第4話 支援魔術師、皇女に拾われる!
魔術大学をクビになって早十数日。
攣った足のせいで予定より少し遅れつつも、俺は帝都に到着した。
まずはやはりレイナの知人を訪ねに宮廷へ向かったのだが──
今はなぜか、宮廷の謁見の間で跪いている。
「よくぞ来た、トール殿! 堅苦しい挨拶はやめて、顔を上げられよ」
「もったいなきお言葉です、陛下」
たどたどしい所作で顔を上げると、そこには玉座に座る筋骨隆々の男──ノイシュターデ帝国の皇帝ハインリヒがいる。
周囲を見渡すと皇族と貴族がこちらに顔を向けていた。
どうしてこうなった……?
宮廷の守衛は俺を見るなり、すぐに豪華な部屋に案内した。口にしたこともない美味しい茶とお菓子が出され、それからあれよあれよという間にここに連れてこられ、今に至る。
皇帝とは話したこともない。
……なんでこんなに歓迎されているの、俺?
レイナ……いや、レイナの知人って何者なんだ。
足の震えが止まらない。数日前足を攣ったせいなのか、緊張のせいなのかは最早不明だ。
困惑していると皇帝が口を開く。
「トール。そなたからの恩、帝国は忘れておらぬ。かつて魔王ギスバールがこの帝都を襲った時、勇者アレンと共に帝都を救ってくれたな」
そんなこともあったなあ。でも……
「それは……冒険者として当たり前のことをしたまでです。それに私は支援魔術師……活躍したのは仲間たちで、私自身は何も」
だいたい支援魔術をかけていただけ……
当時も俺以外は賞賛されていたが、俺は褒められたことがない。
それが今になって何故?
「そう謙遜するでない。ともかく余と帝国はそなたを歓迎する。爵位でも何でも、望みのものを授けよう」
「爵、位……? 私はただ、レイナ・レグニッツという方から、紹介状を渡され仕事を……何か、手違いが起きたのでは?」
爵位という言葉にもう俺の頭は理解が追い付かなかった。
「何も手違いなどございません。私が友レイナからの書状を見て、ここにお連れしました」
声の主は皇帝の隣に立つ──艶やかなブロンドの髪を団子のように結い上げた女性のものだった。
ドレスの上からでも分かるすらっとしたボディライン。くりっとした目に宿るアイスブルーの瞳をこちらに向ける彼女は、女神そのものだった。
美しすぎて直視できない……それぐらい衝撃的な人だった。
だが、凛とした顔立ちには少し幼さが窺える。レイナと同じ十代後半ぐらいだろうか。
「あなたは……」
「エレナ・フォン・ノイシュターデと申します」
「ノイシュターデ……!」
つまりは皇女。
レイナにはとんでもない友人がいたようだ。
俺は深く頭を下げる。
「失礼いたしました……! 殿下のご友人とはつゆ知らず!」
「ふふ、謝罪されることはありません。陛下、トール様は長旅でお疲れのようです。私も帰って来たばかりですし、私の部屋にご案内しても? ご要望は私が個別に伺おうかと」
エレナがそう言うと、皇帝は即座に首を縦に振る。
「それがよかろう。全てお主に任せる。では、トール殿。ごゆるりと」
俺はそのままエレナによって、豪華な執務室へと案内された。
絹のクロスが敷かれたテーブルを挟んで座る。向かいには皇女エレナが座ってほほ笑んでいる。
出された茶に手も付けず、俺はエレナに訊ねた。
「殿下……そのレイナ、様は」
「レイナで構いません。私もエレナと呼んでいただき結構です」
レイナはともかく、皇女を呼び捨てで呼べるわけがないだろ……しかも初対面で。
いや、レイナは、エレナが俺のことを知っていると言っていたな。
「殿下。その、レイナ君から殿下は私のことをご存じだったと伺いましたが」
「ええ……トール様はご存じないかもしれませんが、昔私はトール様に助けられたのです。それからずっと、私はトール様のことをお慕いしております」
「そんな……」
誰かに手を貸した覚えは多々ある。しかし個別にははっきりとは覚えていない。
正直に覚えていないことを告げるか迷っていると、エレナが口を開く。
「私もヴェレン魔術大学でトール様から教えを乞いたかったのですが、皇女という立場上、それが叶わず……全く、レイナがうらやましい限りです」
「もったいなきお言葉です。しかし、私は支援魔術しか使えない非才の身。殿下が思うようなものをお教えすることは叶わなかったと」
そう答えると、エレナはどことなく寂しそうな顔をした。
何か気に障るようなことを言ったかな?
不安に思ったが、エレナはすぐに微笑んで答える。
「謙遜なさらないでください。レイナはいつもトール様の講義は面白いと申しておりました。それと、トール様が大好」
「俺の、講義が、面白い……」
思わず涙ぐんでしまうほど嬉しい。嬉しさのあまり、その後の言葉がよく聞こえなかった。
だが悲しいかな、過剰評価と言わざるを得ない。
そしてどうやら、その評価はエレナにも影響してしまっているらしい。
エレナはニコリと笑って続ける。
「トール様、話は戻りますが、どうか爵位をお受けになってください」
「殿下。先ほども申し上げましたが、私は爵位を受けるに値する者ではありません。私は平民の出の元冒険者で、大学では少数の生徒に支援魔術を教えていただけ……領主などとても」
しかも今は無職だ。
何よりと続ける。
「たいした功も立ててない者が爵位を得れば、他の貴族の方々の反感を買う。お気持ちは嬉しいのですが……」
「そう、ですか。ならば無理にとは言いません」
エレナが笑顔で答えるので、俺はホッと息を吐く。
何か政略に巻き込まれる可能性もあるしな……
「ですが、トール様。仕事はお探しなのでしょう?」
「ええ……お恥ずかしい限りですが。帝都なら人も多いし、何か仕事に就けるやもと思いまして」
「なるほど。そういうことでしたら、宮廷魔術師などはいかがでしょうか?」
「宮廷、魔術師ですか?」
「ええ。宮廷を拠点に、帝国の抱える諸問題に魔術で対処していただきたいのです。住まいとお食事はこちらで用意します。また、給料のほうは月に金貨百枚でいかがでしょう?」
「金貨、百枚?」
金貨一枚で一か月は暮らせる。
それが一か月で百枚だと……?
おいおい、俺の大学教員時代の給料の二百倍ぐらいだぞ。
「ええ、百枚です。もちろんお先にお支払いします」
ぱんぱんとエレナが手を叩くと、使用人が山積みの金貨が乗ったお盆を運んでくる。
これだけの大金を見たのは、冒険者だったとき皆でドラゴンを倒した時以来か。
「……殿下?」
「なんでしょう、トール様?」
「俺をどうしようというんです?」
やはり何か謀略に利用するに違いない。
でもなけりゃ、こんな待遇ありえないって。
一方のエレナは少し間を置くと、立ち上がって俺の隣へと歩いてくる。
そしてそっと耳打ちした。
「私と結婚していただきます」
「へ……」
振り向くと、そこには不敵な笑みを浮かべるエレナがいた。
上流社会で通じる雅な冗談? どう返せばいいんだ……
「詳細は私の従者から説明いたします。お返事はその者に。それでは、私はやることがありますので」
俺が一人固まる中、エレナはそう言い残して部屋をすたすたと去っていくのだった。