刺繍とドレス 3
リディアはぐったりしていた。ドレスの件があってからフリッツは忙しいのかリディアとは全く顔を合わせていなかった。少しだけフリッツと仲良くなれたかと思っていたが、今は初めて会った頃のようになってしまい少し寂しい。
ただその間は刺繍に専念出来たため、エレノアに頼まれた刺繍はすでに終わりウィレムス邸へと送ってある。届けるのに3日ほどかかるのでエレノアから連絡はないがすでに届いているだろう。リディアとフリッツの持ち物の刺繍も終わっている。
舞踏会もあと1週間ほどと迫ってきているが、あれ以来あのドレスを見ていない。もしかしたらすでに処分されてしまっているのかも知れない。素敵なドレスだっただけに勿体無いとは思うが、原因となったリディアに捨てないで欲しいとは言える訳もない。あとはリディアのドレスだけなのだけれど王都への移動も考えると、今から刺繍しても間に合うかどうかあやしい。それにドレスがないため刺繍をするどころではなく、フリッツに聞きたくても会えないのでは仕方がない。そもそもフリッツに会えたとしても、また不快なことを言ってしまうかもと思うとフリッツに聞くのを躊躇ってしまう。
長年引きこもっていたリディアはあまり人と関わってこなかったので、こういう時にどうすれば良いのかよく分からない。妹のエレノアは感情豊かだが怒りは続かないタイプだ。怒ると一気に捲し立てるが次の瞬間には笑っていたりする。表情豊かなエレノアを見ているとリディアまで楽しくなってくる。他にリディアが関わるのは父親や叔父叔母といった大人が多く、リディアの前では怒っている姿を見せたことはない。親戚に幼馴染はいるが、彼は優しいお兄さんという感じで本気で怒っているところを見たことがない気がする。どうしようかと悶々と考えてもいい考えは浮かばない。
それに先ほどからお腹の辺りが苦しい。舞踏会のために慣らそうとコルセットを日に数時間付けることにしているのだけれど、今回はきつく締めすぎたのか苦しく、動くと助骨に当たってしまい痛い。舞踏会では迷惑を掛けないようにしたいと思い、決められた時間まではコルセットを外さずに過ごそうと、出来る限り動かずに机に突っ伏した状態でいる。この状態だと時間を確認出来ないが徐々に薄暗くなる部屋の様子からそろそろ外す時間だろう。薄暗い部屋の中でコルセットを外そうと手を伸ばすが上手く届かない。これ以上背中に手を伸ばすと身体がつりそうなため諦めてメイドが来るのを待つ。きっと時間になれば誰か来てくれるだろう。そう思うのだけれど、徐々に痛みが増している気がする。早くコルセットを外したいと思い、リディアは初めて自分から客間を出て人を探すことにした。部屋を出た途端、誰かにぶつかる。
「いたっ」
ぶつかった衝撃でコルセットが肌に喰い込み、思わず声に出る。そのまま痛みでずるずるとしゃがみ込む。
「大丈夫か?」
声のした方を見ると、そこには心配そうな顔をしたフリッツがいた。
「大丈夫です。すみませんが手を貸して頂けませんか」
差し出された手に掴まり立ち上がり、フリッツにお礼を言って立ち去ろうとする。が、手を掴まれたままで離して貰えない。
「どこか痛むのか?」
「えっと、ぶつかったところが少し」
コルセットが食い込んで痛いとは恥ずかしくて言えないため、思わず言葉を濁す。
「なら部屋で休んだほうが良い」
部屋に戻されてしまうとコルセットを外せなくなるのでリディアは焦る。
「あ、え、待ってください」
「なんだ?」
「休む前に部屋着に着替えたいのでメイドを呼んで頂けないでしょうか?」
今のリディアは普段着よりもしっかりとした外出用のドレスを着用している。部屋で休むなら着替えたいというのは理にかなっているだろう。ついでにコルセットも外して貰いたいと思いフリッツに頼む。
「メイド? 部屋にいないのか」
「おりませんよ」
そう答えるとなぜか盛大な溜息を吐かれてしまう。なにかまた気に触ることを言ってしまったかと不安になる。
「呼んでくるから、リディアは部屋で休んでいてくれ」
「わかりました」
了承するとフリッツはリディアを支えて部屋へ移動する。痛むところを庇いつつ大人しく部屋に戻ることにする。
フリッツの呼んだメイドにコルセットを外して貰うと肌に当たっていた部分は赤くなっていた。その部分に薬を塗って貰い、着替え終わるとフリッツが部屋へと入って来る。
「痛みは大丈夫か?」
「薬を塗って貰いましたので良くなると思います」
「なら良かった」
締め付けられていたコルセットを取って貰いすでに痛みはないが、せっかくなのでこのまま休もうと思いベッドに腰掛ける。けれど何か言いたげにまだ部屋に残っているフリッツが気になり休めずにいる。
「なにか私に用がありましたか?」
「いや、大したことじゃないから、ゆっくり休んでくれ」
そう言いつつ部屋から出ようとせずにリディアを見ているフリッツが気になる。
「……見られていると気になって休まらないので、用があるなら仰ってください」
思わずリディアが言うとフリッツは驚いて顔を背け、片手で顔を隠す。
「すまない。見ているつもりはなかったんだが、心配で。用も本当に大したことではないんだ。ただその見て貰いたい物があって」
慌てたような言い方に、本当に見ているつもりはなく心配してくれていたのだと分かる。顔は隠されてしまい見えないが、ほんのり耳が赤く染まっている気がする。
「なんでしょう?見ても私に分かるかどうか」
「リディアでないと分からないんだ」
「それなら見てみます」
「じゃあ今すぐ用意させるから少し待っていてくれ」
そわそわとメイド達に指示を出し始める。メイド達が数人がかりで持って来たのは、舞踏会用のドレスだった。たぶんこの前のドレスと同じ物だろう。確信出来ないのは、前回のドレスにはなかった刺繍が施されているからだ。濃い紺色の布の部分に金糸で刺繍が施され、煌びやかな印象になっている。また、一面に刺繍されているため紺色よりも金色が印象に残るようになり、フリッツの色と言うよりもリディアの髪の色に近い。もちろん近くでよく見れば紺色だと分かるが、これなら大抵の人は金色のドレスだと思うだろう。
「すごく綺麗」
思わず呟くと、フリッツは嬉しそうに目元を綻ばせる。
「急いでやった甲斐があった」
「え?」
ドレスに見入っていたため、うまく聞き取れずに聞き返すが微笑むだけで何も言わない。誤魔化された気がしてフリッツの顔をじっと見つめると、肌にハリがなくなんだか普段より疲れている気がする。ここ最近会っていなかったが、やはり忙しかったのだろう。それなのにリディアのドレスを気にかけて直してくれたことを嬉しく思う。
「素敵なドレスをありがとうございます」
素直にお礼を言うと、婚約者のドレスを用意するのは当たり前だからと返されてしまう。それでも忙しいなか用意してくれて嬉しいと伝えようとするがフリッツに遮られてしまった。
「気に入ってくれて良かった。明日すぐに王都へ向けて出発するからメイド達に準備をさせておく。王都に着いたら忙しくなると思うから、今日はゆっくり過ごすと良い」
そう言うと足早に部屋を出て行く。リディアは部屋に残されたドレスを見ると嬉しさが胸に込み上げて来て、顔が勝手にニヤけてしまうのだった。