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ゾーイの憂鬱・2


エリアス・フォン・ウィトゲンシュタイン。その名を知らぬ者は、若い子女の中ではいないのではないだろうか。それくらいに彼の名は有名だった。

 まず第一に挙げられる理由としては、彼がすこぶるの美男子であったからである。美しい顔に、誰しもが思わず振り返ってしまうほどと言われている。実際、エリアスは非常に整った顔をしていた。黒髪に青い瞳。涼やかな目元は黙っていればどこか寡黙でほんの少し鋭利な印象を与えるが、話すと途端に人当たりが柔らかく目尻が下がる。その様を見ると誰もが心を許されているように感じて、彼に引かれてしまうのだとか。何よりその涼やかな右目の下にある涙ぼくろがとてつもなく艶やかだ、なんてことも言われていた。

 しかし、その美貌だけが彼を有名にしたのではない。ウィトゲンシュタイン侯爵家に生まれた彼は、その涼やかな顔とは裏腹に、とんでもない女好きだったのである。やれ綺麗な女性とみるとすぐに声をかけ、お茶に誘い、二人きりになる。万事が万事この調子であった。それは、ゾーイがエリアスの婚約者になってからも変わらず、ゾーイもすっかり諦めてしまった悪癖であった。

 ところが、そんな男の悪癖に変化が見られたのがこの半年の出来事である。

メリナ・プファンクーヘン。彼女の登場によって、彼の女癖の悪さは変化をみせた。まず、みだりに様々な女性を誘わなくなった。そして、メリナ・プファンクーヘンとだけお茶に行ったり、二人きりになったりするようになったのである。つまるところ、エリアスはすっかりメリナに熱を上げていたのだ。何がどうして彼の琴線に触れたのかはわからないが、どうやら恋をしてしまったらしかった。

しかし、ゾーイにとってはそれらはどれもどうだっていいことだった。まさかエリアスと言えども、婚約という契約を破棄することはないだろうと思っていたからであるし、そもそもゾーイはエリアスのことを美しいとは思えども、特に好きでも嫌いでもなかったからだ。

 だって、自分を大切にしてくれない人間を、大切にできるだろうか。答えは否である。ゾーイはエリアスに大切にされたことが無い。だから、大切にしたいなどとは思えなかった。彼はなぜか最初からゾーイを嫌っていたのである。

 だから彼がたとえ風邪をひいたとしても、手紙の一枚や見舞いの品は婚約者として送ったことはあっても、見舞いになど行ったことはなかった。

なかったのだが。


「ゾーイ! 来てくれたんだね!」


 なぜか今、ゾーイはエリアスの見舞いに来ていた。

 エリアスはすっかり元気な様子でニコニコと笑っている。ゾーイを待ち構えていたのだろう。すっかりティーセットが部屋の中には用意されていた。ゾーイの後ろに控えたおつきの者が、そっと一歩後ろへと下がった。婚約者同士の会話に水を差さないようにという配慮であるらしい。ゾーイは溜息を抑えて、目の前にいるエリアスに微笑みかけた。


「ごきげんよう、エリアス様。お休みにならなくてよろしいので?」

「大丈夫だよ。俺、元気だし」

「……はあ、さようでございますか」

 

 ゾーイは思わず気の抜けた返事をした。エリアスは、自分のことを「俺」などと言ったことはなかった。ずっと自分のことを「僕」と言ってきたのに。

 ちらり、とエリアスを盗み見る。エリアスはゾーイと目が合うと、目元を和らげて微笑んだ。少し首をかしげると、まっすぐな黒髪がさらりと揺れて美しい。


「ほら。一緒にお茶にしようよ」


 そっとエリアスが手を差し伸べた。そして、ゾーイに断りもなく白いゾーイの手に触れる。ゾーイは思わず手をびくりと固くしたが、エリアスは気がついた様子もない。今日のデザートはねえ、なんて呑気な声が聞こえて、ゾーイは諦めてエリアスに手を引かれることにした。


「……お心遣い、感謝いたします」

「ほら、座って」

「……失礼いたしますわ」

 

 そっと手が離れて、エリアスは自らゾーイのために椅子を引く。こんなこと、今までならなかった。そもそも、エリアスはゾーイをお茶になど誘ったことはなかったのだ。だというのに、エリアスはニコニコ笑ってゾーイの向かいに座っている。


「ふへ」

「……何か?」

「うーん……、ゾーイは今日も美人だなあと思って」


 挙句の果てにはこの調子である。ゾーイは漏れ出そうになる溜息をなんとか押し殺してにこりと微笑んだ。


「……お戯れを」

「えー! だって、銀糸の髪に金の瞳なんて、まるで月の妖精みたいじゃないか!」


 だというのに、エリアスはなおも言い募る。しまいにはゾーイのどこがどう美しいかを語りだそうとしている。ゾーイは頭が痛くなってきて、思わず米神を抑えてしまった。


「……何をおっしゃっているのだか、わかりませんわ」

「そうかなあ。こんなに美人なのに」

「……はあ」


 のほほん、とした調子でエリアスは言った。

 そう、すっかりこの調子なのである。エリアスは、メリナとデートをした帰り、玄関で足を滑らせて転び、頭を打ったらしい。そこまではいい。いや、よくはないのだが、この際良しとする。

 ところが問題はそれからだった。

 目が覚めたエリアスは、わけのわからないことばかり言うようになってしまっていたのだ。


「こんな美人、今まで一度も会ったことないよ。俺、エリアスになってよかったなぁ」


 ゾーイは痛む頭に気がつかないふりをしてそっと口を開いた。


「エリアス様は生まれた時からエリアス様ですよ」


 何を言ってるんだろう。ゾーイはひどく虚しい気持ちになった。当たり前のことを言っている自分が馬鹿みたいに思えたからである。


「だからさ、言ってるだろ。俺は本当はエリアスじゃないんだって。今流行りの転生ってやつだよ。それをしたらしい」


 しかし、この男には必要な言葉だった。何せ毎度この調子だ。ゾーイはついに頭痛を無視できなくなり頭を抱えた。


「どうしてこんなことに……」


 ゾーイの悲痛な声に答えるものはどこにもいなかった。

 


ありがとうございました!

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