第30話 夜明け
深い夜の中、俺は荒れ果てた大地に立っている。
目の前には、迫り来る黒炎を防ぐ俺の【シールド】がガタガタと激しく揺れていた。
魔王ギスバールが放つ全力の闇魔術。地平線を覆うかのようなその黒炎を前に、俺たちは耐えるしかない。
「トールやめろ!! 私はいい!! これ以上はお前が死ぬ!!」
「アホやろう!! さっさと俺から魔力を引け!!」
必死の形相で叫ぶ仲間たち。
俺はそんな仲間たちにそれぞれ【シールド】を展開し、【聖纏】を纏わせ黒炎を防いでいた。
それでも厳しい。だからさらに壊れぬよう魔力を供給している。ただしその分、俺の【シールド】は必要最低限の魔力しか注げない。
仲間たちはそれをやめるよう、先ほどから俺に訴えているのだ。
しかし俺は、一人満足そうに笑みを浮かべている。
「──勝った」
俺は勝利を確信していた。
ギスバールは敗北した。アレンたちを殺すことはできなかったのだ。
この黒炎が消えた時、彼の命は終わりを迎える──
同時に俺もまた、永遠の眠りに就くだろう。
俺の【シールド】はもう少しで破壊される。しかし、ギスバールの魔力はあとわずか。仲間たちは耐えられる。
「これで、終わりだ──」
少しずつヒビが入る自分の【シールド】を見ながら、俺は今までの人生を振り返っていた。
冒険者として戦い続けて七年。アレンたちが超人的な才能を見せ活躍をする中、俺は何をやっても中途半端だった。
だが一つだけ、自分に誇れるものが俺にもある。
俺は皆を支援魔術で支えてきた。仲間の誰も死なせまいと。
そうして俺たちは、魔王ギスバールを追い詰めたのだ。
──俺の死が、アレンたちを生かす。俺は誰も死なせない。最後まで、支え続けるんだ。
最期の時をこんなに満ち足りた気持ちで迎えられる。なんと幸福なことか。
やがて、俺の【シールド】に大きな亀裂が走った。
「トールっ!! 頼む!! やめてくれ!!」
「俺が一人死んでも何も変わらない!! お前は生きろ、トール!!」
「私でいい! トール! 私から魔力を引くんだ!」
男が三人、顔をクシャクシャにして泣いている。あいつらの涙も笑顔も、最近ではあまり見なくなっていたからなんだか懐かしい。
「馬鹿言え……攻撃役が死んだら、誰がギスバール倒すんだ」
俺はそう呟くと、皆にこう言った。
「皆……悪かった。俺が不甲斐ないばかりに」
ずっと認めたくなかった。自分が力不足だなんて。そのせいで皆にも迷惑をかけてしまった。
この半年、過酷な状況での戦いが続いた。
そんな状況のせいだろう。喧嘩してもすぐに仲直りしていた皆が、戦いのミスを互いのせいにして引きずるようになった。戦闘以外の時間は会話もせず、食事も別々に摂るという険悪な雰囲気になってしまっていたのだ。
俺も自分の力不足を痛感していたが、幼少時からの仲。指摘があるとつい言い合いになってしまうことがあった。
だが、この戦いが終われば、帝国と周辺国は今よりずっと平和になる。皆の仲も、昔のように戻るはず。もう少しで夜が明けるように、暗い時代も終わる。
そして、そこに俺はいない──
そう、俺はいないはずだった──
突如、崩れかけていた俺の【シールド】が形を戻し始める。
「っ!?」
同時に、魔力が送り返されるの感じた。
咄嗟に周囲を見ると、そこには盾を前に走り出す、勇者アレンが。
アレンは俺の魔力を跳ね返し、【シールド】を放棄したのだ。
「どうして……」
意味が分からなかった。しかしどうしてそうなったのかはわかる。
アレンは【魔發】を使い俺の魔力の供給を止めたのだ。
なぜアレンが【魔發】を使えるのか。なぜ使うのか。
頭が混乱するも、俺は叫ぶ。
「アレン!! 【魔發】を解け!!」
アレンは振り返らずに走る。
黒炎の中に消えたアレンの名を俺は何度も叫んだ。
間も無くして黒炎が消えると、地平線に朝焼けが見えた。
そこにギスバールはなく、一人立つアレンがいる。
「アレン……!」
俺は急ぎ、アレンのもとに向かう。体の負荷など気にせず支援魔術をかけ、一目散に駆け寄った。
アレンはどこか怪我をしているかもしれない。
走りながらアレンに【自然治癒】や【清浄】をかける。後ろから、仲間の攻撃魔術師も回復魔術をかけてくれた。
「大丈夫か!?」
アレンは俺に振り返る。
黒ずんでいるが、笑顔のアレンだ。ギスバールを倒したからか、満足そうな顔をしている。
無事だった。ギスバールも倒せた。
歓喜のあまり、俺はアレンを抱き寄せる。
「アレン! やったぞ!!」
アレンが口を開く。
「トール……」
同時に、地平線から旭日が差した。
「アレン……?」
アレンの体はまるで光の粒子となって風に流されていく。足元には、灰として崩れ落ちたアレンの腕が。既にその体はギスバールの黒炎に侵されていたのだ。
こうなれば救う手立てはない。光は残酷にも体を蝕んでいく。
「……アレン……どうしてだ? どうして俺を!?」
アレンは口を開く。
しかし、俺に答えを聞かせてはくれなかった。
強い風が吹く。
アレンは、行ってしまった。
俺は、アレンが迎えるはずだった夜明けを迎えてしまったのだ。
灰となったアレンを前に、俺は立ち尽くすしかなかった。
──後日。
戦場跡にあったアレンの遺品から、日記らしきものが見つかる。
黒炎に大部分を焼かれた日記。だが、そこには幸いにも故郷とアレンの家族に対する感謝が書き残されていたのだ。
そしてほとんどが焼け落ちてしまった一枚のページには、ある文章が残されていた。
『……力不足。俺たちはこのままじゃダメだ』
少し離れて、また読める箇所が。
『だから俺は………ギスバールを倒した後にトールをパーティーからやめさせることにした』
最後には、アレンの死の二週間前の日付が記されていた。
俺は──アレンを守れなかった。全ては、俺の力不足のせいで。
これは、忘れられない記憶……いや、忘れてはならない記憶。
俺は一生、自分を許せないだろう。
〜〜〜〜〜
「うう……」
目を開くと、そこは帝都の市街。
どうやら大通りのベンチで寝てしまったらしい。
空には朝焼けが見える。
こんな場所で寝ちゃうなんて……
寒いはずだが……寒くない。
隣にはレイナが俺の手を握って、寄りかかっていた。
レイナは心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「先生、うなされてましたよ?」
「あ……なんか変なこと言ってた?」
「変なことは言ってません。ただ、レイナやエレナと結婚したいなって。子供はいっぱい欲しいとか結構具体的なこと仰ってました」
「ええっ!? 俺はそんなことを!?」
すぐに頭を下げる。全身から冷や汗が滝のように溢れ出してくる。
「ご、ごめん!! 本当にごめん!! 殿下にも謝りに行かなきゃ!!」
「ふふ、冗談ですよ、先生」
おかしそうに笑うレイナ。
思わず、ホッと息が出る。
「レ、レイナ……殿下みたいな冗談を言うんだな」
「まあずっと一心同体みたいなものですから」
少しイタズラっぽく笑うレイナ。こんな表情もできたんだな。
「全く油断も隙ない二人だ……とはいえ、おかげでそれなりに酔いも醒めたよ」
「お酒はほどほどにしたほうがいいですね」
「……おっしゃる通りでございます」
全部アルノのせいだ。いい意味でも悪い意味でも調子が狂わされる。
レイナはなんだか安心したように微笑む。
「それでは先生、帰りましょうか」
「ああ。そうしよう」
俺たちはベンチを後にし、宮廷へと向かう。
「本当に悪いな、レイナ。寒かっただろうに」
「いえ、ずっと先生と寄り添えてポカポカ……むしろ暑かったぐらいです」
「そ、そう?」
俺に気を遣ってくれているのだろう。本当に優しい子だ。
ただ、誰に対してもこんなに優しいわけじゃない。皆と話している時は普通の女の子。時折鋭い一言も聞こえてくる。むしろクールな性格が窺えるのだ。
「なあレイナ……どうして俺なんかのために、こんな付き合ってくれるんだ?」
「先生は恩師ですから」
「恩師って言っても、一年……俺は支援魔術を教えただけだ。それにギベルドのことだって、他のやつもああしただろう」
特別なことじゃない。俺じゃなくてもレイナを助けた人はいただろう。今となっては、そもそもこのレイナに助けが必要だったとも思えないし……
レイナはこう答える。
「確かに、あれは特別なことじゃありません。でも、先生は特別なんです」
「俺が……特別?」
遠くを見ながらレイナは答える。
「……ずっと孤独だった私に手を差し伸べてくれた。拒絶しているのに追っかけ回して美味しいものを持ってきたり、求めてもないのに魔物の説明をだらだらしたり、さっきの冗談だって先生のせいです」
「何それ、怖い」
酔いのせいなのか、レイナの言葉が半分も理解できない。そんなことあったっけ?
というか追いかけ回すって……俺、どっかの変態と間違われてない? ここだけの話、そういう件で捕まった教授が……
ともかく、俺は断じてそんなことしていない。
もしかして、俺はまだ夢の中にいるのかもしれないな……
しかしレイナは嬉しそうな顔で告げる。
「敵を殺すことしかできない私に、先生は色々なことを教えてくれたんです。こうして笑えるようになったのは、先生がいたから」
「レイナ……」
俺の手を強く握ってくれるレイナ。
周囲に陽が差し込む。レイナは太陽のような笑顔を俺に見せてくれた。
「さ、行きましょう。先生が私を支えてくれたように、私も先生をお支えしますから」
いつかどこかで見た光景を思い出す。
アレンの死を経た今では、曖昧な記憶だが……レイナの手の温かさにはなんとなく覚えがあった。
それからの記憶も曖昧だ。
恐らく俺は宮廷の自室に帰還し就寝したのだろう。起きた頃には、今朝の話が夢か現実か分からなくなっているのだった。
〜〜〜〜〜
ついに魔王ギスバールが倒れた。
帝国を覆っていた闇を払うかのように、夜が明けていく。
私は無数の魔物を刀で斬り捨てながら、真っ先にあの男のもとへ向かった。
不安だった。あの男は無理をする。
──馬鹿だから死んでないだろうか。
まだ小さな私は自分の立場も忘れ、小さな足で走った。あれだけ勇ましかった魔物は、まるで太陽を恐れるように逃げていく。
やがて、陽の差す黒い大地で四人の男が立ち尽くしたり両膝を突いているのが見えた。
そこには、
「トール!!」
あの男が立っていた!
だが、何かが足りない。
一人足りない……それは、確かだ。そうではなく、トールから何かが抜けてしまったのだ。
それは、私なんかでは到底埋められるものではなかった。
灰の山の上で泣き喚くトールに、私は近寄ることも声をかけることもできない。
その夜明け、トールはトールではなくなってしまった。




