クラスマッチ★
月曜日の放課後、夏田と西山葵は学校の階段を二人並んで降りている。
「とにかく何か身の周りで変わった事があったら、先生に言うんだぞ」
夏田は心配そうな顔で西山葵に言った。
葵は軽く微笑みながら、
「分かってるって。だから先生早く携帯ぐらい買ってよ。連絡取れないじゃない」
「そうだな……」
夏田は結局、怪文書の件について葵に話した。
彼女の話によると、もちろん援交などした事はないが、言い寄って来た男がどうしてもと言うので食事に行った事はある。そういう人達の中に、ひょっとしたら自分を恨んでる人がいるのかも知れない、という事だ。
無理に誘って食事をおごったくせに、その見返りを期待する。実に身勝手な話だが、世の中には実際そういう男が大勢いる。
「最近は女の後を付け回す、ストーカーとか言うのもいるらしいからな。気持ち悪いよな」
年中水着一枚で過ごすのも十分に気持ち悪い行為だが、夏田はそれに気付いていない。
ふとその時、夏田の背中に、ドスンと何かがぶつかった。
その衝撃で態勢を崩し、階段の中ほどから一気に下へ倒れ落ちる。
「うわああああああっ!」
「きゃあああああっ!」
夏田の叫び声と葵の悲鳴が響く。
葵が倒れ込んだ夏田を見ると、彼の上に妙に線の細い男子学生が乗っかっている。
彼は、あいてててて、と言いながらゆっくりと青白い顔を上げた。
「室井君!」
「な……何だ室井か。びっくりするだろ、イテテ」
室井は膝をガクガクさせながら立ち上がり、
「す…すいません。僕階段を降りるのが苦手で……」
「はぁ? 何それ。私そんな人初めて見た」
葵が呆れた顔で、夏田の手を引っ張り立ち上がらせる。
「先生、大丈夫? 怪我しなかった?」」
「ああ! 先生このぐらい何ともないぞ! 室井、大丈夫か?」
「は……はい、すいません……」
夏田は室井の顔をまじまじと見つめ、
「何だ、顔色悪いな、ちゃんとメシ食ってるか?」
「ちゃんと食ってます。ただ、本当に僕、階段降りるのが下手なんですよ……」
葵は室井の腕に着いた埃を払いながら、
「ねえ、それ本気で言ってんの?」
「本当だよ。特に最初の段に足を踏み出す時、右足を出すか左足を出すかで迷って、そこでつんのめってよく転ぶんだ。自慢じゃないけど週に一回は必ず転ぶよ」
葵は大きくため息を付き、
「もう! そんなんじゃそのうち大怪我しちゃうわよ! しっかりして!」
「うん……でも僕って基本的に運動神経鈍いんだよね。自慢じゃないけど」
「自慢にならないわよ!」
「だから、今度のクラスマッチは休もうと思うんだ。僕がいると皆に迷惑がかかっちゃうから」
「ええっ!?」
この発言には夏田が大きく反応した。
「ク……クラスマッチ休むだって!? 何言ってるんだ、あれ程楽しいイベントはないだろう!」
室井は俯き寂しげな表情で、
「そりゃあ、スポーツの出来る人にとっては楽しいイベントなんでしょうけど、僕みたいな人間にとっては地獄なんですよ。ミスをして皆から野次られ、恥をかいて、そしてクラスマッチが終わってからも皆から恨まれるんですよ。『お前のせいで負けた』って」
夏田は顔を紅潮させ、握り拳をつくり、
「スポーツにミスは付き物だ! それをお互いに補い合って勝利を目指すのがいいんじゃないか! もし室井のミスを責める奴がいたら先生がぶっ飛ば……いや、注意してやる!」
しかし室井は俯いたまま、
「ありがとう、先生。でも僕いいんです。休みます」
「室井…………!」
葵は夏田の腕をつかみ、
「先生、もういいじゃない」
「いや、でも……」
「それじゃ、さよなら」
室井は軽く会釈して、立ち去った。
遠ざかる室井の寂しげな背中を見つめながら、
「絶対何とかしてやる……!」
と夏田は呟いた。
次の日。
一年D組の教室は、間近に迫ったクラスマッチの話題で持ち切りだった。
一年生のクラスマッチはバレーボールだ。
体育委員の佐野雄一と唯一のバレー部員、須山敦が中心になりオーダーを考えている。
「えーと、一応ルールではクラスの全員が1セットずつ出る事になっているが、もし人数が足りなければ、誰かがダブって出てもいいらしい」
佐野と須山が机を挟んで向き合い、それを数人の男子が囲んでいる。
「うちのクラスは男子が17人だから、須山に2回出てもらおう。後、4セット目以降にもつれた場合は、誰が出てもいいらしい」
須山は周りを見回し、
「なあ、誰か中学の時バレーやってた人いない? 他のクラスはバレー部が2人も3人もいたりする。このままじゃあ不利だぜ」
しかし、誰も反応しない。
「夏田先生が出てくれないかな。あの人スポーツ何でも出来そうじゃん」
「ダメだろ、先生は出れないよ」
佐野は、あーあと嘆きながら、ふと教室の隅に眼をやった。
そこには、青白い顔で文庫本を読んでいる生徒がいた。
「え……と、あの人誰だっけ」
須山は笑いながら、
「何だよ佐野。もう入学してひと月以上経つんだから、いい加減名前ぐらい覚えろよ」
「あっはっは、そうだな。で、誰だっけ?」
「……えーと、あれ? 俺も思い出せない……」
周りを囲んでいた生徒の一人が、
「室井だよ。ほら、入学してすぐの体力測定の時に、走り幅跳びで自爆した」
佐野は手をポンと叩いて、
「ああ! 思い出した! あの走り幅跳びで捻挫しちゃった人!」
須山は大声で、
「おーい、室井君! バレーの経験はない?」
室井は顔を上げ、
「バレーの授業で同時に指を3本突き指した事があるよ」
「そ、そう……」
室井は事もなさげに文庫本へ視線を戻した。
自分はどうせ休む予定なのだから関係ない、と思った。
本当は自分だって試合に出て、活躍したいと言う願望はある。そうすればクラスの人気者になれるだろうし、女の子にモテるかも知れない。でも、現実問題としてそんな事はあり得ないのだ。
自分が出れば、恐らく相手は自分を集中攻撃してくるだろう。
サーブで徹底的に狙われ、どうする事も出来ず、見方は失点を重ねる。
初めのうちは応援してくれてたクラスメート達も、次第に声を荒げ、不甲斐ない自分を罵倒し始める。
男子だけでなく女子までも。
次の日からはすっかりクラスののけ者になる。
もう中学の時と同じ過ちを繰り返したくはない。
皆の足を引っ張るぐらいなら、休めばいいのだ。
そうすれば、少なくとも皆から嫌われる事はない。
「ねえ、室井君はバレーボール得意じゃないの?」
不意に高い声が耳に入り、室井はドキッとして横目で声のした方を見た。
隣の席の高橋麻衣が、輝くような笑顔で室井の顔を覗き込む様にして話しかける。
「い、いやあ、別に得意じゃ……いや、でも普通かな」
室井は慌てたせいか、とっさに嘘をついてしまった。
「私、スポーツ苦手だから、正直クラスマッチ嫌なんだよね。本当は出たくないんだけど、学校行事だししょうがないかなって」
「そ、そうなんだ。うん、苦手でもなるべく出た方がいいよね」
室井の心臓は急激に脈打つ速度を上げ始めた。それは彼女、高橋麻衣が室井にとって特別な存在だからである。
麻衣は室井がこれまで見た中でナンバーワンの美少女だった。長く艶やかな髪に透き通る様な白い肌。
幼さの残る顔に黒縁のメガネがとても良くマッチしている。
背はやや高めでスタイルも良く、さらに性格も良い。
クラスでは影のような存在の室井にも、分け隔てなく声を掛けてくれる。
実際、このクラスで室井と普通に世間話をしてくれるのは彼女だけだった。
「室井君って、普段は何だか大人しそうにしてるけど、実は本気になったらすごいんじゃない? 能ある鷹は爪を隠す、みたいな」
室井は冷や汗をダラダラと流しつつ、
「い、いやあ、本当に僕なんか普通だよ。て言うか、なかなか本気出すとこまで行かないんだよね。僕の性格のせいなんだろうけど。アハハハハ」
麻衣は眼を輝かせ、両手の平を合わせ、
「わあ、すごい! やっぱり運動神経いいんだ、思った通り!」
「うん、まあ、本気を出せば、その辺のバレー部員よりは俺の方が上だと思うよ」
室井はもはや自分の嘘に歯止めが効かなかった。
「私、自分が苦手なもんだから、スポーツの出来る人にすごい惹かれるの! じゃあ、室井君の活躍、期待してるね」
室井は無理矢理に自信ありげな笑顔をつくり、
「任せてよ。必ず優勝する」
その日、室井はうなだれながら家に帰った。
いつもに増して弱々しい足取りで階段を上り、自分の部屋に入りカバンを放り投げ、両手で頭を抱えてベッドにうずくまる。
「まずい……まずい事になった……!」