第5話 支援魔術師、試験を課される!
宮廷の廊下を歩き、俺は用意された部屋へと向かっていた。
「結婚だなんてエレナ殿下……一体こんなおっさん虐めて何が楽しいんだ?」
聞いた俺の反応を見て楽しんでいたり? 貴族や皇族って俺たち庶民とは趣味も変わっているだろうし……
「しかも、待遇が絶対おかしい」
部屋には殿下の従者だった助手もいるようで、身の回りの世話もしてくれるらしい。
とはいえタダ飯を食らった手前今更断れない。
とりあえずは細心の注意を払いつつ、行動するとしよう。
「……っと、あそこが俺の部屋か。あっ」
自室の前には、長い黒のマントに身を包んだ女性がいた。
さらりとした亜麻色の長い髪を腰まで伸ばし、知的に見えるシャープな眼鏡をかけている。
マントの下には黒のブレザーとスカート、そしてすらっとした長い手足……皇女に匹敵するような美人だ。
しかし、腰には武骨な刀が提げられている。
部屋を間違えたのだと、俺はお辞儀をして素通りしようとする。
しかし女性は微笑みながら、安心感を覚える声を響かせた。
「先生、お待ちしておりました!」
「まさか……レイナ君か?」
女性はこくりと頷く。
「はい、先生。レイナ・レグニッツです! お久しぶりです!」
「お久しぶりって、まだ半月も経ってなくない……? しかし驚いた……いや、驚いたことが多すぎて、何から言えばいいか」
様変わりした外見に関してはノータッチだ。大学の制服であるローブはぶかぶかしてたし。
「やっぱり、大学を辞めたんだね」
「はい、卒業資格はもらえましたし。前に申し上げた通り、先生の教えを受けられないなら、あんな場所にいる意味はないですから」
「そこまで俺の支援魔術を……」
嬉しすぎて思わず涙がこぼれる。
その涙をレイナは絹のハンカチで拭き取ってくれた。
「あ、ありがとう……でも、何故宮廷に? 紹介状のこともそうだし、もしかして君は」
「エレナ殿下の従者だっただけです」
「なるほど」
エレナの話からもレイナと親しそうなのが窺えた。
長い付き合いなのだろう。
「感謝するよ、レイナ君。おかげで宮廷魔術師になれた。でも、殿下の過剰評価が、過剰に過ぎるというか……」
「何も心配なさらなくても、先生なら職務を難無くこなせるはずです。それに私が誠心誠意サポートいたしますから」
「え?」
「私も宮廷魔術師なのです。もともと宮廷魔術師としての力量を上げるため、殿下が私をヴェルデ魔術大学に通わせたのです」
確かにヴェルデ魔術大学の学生には、貴族の従者も多い。
「俺なんかのために辞めたなんて、殿下はお怒りだったんじゃ?」
「そもそもトール先生の講義を受けろと仰ったのは、殿下です。何も問題ございません」
「殿下が俺を……」
「ですから、先生は何も気になさらないでください。私が仰せつかった役目は先生の補佐と身の回りのお世話。どうかよろしくお願いしますね、先生」
驚きが大渋滞を起こしているが、見知った者が近くにいるのはありがたい。
「こちらこそよろしくお願いします」
「敬語はやめてください。私は先生の助手なんですから」
「というか、俺の助手なんて……レイナ君は本当にいいのか?」
「そのレイナ君も禁止です。私はレイナと呼び捨てでお呼びください。宮廷では上下関係をしっかり守らなければいけません」
「わ、分かった」
宮廷のことなんて分からない。
ここはレイナの言葉に従ったほうがいい。
「それで、宮廷魔術師って何を」
「先生はご自由になさっていいのです。どこか買い物や旅行に行かれるのも許可など要りません」
「それって、仕事って言えるの……?」
「あ、いや、エレナ様のせいです。基本的に宮廷魔術師は、皇帝や皇族の方々のご命令に従います。私たちはエレナ様のご下命に従いますが、エレナ様が仕事を出されることは滅多にないので。ただ、戦時には宮廷魔術師を束ねる師団長の指示に従います」
「となると、命令がなければ特にやることはないんだね」
「はい。ですから今日は師団長にご挨拶してはいかがでしょうか?」
「そうだな。上司の顔は知っておきたい」
「では、行きましょう。ご案内いたします」
レイナはそう言ってとことこと歩き始めた。
宮廷には無数の扉があって廊下も入り組んでいるが、レイナは迷わずに進んでいく。
エレナの従者だったから迷うこともないのだろう。
それから数分後、レイナはある扉の前で足を止め、扉をこんこんと叩き始めた。
「宮廷魔術師のレイナ・レグニッツです。失礼いたします」
「入れ」
扉の向こうから低い声が返ってくると、レイナは眉を顰めた。
「どうした、レイナ?」
「いえ……入りましょう」
そう言ってレイナは扉を開く。
扉の先にいたのは、革の椅子にふんぞり返る中年のふくよかな男だった。周囲にいやらしい格好の女性を侍らせ、何やらじゃれあっている。
男は面倒くさそうな顔で口を開く。
「なんじゃ?」
「ベーダン副師団長。この度、新たに宮廷魔術師となられたトール様をお連れしました」
男はベーダンというらしい。“副”師団長ということは、師団長ではないのか。
副師団長は女性を下がらせ、俺をぎっとにらみつける。
「なにぃ? ワシは何も聞いておらんぞ?」
堂々とした態度。なんというか学長と同じ雰囲気を感じさせる。副師団長を任されるのなら、きっと凄腕の男なんだろう。
「それに、レイナとやら。お主の名も初めて聞いた。いつ、宮廷魔術師になったのだ?」
「三年前に。ここにバッジも」
レイナはそう言って胸のバッジを見せた。
「本物で間違いないな……ふん、まあいい。どうせろくに仕事も回してもらえない木っ端であろう。それで、その垢抜けない男は誰が採用した?」
「エレナ殿下です」
「エレナ……殿下か。ふむ、だがワシには何も連絡は来ておらんが」
「ですので、こうして挨拶に伺ったのですが。師団長に、ですが」
レイナがそう答えると、副師団長はむっとするような顔をする。
「師団長は今、陛下の命で留守にしておられる。それまではワシが師団長代理だ」
「そうですか。それではよろしくお願いいたします、ベーダン副師団長」
頭を下げてレイナは背を向けようとする。
が、副師団長が待てと制止した。
「ワシは認めぬ。師団長は採用をワシにお任せした。ワシの許可のない者を宮廷魔術師にはできぬ」
「初耳です。エレナ殿下の命に従えないと?」
「そういう問題ではない!! どこの馬の骨とも知らん奴を雇えば、宮廷魔術師全体の沽券に関わる!」
「もっともらしいことを仰いますが、皇族の方の命に逆らうなど、それこそ宮廷魔術師の存在意義に関わると思いますが……」
「お、お主、副師団長のワシに逆らうか!? 見てくれが良いからと調子に乗り追って、小娘が!!」
ばんと机を叩き怒声を上げる副師団長。
しかしレイナは臆することなくこう答える。
「木っ端の副師団長とお話ししていても埒があきませんので、帰らせていただきます」
「なんだとぉっ!?」
副師団長は立ち上がりずかずかとレイナに歩み寄る。
ちょ……上下関係をしっかり守るんじゃなかったの……?
ともかくこのままでは喧嘩になる。
俺は副師団長とレイナの間に割って入る。
「お待ちください!」
「なんじゃ!?」
「つまりは宮廷魔術師として仕事ができるか見極めたい、ということですよね?」
「そ、そうだ!! お前は見るからに仕事ができそうもない!! だから心配しておるのだ! お前は何の魔術を得意としているのだ?」
「支援魔術です……」
「ふ、支援魔術!? ふはははは! こ、これは驚いた!!」
副師団長は腹を抱えながら笑う。
後ろからどこかで聞いた舌打ちのような音が響いたが、俺は気にせず副師団長に提案した。
「そう仰らず、どうか実力を評価してくださる場を設けてはいただけないでしょうか? そこで納得いただければ私は宮廷魔術師に。お認めにならないのであれば、潔く諦めます」
俺自身、宮廷魔術師の仕事をこなせるか大いに不安だ。試験はしっかり受けたほうがいい。
「ふ、ふむ。そこまで言うなら。それに丁度いい……志願者が一定数に達したのでな、そろそろ採用試験を行おうと思っていたところだ。そこで実力を見せてみろ」
「お心遣い感謝いたします」
「ふん。せいぜい、死なぬよう気を付けるのだな! 逃げるのなら今のうちだぞ」
そう言うと副師団長は部屋の壁際に控えていたローブの男に告げる。
「鐘を鳴らせ! 志願者に召集をかけよ!!」
レイナは首を傾げる。
「今日、やるのですか?」
「うむ。逸材が昨日帰って……いや、志願したのでな。お主らなど歯が立たない、最高の魔術の使い手だ!! すぐにでも採用したい!!」
それを聞いたレイナは、少し間を置いてふーんと興味のなさそうに返す。
副師団長が最高と評するほどの魔術の使い手……相当な才能の持ち主なのだろう。
その後、俺たちは宮廷の隣にある練兵場へと向かうのだった。