刺繍とドレス 2
大量のドレスを試着してから数日後、リディアの部屋に舞踏会用のドレス一式が届いた。日にちが差し迫っているため、舞踏会用のドレスを先に仕立てるように手配していたのが届いたのだ。ドレスは濃い紺色で光沢のある布と刺繍の入った抜け感のある布を使って縦のラインを作り、横幅を感じさせないように工夫されている。また胸の下あたりで布を切り替えているため下半身がより長く見える。腕のところにはレース生地を使い上手く二の腕を隠せるようになっていて、リディアの体型をカバー出来る物に仕上がっている。短い期間にも関わらず完成されたドレスに感嘆したが、ただひとつだけ気になることがある。どうしようかと悩んでいるとドアがノックされ、フリッツが部屋に入って来た。
「どうだ。気に入ったか」
「素敵なドレスをありがとうございます」
お礼を言うが、リディアはドレスとフリッツを直視出来なくて俯いてしまう。
「なにか問題でもあったか」
「ドレスは素敵なんですが、ただその……」
言い淀むリディアにフリッツは顔を近づけると耳元で囁く。
「遠慮せずに言ってごらん」
「ひゃあ!?」
こそばゆさに思わず驚いたリディアは思わずその場で飛び上がる。
「教えてくれるまで続けようか?」
面白い悪戯を思いついた子どもの様にフリッツは意地の悪そうな顔で笑っている。隙あらばリディアの耳元で囁こうと狙っているのが分かり、リディアは観念して言うことにする。
「色合いがフリッツ様の髪と瞳の色でして……」
「それが何か問題でも?婚約者なら普通だろう」
さらりと言うフリッツにリディアは困惑する。届いたドレスは黒に近い紺と刺繍部分は鮮やかな空を思わせる青の二色使いだった。まるでフリッツの髪と瞳を思わせる色合いである。家同士で決めた婚約なら差し色に相手の色を入れることはあるが全体には使わないことが多い。全体に相手の色を使うのは、ドレスを贈った相手がよほどその人を好きか、想い合って結ばれた恋人同士だけである。リディアがこのドレスを着て行けば、フリッツがリディアを好きだと周りに勘違いされるか、二人が互いを想いあっている婚約者だと思われてしまう。
「それは好きな人になら良いですが、私たちは間違って婚約してしまったのですからお互いの色は纏わない方が今後のために良いと思います」
もしドレスの色合いについて知らずにいたのなら不味い。エレノアにフリッツがリディアのことを好きだと思われてしまう。そう思いリディアは親切心で言うと、フリッツは不自然なほどの笑顔になる。
「言いたいことは分かった。ところで刺繍は終わりそうか」
「えっと……まだです」
急に話題を変えられいつもより低めの声に驚いたがリディアは返答する。フリッツの口許は弧を描いているが目元は全く笑っていなかった。何か気に触ることを言っただろうかと、リディアは必死で考えるが可笑しなことは言っていないはずだ。しかしそれがいけなかったのかも知れないと思い至る。フリッツを騙して婚約したのに、今さら常識ぶったことを言われたら腹が立つだろう。しかも「間違って婚約した」と言ってしまった。騙しておいて間違いでしたなんて、リディアは悪くないと言っている様な物だ。こんな言い方では怒られても仕方ない。ドレスの色は、もしかしたらフリッツなりに歩み寄ろうとしてくれたのかも知れないのに、リディアは相手のことなど全く考えないで言ってしまった。しかしそれなら全体ではなくて差し色で充分だと思うけれどリディアが言える立場ではない。
「色合いの心配より刺繍の心配をしたらどうだ」
「申し訳ございません」
リディアは素直に頭を下げる。
「あと、仕立屋からコルセットに慣れた方が良いと言われている。舞踏会までに慣らしておくと良い」
フリッツは必要なことだけ伝えると、メイド達に指示を出して部屋から出て行く。指示されたメイド達はとまどいながらも仕立て上がったばかりのドレスを持って部屋を出て行く。残されたリディアは仕方なく椅子に座り言われた通り刺繍を始めることにした。