夢見ぬ桜、桜の夢を見る
どうぞお楽しみください。
春。桜が散って行く。少年は何やら決意したような面持ちで、机に向かって座っている。
僕はペンのキャップを取った。ひっかくように文字を埋めていく。
「拝啓これを見ている人へ。」
ペンは油性の、百均で三本百円で買ったやつ。独特の香りと音が、僕の周りを囲う。花粉症で目がかゆい。眠いからかもしれないが。目をこすりながら、僕はペンを動かす。今日で終わりにするんだ。黒歴史を作るのは。僕は明日から、もっとまっとうに生きる。
そもそも拝啓って何か分からない。説明できない。でも、手紙の書きだしなんて、これぐらいしか知らない。知らないけど、一番まともそうに見える。気がする。
「僕は、西暦の20××年にいます。そちらはどうですか。まだ日本という国は存在していますか?あの三角公園はまだありますか?」
薄っぺらい色紙、周りに金色の縁取りがしてあるそれに、文字を少しずつ。
「僕には、今、悩みがあります。」
決して小説や歌に影響されたわけじゃない。影響は受けたかもしれないけど、決してパクったわけじゃない。今の僕は、これしか言葉を持っていない。広辞苑とか一冊読めば、今の僕の気持に近い単語が見つかるのか。見つからない気がする。知らないけど。
「見ず知らずの時代も違う場所だけが同じあなたになら、このことを打ち明けてもいい気がして。」
僕はつづけた。「僕には夢があるんです。」
夢がある。なんて素敵な言葉なんだろう、実現しがたいことでも本気で目指していることでも、すべてをこの「夢」で片づけることができる。宇宙飛行士になるというあの典型的な「将来の夢」だってそうだ。ただその言葉だけでは、小さい子が憧れで戯れに言っているだけなのか、天文部のやつが言ってるのでは、意味がちょっと、いや大分変ってくる。
夢がある。これを言うと、必ず「理想高いね。現実味がないよ」と言う人か、「せっかくの人生なんだから」と言う人がほとんどだ。直接的な肯定でも否定でもない曖昧で中身のない返事。僕の夢を、応援してくれる人が、多分絶対いないことは、もう、わかりきっている。だれかが理解してくれないといけない夢ではあるけれど。一人でいい。誰かが理解してくれなかったら、僕は夢を夢見ることすらもできない。だから夢を見るのは今日で終わりだ。僕はもっとしっかりとしたまっとうな人になる。
「僕の夢。それは死ぬこと。」
ここまで書いて、恥ずかしくなる。羞恥心なんて無い人間だと思っていたけれども。自分をさらけ出しているよう。健康診断の結果を見せるときに似ている。それか通知表。良くても悪くても冷やかされ、中途半端だとつまらないという顔をされるあの感覚。
そもそも何故死ぬことを夢にしてはいけないのか。
何故そこまでして大人になって働かなくてはならないのだ。わからない。僕にはわからない。わかろうとしないからわからない。
僕には死という夢がある。「じゃあ今死ね」と言われて簡単に死ねる死じゃない。人間どうせ死ぬんだ。そんな好きでもない人の為に死ねるかよ。
僕の夢の死は、桜が満開から散りかけるころ、最愛の人と桜並木の下でお互いが見つめあって死ぬことだ。美しい。桜の下には死体が埋まっているという都市伝説になれるんだ。確かにあれは梶井基次郎の本が由来となっているが、それが現実になったら。どれほど美しいだろう。
春が来れば、僕らの死体のあった場所にまるで花を手向けるように桜が散るんだ。毎年毎年。美しい。これほど美しいものはないであろう。もし仮に死後この世界が続いていないのなら、自分が美しいまま最愛の人と見つめ合って終わる最後がいい。すべてが叶う夢を見たい。
「わかってもらおうとは思いません。ただ、言わせてほしいだけです。どうか、ここまでお読みくださった貴方に、この手紙を燃やしていただきたい。後世にこんな黒歴史を受け継ごうとしないでください。敬具」
一通り書き終えて、僕はペンのキャップを閉めた。敬具ってどういう意味かも分からないけれど、国語の資料集に書けって書いてあったから。とりあえず。
書き終えて、二行目の西暦を塗りつぶして、15年前に直した。それだけで、一気にタイムカプセルのような悲壮感が出てきた。僕の生まれた年。
本文を読み返した。満足は、出来なかった。なにかとても薄っぺらいような気がして、僕は色紙の端を力任せに折り曲げた。硬かった。痛いぐらいに硬かった。薄っぺらくてもいいような気がした。
隙間が余ってしまったことに気付いた。これでは格好がつかない。仕方がないから、そこには去年、小学校の卒業文集に書いた文を引っ張り出してきて、そのまま書いた。
「僕の将来の夢は、医者になることです。どんな人でも助けられるお父さんのようになれるようもっと勉強を頑張ります。」
突然、今の自分に嫌気がさした。あの頃の純粋でまっすぐで従順な僕はどこへ行ってしまったのか。ああ、何も知らなかったあの頃が懐かしい。いまだって、まだすべてを知ったわけじゃない。でも。
でも。でも!
もう何もかも諦めたような気持で、僕はうすっぺらい東京土産の入っていたお菓子の缶に色紙を入れた。入れて、蓋をした。
もう夜の11時を回っていた。家族が寝静まったのを確認してから、そっと外に出る。そして、家の裏の神谷さん家のはすむかいにある三角公園へ。ちょうど桜が散り始めていた。
桜の散り始めは、何故か、花びらじゃなくて、五枚そろって落ちてくる。三角公園にある一本の大きな桜の木は、いつもそうだ。缶を埋めるための穴をスニーカーのかかとで慎重に堀り、缶を入れた。中に2、3個の桜を入れて。しっかりと埋めてしまうと、新たに落ちてきた桜で、堀った土は見分けがつかなくなっていた。もう帰ろうと立ち上がり、手についた土を掃った。するとそこに、ばらばらになった桜の花が五枚、ての上にひらひらと舞い落ちた。
途端に僕は悟った。ああ、僕は受け入れられたのだ。この不純で貪欲で中二病をずっとこじらせていて、そんな都合のいい人なんて見つかるはずもないのにずっと理想を追い求めている。間抜けで馬鹿な僕を。
すべてがどうでもよくなった、僕は叫んだ。「自由だ。これが自由なのだ!」
自分の声が静かな住宅街にこだまする。僕はもう孤独じゃあない。孤独を孤独と決めつける世の中から解放されたのだ。僕は夢中になって桜の花びらをかき集めた。「夢のようだ!」
小さいころにしたように、足をかけ桜の樹のてっぺんまで上った。見晴らしがいい。今日は新月だったから、照らす明かりは電灯だけ。なんと素晴らしいのだろう。機械的な光に照らされて、桜の樹はうっすらと青白く見える。僕までも青白く見えた。僕は桜の樹と同じになったのだ。高貴で孤独でされど人から好かれ続ける!今も昔もこれからも!
バランスを崩して地面に落ちた。この痛みさえも尊く感じる。ああ、この傷は桜が葉を落とすときの痛みなのだ。これはまた、春が来る痛みでもあるのだ。桜の樹だって傷ついているのだ!
何度も何度も樹に上り、落ちた。落ち続けた。幸せだ。僕は桜になったのだ!
そうだ!僕は桜なのだ!人々から称賛され、春夏秋冬問わず輝く桜となったのだ!
僕は桜だ!すべてを受け止める桜なのだ!僕は桜だ!僕は、僕は桜なのだ!僕は、、ぼく、は、さく、ら、。
それっきり、少年は動かなくなった。不動の桜と共に。
ここまで読んでくださって有難うございます。作者の負けねずみです。初投稿なので、とても緊張しています。この話は、作者の「夢」と近所の「桜」から構想を得ました。一度書き始めたら止まらなくなってしまい。こんな長さになってしまいました。拙い文章ですが、どうか温かい目で読んでください。絵も作曲も諦めそうな作者が、唯一創作を楽しめるのが小説な気がします。どうか応援よろしくお願いします。