第1話 支援魔術師は不人気!
「トール、この答案の添削を頼む」
大学の石造りの廊下を歩いていると、若い男が書類の山を手渡してきた。炎魔術を教える教授だ。
「ま、待て。自分の生徒の答案だろ」
「俺はお前と違って忙しいんだ。じゃあ、頼むぞ」
そう言って教授は去っていく。
冒険者をやめて十年。
俺トールは、ずっとこのヴェレン魔術大学の講師として支援魔術を教えてきた。
同期が教授や准教授に昇進する中いまだに助教授にもなれない。こうして他の先生たちの雑用や庶務という立場に落ち着いている。
不本意ではあるが、不服ではないし、不思議でもない。
支援魔術は不人気ゆえに学びたいという生徒が少ないのだ。
人や道具、時には魔術自体にさえも──魔力を宿すものになら、何にでもかけることができる支援魔術。
例えば人の動きを速くしたり、逆に敵を遅くしたり、とても便利な魔術だ。剣に火を纏わせたり、疲労を軽減する魔術をかけることだってできる、とても素晴らしい魔術なのだ。
だが、世間の評価は違う。
魔物との戦いにおいて同じ魔力を消費するなら、支援魔術で他人の攻撃力を上げるよりは、直接攻撃魔術を繰り出したほうが敵を早く倒せる。
個々の弱点を補うという点では有用だが、魔術によって作られた装備やアイテムで代用が効く。
だから、皆が思うのだ。なんで他人のお守りなんてしなきゃいかんのか、と。
つまり──
そもそも魔術大学でというより、世界的に支援魔術は不人気なのだ。
まだ、支援魔術の講義が残っているほうが不思議なぐらいなんだよなあ……
今日も俺の講義には、一人の女子生徒しか出席しなかった。
というか、今年度来てくれるのはこの子だけだ。とても真面目な子なので俺の講義も出てくれているのだろう。放課後もずっと質問してくるし本当に熱心な子だ。
俺個人としては嬉しいのだが、毎年数人しか講義に来てくれない現状は受け止めなければいけない。しかも今年はついに一人になってしまったのだから!
「トール先生。これ頼む」
「うちの研究生が派手に汚したんで校庭の整備、お願いします」
大学の廊下を歩いていたら、教員たちが次々と俺に仕事を投げてくる。
同期のみならず年下の教授には雑用でこき使われ、生徒たちには笑いの種にされる──そろそろ退職を考えたほうがいいか。
とはいえ大学を辞めたとして、支援魔術しか使えない三十の男なぞどこも雇ってはくれまい……
「はあ……」
校庭に着いた俺の口からは自然とため息が漏れた。
しかし、そんなため息を打ち消すように鋭い舌打ちが響く。
音が聞こえたのは校舎裏。急いで向かうと、そこには複数の男子生徒と壁に追い込まれた女生徒がいた。
「レイナ君──」
底が見えない度の厚い眼鏡、ブカブカのローブ。ボサボサの亜麻色の髪をおさげにして、おしゃれには全く興味がないといった風貌の女生徒……
この女生徒こそ今も唯一俺の講義を受けてくれている──レイナ・レグニッツだ。
そんなレイナが、下卑た笑いを浮かべる男子生徒たちに囲まれていた。
恰幅のいい男子生徒が大声を上げる。
「なんだその態度は!? この俺がお前を誘ってんだぞ!? お前、俺が誰か知っているのか!?」
この凄む男子生徒はたしかギベルドといったか。
炎魔術を教える教授が絶賛していた将来有望な生徒だ。
だが、この状況は鈍い俺にも分かる。
告白──ギベルドはレイナに振られてしまったのだ。
そのショックでギベルドは乱暴な言動をしているのだろう。悲しいね。
気持ちは分からないでもないが、乱暴はダメだ。
レンズが厚い眼鏡のせいでレイナの表情を窺うことはできないが、怖がっているに違いない。
「君たち、何をしているんだ」
一同視線を向けてくる。
一瞬、はっとするギベルドたち。しかし、俺の顔を見るなり小馬鹿にするような顔を向けてきた。
「誰かと思えば万年ヒラのトールじゃん! 驚いて損したわあ」
「何? 役立たずの支援魔術師が俺たちに何か用あるの?」
ギベルドたちは威圧するように睨んでくる。
「彼女が嫌がっている。どいてやってくれないか?」
先ほどとは音色の違う舌打ちをギベルドが響かせてから言う。
「お前さ、俺が誰か知っているわけ?」
「ギベルド君だろ。攻撃魔術だけでなく武術も強いんだってね」
「へっ。そこまで知ってりゃ分かるだろ……俺は帝国のザクスベルグ伯爵の子だ!!」
「知っているよ。だけど、この大学では生まれは関係ない。ヴェレン魔術大学は帝国から高度な自治権を与えられている。国や生まれに関係になく学ぶことができる。君が伯爵家の子だからなんだというんだ?」
そう答えるとギベルドはニッと笑う。
「お前みたいなことを言う教授や生徒がいたよ……だが、ザクスベルグ伯爵家がこの大学にいくら援助してるか知ってるだろ?」
「……そうなの? 俺ヒラでとてもそんなこと」
純粋に知らない。
だけどギベルドの自信満々な言い方からして、きっと多くの教授や生徒が知っているのだろう。
俺が疎いだけだな……
一人消沈していると、ギベルドは再び舌打ちする。
「面倒くせえやつだな……勇者アレンのパーティーにいたとかなんとか知らねえが、万年ヒラの支援魔術師は引っ込んでろ!!」
俺に拳を振り上げようとするギベルド。
しかし、レイナがいつの間にかそのギベルドの腕を掴んでいた。
「お、お前? い、い、いてて」
「先生、これは私の問題です。どうか、お気になさらず」
隣で痛がるギベルドを横目に、淡々とレイナが言う。
「でも、喧嘩を見て見ぬふりはできないし……」
「そうですね……なら、こんなのはどうでしょう。今から、先生と私が組んで、この有象無象のゴロツキどもと魔術を用いた実戦形式の試合をします。万一こいつらが勝ったらギベルドと結婚でも何でもします」
「結婚なんて重要なことをそんな軽々しく言うもんじゃ」
「要は私たちが勝てばいいだけ。先生、お願いします」
「レイナ君……」
レイナは、ぶるぶるとただ体を震わせるだけのギベルドに目を向ける。
「いいですよね? 私たちが勝てば、先生にもう二度と関わらないように」
「あ、ああ! こ、後悔すんじゃねえぞ!」
「それじゃあさっさと終わらせましょう。ちょうど、体育館の訓練場が空いている」
レイナは俺の手を引きながらすたすたと訓練場へと向かった。
追って訓練場に着く。俺とレイナ、ギベルドたち三名、それぞれ一定の距離を取って対峙する。
「レイナ! さっきの言葉忘れんじゃねえぞ!!」
「さっさと終わらせましょう。伸びたほうの負けです」
ギベルドは舌打ちを響かせると、取り巻きとともに両手を前に突き出した。
「ごめんなさい、先生。先生の手を煩わせるわけにはいきません。私が斬り込みます」
いつの間にか手にしていた木剣を手にレイナは言った。
「き、斬り込む?」
「はい。ですから……先生は支援魔術を私にかけてください」
「それはいいが、もし怪我でもしたら……支援魔術は」
「先生の支援魔術はそんな程度ですか?」
言われてハッとした。
支援魔術は役に立たないと誰もが口にする。
だが、俺はそう思っていない。
優秀なレイナだ。
俺の支援魔術があれば勝たせられる。
「──任せろ」
「ありがとうございます」
レイナはそう言って地面を蹴った。
俺はすぐさまレイナに手を向ける。
「【加速】──」
俺の手から放たれた光は、レイナのローブに【加速】の魔法陣となって刻まれた。
するとレイナは、急に風のような速さで走り始める。
【加速】──対象の動きを速める支援魔術だ。
一方でギベルドたちには【遅延】という支援魔術を放つ。
「あ、あれ、魔術が!?」
迫りくるレイナにギベルドたちは魔術が撃てないと慌てふためく。
しかしギベルドだけは何とか炎魔術を放ってきた。
もちろんの低温の炎だがその大きさは人を丸のみにするほど。噂に違わぬ炎魔術の使い手だ。
しかし、こちらも負けられない。
ギベルドの放った炎魔術に【遅延】をかけ、逆にレイナの木剣とローブに【水纏】という魔力でできた水を纏わせる。
レイナがあの炎を避けるにしても、そのまま斬り払うにしてもこれなら大丈夫のはず……おっ。そのまま突入するか。
レイナは木剣を下段から振るうと、俺が纏わせた魔力の水をギベルドの炎へと降りかける。瞬く間に火炎は消え蒸気となった。
そのままレイナは蒸気の中を走っていく。
「ぐっ!?」
「がっ!?」
吹き飛ばされるギベルドの取り巻き二名。
やがて蒸気が霧散すると、そこではレイナがギベルドの喉元に木剣を突き立てられていた。
「まだ、やります? このまま突き刺してもいいですよ?」
「あ、あ、あ……!」
ギベルドはガタガタと肩を震わせると、そのままへなへなと腰を落としてしまった。その腰回りには水たまりが広がっていく。
異様な光景に、いつの間に集まっていた聴衆が騒めきだす。
「ぎ、ギベルドが負けた……」
「ギベルドは大学きっての炎魔術の天才だぞ? 取り巻きもかなりの優等生だし」
「あのレイナも優秀とは聞いていたが」
本当にすごい剣技だった……レイナは剣の扱いにも長けていたのか。
感心していると、聴衆の中から厳つい声が響いた。
「トール……学長室に来なさい」
声の主は、ヴェレン魔術大学学長のものだった。