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EXAct:日常1

 本編ストーリーを補完するものにはならないと思います。

蛇足的な日常のお話です。


 東の空が白む頃。

 しんと冷えた朝の空気が満ちる中、新しい1日が始まろうとしていた。

 インベルストにあるここ、リムウェア侯爵家のお屋敷も、ゆっくりと動き始める。

 眠たげな目をこすりながら、侯爵家の使用人たちが別館の食堂に集まって来る。

 そんな同僚を迎える事が、侯爵家のメイド長たる私の1日の始まりだった。

「おはようございます、リリアンナさま」

「おはようございます、レナ。タイが曲がっていますよ」

 私はくいっと眼鏡を押し上げる。

「おはようございます、メイド長殿」

「ジェス、ズボンにシワが。アイロン掛けは怠らぬように」

「はっ、し、失礼いたしました」

 もう……。

 侯爵家の使用人たるもの、仕事だけに注力するだけでは足りない。

 常に礼儀正しく、身なり正しく。

 身分卑しい私たちとはいえ、伝統あるリムウェア侯爵家の一員であり、獅子候レグルスさまと、あのお嬢さまのお屋敷をあずかる者なのだから。

 私は、目を光らせて整列する同僚たちを見つめる。

 全員が揃うと、筆頭執事、つまり私たちの上司であるアレクスさまが、前に立たれた。

 その後ろに恰幅の良い料理長。そして私が並ぶ。

「みなさん。おはよう」

「「おはようございます!」」

 朝のミーティングの始まりだ。

 アレクスさまからは、今日のお屋敷の行事、主さまのご予定が示達されていく。

 私はメイド服のポケットから手帳を取り出して、必要事項を書き留めて行く。

 続いて、料理長からの指示事項。

 そして、最後に私が前に進み出た。

「メイドの皆さんは、今日も庭園の掃除を重点的にお願いします」

 ざわめくメイド隊。明らかに不平を呟く者まで。

 あれはユナだ。

 昨日もやりましたぁ、とかなんとか。

 はぁ……。

 私はそっと溜め息をついた。

「今は落葉の季節。ましてや、カナデお嬢さまを訪ねて来られるお客さまに失礼が無いよう、清掃を徹底して下さい」

 私の言葉に、静まるメイドたち。

 私は当たり前のことを述べているだけなのに、どうも他人には厳しく叱責していると思われてしまいがちなのだ。

 はぁ……。

 少し疲れた気がして、目を細め眼鏡を押し上げる。

 目が合った列の先頭のジュリアが、びくっと身を竦ませた。

「……それと、本日は所用で午後から外出します。私に用事のある者は、午前中に」

 私はそっとみんなを見回した。

「他に連絡事項はありますかな?」

 のほほんとしたアレクスさまの声に、ほっと安堵の表情を浮かべる者もいた。

「それでは皆さん、良いお仕事を」

 明るい顔で意気揚々と、あるいは眠たげな顔で粛々と、使用人たちが自らの持ち場に散って行く。

 今日もまた、忙しい1日になりそうだった。

 でも……。

 どんなに忙しくても、あのカナデお嬢さまがもう戦わなくていい日々ならば、私に異論があろう筈もない。

 お屋敷の各所で始まる朝掃除を監督して周りながら、誰にも分からないように、私はそっと微笑む。

「ケイト。お皿に曇りが残っています」

「あっ、すみません!」

「ハンナ。3階東棟、奥から2番目のランプがつきっぱなしです」

「し、失礼致しました!」

「こら、ユナ。廊下を走ってはいけません」

「はーい!」

 スカートを翻し、勢い良く駆けていくユナが、廊下の角に手を掛けて直角に方向転換して行く。

 もう、あの子は……。

 後で再教育せねば……。

 私はため息を吐き、そっと眼鏡を押し上げた。そして踵を鳴らして身を翻すと、次の場所に向かって歩きだした。

 カナデお嬢さまが空飛ぶ船で旅立たれ、シリス殿下やユウトさまと共に恐ろしい魔獣を討ち果たされてから1ヶ月。

 カナデお嬢さまのご生活も私どもの日常も、やっと在るべき形へと落ち着こうとしていた。



「失礼致します」

 ノックしてからそっと扉を開き、薄暗い室内に足を踏み入れる。

「カナデさま。朝でございます」

 シーツとクッションで膨れ上がったベッドに声をかけながら、私は窓に歩み寄ると、さっとカーテンを開いた。

 輝く朝日が降り注ぐ。

 秋晴れの空。

 気持ちの良い快晴だった。

 カチッと留め金を押し上げ、窓を開く。

 冷たい早朝の空気が、朝露に濡れた緑の匂いと共に流れ込んで来る。

 背後でもぞもぞと動く気配。

 振り返ると、クッションの間からぴょこんと銀色の頭が突き出していた。

 射しこむ朝日に、カナデお嬢さまの髪が輝いていた。

 その頭が、左右にゆらゆら揺れている。

 そして力尽きたかのように、ぼふっと再びクッションの山の中に埋没してしまった。

 ふふっ。

 私は思わず微笑んでしまう。

 カナデさまは、朝が弱くてらっしゃるのだ。

 私個人としては、文字通り体を張って頑張られたカナデお嬢さまは、しばらくごゆっくりされた方がいいと思う。寝坊など、少々大目に見て差し上げたい。

 しかし、カナデさまご自身が、それを良しとされないのだ。

 一度、昼過ぎまでお休みになられた時。

 あの戦いの直後で、相当お疲れだったのだろうが、カナデさまは、寝過ごすなんて情けないと、相当落ち込んでしまわれた。

 それこそ、周囲が哀れに思ってしまうほどに……。

 だから、カナデさまのために、朝は心を鬼にして起こして差し上げなければいけないのだ。

「カナデさま。時間でございますよ」

 私はクローゼットからお洋服を取り出しながら、繰り返し声をかける。

 やがて、再び起きあがられたカナデさまが、ちょこんとベッドの縁に座られた。

 ここまで来れば、もう安心だ。

「ふわっぷぅ、はぁ、ふぃ。……リリアンナさん。おはよう、ございます……」

 しかし未だに目をしょぼしょぼさせたカナデさまは、ふらふらと揺れてらっしゃる。

「はい、おはようございます」

 私はドレッサーから櫛を取り上げると、僭越ながらカナデさまの隣に腰を掛けさせていただく。そして、寝癖に乱れた銀糸の髪にそっと手櫛を入れた。

 癖の無い絹糸のような髪は、手櫛だけでも簡単に整ってしまう。

「……リリアンナさん。今日のお仕事は?」

 カナデさまがグリグリと目を擦られる。

「カナデさまは当分休養せよと、主さまのお達しにございます」

「むっ。私はもう大丈夫ですよ。それより、お父さまのお仕事のお手伝いを。王統府への支援や、北部地域への援助物資の捻出なんか、やるべき事は沢山……」

「カナデさま」

 私は努めて平板な声を出す。

「カナデさまはお休みです」

「うっ、うう……」

 言葉に詰まり、そしてしゅんと肩を落とすカナデさま。

 今はごゆっくりされないといけないのだ。

 もう少しすれば、主さまがあの事を公表なさるだろう。

 そうすれば、否が応でも多忙を極めることになるのだから。

 せめて今くらいは……。

 髪を整え、ドレッサーの前に移動する。

 カナデさまが寝間着を脱がれ、用意しておいたブラウスとスカートに着替えられる。

 白い肌が眩しい。

「リリアンナさん、シリスの具合はどうです?」

 お召し替えをお手伝いしていると、おずおずとカナデさまがお尋ねになった。

 鏡に映るカナデさまの顔は不安に曇っている。

 ……シリス殿下のお話をされる時は、いつもその大きな緑の瞳が揺れるのだ。

「穏やかにお休みのようです」

 私がそう告げると、カナデさまは、途端に花が咲き誇るように微笑まれた。

「そうですか!さすがにしぶといですねっ、全く!」

 その笑顔を見て、私は思わず胸が温かくなり、そっと目を細めた。

 この屋敷に初めて来られた頃。

 カナデさまは、まるで男のようだった。

 見た目はエリーセさまと瓜二つに可憐だったが、言葉使いや身のこなし、表情、態度など、どう見ても男子のそれだった。

 私はアレクスさまやガレスさまと共に、カナデさまと主さまの御対面に立ち会ったから、カナデさまがユウトさまと同じブレイバーであると知っている。

 主さまがカナデさまを、エリーセさまの代わりに、ご息女にとご提案された時、正直に言えば、私は反対だった。

 ブレイバーたちの世界では当たり前なのかもしれないが、このような男のような少女に、高貴な身分たる侯爵令嬢など務まる筈がないと思えたからだ。

 しかし、いざレッスンを始めればどうだろう。

 カナデさまは、みるみるうちに、私の申し上げる事を習得されていった。

 飲み込みが早いという訳でもない。

 特別器用だという訳でもない。

 単にそれは、カナデさまの頑張り。

 事実、カナデさまは、ご立派に侯爵令嬢としてのお役目を果たされていると思う。

 そして今。

 私の前で、ああでもないこうでもないと言いながら、楽しそうにシリス殿下のお話をされているカナデさまの笑顔は、紛れもなく美しく気品ある女性のそれに違いなかった。

「それで、シリスがって、リリアンナさん?」

「ええ。聞いておりますよ」

 そしてそれは、恋する乙女の表情、でもあると思えた。



 ノックする。

「入れ」

 主さまの声に導かれ、行政府の執務室に入る。

「失礼致します」

「リリアンナか。何の用か」

 書類に目を落とされている主さまの執務机の前に立ち、私は姿勢を正した。

「お仕事中失礼致します。カナデお嬢さまは、こちらにいらっしゃったのでしょうか?」

 主さまは、目だけでギロリと私を睨まれると、ペンを置かれた。

「カナデなら、先ほどまでおった」

「どちらに行かれましたでしょうか?冒険者ギルドのマレーア支部長がお見えなのです」

 主さまは眉を上げると、どさりと背もたれにもたれ掛かった。

「うむ、朝からここにおったがな……」

 そして主さまは、突然ニヤリと破顔された。

 ……鋭いお顔が台無しだ。

「お父さまを手伝うときかないものでな。簡単な書類仕事をやらせていたのだ。まったく、お父さま、お父さまと、くくくっ」

 ……カナデさまがお仕事を求められる理由は、父君さまとご一緒したいばかりでなく、別の意味も多分にあるように思えるが。

 悦に入る主の気分を害するようでは、メイドなど務まらない。

「それで、どちらに……」

「くくくっ、ああ、うむ」

 主さまはごほんと咳払いされた。

「それも終わったのだ。もう良いからと伝えたら、出て行った。……少し悲しい顔をしておったな」

 ……結局どこに行かれたかわからないのか。

「失礼いたしました」

 私は、可哀想な事をしたかと顔を曇らせる主さまに頭を下げ、執務室を後にする。

 最近、主さまがおかしい。

 親ばか……。

 失礼。

 娘可愛がりが激しい。

 一度ガレスさまやアレクスさまと相談した方がいいかもしれない。

 私は、メイド服のスカートを少し持ち上げ気味に、早足で行政府の中を歩いていく。

 あと、カナデさまが行かれそうな場所は……。

 私はそのまま白燐騎士団本部に方に足を向けた。

 鎧姿の騎士たちが行き交う中を、1人メイド服の私はいささか目立つ。

 不躾な視線が飛んでくる中、私は辺りを見回してカナデさまを探した。

 そして、廊下の隅に大きな剣を背負った姿を見つけた。

「シュバルツさま」

 声をかけると、巨漢の騎士はびくっと体を震わせた。

 ……おや。

「おう、リリアンナ。どうした、珍しいな」

 がははと笑う騎士シュバルツ。その隣に、小柄な人影があった。

 少女騎士だ。

 鎧が違う。

 確か、王直騎士団の騎士が数名、シリス殿下のお供で来ているとカリストさまが言っていた。

 メイドなどにペコペコ頭を下げる少女騎士に丁寧に挨拶してから、何故かどぎまぎしているシュバルツさまを見上げる。

「カナデさまが、こちらにいらっしゃっておりませんか?」

「いや、し、知らねぇな」

「そうですか。ありがとうございます」

 私は眼鏡を押し上げると、踵を返した。

 剣の稽古にも来てらっしゃらないか。

 では……。

 私は足早にお屋敷に戻る。

 かつっと踵を鳴らして、お屋敷のエントランスに入った。そのまま一旦客間に赴き、マレーアさまに、もう少しお待ちいただきたい旨を告げた。

「いいのよ。アポなしでご訪問させて頂いたのが悪いんだし。また出直すわ」

「いえ。もう少しお待ち下さい」

 私は深々と頭を下げる。

 突然の来訪とはいえ、屋敷内にいるお嬢様にお客さまを取り次げなかったとあっては、メイドの名折れだ。

 かくなる上は、もう一度あそこに……。

 私は応接室を辞すると、足早に階段を上がった。

 決して走らず。

 見苦しくない程度に全速力で。

 そして目的の部屋の前にたどり着くと、着衣を整え、ほっと息を吐いてからノックした。

「どうぞ」

 大きな扉をゆっくりと開く。

 静粛に。

 仮にもここは、病人の部屋なのだから。

 窓からか流れ込む爽やかな秋風に、純白のカーテンが揺れていた。

 広い部屋に適度に置かれた上等な家具と、大きな窓から射し込む日差しが、居心地の良い柔らかな空間を作り上げていた。

 埃1つない絨毯。

 純白の真新しい寝具。

 私たち使用人が持てる技術を駆使して用意させて頂いたこの部屋は、例え王城の客間にも負けない自信があった。

 その部屋の主。

 あの戦いで深手を負われたシリス殿下が、ベッドの上に横たわっておられた。

 殿下はカナデさまの帰省時に、ご一緒にインベルストに来られ、それ以来当屋敷で養生されているのだった。

 私は、そのベッドサイドに近付き、ほっと安堵の息を吐いた。

 身を起こし、クッシッションにもたれ掛かってらっしゃる殿下の脇に寄せた椅子の上。

 膝の上に本を広げたままのカナデさまが、うとうとされていた。

 その穏やかな寝顔に、私は思わず微笑んでしまう。

「どうした、リリアンナ」

 同じように優しげにカナデさまを見つめておられたシリス殿下が、顔を上げられた。

 まだ自由に出歩けないとはいえ、殿下も随分と回復された。

「失礼致します」

 私は頭を下げる。

「カナデさまに、ご来客でございます」

「ああ、そうか。おい、カナデ。起きろ」

 殿下の声に、カナデさまが、うんっと動かれる。

 殿下は、カナデさまに声をかけながら、サイドテーブルの皿に並んだリンゴの……欠片?を口に入れられた。

 ……酷い。

 あまりに、酷い。

 何ですか、これ……。

 それは、リンゴの皮を剥いたとか言うレベルのものではない。

 切り刻んだ?

 粉砕した?

 形は歪。

 皮も残り、斑模様だ。

「……殿下。そちらは?」

 しかしシリス殿下は、美味しそうにその果物片を召し上がられていた。

「ああ。カナデがな。剣はめっぽう使えるが、ナイフは駄目だな」

 楽しそうに笑う殿下。

 ……笑い事ではない。

 リムウェア侯爵家の令嬢が、果物の皮すら剥けないとあっては、家名の恥。お嬢さまの教育を預かる身として、主さまにも家にも顔向け出来ない。

 カナデお嬢さまには、まだまだレッスンが必要なようだ。

 カナデさまが、ぱちぱちと大きな目を開かれる。

「……あ、リリアンナさん。すみません、うとうとしちゃって」

「いいえ。カナデさま。冒険者ギルドのマレーアさまがお見えです」

「あ、はい。わかりました」

 軽く、んっと伸びをされてから、元気良く立ち上がられるカナデさま。

 私は、そんなお嬢さまを真っ直ぐに見つめ、眼鏡を押し上げた。

「それと、今晩ですが。新しいレッスンを受けて頂こうと思います」

「っえ!」

 カナデさまが大きな目をさらに見開いて、固まった。

 私は、心の中で、ふふっと笑った。

 読んでいただき、ありがとうございました!

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