期末テスト突破作戦!! その六
「……うん。なるべく早く頼む」
家の固定電話で誰かと夏田が話している。
「……いや、手ぶらでいいから。それじゃ」
電話を切った夏田に西山葵が問いかける。
「先生、誰に電話してたの?」
「助っ人を呼んだのさ。先生と同じ大学の大学院に行ってる奴だ」
「大学院! うわあ、頭良さそうですね!」
「まあ、俺よりはな」
しかし、夏田と同じ大学というところに生徒達は皆不安を感じた。
「そう言えば……先生って大学出てたんですか?」
「おいおい、大学出てなきゃ高校の先生なんてなれないぜ」
生徒の質問に鼻息荒く答える夏田。
「どこの大学ですか?」
「なんと、あの東西大学だ!」
なにか自慢げに言っているが、生徒らにはあまり馴染みのない大学である。『東西』と言われても日本のどの辺にあるのか見当もつかない。生徒たちは不安を感じつつ、すし詰めの状態で勉強に励んだ。
「先生、エアコンぐらい買ったほうがいいよ。この部屋暑過ぎない?」
「そうか? 夏場なんか西日が当たって気持ち良いけど」
「西日が差すから暑いんだよ……ああ……扇風機すら無いなんて……」
夜とはいえ、人口密度の高過ぎる部屋の中は熱気ムンムンである。そんな中で生徒達は床に座り、手にテキストなどを持った苦しい状態で勉強している。中にはベランダに出ていたり、ユニットバスの個室に入っている者もいる。それだけ場所が無いのだ。
「ちょっと、トイレで勉強するのやめてよ! トイレが使えないじゃない!」
「使う時は言ってくれ。出るから」
便器に腰掛けて勉強している男子生徒が言った。
「何言ってんのよ! 迷惑でしょ!」
トイレはそこ一か所しかないので、女子にとっては大迷惑である。
「あれっ!? ここって、トイレの横にお風呂があるの?」
別の男子がユニットバスの中を覗き込んで言った。こういう単身者向けのアパートではよくある造りだが、彼にとっては初めて目にするものだ。
「そうさ! カッコいいだろ!」
ただ単に手狭なだけなのだが、何故か夏田は自慢げに胸を張っている。
「すげえ! ねえ先生! 入っていい!? 入っていい!?」
その生徒にとっては物珍しく、興味を示しているようだ。
「もちろんオッケーさ! どれ、今からお湯を入れるから待ってな!」
そう言って夏田は給油機のスイッチを入れ、お湯を張り始める。
「風呂に入りたい奴は入っていいからな!」
「オオッ! いいねえ!」
何となく男子はノリではしゃいでいるが、女子にとっては迷惑な話だ。開放されたドアから、もくもくと湯気が出て来ている。
「やだもう! 部屋の中が余計暑くなるじゃない!」
「先生! 換気扇つけてよ!」
「いや……それが実は、換気扇壊れてて、だからいつも、こうしてドアを開いて換気してるんだ」
「暑いって! ただでさえ暑いのが余計暑くなるわよ!」
しょうがないなあ、と言って夏田がドアを閉める。部屋に充満しつつあった湯気の出所は取りあえず塞いだ。しかし生徒達はみな汗びっしょりである。男子は入浴できるからまだいいが、女子はたまったものではない。
「あ、ちょっとトイレ……」
ひとりの男子が立ち上がり、ユニットバスのドアを開けた。浴槽とトイレとが同じ場所にあるのだから致し方ないのだが、そうすると中に溜まっていた湯気が一気に部屋に流れ込んできた。
「うわっ! また湯気が……!」
「だ、誰よ! ドアを開けたの!」
ぎっしり生徒たちで埋め尽くされた約六畳の部屋は、もはやサウナ状態である。
「しょうがねえだろ! トイレだよトイレ!」
「ドアを開かないでよ!」
「ドアを開かずにどうやってトイレ使うんだよバーカ!」
何やら男子と女子とのケンカのようになってきた。
「大体男子が風呂に入るとか言い出すからいけないのよ!」
「うるせーな! 風呂ぐらい入らせろや!」
そう叫んだ男子が消しゴムを投げつけた。しかしそれは間違って別の男子に命中する。
「イテッ! なんで俺なんだよ!」
逆上した生徒は教科書を投げつけたが、それも全く別の生徒に当たってしまう。あまりにもごった返しているので、相手に命中しないのだ。
「誰だ俺にぶつけたのは!」
「もうっ! やめなさいよ!」
学級委員の高橋が止めに入るが、既に部屋の中はパニック状態である。
「まあ、お湯も溜まったことだし、取りあえず落ち着こうか。さて湯加減は……」
夏田が浴室のドアを開いた。当然ながら、溜まりに溜まった湯気が煙のように入って来る。生徒たちの悲鳴を背中で聞きつつ、夏田はお湯に手を浸して湯加減を確かめる。
「ヨシッ! バッチリだ! さあ誰から……」
その時、部屋のチャイムが鳴り玄関のドアがすっと開いた。「こんちゃーす」と言って入って来たのは御湯川学だった。夏田が電話して読んだのは彼だったのだ。
何度も遊びに来ている彼は、大勢の生徒たちに一瞬驚きながらも部屋の中に入ってきた。
「えっ! 誰!? 誰!?」
「ウワッ! な、なんだこの臭い!」
ボサボサの伸び切った髪に、ヨレヨレのTシャツ。だらしない半ズボン。足は素足である。うろたえる生徒たちを避けつつ御湯川は部屋の奥へと進む。
「おーい、夏田ーっ! 来たぞーっ!」
浴室から出てきた夏田が、オウッと挨拶する。
「なんだ、風呂場にいたのか」
「いま丁度お湯を入れたところだ。いい湯加減だぞ」
「そうか。じゃあひと月ぶりに風呂に入ろうかな……」
悪臭の源は間違いなく彼であった。生徒たちはみな口に手を当て、オエッと嘔吐く。
「あーあ、これじゃあ家で勉強してたほうがよっぽどマシだったよ……」
先生の自宅まで来た事を嘆く生徒たち。
混乱を極めた悲惨な勉強会であったが、D組の期末テストの結果は学年でビリから二番目で、夏田はかろうじて水着禁止の危機を脱した。




