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  作者: アワヨクバ
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 また一つ年を取った。


 秋は私の誕生日と、小説の新人賞落選の季節だ。幾度、落選したら私は筆を折ることができるのだろう。早く諦めてしまえば何もかも楽になる。


 令和六年、十月一日。午後二時。


 某文芸雑誌に掲載された一次選考通過者リストの中から、自分のペンネームを最後までチェックしていき、ないことにため息をつく。まさか違う筆名で応募していないだろうかと不安になって、もう一度リストの頭から最後まで見ていく。やっぱりない。


 作品名でも再三探して、ないという事実を確認する。


 胃の辺りに重い痛みを感じ、文芸雑誌を本棚に戻す。


 また落ちた。小説の新人賞の一次選考も通過できないなんて。


 ほかに買いたい本がたくさんあったのだが、めまいを感じて本屋をあとにする。だいたい、文芸雑誌は貧乏アマチュア作家に受賞発表のときの確認のために買わせようとしている魂胆が見え見えなのが気に食わない。


 誰かに取材する金も人脈も、ホテルに籠って執筆する贅沢な環境もないアマチュア作家は、本一冊を買うのにも生活費をいくら削ろうかと思い悩んでいることを出版社は知らないらしい。


 駅中の大型書店から出て、下りエスカレーターに乗る。シャワー効果で本屋を最上階に設置するのが駅ビルの戦略だが、それにも乗ってやらない。選考結果を確かめるために本屋へ足を運ぶという明確な目的のみを持って訪れた人間が、商業主義の思う通りに上の階から順にほかのショップに足を運ぶわけはないのだ。


 自分の存在が無価値に思える。ため息をつくと、エスカレーターの後ろに立った女性二人組が、「すごいね。毎月こんなに本買うの?」「毎月じゃないよ」「でも、この前会ったときも十冊買ってたよね? 図書館か、中古本で充分じゃない?」「家の本棚を本屋さんみたいにしたいんだ」「いいなー。私のところ本棚らしい本棚ないから、タンスの上に本立て置いて、無理やり置いてるんだよ。今度家遊びに行ったときに見せてよ、その本棚」


 などと、楽しそうに会話している。基本は図書館の私とは月とすっぽんだ。プロ作家志望者の私が図書館にしか行けなくて、趣味で本を読んでいる人間の方が購買意欲も、購買するだけのお金も持っているのは理不尽だ。


 私の執筆歴、アマチュア歴は十五年だ。二十歳のときから書いていて、もう三十四歳になるがまだ何者にもなれていない。プロになりたいという意欲だけがある状態とも言える。人はそれでもアマチュアとみなすだろう。リア友は書いているだけですごいと言ってくれるが、私の目指すのは書いているすごい人ではない。本屋に並んでいるすごい人になりたいのだ。


「私、絶対デビューして本屋に並べるからね」とおばあちゃんに毎年言い続け、「賞金で焼肉を食べに行こうよ」って約束してたのに、私がプロ作家になるより、おばあちゃんの歯が全部入れ歯になる方が早かった。次こそは受賞すると魂込めて書いた作品は、一次選考落選だった。そのうち、おばあちゃんの寿命の方が早く来た。おばあちゃんが知る私は『小説家になりたい孫』で時間が止まってしまったことになる。それは、どこにも自慢の孫となる要素を含まなかった。どこまでも要領の悪い孫の状態で私というものは定義づけられて墓場まで持っていかれた。


 別にそれが悲しかったわけではない。ただ、似たようなエピソードをSNSで見つけたときには、言い表せない憤りを感じた。


 その投稿をした人は去年プロデビューしたプロ作家さんだった。プロデビューしておばあちゃんを喜ばせ、今年そのおばあちゃんが永眠したのだとか。美談だった。いいねも三百ついている。


 この差はなんだろう。そのプロ作家さんにも、プロ作家さんのおばあちゃんの寿命は分からないが、あっちのツイートが美談で私の〈おばあちゃん死んだ。もっと早く私がプロデビューしていれば〉が無名の一般人のただの愚痴になるのは何故? 作品が商業で流通していないからだろう。私の作品は落選作とはいえ、小説投稿サイトなどに投稿しているから、ネット上には存在しているのに、本屋に並ばないというだけで、日の目を見ない。いつまでも、表舞台に立てない。ネットで十作品ほど無料公開しているのに、無料でも読まれないのは何故なのか。


 喫茶店に行く。


 長時間居座るために、今日はカフェラテをMサイズにする。六百七十円。これなら、安い本が買えたのに、私は飲んだらなくなる飲料を選んだ。本はいつまで経っても買えそうにない。


 スマホでツイッターを開くと、予選通過者たちがはしゃいでいるのがタイムラインに流れてくる。どうしてツイッターにハッピーな気持ちしか書いたらいけないという暗黙のルールがあるのだろう。落選しました。全部下読みが悪いですと宣戦布告したい。


 カフェラテが運ばれてきた。苦かった。もっとシュガーが必用だが、席を立つのが億劫だ。今日は落選のせいで重力が身体に負担をかけているように思う。


 誰かが私の作品を落とした理由を知りたい。


 落選とは、お前なんていらないと首を切られているということだろう? 入社試験に一度も受かったことのない私は、内定がいつまで経っても取れない自分自身に絶望した。それと似ている。だけど、小説ではまだ絶望はしていない。それでも、書きあげるのに半年かかった作品が、にべもなく落とされた事実は我慢ならない。


 下読みさんは、一体どこを減点したのだろうか。減点方式で採点するのをやめればいいのに。そもそもどうして、バイトなんかに私の作品は他の作品と比べられなければならないのか。だいたい、こちとら血反吐吐く思いで、怒りや憎しみを筆に乗せて書いている。去年の受賞作品は心温まる物語だった。そんなものは、私に書けるわけがなかった。


 令和に突入してからの日本や世界は災害や戦争でめちゃくちゃで、将来に希望を持っていない若者が溢れているのに、どうして心温まる話を創作しなければならないのか。


 私が読みたい本は、人が不幸になる本。私はまだ、世界に比べたら少しはましだって安心できるような、そんな他人が不幸になる本が読みたくて、自分でもそうした作品を書いている。


 それなのに、やれ感動だ。世界が涙しただ、今一番心に響く物語なんて帯封に書かれて本屋に並ぶ。パステルカラーの表紙の本を見ると、こっちが悲しくて泣きたくなる。


 喫茶店は小うるさい。会話内容に限らず、他人の人生に興味のない私は、私の人生で手一杯なのだから、人声が不快だ。




 前に駒を進めたほかの作家志望者の名前を見つけると、おめでとうとリプライできなくなる。


 自分の心を殺して、リプライに「お」を入力すると予測変換で「おめでとう」が出てくる。そのまま無情で入力する。自分じゃない誰かが「おめでとう」と代わりにコメントしたような感覚になる。それでも、「ありがとう」と返事が返ってくると、わたしはまだ「お」しか言っていないと言いたくなる。


 今日の発表では自分のネット上の知り合いはいなかった。それでも、作家仲間は次々書籍化していく。


 私は公募だ。周りがどんどん書籍化して行くのが辛い。


 落選したときのメンタルの立て直しが難しい。応募して、落選するまでがセットなのに、どうして執筆をやめられないのだろう。書けば書くほど、自己満足してどんどん書くことがなくなっていく。もう書きたいことはない。この状態は、プロになる道の障害となるだろうか?


 〈趣味で楽しんでます〉と口に出す物書きが書籍化したときなんか、私はそのツイートをとても見ていられない。


 どうして、楽しんで書いてデビューできるのか分からない。私も楽しんで書くことはある。楽しんで書いた作品は今のところ全部落選している。なので、嫌いなジャンルの話も書いて応募した。流行っているからという理由で書いた。ネットのコンテストの書籍化を狙うのであれば、それでいいのだろう。公募は違うかもしれないと、応募してから気づいた。


 公募でも売れ線みたいなものはあると思う。そういうものも嫌いだが書くしかない。


 心血注いで新作を書かないといけない。応募方法が郵送可なら、私の髪を抜いて入れておけば、こちらの念が伝わるかもしれない。


 嫌いな作家の、ライバルの作家の、自分より先にデビューした作家の本を買ってきてビリビリに破って、出版社に送りつけたい。たぶん、作者に届く前に処分されるだろうが。威力業務妨害でこちらが先に訴えられるかも。


 とにかく、新作を用意するために今日は喫茶店にこもった。


 ノートパソコンを持って行く根性はないので、スマホでアイデア出しだけでも。


 スマホを開くとまだ落選画面だ。気になって、手につかない。


 何か書かなければ。


 どうせまた落選する。この前聞いた歌詞。日本語よりよく今の私の頭の状態を言い表している言葉だと思う。


 手が痺れる。痛みなら痛みではっきり身体を駆け抜けてくれたらいいのに。


 ほかの作家志望者さんたちはどうやって「おめでとう」をお互いに送りあっているのだろう。


 デビュー後は地獄だって聞くが、今の先の見えない状態を地獄って言ったらいけないのだろうか。


 デビューできたら、締め切りに追われるのだろうか。自分は追われていないから幸せなのか? 焦燥感はある。自分より年下の人や、同じぐらいの三十代の人がデビューしたら、その度になんで、何が違うのって悲観的になる。


 カフェラテが苦い。ミルクを入れ忘れていた。もう半分飲み干している。おかわりしようかな。


 怒りが感情ではなく現象だったらよかったのに。怒りが目に見える形ならなおよい。例えば、怒りは炎になって飛散するとか。この喫茶店は燃え上がるし、本屋に足を運べば本屋を大火事にできる。


 自分より面白い本は全部燃えてなくなるんだ。本を失った人類は、私の下手くそな小説の印字されたA四コピー用紙だけを読むことができる。そうすれば、みんな仕方なく私の本を読むだろう。いや、駄目だ。スマホや動画配信など、ほかの娯楽に逃げられるだけだ。


 私がデビューできないのなら、いっそ本なんかなくなってしまえばいいのに。


 本屋に放火しようと思ったことは幾度もある。その度に面白い本を見つけて、今度図書館で借りようと思いなおす。


 私の面白いと思う本は、だいたい悲劇的なタイトルと表紙絵が悲しい雰囲気を帯びている。同時にそれはだいたい難しい本でもあったりする。一般文芸と呼ばれる本は漢字が難しくて辟易する。かといって、ライトノベルなどの十代向けの本は簡単過ぎるし、何よりバッドエンドが少なくてつまらない。頭の悪い作家志望、漢字の苦手な人向けに濃厚な悲劇の本はないのだろうか?


 人の不幸で食って行きたい。


 もうそろそろ死んでもいい。


 午後三時。


 いいアイデアが浮かんだ。次は動物が主役のファンタジー小説にしよう。

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― 新着の感想 ―
>デビュー後は地獄 これは間違いなく嘘だと思う。 地獄を求めて、みんなが血眼になって努力して目指すわけがないもの。
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