名のない天使と隠した悪魔
退屈しのぎに天使でもからかってやろう。それでもつまらないのなら殺してしまおう。
離れたところに1人で紅茶を嗜んでいる天使が見えた。
アイツでいいか…天使らしく間抜けそうだ。
近くに歩み寄ると、天使が悪魔に気付き目が合う。天使は柔らかく微笑む。悪魔にはそれが気味が悪く感じられた。
「一緒に飲みませんか?あいにくカップが1つしか無いので、終わるまで待っていてください」
変な奴…怖がりもしない、嫌な顔もしないで…しかも誘ってきておいて待たせるだなんて!そう思った悪魔はきまりが悪そうに話しかける。
「なんだよそれ。バカにしてるのか?」
「とんでもない!割ってしまって、気付いたらもう1つしか残ってないんです」
慌てて説明する天使の足に傷が見える。割ったカップでも踏んだのだろう。
「間抜けだな…そんなんだから1人なんだろ?」
「私はここで待つのが仕事なんです…」
「なにを?」
「迷子です」
「…わかんねぇ」
天使は飲み終えたティーカップに紅茶を注いだ。
「どうぞ」
微笑みながら悪魔へ差出した。
天使の優しいライトグリーンの瞳が笑みの中で輝いた。
「貴方のお名前は?」
「…ねぇよ。あっても教えるわけないだろ、バカ」
「それもそうでしたね」
悪魔は天使の微笑みから何故か目が離せなかった。
「どうしてこちらに?何かご用でしたか?まさか迷子ではないでしょう?」
「…はっ、天使でも冗談言うんだな。暇潰しにフラフラ来ただけだ」
紅茶を口にしたが、悪魔には甘かった。思わず顔を顰めてしまう。
天使が心配そうに、胸に手を当てながら尋ねる。
「あっ、お口に合いませんでした?すみません…私しか飲まないので、ちょっと甘いです」
カップを置き、背を向ける。
悪魔の調子がどうも狂う。居づらさを感じここを出ようとした。
「次は甘さおさえますね!」
天使の澄んだ温かい声が響く。
「…来ねぇよ」
そう零し、悪魔は飛び去っていった。――
あれから数日が経ったが、悪魔はふとした時に天使の事が頭を過ぎる。まるで自分の中に居座っているかのようだった。
モヤモヤと過ごしているうちに、またあの天使の元へ向かっていた。
天使の姿を見ると、心が晴れたように静まる。またあの声が聞きたくなってしまう。
「あ!悪魔さん!またいらして下さったんですね」
天使が嬉しそうに歓迎した。
「イスを用意してたんです。どうぞおかけ下さい」
自分からこの場所を求めて来たが、やはり居心地が良くない。この天使はなんなんだ?悪魔は天使をじろりと見た。
「…お前は悪魔が怖くないのか?」
天使はキョトンとした顔で答える。
「もちろん怖いです。でも、貴方は私に何もしてないでしょう?だから、貴方は怖くないです」
「話して油断させて襲うかもしれないだろ?」
「そうかもしれませんね。ですが、私も強いので大丈夫ですよ」
余裕のある答えが悪魔の鼻につく。
天使は空になったティーカップに紅茶を注ぎ、悪魔へ差出した。
「どうぞ、甘さを控えてみました!お口に合えば良いのですが…」
眉を下げ微笑む天使の顔をチラッとみてから、イスに座りティーカップを口に運んだ。
「…悪くない」
「良かった!」
安堵した天使は、微笑みを崩さないままポットの縁を指でなぞった。
「お前は…いつも楽しそうだな」
「そんなことは無いです。迷子なんていない方が良いに越したことはないですが、ずっと1人で待っているので楽しくないですよ」
虚ろげな目で空を仰ぐ天使の横顔を悪魔は見つめた。
天使の瞳が悪魔の方を向いた。
「でも、貴方が来てくれました。私にとって、まさに舞い降りた天使でしたよ!」
弾けるような笑顔を悪魔は初めて目にした。
ライトグリーンの瞳が覗かないのに輝いて、声は出さずとも喜びが形を成したように溢れ出て見えた。
悪魔はなにかに飲み込まれそうになるのを抑え言葉を絞り出す。
「…天使が悪魔に向かって、何言ってんだ。殺すぞ」
「まぁ、怖い…ふふっ」
紅茶を一気に飲み干した悪魔は、前の甘みをどこか求めてしまった。
「おかわりはどうですか?」
「次はお前が飲め」
「!…はいっ!いただきますね!」
「あと……」
「なんでしょうか?」
「前の甘さでいい…」
「いいんですか?…また来てくれるんですね!」
「それは…知らん…」
悪魔に天使が嬉しそうに微笑む…
天使は紅茶をカップへ注ぐ。
「…お前、名前は?」
一瞬、天使は動きを止めた。
「私も名前は無いんです…良ければ付けてくださいませんか?」
期待の眼差し…コイツの方が悪いんじゃないかと、悪魔が不安になった。
「天使とかでいいだろ」
「変わらないじゃないですかー」
「いいだろ…」
「悪魔たちと同じで名前に意味あるんですよ…」
悪魔は少し黙った。
「…なんで名前ないんだよ」
「私は役割であって個ではないので、誰かに呼ばれて初めて名前を得られるんです」
天使の顔は俯いてしまった。
悪魔は目を逸らし、話題を変えた。
「お前は人間をどう思う?」
「え?彼らは…私は関わり薄いですが良くも悪も感情豊かで…間違えることが多い。それでも良い方向へ導き、味方でいたいんです」
悪魔は奇妙に思い顔を顰める。
天使は紅茶を1口飲んで尋ねた。
「貴方はどうなんですか?なぜ人間を陥れるのです?」
「俺は陥れはしないけどね。まぁ助けがいもないし、ちょっと口出すだけで簡単に悪事に手を染めるし、俺らの力に頼るのが面白い」
「…他の天使が聞いたら殴られますよ」
「俺はまだ穏やかな方なんだけどなぁ」
天使は溜息をつき、紅茶を飲んだ。甘さが恋しくなる。
「悪魔でも貴方は優しいですよね。少なくとも私を攻撃はしないですし」
「…悪魔にも色んなのがいんだよ。天使でも人間でも陥れたり、殺すのは簡単だけど……」
悪魔は少し心がざわついた。
立ち上がり、帰ろうとする。
「もう行かれますか?」
「あぁ、じゃあな」
「またお待ちしてますね!」
他のやつらになら癪に障るのに、この天使にこう言われるのは悪魔は不思議と嫌ではなかった。――
その日悪魔はムシャクシャしていた。気を晴らしたく天使の元へと赴いてしまう。
「悪魔さん!お久しぶりですね」
いつものように微笑む天使がいた。
「あぁ、忙しくて…」
「…人間には優しくなさってください」
天使は顔を曇らせながら紅茶を口にした。
その言葉が悪魔の逆鱗に触れた。
「アイツらの自業自得だろ!俺を使うだけ使ったくせに、また繰り返す。お前には分かるわけないよな。馬鹿の一つ覚えのようにアイツらの味方だもんな!」
「確かに彼等に使われることはありません。その気持ちは分かりませんが、人間は変わることができます。見捨ててしまっては元も子も無い…」
天使の無垢な瞳が、悪魔に訴える。
「元々、元も子も無いんだよ。アイツらの大半は変わらない」
悪魔はさっきの人間を探し、天使に告げる。
「アイツ、今は隣のやつと仲良いが3日後にはまた喧嘩して次は…殺すぞ」
「止めなくては!」
「無駄だよ」
「それでも!」
「お前、迷子待ちだろ?」
「後で仲間に伝えます」
天使は胸に手を当て、その人間を見ながら紅茶を啜る。
空になったティーカップに紅茶を注ぎ、悪魔へ渡す。
「貴方は色んな人間を見てきたんですね」
悲しげな天使の顔に、心が痛む。
「まぁ悪魔に頼る人間だから元々ろくでもないんだろうよ」
「それも人間の人生ですもんね…」
イスに腰掛けて、天使を見つめた。
甘い紅茶が悪魔に考える時間をくれた。
「おかわりを入れてくれ」
天使にティーカップを差しだす。
「3秒後にお前はくしゃみをするぞ」
「へ?なんのことです?どうして…ハクション!」
テーブルの上のティーカップが揺れる。
「危ねぇ!最後の1個まで割ろうとするなよ」
「今のは予知ですか?命令です?」
「内緒」
「天使に命令は絶対ダメですよ?」
「分かってるよ、間抜けな天…ことするわけないだろ」
天使が注いでくれた紅茶を受け取り、慌てて飲む。
「何を言おうとしたんです?」
「…噛んだだけ」
「ふふっ、めずらしい悪魔さん」
胸に手を当て笑う天使をやるせない目で見つめる。
甘い紅茶にも慣れてきた。
「新しいティーカップは用意しないのか?」
「それお気に入りなんです。だから壊れるまでは、次なんて考えられなくて」
「割るの間違いだろ。てかお気に入りなら割らないように気を付けろよ」
「いやぁ、うっかりが多くていけませんね」
恥ずかしげに笑う天使を見ながら、紅茶を飲み干す。
「おかわりはいいがですか?」
「いや、もう行くよ」
「そうですか…お気を付けて」
少し寂しそうな表情の天使が、悪魔の目には幻想的に映った。閉じ込めたくなるほどキレイだった。
悪魔は名残惜しそうに飛び去った。――
今日は例の人間が罪を犯す日だ。
悪魔は天使を慰めてやろうと天使の元へ向かった。
案の定、遠くから見ても分かるほどに天使は項垂れていた。
「言っただろう?変わんねぇって、お前が落ち込むことじゃねぇよ」
天使の飲みかけのティーカップを奪い飲んだ。
「導こうとしたけれど無理だったと聞きました。彼女は今、深い後悔と罪悪感に苛まれているとも…」
「罪に向き合い始めてるわけか、いいじゃねーか」
天使の顔は暗いまま、泣きそうな顔で悪魔を見た。
「人は変われます…でも、それが罪を犯したあとだなんて。知らなきゃ良かった…」
飲み干したティーカップに悪魔が紅茶を注ぎ、天使へ差し出す。
「そういうもんだよ。人間ってヤツは。それにお前はそれでも人間を信じるんだろ?」
「もちろんです。後悔をしているのであれば尚更、見放すことはできません」
天使は紅茶を飲み、少し微笑む。
「貴方から紅茶を貰うのは初めてですね」
「…悪かったな、いつも入れてもらって」
「いえ、ありがとうございます」
悪魔は手で口元を隠し顔を背ける。
「別に…茶入れただけだろ」
「ふふっ…いいえ、こうやって私を心配して来てくださったじゃないですか。そして紅茶も入れてくれた。それが嬉しいんです」
「…考えすぎだ」
天使は微笑みを緩め、少し目を伏せ胸に手を置いた。
「仲間たちに怒られてしまいました。悪魔とお茶なんかして、騙されてると」
「…そうかもな」
「それでも構いません」
「貴方とこうやってお話する時間が私は好きですから」
酷く優しい瞳で悪魔に微笑む天使に、悪魔は何も答えなかった。
空いたティーカップに紅茶を注ぎ、悪魔へ差し出す。
「私はいつでも待ってますよ。迷子も悪魔さんのことも」
「そりゃどーも」
紅茶の甘さが体にしみるように感じた。
悪魔は天使を見た。
ライトグリーンの瞳と亜麻色の癖っ毛が夕陽に照らされて輝き、その微笑みがふわふわと柔らかく眩しかった。
その光に耐えられず、席を立つ。
「もう帰られるのですか?」
「あぁ…」
「いつか悪魔さんのお名前教えて下さいね!もちろん悪用は致しませんから」
天使に嘘は通用しなかった、と軽く自嘲し、悪魔は飛び立った。――
天使に会いに行くが、いつもと違う違和感を覚えた。
「今日も来てくれたんですね!嬉しい…」
胸に手を当て駆け寄った天使の言葉の違和感と共に、悪魔の体に痛みが走る。
槍で体を貫かれている…持っているのは、天使だった。
「そんなに会いに来てたら、こうなるの分かってただろう…」
そう言い、糸が切れたように不自然に頭を垂らした天使。
「大丈夫か?」
自身を貫いた相手を思わず心配してしまった。
天使が悪魔の足元に倒れた。羽根が無い。
羽根どころか、背中を抉られ心臓を抜かれていた。
悪魔は刺さった槍を気にせずに跪き、天使を抱きかかえる。初めて触れることが出来た。
「そんな…あぁ…」
悪魔は天使の寝顔をただ震えて見ることしか出来なかった。
天使の側にグシャッと音を立て何かが落ちてきた。
心臓だ…悪魔は震えて見上げた。
「愚か者。天使たちに舐められるようなことしやがって」
血塗れの手で天使のティーカップを持ち、悪魔を見下ろしている。
「お前もこの未来は見えてただろ?…それにしてもとんだ間抜けな天使だったなぁコイツ」
ネビロスが嘲笑いながら、紅茶を啜る。
「一緒に飲みませんか?だとよ。ふざけやがって!」
ティーカップを叩きつけ、破片が散らばった。
悪魔は2人の思い出のティーカップの欠片を悲しく見つめる。
「もっとふざけてるのはお前だ。こんな天使なんかと仲良く茶飲んで…こんなのがアイツらに知られて恥だろうが!」
「グッ…ゥ…」
ネビロスは悪魔の体から槍を抜き取り、天使の心臓を刺して、自身の羽根を広げた。
「もうこんな所に来るな…罰はこんなもんでいいでしょう。仲の良かった天使に刺されるなんてお可哀想に」
「アナタが…殺して、操ってたんでしょう?!」
「お前が殺させたんだよ」
笑いながらネビロスは飛び去った。
悪魔は知っていた。天使に会えば会うほど、この未来が見えていた。見ない振りをし、それでも天使といたかった。自分も殺されればいいと思っていたのに、罰だけ与えられ生かされた。
悪魔は傷口を押えながら、天使の亡骸に話しかける。
「すまなかった…」
流した涙が天使の頬を伝う。
「…グシオン、俺の名だ。1度でいいから…呼んで欲しかった……」
もう天使が目を開けることも、声を出すこともない。
そっと、天使の額を指で触れる…
ティーカップの欠片を手に取り、グシオンは飛び立つ。
「お前は、素敵な天使だよ…」
お読み頂きありがとうございました!




