プロローグ
その男は、街路樹の桜の花びらが舞い落ちる歩道を駆けていた。
すれ違う人々は驚き、叫び声を上げて逃げ出し、中には通報しようとする人もいる。
それもそのはず。
その男が身に付けているのは濃紺の、それもビキニタイプの水着一枚のみなのだから。
短い髪に精悍なマスク、鍛え上げられた褐色の肉体。
普通に服を着て歩いていれば、なかなかの男前なのかもしれないが、この格好では変質者と思われても仕方がない。
男は猛ダッシュで街中を駆け抜け、『県立油ノ宮高校入学式』と書かれた立て看板の横を抜け、その敷地内へと入った。
一旦立ち止まり辺りをきょろきょろと見回し、
「あっ、あそこだ!」
と叫んでその建物目指し再び駆け出した。
「……えー、新年度の始まりに当たりまして、新任の先生が何人か赴任されます。えー、では順番に自己紹介をお願いしましょう」
ここ、県立油ノ宮高校の体育館では、入学式が行われている。
県内有数の進学校であり、古い歴史を持つこの高校の入学式は、厳かな雰囲気の中、粛々と進行していた。
約四百人の新入生が新しい制服に身を包み、人生の新たな門出に胸を躍らせつつ、校長の話を聞いている。
その生徒達の後ろでは、綺麗に着飾った保護者の人達が見守っている。
新任の先生方が壇上で横一列に並び、手にマイクを持ち、順番に簡単な自己紹介をしていく。
そして最後の一人の自己紹介が終わろうとした時、館内に異変が起きた。
体育館の奥が、何やらざわつき始めている。
校長や先生達が何事かとそこに眼をやると、この学校の教員と裸の男が何やら怒鳴り合いをしていて、さらにそれを数人の教員が取り囲んでいる。
校長は何かトラブルでも起きたのではと思い、壇上の机を離れ、数歩前進し眼を凝らして成り行きを注視した。
新入生や保護者の人達も異変に気付き、ざわつき始める。
すると裸の男は、眼の前の教員を突き飛ばし、さらに取り掛かる教員達を強引に振り払い、壇上へと向かって猛ダッシュで駆けて来る。
校長の頭に戦慄が走った。
それでも自分に、落ち着けと言い聞かせ、
「先生達、速やかに生徒達を避難させなさい! 慌てず、速やかに!」
眼の前の新任の先生や、壇上の側にいた先生達に指示を出す。
男が駆けて来るのと反対側の出入り口を指差し、
「あっちだ! あっちへ誘導しなさい!」
そして再び男の駆けて来る方へ向き直ると、男は驚くべき速さで壇上へと駆け上がり、校長の元へと鬼気迫る表情で迫って来る。
その時初めて、男が全裸ではなく水着を着用しているのに気付いたが、その時には男はもう眼の前まで来ていた。
体当たりを食らわされると感じた校長は横によけようとしたが 予想に反して男は脇を素通りし、机の上に置かれたマイクを手に持った。
そして大きく息を吸い込み館内を見渡し、一呼吸置いてから、
「皆さん、遅くなってすいません! 新任の夏田譲司です! よろしくお願いします!」
そう大声で言った後、深々と頭を下げた。