第2話 支援魔術師、クビになる!
「トール、お前はクビだ」
金色のローブを身にまとった長い白髭の男──学長はそう告げてきた。
「……理由を窺っても? 事の次第はすべてお伝えしたはずですが」
ギベルドも生徒も怪我をしていない。
学校の設備も傷一つない。
あの訓練場も魔術使用の許可が出ている区画だ。
「これ以上、支援魔術の講義をするのに予算は出せん。前学長の遺言でお前を置いてきたが、給料泥棒はもういらん」
「ですよね……」
たしかに少数の生徒しか教えていない俺は、金食い虫かもしれない。
「でも……」
学長室を見渡すと、前学長の時代にはなかった金銀や宝石の細工が所狭しと置かれている。
財政的に困窮しているようには見えない。
そもそも俺の給料は、毎日の食費で消えてしまうほど……
何より、唐突すぎる。
学長は俺の疑問を察したのかこう答える。
「もちろん建前だ。ザクスブルグ伯爵の子を泣かせるとは……ザクスブルグ伯爵からは、多額の援助を受けているのだぞ」
「ですが、学則では暴力は禁止です。そもそも、俺はギベルド君に訓練をと……」
「黙れ!!」
学長はどんと机を叩く。
「いつまでも古い伝統を守っていては、ヴェレン魔術大学は成長せん!! 多額の資金を集め、設備も人員ももっと増やす必要がある……それなのにお前はパトロンの子の機嫌を損ねたのだぞ!?」
「それはつまり、賄賂次第で生徒を贔屓すると?」
「なんとでも言え。ともかくお前にはすぐに大学を去ってもらう」
「そう、ですか……」
俺としてもそこまで大学の方針が変わるなら未練はない。もともと前の学長の頼みでやってただけだし。
心残りは、熱心に俺の講義を聞いてくれたレイナか。
「学長。一つお願いが。レイナ・レグニッツという生徒ですが」
「どうでもいい生徒の名など、覚えておらん! さっさと失せろ!! 私は忙しい!!」
しっしと手を振る学長。
こんな人だったのか……こっちから辞めてやりたかったぐらいだな。
礼も言わず、俺は学長室を後にした。
退去のため、自分の執務室へ向かうと……
「レイナ君」
執務室の扉の隣には、分厚いレンズの眼鏡をかけた女生徒──レイナがいた。
レイナはぺこりと頭を下げる。
「先ほどはありがとうございます、トール先生」
「いや、気にしないで。それよりも、明日からなんだが……」
「まさか……学長に何か?」
心配そうに尋ねるレイナにこくりと頷く。
「クビになった。支援魔術の講義は今日限りだ」
「そんな……あれは、私のせいで」
「あ、いや。学長からはもともと呼び出されていてね。クビも実は前から決まっていたんだ」
自分のせいだなんて思わせたくない。
「先生……」
レイナは残念そうに肩を落とす。
ここまで落ち込んでくれるなんて……それだけでも救われた気持ちになれる。
「いままで、俺なんかの講義に来てくれてありがとう……少しでもレイナ君のためになってくれれば嬉しいが」
「先生……先生はもう大学に未練はないんですか?」
「レイナ君みたいに講義を聞きにくる生徒がいる限りは続けたかったけど、さっきの学長の言葉を聞いたらね……もちろん、君のことは心配だ」
俺はそう言って執務室に入る。
そうして机の上に置かれた指輪を一つ手に取り、レイナに渡す。
「魔力を宿すミスリルでできた指輪だ。姿を隠す【影纏】、動きを速くする【加速】、それから……魔術に対する耐性が得られる【魔壁】。三種の支援魔術を付与してある。昔俺が使っていたもので悪いけど」
「そんな貴重な物、いただけません!」
「でも、またギベルドに襲われる心配がある。とてもこのまま去るのは」
「先生がやめるなら、この大学にいる価値はありません。私も辞めます」
レイナの言葉に俺は一瞬何が何だか分からなかった。
そこまで俺の講義を大事に思ってくれていたのだろうか。
いや、レイナはやはり俺が辞めるのが自分のせいだと罪悪感を感じているのだ。
でも、それは間違っている。
そもそも、俺の支援魔術にたいした価値はないのだから──
俺はレイナに無理やり指輪を握らせて言う。
「駄目だ、レイナ君……退学なんてしたら就職に響く……! とりあえず卒業だけはしたほうがいい! じゃないと、俺みたいに薄給で働くことになるぞ!!」
魔術大学卒業は大きなステータスだ。魔術の腕はイマイチでも高給を望める仕事に就ける。もっともレイナの魔法の技術なら心配ないだろうけど……
「すでに卒業に必要な単位は取得しています。いつでも卒業できます」
「え? レイナ君ってまだ二年生じゃ……」
天才だとは思っていたが、まさかそこまでとは。
「私のことはどうでもいいのです。それより、本当にお辞めになるのですね……」
「ああ。君には悪いけど……でも、レイナ君は覚えが早かった。もう俺がいなくても、自分で支援魔術を」
言葉の途中でレイナが指輪を握り手を放す。
「分かりました……では、これ以上止めません」
レイナはそのまま執務室を後にして走り去る。
「レイナ……」
ある程度は俺の講義を気に入ってくれていたのだろうか。
それだけで嬉しい。
「……俺の支援魔術が、少しでも彼女の将来に役立ちますように」
そんなことを願いながら、俺は執務室を片付け始める。
といっても薄給の俺にたいした荷物はない。
トランクケース一つに収まるぐらいだ。
荷物をまとめ部屋を清掃して……支度が整うまで十分もかからなかった。
「お世話になりました」
清掃を済ませ執務室に一礼した後、廊下を歩き校門を目指す。
大学での日々を振り返る。少ないながらもいい生徒に恵まれた。
「悔いはない……ないけど」
これからどうすんだ──
格好つけたが、俺は無職だ。
昔のように冒険者に戻るか……
いや、支援魔術しか使えないおっさんなんて誰も仲間に入れてくれないよな。冒険者業界では、三十代はもう立派なおっさんなのである。
じゃあ他の魔術で……覚えたけどあまり使ったことないし。
「そもそも、どこ行くんだ……今の所持金じゃ、数日の宿代で消えるし」
校門を出たところで俺は頭を抱える。
そこに後ろから、安心感を覚えるような声が響いた。
「先生。これからどこに?」
振り返るとそこにはレイナがいた。
「え、ああ……そうだね。せっかくだし、ぶらぶらしようかなと」
家無し、職無し。このままだと本当に、街をぶらつくしかなくなる。
レイナは俺に歩み寄ると、何やら封筒を手渡してきた。
「もし帝都に行かれる機会がありましたら、宮廷の守衛にこちらをお渡しください。食べ物はもちろん、お金も家も職も、望むものを得られるでしょう」
「え? 帝国の宮廷に?」
「えっと。宮廷に私の知人がいるのです。トール様を大変慕っております。トール様はご存じないかもしれませんが、どうか、会ってあげてくれませんか?」
「会うのはいいけど……甘えるのは」
「何か職を募集しているかもしれませんし。無理にとは言いませんが」
「そういうことなら……考えてみるよ」
そう答えるとレイナは口角を上げる。
「ふふ、お待ちしております」
「え?」
「あ、いえ。私も、お礼参りを済ませて帝都に向かいますので、向こうでお会いしたいなと」
「そう言われると……もう行かないわけにはいかないな」
「ふふ、きっと知人も喜びます」
「おっさんと会って嬉しい人なんているかな……」
「おっさんなんてそんな……先生はまだ若いですし、世界一格好いいですよ」
「え?」
「それでは」
「あ、ああ」
手を振り大学に戻るレイナに手を振り返して見送る。
世界一格好いい?
──耳が遠くなったかもしれん。
ともかく帝都を目指すか。レイナの紹介状で仕事を得られなくても、帝都は人口も多いし仕事も何かしらあるはずだ。
そうして俺はヴェレン魔術大学を後にするのだった。