その恋、はあまりにも綺麗すぎたから
三月の風は、まだ少しだけ冷たい。
校舎の屋上、夕焼けに染まるオレンジ色の世界で、俺――**上杉海人**は二人の少女と向き合っていた。
一ノ瀬千夜は、その長い黒髪を風になびかせ、凛とした表情で俺を見つめている。誰に対しても平等で、完璧な優しさを持つ学園の女神。そして未久は、トレードマークのヘッドホンを首にかけ、少し俯きながら俺の袖を掴んでいた。控えめだが、誰よりも俺を支えてくれた大恩人だ。
「――ずっと、伝えたかったんだ」
千夜が鈴の鳴るような声で言った。
「海人君がいたから、私は私でいられた。君の真っ直ぐな善意が、私の光だったの。私と一緒に、これからの道を歩んでほしい」
続いて、未久が消え入りそうな、けれど確かな熱を帯びた声で言葉を紡ぐ。
「……私も。海人君が、私を暗闇から連れ出してくれた。君は、私のヒーローだよ。……私を、独りにしないで」
視界が潤む。なんて美しい光景だろう。俺のような凡庸な男を、こんなにも眩しい二人が愛してくれている。これまでの苦労も、自分に自信が持てなくて悩んだ夜も、すべてはこの瞬間のためにあったのだと確信した。
俺たちは手を取り合い、一生変わらない絆を誓った。
世界で一番綺麗な、一点の曇りもないハッピーエンド。
俺たちの前には、どこまでも純白な未来が広がっている――そう、誰もが信じて疑わない光景だった。
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(……あぁ、反吐が出る。虫酸が走るってのは、こういう時のことを言うんだな)
脳内で、ドロリとした独白が溢れ出す。
千夜の聖母のような微笑みを見ながら、俺の胃の奥は焼け付くような不快感に支配されていた。
俺の光だった? 嘘をつけ、一ノ瀬千夜。
お前が俺を選んだのは、俺が「一番御しやすい駒」だったからだろう。お前のその完璧な仮面を維持するために、都合のいい全肯定マシンが必要だっただけだ。お前の優しさは、慈愛じゃない。他者を自分より下に置き、慈悲を与えることで得られる「全能感」の変装だ。自分を神格化するために、俺という信者を囲い込んだに過ぎない。
そして、隣で震えている未久。お前の「依存」も、愛なんて綺麗なもんじゃない。
お前は独りで立つのが怖いだけの臆病者だ。俺という杖がなければ、自分の価値すら見出せない空っぽな人間。俺を「ヒーロー」と呼ぶことで、お前は自分の「無能さ」から目を逸らし、責任をすべて俺に押し付けている。
そして何より、俺――上杉海人自身が一番汚い。
二人に優しくしたのは、誠実だからじゃない。嫌われるのが死ぬほど怖くて、誰かに必要とされていないと、明日をも知れぬ不安に押し潰されそうだったからだ。俺は、彼女たちの愛情を利用して、自分の空虚な自尊心を満たしていただけだ。
俺たちのこの「美しい絆」の正体は、互いの欠損を埋め合わせるための、醜く、汚く、計算尽くの共依存。
真っ白なハッピーエンド? 笑わせるな。
この純白のプリズムの下には、泥水のようなエゴが詰まっている。
俺たちは、お互いを愛しているんじゃない。お互いを「踏み台」にして、自分を愛そうとしているだけなんだ。
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不意に、俺は繋いでいた手を力任せに振り払った。
千夜の瞳に動揺が走り、未久の華奢な肩が大きく跳ねる。
「……もういいよ。全部、分かってるんだ」
俺は、自分の醜い独白をすべて、堰を切ったように言葉にして叩きつけた。千夜の支配欲も、未久のずる賢い依存も、そして俺自身の卑屈な臆病さも。
静寂が訪れる。夕闇が深まり、校舎は巨大な影に沈んだ。
千夜が、初めて見るような冷ややかな、けれどどこか解放されたような笑みを浮かべた。
「……ふん。バレちゃったなら仕方ないわね。最低でしょ、私? 君を飼い慣らして、一生私の人形にするつもりだったわよ」
未久も、震える手でヘッドホンを強く握り締め、憎悪の籠もった瞳で俺を睨み据えた。
「……最低なのは、海人君も同じだよ。私を『かわいそうな女の子』扱いして、優越感に浸ってたクセに。……大嫌い」
罵り合い、曝け出し合う。そこには、さっきまでのキラキラした輝きなんて微塵もなかった。あるのは、剥き出しの業と、泥まみれの欲望だけだ。
けれど。
その汚い本音を吐き出した彼女たちの顔は、先程の完璧な笑顔よりも、ずっと、ずっと「人間」らしく見えた。
善だけの人間なんて、どこにもいない。
醜いエゴも、汚い計算も、相手を蹴落としてでも愛されたいという執着も。そのすべてが混ざり合って、濁り合って、初めて「人間」という生き物は形を成すのだ。
俺は、泥だらけになった二人の手を、今度は逃がさないように強く握りしめた。
「ああ、最低だよ。俺も、お前たちもな」
俺は笑った。心からの、醜くも真実の笑顔で。
「でも、その醜さこそが、俺が愛したお前らなんだ。綺麗なだけの偶像なんて、ヘドが出る。この泥の中で、必死に足掻いて、醜く生きようとしているお前らと一緒にいたいんだよ」
千夜が目を見開き、やがて呆れたように毒を吐きながら、俺の胸に頭を預けた。未久は泣き出しそうな顔で、今度は依存ではなく、自分の意志で俺の腕に縋り付いた。
善悪が溶け合い、美しさと醜さが反転する。
光だけでは見えなかった「人間」の輪郭が、今、暗闇の中で鮮やかに浮かび上がっていた。
上杉海人と、二人の「悪女」。
この泥沼のような真実こそが、俺たちの選んだ、唯一無二の結末だ。




