ガリレイ★
日曜日の朝、夏田は学生時代の友人の家を目指し走っていた。
今朝は朝六時に起床し軽く体操をした後、家の近所を10キロ程走り、シャワーを浴びてから朝食(食パン一斤と牛乳1リットル、ゆで卵2個)を食べ、8時ごろに出発した。
そして今は午前10時。何と2時間も走りっぱなしなのである。
それもその筈で、その友人の家は夏田の家から30キロはあるのだ。
じゃあ、なんで車なり他の交通手段を使わないのか、と言う疑問が湧くが夏田に聞けばおそらく「健康の為」の一言で片付けられるだろう。ちなみに車は持ってない。
街道沿いの歩道から細い路地に抜け、しばらく走ると目的地である古びたアパートへと到着した。
夏田は階段を駆け上がり、二階の一番道路から見て手前側のドアを叩いた。
「おーい、俺だー! 御湯川-! 起きてるかー!?」
この部屋のチャイムは学生時代の頃から壊れっぱなしなので、夏田はこの家に来た時はいつもこのようにしている。
少し待つと部屋の中から、おーっ、と声が聞こえドアがギイッと音をたてて開き、寝ぼけたような顔をした男が顔を出す。
ボサボサの長い髪に腫れぼったい目、団子っ鼻に異様に分厚い唇。
首回りがヨレヨレになったTシャツに、下はトランクス一枚。
お世辞にもカッコいいとは言えない、いや、「不細工だね」と言ってしまえば他の世界中の不細工な人達が「一緒にするな」と怒ってしまいそうなレベルだ。
彼こそが夏田の学生時代からの友人、御湯川学である。
「夏田か……何だよもう……こんなに朝早くから。来るんなら連絡ぐらいしろって」
眠そうな目を擦りながら言った。
夏田は屈託のない笑みを浮かべ、
「いやあ、悪い悪い。ウチ電話ないし、携帯も持ってないからさ」
御湯川は呆れたような顔で、
「何だよそれ。学生の時と全然変わってないんだな。大学院に進んだ俺と違って、もう働いてるんだろ? 学校の先生だっけ、ガラにもなく」
などと言いながら夏田を中に招き入れた。
部屋の中は異常に散らかっており、カップ麺の空き箱や空のペットボトルやお菓子の袋などが散乱している。
夏田はそれを要領良くひょいひょいと避けながら奥へと進む。
どうにか座れそうな一角を見付け、そこに腰を下ろす。
「走って来たのか。まあ飲めよ」
そう言って御湯川は内側に茶渋の跡がくっきりと残った湯呑みに水道水を入れて、夏田に差し出した。
「おっ、サンキュー!」
夏田は嬉しそうにそれを受け取り、美味しそうに一気に飲み干した。
「プハー! 走った後の水は最高!」
御湯川もニッコリと微笑み、もう一度水を汲んで夏田に渡し、ゴミをどけて座った。
「なあ、相変らず水着一枚なんだな。もう社会人なんだから、服ぐらい着たらどうだ?」
御湯川は夏田の顔を見据えてそう言った。本当は社会人でなくても服ぐらい着るべきなのだろうが。
「いや、俺は服はいいよ。それより今日はとても大事な相談があるんだ。東西大学の大学院で犯罪心理学を学んでいる御湯川学氏にね」
夏田は紺色の水着の中から折りたたんだ紙を取り出し、広げて御湯川に渡した。
「ん……? 『油の宮高校一年D組の西山葵は援助交際をしている』……? どうしたんだ、この紙」
「学校の職員用の玄関に入っていた。西山葵ってのは、俺のクラスの生徒で恋人でもある。彼女を誹謗するような、その悪質な怪文書を作った犯人を捜している」
御湯川はかっと眼を見開き夏田の顔を見て、
「……おい、今なんて言った?」
「えっ、だから職員……」
「そこじゃないよおぉぉぉっっっ!」
耳をつんざく様な絶叫に夏田は思わずのけ反った。
「えっ、何? 何?」
御湯川はその場で立ち上がり、顔を真っ赤に染め、全身をわなわなと震わせながら、
「こ……こ……恋人だとおおぉぉっっっ!」
「あ、ああ…… 西山葵は俺の恋人だ」
「せ……せ……生徒と付き合ってんのかあぁぁっっっ!」
「う……うん、まあ、そうだけど」
「そ、そ、そうだけどってお前……お前……」
今にもつかみ掛からんばかりの形相で夏田を睨み付ける。こんな御湯川を見たのは初めてだったので夏田は動揺した。
確かに生徒と教師が付き合うのは、本来であれば許される事ではない。御湯川という男はこう見えても意外に倫理観のしっかりした人なんだなと夏田は思った。
興奮し切った御湯川をなだめるように、
「い、いや、恋人と言っても別にやましい関係では……」
言い終わるのを待たずに、御湯川は夏田に顔を近付け、
「お……俺にも可愛い子を紹介してくれ!」
思わぬひと言に夏田はガクッと頭を下げた。気を取り直し、
「う……うん、それはまあ、考えておこう。それより、その紙の件だけど」
御湯川は、頼むぞ、と言って腰を下ろした。
「御湯川は、大学院で犯罪について学んでいる訳だろう。だからその紙から、何か手がかりはつかめないかなと思って。 例えばその、犯人の人物像であるとか、そういうのを分析して予想したり出来ないかな」
「ああ……プロファイリングみたいな事ね」
「そう! それだよ!」
「まあ、専攻は犯罪心理学だから、そういうのは一応出来るっちゃ出来るけど……」
御湯川はそう言いながらテーブルの上のゴミをどけた。すると中からノートパソコンが現れた。
そして、その紙を見ながら真剣な表情で何やら打ち込み、
「で、その西山葵って娘の特徴は? 見た目とか生年月日とか、知ってる事を全部詳しく教えてくれ」
夏田は知ってる事をすべて御湯川に伝えた。
御湯川はうんうんと頷きながら、パソコンの画面を眼で追っている。
パソコン音痴の夏田は、そんな御湯川を頼もしげな表情で見ている。
御湯川はしばらくそうした後、ふと手を止め、
「面白い」
夏田は身を乗り出し、
「な、何か分かったのか?」
「実に面白い」
御湯川は右手を開き、人差し指、中指、薬指の三本を顔に当てた。
夏田は、どっかで見た事のあるポーズだなと思いながらも、
「ど、どうだ、何か犯人の特徴がつかめたかっ!?」
「犯人は……」
勿体付ける様に、ゆっくりとした口調で喋り出す。
夏田は唾をゴクリと飲み、御湯川の言葉を待った。
「犯人はおそらく男……でもひょっとしたら女かも知れない。年は十代か二十代、もしくは三十代か四十代。ひょっとしたら五十代か六十代か七十代。身長は百三十から百九十センチ。もしくはそれ以上……」
夏田は御湯川が全部言い終わるのを待たずして部屋から出た。
アパートの階段を下りながら、
「来るんじゃなかった」
と呟いた。