!」
何時もに増して凛々しいアレクスさまの掛け声で、ざざっと気を付けをするあたしたち。
そして、玄関正面に白馬が止まった。
やはり、カナデさま。
またご自分で馬に……。
出で立ちも騎士服だし、まるで男装だなぁ。
男装の麗人。
……まぁ、あれはあれでありかな。
カナデさまが馬から降りられる。
タンッと軽やかな音を立ててブーツが鳴った。
一つに束ねた白銀の髪がふわりと揺れて、騎士服の燕尾と一緒にゆっくり落ち着く。
「ハルゼン、スピラを頼みます」
進み出た馬丁のおじさんに手綱を預けたカナデさまが、あたしたちの方を向かれた。
大きな緑の瞳がキラリと輝く。
まるで、宝石みたい……。
「カナデさま。お帰りなさいませ」
アレクスさまが頭を下げる。
「「お帰りなさいなさいませ!」」
みんなで揃って頭を下げた。
「はい、ただ今戻りました」
カナデさまは少しはにかみながら、ふわりと頭を下げされた。
カナデさまがお屋敷にこられてからしばらく経つが、やっぱりこういう貴族のセレモニー的なものには、まだまだ慣れてらっしゃらないみたいだ。
そんなところに、あたしたち下っ端は、親近感を抱いてしまうんですけど。
そのカナデさまの後に、馬車が続いてやって来た。
随行の使用人たちや、旅の荷物を乗せた馬車だね。
お土産、あるかなぁ〜。
みんなそれぞれ、荷降ろしや片づけを手伝い始める。
もちろん、あたしも。
アレクスやカナデさま専属の先輩たちは、カナデさまをお部屋に案内して歩き始めた。
「レイナ、ジェーン、こちらに」
うっ、この声は……。
あたしは目立たないように、馬車から衣装ケースを取り出すみんなを手伝う……フリをした。(手が足りてたから、あたしが入る余地がなかったんですよ……)
「ユナ、こちらに」
ひっ!
振り向く。
あたしはまだ何もしてない。
恐れる必要は……ない!
……でも、ぎこちない動きになってしまったのは、しょうがないです……よね?
「リ、リリアンナさま。お、お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした」
いつの間にか、あたしの後ろに仁王立ちしたリリアンナさまが、眼鏡をくいっと押し上げた。
「ユナ。このカナデさまのお土産を運びますから、騎士団から男手を借りてきて下さい」
お土産っ!
あたしは、その言葉に、びくっと反応した。
そして期待を込めて、リリアンナさまが示した2台目の馬車の中をのぞき込んだ。
凄く大きな……箱?
馬車の座席と座席の間に、下手したらあたしも入れそうな箱が、どっしりと鎮座していた。
これは……?
「リリアンナさん!」
ドキッとして振り返る。
もう部屋に上がられたと思っていたカナデさまが、すぐそこにいらっしゃった。
「あ、ユナ。変わりはないですか?」
カナデさまが微笑んで下さる。
「あ、はい、ありがとうございます」
あたしは、きょとんとしながら頭を下げた。
「リリアンナさん、お土産、そこに置いといて下さい。後で私、シリスの所に持って行きますから」
カナデさまはニコニコ微笑まれた。
でも……。
カナデさま。
あの箱、多分カナデさまでは動かせないような気が……。
読んでいただいて、ありがとうございました!




